禮儀章 二百六十八雄略帝の遺詔(一)── 顧命の禮底本 下巻 四百二十一頁ほか
原文
雄略帝二十三年、秋八月庚午朔、丙子天皇疾甚、與百寮辭訣、握手歔欷、崩于大殿、遺詔於大伴室屋大連與東漢掬直曰、方今區宇一家、烟火萬里、百姓乂安、四夷賓服、此又天意欲寧區夏、所以小心翼己、日愼一日、蓋爲百姓故也、臣連伴造、每日朝參、國司郡司、隨時朝集、何不罄竭心府、誠勅慇懃、義乃君臣情兼父子、冀藉臣連智力、內外歡心、欲令普天之下永保安樂、不謂纏疾彌留至於大漸、此乃人生常分、何足言及、
訓読
雄略帝の二十三年、秋八月庚午の朔、丙子、天皇疾甚だし。百寮と辭訣し、手を握りて歔欷し、大殿に崩じたまふ。大伴室屋大連と東漢掬直とに遺詔して曰はく、方今區宇一家、烟火萬里、百姓乂安にして、四夷賓服す。此れ又天意の區夏を寧んぜんと欲するなり。小心翼己、日に一日を愼む所以は、蓋し百姓の爲の故なり。臣連伴造、每日朝參し、國司郡司、時に隨ひて朝集す。何ぞ心府を罄竭せざらんや。誠勅慇懃、義は乃ち君臣、情は父子を兼ぬ。冀はくは臣連の智力を藉り、內外心を歡ばしめ、普天の下をして永く安樂を保たしめんと欲す。謂はざりき、疾に纏はれ彌いよ留まりて大漸に至らんとは。此れ乃ち人生の常分、何ぞ言ひ及ぶに足らん。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
雄略天皇の御代二十三年秋八月、天皇の御病氣がだんだん重くおありになり、多くの臣下たちに別れを告げられ、手を取り合つて涙にむせばれ、遂に大殿にて崩御になりました。その時、大伴室屋大連と東漢掬直とをお召しになり、御遺言を仰せられました。「今この國の内は全く一家のやうであり、竈の煙はどこまでも立ち上り、百姓は安らかに治まり、外國の者も我が國に歸服して居る。これもまた天の御心がこの國を安らかにしようとなされるゆゑであり、それゆゑ自分は心を小さくし己を愼んで、日々愼みを重ねて來たが、それは偏へに百姓の爲である。臣・連・伴造は毎日朝廷に參り、國司・郡司は時に從つて參集する。どうして心の底を盡くして誠にお仕へせぬことがあらうか。義は君臣であるが、情はまた父子を兼ねてゐる。願はくは臣・連の智力を借り、内外の心を歡ばせ、あまねく天下を永く安らかに保たせたいと思ふ。しかるに圖らずも病が重なり篤くなつて、遂に末期に至ることとなつた。これはまさに人生の常であつて、あらためて言ふほどのことでもない。」
解説
此の段は、雄略天皇が崩御に臨んで大伴室屋大連・東漢掬直に賜つた遺詔(顧命)の前半部分であります。國内の安泰、諸臣の忠勤への感謝、「義は君臣、情は父子」といふ理想的な君臣關係への言及を經て、自らの死を「人生の常分」と淡々と受け止める言葉で結ばれます。小林一郎はこの詔全體を貫く「至公至大の叡慮」(國のことのみをひたすら思ひ、私事を顧みない御心)を高く評價し、歴代天皇の御遺詔の中でも特にこの點が明かに現れて居ると講じて居ります。
禮儀章 二百六十九雄略帝の遺詔(二)── 朕、目を瞑ると雖も、何ぞ復た恨むるところあらんや底本 下巻 四百二十二頁ほか
原文
但朝野衣冠未得鮮麗、敎化政刑、猶未盡善、興言念此、唯以留恨、今年齡若干、不復稽天、筋力精神一時勞竭、如此之事本非爲己、止欲安養百姓、所以致此、生子孫誰不屬念、諡爲天下事須割情、今星川王心懷傲惡、行闕友于、古人有言、知臣莫若君、知子莫若父、縱使星川得志共治國家、必當戮辱遍於臣連、酷毒流於民庶、夫惡子孫已爲百姓所棄、好子孫足堪負荷大業、此雖我家事、理不容隱、大連等民部廣大充盈於國、皇太子以爲嗣、仁孝著聞、以其行業堪成朕志、以此共治天下、朕雖瞑目、何所復恨、
訓読
但だ朝野の衣冠未だ鮮麗を得ず、敎化政刑、猶ほ未だ善を盡さず。言を興してこれを念へば、唯だ以て恨みを留むるのみ。今年齡若干、復た天を稽めず。筋力精神一時に勞竭す。かくの如きの事は本己れの爲にあらず。止だ百姓を安養せんと欲す。この生むところの子孫、誰か念ひを屬けざらん。天下の事の爲には須らく情を割くべし。今星川王は心に傲惡を懷き、行ひは友于を闕く。古人に言あり、臣を知るは君に若くはなく、子を知るは父に若くはなしと。縱ひ星川をして志を得て共に國家を治めしめば、必ず當に戮辱臣連に遍く、酷毒民庶に流るべし。夫れ惡しき子孫は已に百姓の棄つるところと爲り、好き子孫は大業を負荷するに堪ふ。此れ我が家事と雖も、理隱すことを容さず。大連等の民部は廣大にして國に充盈す。皇太子を以て嗣と爲す。仁孝著聞、その行業を以て朕が志を成すに堪ふ。此を以て共に天下を治めば、朕目を瞑ると雖も、何ぞ復た恨むるところあらんや。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
「ただ、朝廷にも民間にも禮儀の装ひはまだ十分に整はず、教化や政治のあり方もいまだ善を盡くしたとは言へない。このことを思ふにつけ、ただ心殘りに思ふばかりである。今、齡もそれなりに重ね、天命を留めることも出來ない。筋力も精神も一時に盡き果てようとして居る。かやうなことは、もとより自分一身の爲ではなく、ただ百姓を安らかに養はうとしてのことである。人として子孫を思はぬ者があらうか。天下の爲には、情を割いてでも申さねばならぬことがある。今、星川王は心に驕り惡しき思ひを抱き、その行ひは兄弟の情を缺いてゐる。昔の人も『臣を知ることは君に及ぶものなく、子を知ることは父に及ぶものなし』と言つたが、若し星川に志を得させて共に國を治めさせれば、必ず臣・連にまで恥辱が及び、その害毒は民にまで流れるであらう。惡しき子孫は既に百姓に見捨てられ、良き子孫こそ大業を負ふ任に堪へる。これは我が家の事とはいへ、道理として隱すことは許されない。大連たちの治める民部は廣く國に滿ちてゐる。皇太子は既に世嗣として仁孝の譽れ高く、その行ひは朕の志を成し遂げるに堪へる。この皇太子とともに天下を治めてくれるならば、朕は目を瞑るとも、何を恨むことがあらうか。」
解説
此の段は、雄略天皇の遺詔の後半で、朝野の禮儀・教化がなほ十分でないことを心殘りとしつつ、我が子星川王の惡しき性質を隱さず明かして、皇太子に位を託す旨を述べる件りであります。小林一郎は、御自分のお子樣に性質の惡い者があるといふやうなことをも少しもお恥しなく仰せられて、後の事を萬事正しい道に依つて取計らふやうにとのお教へを遺されたその御心持を、洵に尊いものと講じて居ります。
禮儀章 二百七十雄略帝の遺詔(三)── 謹按、顧命の禮を謂ふ底本 下巻 四百二十六頁ほか
原文
謹按、是顧命之禮也、凡人君崩于正殿者、禮之正也、況切切顧命、擧以天下爲任、以百姓爲心、以死生爲常、歸功於大臣、爲億兆護其子之惡、以遺戒於後嗣、其義深哉、蓋死生之際者、人倫之所甚重也、故天神臨訣、以有拳拳之神勅、今帝垂終之言、經遠保世之謀及此、以不崩於婦人女子之手、讀本章以至此、則未嘗不措卷歎之、嗚呼帝所以謚雄略、宜哉、
訓読
謹みて按ずるに、是れ顧命の禮なり。凡そ人君の正殿に崩ずるは、禮の正なり。況んや切切たる顧命、擧げて天下を以て任と爲し、百姓を以て心と爲し、死生を以て常と爲し、功を大臣に歸し、億兆の爲にその子の惡を護り、以て後嗣に遺戒す。その義深き哉。蓋し死生の際は、人倫の甚だ重んずるところなり。故に天神訣に臨みて、拳拳の神勅あり。今帝終に垂んとするの言、遠きを經り世を保つの謀ここに及び、以て婦人女子の手に崩ぜず。本章を讀みてここに至れば、則ち未だ嘗て卷を措きてこれを歎ぜずんばあらず。嗚呼帝の雄略と謚する所以、宜なる哉。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
謹んで按じますに、これは顧命の禮であります。おほよそ人君が正殿にて崩じられることは、禮の正しいすがたであります。まして切々たるこの顧命は、ひたすら天下を己の任とし、百姓を心とし、死生をも常のこととし、功を大臣に歸し、萬民のためにその子の惡しき所を包み隱さず示して、後嗣に戒めを垂れられました。その義の深きことよ。おほよそ死生の際は、人倫のもつとも重んずるところであります。それゆゑ天神も訣別に臨んで、懇ろなる神勅をお垂れになりました。今、帝が末期に際してお遺しになつた言葉は、遠き將來を慮り世を保つための謀がここに及び、婦人や女子の手に崩じられることもありませんでした。この章を讀んでここに至れば、書を措いて嘆じずにはいられません。ああ、この帝が「雄略」と諡されたゆゑんも、まことにもつともなことであります。
解説
此の謹按は、崩御に際して天下後世のことを教へ遺す「顧命」の禮の意義を説くものであります。素行は、正殿にて崩じ、婦人女子の手によらず多くの臣下を召して國家の大事を託されたことを、人君の模範的な態度として高く評價して居ります。小林一郎もこれを承け、天照大神が天孫降臨に際してお教へを賜つたのと同じく、雄略天皇もまた御崩れに臨んで後の世までも御案じになつた詔を賜つたと敷衍し、この段を以て『中朝事實』下卷の講義を締め括つて居ります。小林は「中朝事實はまだ績くのでありますが、我が國の世界に比類なき國體と、皇室と臣民との關係を辯ふる資料としては、先づここまで讀めば十分と思ひますので、この『義は君臣にして情は父子』と仰せられた、有難い詔を以て自分の講述を終ることにいたします」と述べ、みづからの講義をここで結んで居ります。この読本群も、小林一郎自身の講義に依拠するといふ編集方針上、この段をもつて『中朝事實』小林一郎講義本シリーズの最終冊といたします。天先章(一冊目)以来、七十一冊にわたる講読にお付き合ひいただき、まことにありがたうございました。