禮儀章 二百四十七禮儀章 序 ── 此の章の趣意底本 下巻 三百五十六頁ほか
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
次には『禮儀章』といふのでありますが、要するに吾々の日常の生活の中に於て禮儀といふものが大切である、此の禮儀といふものは神代よりして、歴代の天皇の深い思召に基いて立てらるべきものであるといふことを明かにするのが、此の章の趣意なのであります。禮儀と申しましても、たゞ形に現はれた禮儀は其の末でありまして、要するに秩序を重んじ、また人と人とがお互ひに人たる所の本性を重んじ合ふといふことが禮儀の本であるといふことは、前からもしばしば説かれてある所であります。殊に此の秩序といふものは、これを細かに言へば父子、兄弟、夫婦、或は朋友の別、又世の中の地位で言へば君臣の別であります。また命令する人と命令される人といふやうな別がありまして、其の下に処する者が上に立つ人を敬ふといふことも禮儀でありますが、また上に立つ人が自分の身を慎んで、其の下の者に接して、下の者でもこれを軽んじないといふことも禮儀であります。要するに若し禮といふものがなければ、人間の生活と禽獣の生活と択ぶ所がないといふ位に、聖人も説かれて居るのでありまして、我が國に於ては無論禮といふものが肝要なものになつて居るのでありますが、其の根本に遡つて、これを歴史の上から証し立てて行かうといふのが此の章の趣意のやうであります。此の章は非常に長いものでありまして、これを残らず読むといふことも困難でありますから、其の中で特に今日の吾々の心得として大切だと思ふ点を抽き出して読みまして、これに前の例の通り多少の説明を加へて行くといふやうに致さうと思ひます。
解説
原文には對應する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。禮儀章は全集版で二十三節(一部はさらに枝分れし二十六の段落)に及ぶ長大な章で、小林自身がこの冒頭で「此の章は非常に長いものでありまして、これを残らず読むといふことも困難でありますから、其の中で特に……大切だと思ふ点を抽き出して読みまして」と述べ、選択的に読み進める方針を明言してゐる。この読本もこれに従ひ、全集版一節「禮とは、上下を辨じて天下の人心を定むるの道なり」、二節「陽神先づ唱ふ」(伊弉諾尊・伊弉冉尊の唱和の神話)、三節「無狀は禮儀なきの言なり」(素戔嗚尊の乱暴と天石窟隠れ)は、講義本のこの箇所には見出せず、允恭天皇四年の姓氏正しの記事(全集版四節)から読み始める。なほ二節・三節の神話は、本書のごく初め(天先章)で陰陽二神の唱和として、また天石窟の場面は神教章七節「思學」・神知章一節「人才」でそれぞれ既に読まれてをり、同じ史料を章の主題に応じて読み分けるのが素行の方法であることは、この読本でもたびたび触れてきた通りである。一節から三節の原文・訓読・現代語訳は、山鹿素行全集版『中朝事實』九(禮儀章 上)でご確認いただける。
禮儀章 二百四十八允恭帝の探湯(上)── 上下相爭ひて百姓安からず底本 下巻 三百五十七頁ほか
原文
允恭帝四年、秋九月辛巳朔、己丑詔曰、上古之治、人民得所、姓名勿錯、今朕踐祚於茲四年矣、上下相爭、百姓不安、或誤失己姓、或故認高氏、其不至於治者、蓋由是也、朕雖不賢、豈非正其錯乎、群臣議定奏之、群臣皆言、陛下擧失正枉而定氏姓者、臣等冒死奏可、
訓読
允恭帝の四年、秋九月辛巳の朔、己丑、詔して曰はく、上古の治まるところ、人民所を得て、姓名錯ることなし。今朕踐祚して茲に四年、上下相爭ひて百姓安からず、或は己が姓を誤り失ひ、或は故らに高き氏を認む。その治に至らざる者は、蓋しこれに由つてなり。朕不賢と雖も、豈にその錯りを正さざらんや。群臣議し定めてこれを奏せと。群臣皆言さく、陛下失を擧げ枉を正して氏姓を定めたまはば、臣等死を冒して奏可せんと。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それで允恭天皇の四年九月に詔を下されまして仰せられますには、ずつと遠い昔に国を治めて居つた朕の姿を今日よりして考へて見ると、人民は皆其の所を得て、さうして姓名といふやうなものにも少しも詐りはなかつた。自分の祖先はどういふ者であつて、自分の家はこれだけの家であるといふことを皆明かに申して居つたから、それで家柄の良い者は尊敬を受けるし、また尊敬を受ければそれだけ自ら省みて、身持を慎むといふことであつて、洵に国内は平和であつた。然るに自分が天皇の位に即いてから四年になるが、此の四年間のことを考へて見ると、どうも世の中が余り平和でない。皆互ひに争ひ合つて、毎日の生活を楽しんで其の業に安んずるといふことも出来ない状態である。或はまた自分の家はどういふ家柄であるか、其の家柄を全く心得ない者があつたり、中には詐つて自分の家は大変素姓が好い、昔からの家柄はかういふものであつたといつて、世間を欺く者もあるといふやうな状態である。かういふやうに物事の秩序が立たなければ、国がよく治まらないといふこともまことに已むを得ない。これを根本から改めたいと思ふ。自分は洵に徳の足らぬ者であるけれども、いやしくも天子の位を保つて居るのであるから、世の中の過ちを正す為に力を尽さなければならぬ。就ては皆がよく考へて、此の家柄を正すといふことが必要であると認めたならば改めて申出るやうにと、かういふ仰せでありました。そこで多勢の臣下が皆申上げるのには、如何にも仰せの通りであります。陛下がさういふ所に御心をお付けになりまして、今までの世の中の過ちを正し、また今までの道に違うたことを改めて行く為に、各々の家の氏素姓を明かにしようと思召すのは洵に有難いことであつて、私共は如何なる困難を冒しても、此の御趣意の貫徹致すやうに力を尽したいと思ひます。かういふ御返事を申上げました。
解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』九・禮儀章四節「允恭帝の探湯 ── 姓氏明らかならざれば分正しからず」前半に依る。『日本書紀』允恭紀四年の詔を承け、氏姓の乱れを正さんとする允恭天皇の意志と、これに応へる群臣の奏上を記す。素行がここに着目するのは、超自然の裁きそのものより、詔を発して氏姓を正したという制度史上の事実である。
禮儀章 二百四十九允恭帝の探湯(下)── 盟神探湯、諸人の眞僞相著る底本 下巻 三百五十九頁ほか
原文
戊申詔曰、群卿百寮、及諸國造等、皆各言、或帝皇之裔、或異之天降、然三才顯分以來、多歷萬歲、是以一氏蕃息更爲萬姓、難知其實、故諸氏姓人等、沐浴齋戒、各爲盟神探湯、則諸人各著木綿手繦、而赴釜探湯、則得實者自全、不得實者皆傷、是以故詐者慴然之、豫退無進、自是之後、氏姓自定更無詐人、
訓読
戊申、詔して曰はく、群卿百寮、及び諸の國造等、皆各言ふ、或は帝皇の裔、或は異に天より降れりと。然れども三才顯はれ分れてより以來、多く萬歲を歷たり。ここを以て一氏蕃息して更に萬姓と爲り、その實を知り難し。故に諸の氏姓の人等、沐浴齋戒して、各盟神探湯を爲よと。則ち諸人各木綿手繦を著けて、釜に赴きて探湯す。則ち實を得る者は自ら全く、實を得ざる者は皆傷る。ここを以て故らに詐る者は慴然として、豫め退きて進むことなし。これより後、氏姓自ら定まりて更に詐る人なし。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
そこで更めて詔して仰せられますのには、多勢の臣下の人々や、各地の国造即ち地方の長官などの言ふことを聞くと、或は某といふ天皇の御裔であると言つて見たり、或は自分の家の先祖は天降りして、高天原から此の日本の国に降つて来た者であるといふやうなことを申して居る者もある。それが一々信ずるに足る者であれば差支へないけれども、何分にも疑ひが多い。天地が分れてから已来非常に長い歳月を経て居るので、初めは一つの血統であつたと思はれる者でも、其の一つの血統から分れて様々な家となり、家の名も分れて来たので、今日になつて其の祖先が何処から出たかを一々調べても、実際の事を知る訳には行かない。併し神は詐りを許さないのであるから、多勢の者は身を浄めて神に誓ふといふ決心をして、煮えた湯の中に手を入れて、自分の言ふことが実正であるか偽りであるかの証拠を示すやうにすべきである。これが盟神探湯である。若し神を詐れば手が焼け爛れ、詐らなければどんな熱い湯でも害を受けない。これに依つて人々の家柄を定めるより外はなからうと、かういふ仰せでありました。そこで味橿丘の辟禍戸岬といふ所で大きな釜を据ゑ、多勢を引連れて神様に誓はせ、釜の中に泥の塊りを入れて煮沸して、手を入れて其の塊りを取らせるといふ仕組でありました。手が爛れれば嘘を吐いた証拠、爛れなければ言ふことが本当である証拠、といふことになります。そこで多勢の人が皆手繦を掛けて湯の中に手を入れましたが、平生言ふことに偽りのない者は少しも焼け爛れず、平生人を欺いて居つた者は皆火傷をして、それぞれ大きな傷みを受けました。これに依つて銘々の家の氏素姓が定まり、是れより後は世間を欺く者もなくなつたのであります。今日のやうに科学の進んだ時代の考へでは、正直ならば爛れないといふのは理窟に合はぬと言ふ者もありませうが、人間の心持といふものは自ら一切の事に現はれるものでありますから、神をも人をも欺かないといふ誠心があれば、其の誠心が何かの形に於て外に現はれるといふことは少しも不思議ではないのであります。允恭天皇が人々の誠心を大切とするといふ御趣意から、かういふ事を以て世の中の混乱をお正しになつたといふことは、実に有難いことと申さねばなりません。神明盟神探湯の真似をするには及びませぬが、此の心持は国民として何時までも守つて行かなければならぬものに相違ないのであります。
解説
この段の原文・訓読は同全集版四節後半に依る。盟神探湯(くかたち)の実際の手続きと、その結果として氏姓が定まつたことを記す。素行は熱湯の裁きを迷信としてではなく、詐りを許さぬ制度として読む。小林も「神明盟神探湯の真似をするには及ばぬが、此の心持は国民として守るべきもの」と結んでをり、両者の読み方は近い。
禮儀章 二百五十姓氏は善を章らかにし惡を癉むの道なり底本 下巻 三百六十二頁ほか
原文
謹按、姓氏不明、故下僭上卑蹂尊、是禮不明、分不正之由也、往古神聖因其功業、或賜姓氏、命名號、旌別淑慝、流芳遺臭、將傳百世而未嘗泯、是令人民守禮不混尊卑、不忘旌別善惡之道也、姓氏之出一混、則人皆忘所其由出、失所己可旌示、而悉不知其本、非章善癉惡之道、故帝定姓氏、以審盟、諸人之眞僞相著、尊卑初定、是禮之大端也、
訓読
謹みて按ずるに、姓氏明らかならず、故に下は上を僭し卑は尊を蹂む。是れ禮明らかならず、分正しからざるの由なり。往古の神聖はその功業に因りて、或は姓氏を賜ひ、名號を命じ、淑慝を旌別し、芳しきを流し臭きを遺し、將に百世に傳へて未だ嘗て泯びず。是れ人民をして禮を守りて尊卑を混ぜず、善惡を旌別するの道を忘れざらしむるなり。姓氏の出づるところ一たび混ずるときは、則ち人皆その由つて出づるところを忘れ、己れが旌示すべきところを失ひて、悉くその本を知らず。善を章らかにし惡を癉むの道にあらず。故に帝姓氏を定め、以て盟を審かにす。諸人の眞僞相著はれ、尊卑初めて定まる。是れ禮の大端なり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
素行がこれに就て説明を加へて申しますには、此の姓氏が明かにならぬといふことは、まことに世の中が乱れる本でありますから、極めて大切な事と申さなければなりません。若し世の中に秩序が立たぬといふことになると、下の者は上の者を犯えても一向自ら反省しないやうになるし、身分の低い者は尊い者を冒して我が儘を極めるやうにもなる。斯うなつて来ると礼といふものは明かでなく、分といふものも定まらず、詰り世の中が全く混乱状態になつてしまひます。それ故に世の中を正しくする為めに、姓氏を明かにするといふことが必要なのであります。
遠い昔を考へて見ると、姓氏といふものは上より賜はつたものであります。即ちその人の功に依り、世の中に於ける経歴に依つて姓と氏とを賜はつた。『淑慝を旌別し』とは徳の勝れた人と徳のない人とを判別することであり、『芳を流し臭を遺す』とは、一たび間違へば後までも子孫が辱を受け、立派なことをすれば子孫までも其の名誉を保つといふ判別を立てられたので、此の事が百世に伝へて滅びないほど明かになつて居つた。それでありますから人々が行ひを慎しむ。若し間違へば子孫にまで累が及び、誠心を以て国の為に尽せば永く子孫までも其の光栄を続けて行かれるのでありますから、銘々の仕事に全力を打込むことも出来たのであります。
若し姓氏が乱れ、嘘を吐いても構はないといふ者や、自分の先祖など穿鑿する必要はないと無頓着にする者が出て来ると、自分の家が何処から出たかも忘れてしまひ、国家に貢献しようといふ心掛けも殆んど無くなつてしまふ。本を知らずに眼の前のことばかり考へて居れば、善悪の判別も立たなくなつて、国家に於て善を彰はし悪を懲らすといふ道は立たないのであります。此の事をお考へになつて、允恭天皇の御時、姓氏を定めるのに銘々神様の前に誓はせられた。これが盟神探湯の行はれた御趣意でありまして、これに依つて人々の平生の心掛けもよく判り、身分の高い低いもスツカリ定まつた訳であります。
解説
この段の原文・訓読は同全集版四節(承前)「姓氏は善を章らかにし惡を癉むの道なり」に依る。姓氏とは何かといふ素行の答へは「善を章らかにし惡を癉むの道」――功業の記録である。誰が何をした家か、が消えれば、善悪を掲げる基準そのものが消える。氏姓の混乱は身分の話ではなく、公の記憶の崩壊なのだ、といふ見方である。聖政章十一節の「國史を置く」と同じ関心がここでも働いている。
禮儀章 二百五十一八色の姓・姓氏錄 ── 尊卑初めて定まる底本 下巻 三百六十四頁ほか
原文
此後作八色之姓、以混萬民、故定姓氏、以審盟、近臣各賜朝臣宿禰、諸歌男歌女笛吹傳己子孫、令習其伎、及弘仁帝御宇、勅萬多親王右大臣藤原園人等、撰姓氏錄、延喜帝朝正親司勘皇親籍、以掌賜服改姓之事、皆紀姓苑之瓜瓞、明禮儀之分定之敎、而否乃民情不厚、而詐僞日行也、
訓読
この後八色の姓を作り、以て萬民を混ず。故に姓氏を定め、以て盟を審かにす。近臣には各朝臣・宿禰を賜ひ、諸の歌男・歌女・笛吹は己が子孫に傳へて、その伎を習はしむ。弘仁帝の御宇に及びて、萬多親王・右大臣藤原園人等に勅したまうて、姓氏錄を撰ばしむ。延喜帝の朝には正親司皇親籍を勘へ、以て服を賜ひ姓を改むるの事を掌る。皆姓苑の瓜瓞を紀し、禮儀の分定の敎を明らかにするなり。而るに否らざれば乃ち民情厚からずして、詐僞日に行はるるなり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それから後に至つては、また人々の姓といふものを八種に分つて、万民の中に於て各々何れかの姓を名乗らせるといふ制度も定まりました。『近臣には』即ち天皇の御身近く仕へて居る者の中には朝臣・宿禰とかいふ姓を賜はり、それからまた宮中で音楽を奏することに従事して居る男や女、また笛を吹いたりなどする者までも、其の業を子孫に伝へて、銘々の家の芸といふものが出来て、各々其の親から伝へられた事を熱心に習ひ、世の中の役に立てるといふことを光栄とするやうになつたのであります。それから弘仁天皇の御時には『姓氏録』といふものを撰ばれて、今日にまで伝はつて居るのでありますが、要するに銘々の家柄を明かにして、其の祖先を辱かしめないやうに、銘々の職分に力を尽させるといふ御趣意でありました。それから延喜の朝、即ち醍醐天皇の御代には、皇族の御経歴を殊に明かにし、またこれを間違ひなく後に伝へる為に、正親の司といふ役を特別にお置きになりまして、此の役の者が皇族其の他の家柄をすつかり正して記録を揃へ、後々までも乱れないやうにするといふ制度が立ちました。また其の家柄に応じてどういふ服装をしたら宜いかといふことの大概の定めも立ち、姓を改めるといふやうな事もこの役の者が掌りました。これは要するに乱れを防ぐといふことが根本であります。『瓜瓞を紀す』といふのは、瓜の蔓の続いて居るやうに家の血統の続いて居ることをいふので、其の家系に就て偽りをいふ者が出ると世間の風紀が乱れますから、其の取締りを厳しくし、礼儀秩序を明かにして、世間の乱れを防ぐといふことが出来たのであります。これは全く天皇の深い思召に依ることでありまして、後世までもお手本となつて居るのであります。
解説
この段の原文・訓読は同全集版五節「八色の姓・姓氏錄 ── 尊卑初めて定まる」に依る。八色の姓(天武)、『新撰姓氏錄』(弘仁)、正親司の皇親籍(延喜)――系譜を公に記録し続けた制度の系列を素行は並べる。芸能の家が技を子孫に伝へることまで同じ枠で語るのが興味深く、姓氏とは『その家が何をする家か』の公示だと見てゐることが分かる。氏姓をめぐる一連の話はここでいつたん区切りとなり、次段からは聖徳太子の憲法十七條に進む。