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中朝事實 小林一郎 講義 六十五(禮儀章 上 その一)

山鹿素行 原著 小林一郎 講述 ── 禮儀章の趣意、允恭帝の探湯、姓氏を定むるの道 原文・訓読・講義・補注の四層

この読本について

小林一郎 講義本『中朝事實』の第六十五冊。禮儀章 上 その一(底本 下巻 三百五十六頁ほか)。聖政章の完結を承け、いよいよ禮儀章に入ります。禮儀章は、日常の秩序を重んじ、人と人とが互ひに人たる本性を重んじ合ふことこそ禮儀の本であり、これが神代よりして歴代の天皇の深い思召に基いて立てられて来たことを、歴史の上から証し立てて行かうとする章です。

この冊の読みどころ。まづ禮儀章全体の序として、小林一郎の講義による敷衍(kj247)を置きます。小林はここで「此の章は非常に長いものでありまして、これを残らず読むといふことも困難でありますから、其の中で特に……大切だと思ふ点を抽き出して読みまして」と述べ、選択的に読み進める方針を明言してをり、この読本もこれに従ひます。続けて允恭天皇四年、氏姓の乱れを正さんとする詔と群臣の奏上(kj248、全集版四節前半)、盟神探湯(くかたち)による裁きの実際と結果(kj249、四節後半)、姓氏の意義を説く素行みづからの按語(kj250、四節承前)、八色の姓・『姓氏錄』・正親司にいたる制度の系譜(kj251、五節)までを読み進めます。

禮儀章冒頭三節について。全集版一節「禮とは、上下を辨じて天下の人心を定むるの道なり」、二節「陽神先づ唱ふ」、三節「無狀は禮儀なきの言なり」に相当する講義は、参照した講義本のこの箇所には見出せませんでした。詳しくはkj247の解説欄に記した通りですが、二節・三節の神話(伊弉諾尊・伊弉冉尊の唱和、素戔嗚尊と天石窟隠れ)は、本書の他の章(天先章・神教章・神知章)で既に読まれてをり、小林自身「残らず読むことは困難」と明言してゐることから、禮儀章では割愛されたものと考へられます。一節から三節の原文・訓読・現代語訳は、山鹿素行全集版『中朝事實』九でご確認いただけます。

四層の構成。kj247は小林の講義による敷衍のため、「原文」「訓読」欄には対応する漢文がない旨を記し、「現代語訳」欄に小林一郎の講義そのものを現代表記に直して収めています。「解説」は新たに書き加へた補注です。

翻刻について。底本は小林一郎講述『中朝事實』下(皇國精神講座、影印)です。旧字・旧仮名の原本からの文字起こしで、なお誤りが残ってゐる可能性があります。この冊のkj248〜kj251の原文・訓読は、山鹿素行全集版『中朝事實』九(禮儀章 上 四〜五節)の校訂に依拠しました。

色分けの凡例

『日本書紀』(本文・一書)本朝の古典(古語拾遺・舊事本紀・元々集ほか)漢籍(易・書・詩・論語・孟子ほか)制度・地理・故事

主要語彙集

盟神探湯(くかたち)
熱湯に手を入れさせ、火傷の有無で真偽を判ずる古代の裁き。『日本書紀』允恭紀に見える。
木綿手繦(ゆふたすき)
探湯に臨む者が身を浄めるために掛けた木綿の襷。
氏姓(うぢ・かばね)
氏は血統・家筋の名、姓は朝廷から賜る称号。両者合はせて家格を表す。
八色の姓(やくさのかばね)
天武天皇が定めた真人・朝臣・宿禰など八種の姓の制度。
朝臣・宿禰(あそん・すくね)
八色の姓のうち近臣に賜られた姓の代表格。
姓氏錄(しやうじろく)
弘仁年間、萬多親王・藤原園人らが撰した氏族系譜の集成『新撰姓氏錄』。
正親司(おほきみのつかさ)
皇親の系譜・服位・改姓などを掌る令制の官司。
瓜瓞(くわてつ)
瓜の蔓が絶えず続くさま。血統・家系が連綿と続くことの比喩。『詩経』に見える語。

登場する神・人物

山鹿素行(やまがそこう)
一六二二〜一六八五。『中朝事實』の著者。この冊で謹按二段(kj249後半に相当する四節後半・kj250)を記す。
小林一郎(こばやしいちろう)
一八七六〜一九四四。漢学者・国文学者。二松学舎に学ぶ。『皇國精神講座』を主宰し、『中朝事實』のほか多くの古典を講義した。この読本の講義部分の著者。
允恭天皇(いんぎようてんわう)
第十九代天皇と伝へられる。氏姓の乱れを正すため盟神探湯を行はせたとされる。
萬多親王(まんだしんわう)
桓武天皇の皇子。弘仁年間、『新撰姓氏錄』の撰進に携はつた。
藤原園人(ふぢはらのそのひと)
弘仁年間の右大臣。萬多親王とともに『新撰姓氏錄』の撰進に携はつた。

禮儀章 二百四十七禮儀章 序 ── 此の章の趣意底本 下巻 三百五十六頁ほか
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
次には『禮儀章』といふのでありますが、要するに吾々の日常の生活の中に於て禮儀といふものが大切である、此の禮儀といふものは神代よりして、歴代の天皇の深い思召に基いて立てらるべきものであるといふことを明かにするのが、此の章の趣意なのであります。禮儀と申しましても、たゞ形に現はれた禮儀は其の末でありまして、要するに秩序を重んじ、また人と人とがお互ひに人たる所の本性を重んじ合ふといふことが禮儀の本であるといふことは、前からもしばしば説かれてある所であります。殊に此の秩序といふものは、これを細かに言へば父子、兄弟、夫婦、或は朋友の別、又世の中の地位で言へば君臣の別であります。また命令する人と命令される人といふやうな別がありまして、其の下に処する者が上に立つ人を敬ふといふことも禮儀でありますが、また上に立つ人が自分の身を慎んで、其の下の者に接して、下の者でもこれを軽んじないといふことも禮儀であります。要するに若し禮といふものがなければ、人間の生活と禽獣の生活と択ぶ所がないといふ位に、聖人も説かれて居るのでありまして、我が國に於ては無論禮といふものが肝要なものになつて居るのでありますが、其の根本に遡つて、これを歴史の上から証し立てて行かうといふのが此の章の趣意のやうであります。此の章は非常に長いものでありまして、これを残らず読むといふことも困難でありますから、其の中で特に今日の吾々の心得として大切だと思ふ点を抽き出して読みまして、これに前の例の通り多少の説明を加へて行くといふやうに致さうと思ひます。

解説
原文には對應する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。禮儀章は全集版で二十三節(一部はさらに枝分れし二十六の段落)に及ぶ長大な章で、小林自身がこの冒頭で「此の章は非常に長いものでありまして、これを残らず読むといふことも困難でありますから、其の中で特に……大切だと思ふ点を抽き出して読みまして」と述べ、選択的に読み進める方針を明言してゐる。この読本もこれに従ひ、全集版一節「禮とは、上下を辨じて天下の人心を定むるの道なり」、二節「陽神先づ唱ふ」(伊弉諾尊・伊弉冉尊の唱和の神話)、三節「無狀は禮儀なきの言なり」(素戔嗚尊の乱暴と天石窟隠れ)は、講義本のこの箇所には見出せず、允恭天皇四年の姓氏正しの記事(全集版四節)から読み始める。なほ二節・三節の神話は、本書のごく初め(天先章)で陰陽二神の唱和として、また天石窟の場面は神教章七節「思學」・神知章一節「人才」でそれぞれ既に読まれてをり、同じ史料を章の主題に応じて読み分けるのが素行の方法であることは、この読本でもたびたび触れてきた通りである。一節から三節の原文・訓読・現代語訳は、山鹿素行全集版『中朝事實』九(禮儀章 上)でご確認いただける。

禮儀章 二百四十八允恭帝の探湯(上)── 上下相爭ひて百姓安からず底本 下巻 三百五十七頁ほか
原文
允恭帝四年、秋九月辛巳朔、己丑詔曰、上古之治、人民得所、姓名勿錯、今朕踐祚於茲四年矣、上下相爭、百姓不安、或誤失己姓、或故認高氏、其不至於治者、蓋由是也、朕雖不賢、豈非正其錯乎、群臣議定奏之、群臣皆言、陛下擧失正枉而定氏姓者、臣等冒死奏可、

訓読
允恭帝いんぎようてい四年しねんあき九月くぐわつ辛巳かのとみついたち己丑つちのとうしみことのりしてのたまはく、上古しやうこをさまるところ、人民じんみんところて、姓名せいめいあやまることなし。いまちん踐祚せんそしてここ四年しねん上下しやうかあひあらそひて百姓ひやくせいやすからず、あるひおのかばねあやまうしなひ、あるひことさらにたかうぢみとむ。そのいたらざるものは、けだしこれにつてなり。ちん不賢ふけんいへども、にそのあやまりをたださざらんや。群臣ぐんしんさだめてこれをそうせと。群臣ぐんしんみなまうさく、陛下へいかしつわうただして氏姓しせいさだめたまはば、臣等しんらをかして奏可そうかせんと。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それで允恭天皇の四年九月に詔を下されまして仰せられますには、ずつと遠い昔に国を治めて居つた朕の姿を今日よりして考へて見ると、人民は皆其の所を得て、さうして姓名といふやうなものにも少しも詐りはなかつた。自分の祖先はどういふ者であつて、自分の家はこれだけの家であるといふことを皆明かに申して居つたから、それで家柄の良い者は尊敬を受けるし、また尊敬を受ければそれだけ自ら省みて、身持を慎むといふことであつて、洵に国内は平和であつた。然るに自分が天皇の位に即いてから四年になるが、此の四年間のことを考へて見ると、どうも世の中が余り平和でない。皆互ひに争ひ合つて、毎日の生活を楽しんで其の業に安んずるといふことも出来ない状態である。或はまた自分の家はどういふ家柄であるか、其の家柄を全く心得ない者があつたり、中には詐つて自分の家は大変素姓が好い、昔からの家柄はかういふものであつたといつて、世間を欺く者もあるといふやうな状態である。かういふやうに物事の秩序が立たなければ、国がよく治まらないといふこともまことに已むを得ない。これを根本から改めたいと思ふ。自分は洵に徳の足らぬ者であるけれども、いやしくも天子の位を保つて居るのであるから、世の中の過ちを正す為に力を尽さなければならぬ。就ては皆がよく考へて、此の家柄を正すといふことが必要であると認めたならば改めて申出るやうにと、かういふ仰せでありました。そこで多勢の臣下が皆申上げるのには、如何にも仰せの通りであります。陛下がさういふ所に御心をお付けになりまして、今までの世の中の過ちを正し、また今までの道に違うたことを改めて行く為に、各々の家の氏素姓を明かにしようと思召すのは洵に有難いことであつて、私共は如何なる困難を冒しても、此の御趣意の貫徹致すやうに力を尽したいと思ひます。かういふ御返事を申上げました。

解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』九・禮儀章四節「允恭帝の探湯 ── 姓氏明らかならざれば分正しからず」前半に依る。『日本書紀』允恭紀四年の詔を承け、氏姓の乱れを正さんとする允恭天皇の意志と、これに応へる群臣の奏上を記す。素行がここに着目するのは、超自然の裁きそのものより、詔を発して氏姓を正したという制度史上の事実である。

禮儀章 二百四十九允恭帝の探湯(下)── 盟神探湯、諸人の眞僞相著る底本 下巻 三百五十九頁ほか
原文
戊申詔曰、群卿百寮、及諸國造等、皆各言、或帝皇之裔、或異之天降、然三才顯分以來、多歷萬歲、是以一氏蕃息更爲萬姓、難知其實、故諸氏姓人等、沐浴齋戒、各爲盟神探湯、則諸人各著木綿手繦、而赴釜探湯、則得實者自全、不得實者皆傷、是以故詐者慴然之、豫退無進、自是之後、氏姓自定更無詐人、

訓読
戊申つちのえさるみことのりしてのたまはく、群卿ぐんけい百寮ひやくれうおよもろもろ國造くにのみやつこみなおのおのふ、あるひ帝皇ていわうすゑあるひことてんよりくだれりと。しかれども三才さんさいあらはれわかれてより以來このかたおほ萬歲ばんさいたり。ここをもつ一氏いつし蕃息はんそくしてさら萬姓ばんせいり、そのじつがたし。ゆゑもろもろ氏姓しせい人等ひとら沐浴もくよく齋戒さいかいして、おのおの盟神探湯くかたちよと。すなは諸人しよにんおのおの木綿手繦ゆふたすきけて、かまおもむきて探湯たんたうす。すなはじつものおのづかまつたく、じつざるものみなやぶる。ここをもつことさらにいつはもの慴然せふぜんとして、あらかじ退しりぞきてすすむことなし。これよりのち氏姓しせいおのづかさだまりてさらいつはひとなし。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
そこで更めて詔して仰せられますのには、多勢の臣下の人々や、各地の国造即ち地方の長官などの言ふことを聞くと、或は某といふ天皇の御裔であると言つて見たり、或は自分の家の先祖は天降りして、高天原から此の日本の国に降つて来た者であるといふやうなことを申して居る者もある。それが一々信ずるに足る者であれば差支へないけれども、何分にも疑ひが多い。天地が分れてから已来非常に長い歳月を経て居るので、初めは一つの血統であつたと思はれる者でも、其の一つの血統から分れて様々な家となり、家の名も分れて来たので、今日になつて其の祖先が何処から出たかを一々調べても、実際の事を知る訳には行かない。併し神は詐りを許さないのであるから、多勢の者は身を浄めて神に誓ふといふ決心をして、煮えた湯の中に手を入れて、自分の言ふことが実正であるか偽りであるかの証拠を示すやうにすべきである。これが盟神探湯である。若し神を詐れば手が焼け爛れ、詐らなければどんな熱い湯でも害を受けない。これに依つて人々の家柄を定めるより外はなからうと、かういふ仰せでありました。そこで味橿丘の辟禍戸岬といふ所で大きな釜を据ゑ、多勢を引連れて神様に誓はせ、釜の中に泥の塊りを入れて煮沸して、手を入れて其の塊りを取らせるといふ仕組でありました。手が爛れれば嘘を吐いた証拠、爛れなければ言ふことが本当である証拠、といふことになります。そこで多勢の人が皆手繦を掛けて湯の中に手を入れましたが、平生言ふことに偽りのない者は少しも焼け爛れず、平生人を欺いて居つた者は皆火傷をして、それぞれ大きな傷みを受けました。これに依つて銘々の家の氏素姓が定まり、是れより後は世間を欺く者もなくなつたのであります。今日のやうに科学の進んだ時代の考へでは、正直ならば爛れないといふのは理窟に合はぬと言ふ者もありませうが、人間の心持といふものは自ら一切の事に現はれるものでありますから、神をも人をも欺かないといふ誠心があれば、其の誠心が何かの形に於て外に現はれるといふことは少しも不思議ではないのであります。允恭天皇が人々の誠心を大切とするといふ御趣意から、かういふ事を以て世の中の混乱をお正しになつたといふことは、実に有難いことと申さねばなりません。神明盟神探湯の真似をするには及びませぬが、此の心持は国民として何時までも守つて行かなければならぬものに相違ないのであります。

解説
この段の原文・訓読は同全集版四節後半に依る。盟神探湯(くかたち)の実際の手続きと、その結果として氏姓が定まつたことを記す。素行は熱湯の裁きを迷信としてではなく、詐りを許さぬ制度として読む。小林も「神明盟神探湯の真似をするには及ばぬが、此の心持は国民として守るべきもの」と結んでをり、両者の読み方は近い。

禮儀章 二百五十姓氏は善を章らかにし惡を癉むの道なり底本 下巻 三百六十二頁ほか
原文
謹按、姓氏不明、故下僭上卑蹂尊、是禮不明、分不正之由也、往古神聖因其功業、或賜姓氏、命名號、旌別淑慝、流芳遺臭、將傳百世而未嘗泯、是令人民守禮不混尊卑、不忘旌別善惡之道也、姓氏之出一混、則人皆忘所其由出、失所己可旌示、而悉不知其本、非章善癉惡之道、故帝定姓氏、以審盟、諸人之眞僞相著、尊卑初定、是禮之大端也、

訓読
つつしみてあんずるに、姓氏せいしあきらかならず、ゆゑしもかみをかそんむ。れいあきらかならず、ぶんただしからざるのよしなり。往古わうこ神聖しんせいはその功業こうげふりて、あるひ姓氏せいしたまひ、名號めいがうめいじ、淑慝しゆくとく旌別せいべつし、かんばしきをながくさきをのこし、まさ百世ひやくせいつたへていまかつほろびず。人民じんみんをしてれいまもりて尊卑そんぴこんぜず、善惡ぜんあく旌別せいべつするのみちわすれざらしむるなり。姓氏せいしづるところひとたびこんずるときは、すなはひとみなそのつてづるところをわすれ、おのれが旌示せいじすべきところをうしなひて、ことごとくそのもとらず。ぜんあきらかにしあくにくむのみちにあらず。ゆゑてい姓氏せいしさだめ、もつめいつまびらかにす。諸人しよにん眞僞しんぎあひあらはれ、尊卑そんぴはじめてさだまる。れい大端たいたんなり。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
素行がこれに就て説明を加へて申しますには、此の姓氏が明かにならぬといふことは、まことに世の中が乱れる本でありますから、極めて大切な事と申さなければなりません。若し世の中に秩序が立たぬといふことになると、下の者は上の者を犯えても一向自ら反省しないやうになるし、身分の低い者は尊い者を冒して我が儘を極めるやうにもなる。斯うなつて来ると礼といふものは明かでなく、分といふものも定まらず、詰り世の中が全く混乱状態になつてしまひます。それ故に世の中を正しくする為めに、姓氏を明かにするといふことが必要なのであります。 遠い昔を考へて見ると、姓氏といふものは上より賜はつたものであります。即ちその人の功に依り、世の中に於ける経歴に依つて姓と氏とを賜はつた。『淑慝を旌別し』とは徳の勝れた人と徳のない人とを判別することであり、『芳を流し臭を遺す』とは、一たび間違へば後までも子孫が辱を受け、立派なことをすれば子孫までも其の名誉を保つといふ判別を立てられたので、此の事が百世に伝へて滅びないほど明かになつて居つた。それでありますから人々が行ひを慎しむ。若し間違へば子孫にまで累が及び、誠心を以て国の為に尽せば永く子孫までも其の光栄を続けて行かれるのでありますから、銘々の仕事に全力を打込むことも出来たのであります。 若し姓氏が乱れ、嘘を吐いても構はないといふ者や、自分の先祖など穿鑿する必要はないと無頓着にする者が出て来ると、自分の家が何処から出たかも忘れてしまひ、国家に貢献しようといふ心掛けも殆んど無くなつてしまふ。本を知らずに眼の前のことばかり考へて居れば、善悪の判別も立たなくなつて、国家に於て善を彰はし悪を懲らすといふ道は立たないのであります。此の事をお考へになつて、允恭天皇の御時、姓氏を定めるのに銘々神様の前に誓はせられた。これが盟神探湯の行はれた御趣意でありまして、これに依つて人々の平生の心掛けもよく判り、身分の高い低いもスツカリ定まつた訳であります。

解説
この段の原文・訓読は同全集版四節(承前)「姓氏は善を章らかにし惡を癉むの道なり」に依る。姓氏とは何かといふ素行の答へは「善を章らかにし惡を癉むの道」――功業の記録である。誰が何をした家か、が消えれば、善悪を掲げる基準そのものが消える。氏姓の混乱は身分の話ではなく、公の記憶の崩壊なのだ、といふ見方である。聖政章十一節の「國史を置く」と同じ関心がここでも働いている。

禮儀章 二百五十一八色の姓・姓氏錄 ── 尊卑初めて定まる底本 下巻 三百六十四頁ほか
原文
此後作八色之姓、以混萬民、故定姓氏、以審盟、近臣各賜朝臣宿禰、諸歌男歌女笛吹傳己子孫、令習其伎、及弘仁帝御宇、勅萬多親王右大臣藤原園人等、撰姓氏錄、延喜帝朝正親司勘皇親籍、以掌賜服改姓之事、皆紀姓苑之瓜瓞、明禮儀之分定之敎、而否乃民情不厚、而詐僞日行也、

訓読
こののち八色やくさかばねつくり、もつ萬民ばんみんこんず。ゆゑ姓氏せいしさだめ、もつめいつまびらかにす。近臣きんしんにはおのおの朝臣あそん宿禰すくねたまひ、もろもろ歌男うたをのこ歌女うため笛吹ふえふきおの子孫しそんつたへて、そのわざならはしむ。弘仁帝こうにんてい御宇ぎようおよびて、萬多親王まんだしんわう右大臣うだいじん藤原園人ふぢはらのそのひとちよくしたまうて、姓氏錄しやうじろくえらばしむ。延喜帝えんぎていてうには正親司おほきみのつかさ皇親籍くわうしんじやくかんがへ、もつふくたませいあらたむるのことつかさどる。みな姓苑せいゑん瓜瓞くわてつしるし、禮儀れいぎ分定ぶんていをしへあきらかにするなり。しかるにしからざればすなは民情みんじやうあつからずして、詐僞さぎひびおこなはるるなり。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それから後に至つては、また人々の姓といふものを八種に分つて、万民の中に於て各々何れかの姓を名乗らせるといふ制度も定まりました。『近臣には』即ち天皇の御身近く仕へて居る者の中には朝臣・宿禰とかいふ姓を賜はり、それからまた宮中で音楽を奏することに従事して居る男や女、また笛を吹いたりなどする者までも、其の業を子孫に伝へて、銘々の家の芸といふものが出来て、各々其の親から伝へられた事を熱心に習ひ、世の中の役に立てるといふことを光栄とするやうになつたのであります。それから弘仁天皇の御時には『姓氏録』といふものを撰ばれて、今日にまで伝はつて居るのでありますが、要するに銘々の家柄を明かにして、其の祖先を辱かしめないやうに、銘々の職分に力を尽させるといふ御趣意でありました。それから延喜の朝、即ち醍醐天皇の御代には、皇族の御経歴を殊に明かにし、またこれを間違ひなく後に伝へる為に、正親の司といふ役を特別にお置きになりまして、此の役の者が皇族其の他の家柄をすつかり正して記録を揃へ、後々までも乱れないやうにするといふ制度が立ちました。また其の家柄に応じてどういふ服装をしたら宜いかといふことの大概の定めも立ち、姓を改めるといふやうな事もこの役の者が掌りました。これは要するに乱れを防ぐといふことが根本であります。『瓜瓞を紀す』といふのは、瓜の蔓の続いて居るやうに家の血統の続いて居ることをいふので、其の家系に就て偽りをいふ者が出ると世間の風紀が乱れますから、其の取締りを厳しくし、礼儀秩序を明かにして、世間の乱れを防ぐといふことが出来たのであります。これは全く天皇の深い思召に依ることでありまして、後世までもお手本となつて居るのであります。

解説
この段の原文・訓読は同全集版五節「八色の姓・姓氏錄 ── 尊卑初めて定まる」に依る。八色の姓(天武)、『新撰姓氏錄』(弘仁)、正親司の皇親籍(延喜)――系譜を公に記録し続けた制度の系列を素行は並べる。芸能の家が技を子孫に伝へることまで同じ枠で語るのが興味深く、姓氏とは『その家が何をする家か』の公示だと見てゐることが分かる。氏姓をめぐる一連の話はここでいつたん区切りとなり、次段からは聖徳太子の憲法十七條に進む。