神器章 三十二崇神天皇六年 ── 百姓流離、天皇の深き反省底本 三七一頁
原文
崇神帝六年。百姓流離。或有背叛。其勢難以德治之。是以晨興夕惕。請罪神祇。
訓読
崇神帝六年。百姓流離す。或は背叛する有り。その勢德を以てこれを治め難し。ここを以て晨に興夕惕れ、罪を神祇に請ふ。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
崇神天皇の御代の六年に、百姓が流離し、或いは背叛する者が出て、其の勢いは徳を以て之を治めることが難しいほどでありました。それで天皇は朝早くから夜遅くまで恐れ愼んで、御自分の徳の足らぬ所を神祇に請罪なさつたのであります。此処で私共が考へて見ますに、御歴代の天皇は生れつき勝れた御方でいらつしやるから、特に修養などを遊ばされる必要はない、とも考へられるのでありますが、併しながら天皇の御位をお繼ぎになる方は、御銘々に自ら勝れた天性を具へていらつしやるものと考へられるので、常に自ら省みて己れを警めるといふことをお忘れにならない。是は臣下としては此の上もなく有難いことであります。明治天皇の御製の中にも、「いにしへのふみ見るたびに おのがをさむる國はいかにと」といふのがあります。昔の歴史の本を見るたびに、自分の治める國は如何であらうかと、御自分に問ひ質されたのであらうと拜察するのであります。崇神天皇が此の六年に非常な御苦勞をなさつたのも、決して偶然ではないので、若し吾々のやうな地位も卑く徳も足らぬ者が、銘々の修養を怠らないやうにしなければならぬと存ずる次第であります。
解説
神器章 その三の冒頭に置かれる、崇神天皇御自身の反省。神器が宮中を離れる経緯を語る前段として、まず天皇御自身の深い自省がここに置かれている。皇統章から繰り返される「徳という条件」(kd139)が、神器を語る文脈でもまず天皇の内面から説き起こされる点に注意したい。
明治天皇御製を引く型は神器章 その二(sk22・sk28)でも繰り返し用いられており、本章全体を貫く手法である。
神器章 三十三天照大神と倭大國魂神 ── 同床共殿を離れて底本 三七二頁
原文
是先天照太神・倭大國魂神、並祭於天皇大殿之内。然畏其神勢、共住不安。故以天照太神、託豐鍬入姫命、祭於倭笠縫邑、仍立磯堅城神籬。亦以倭大國魂神、託淳名城入姫命祭。然淳名城入姫命髮落體痩、而不能祭。
訓読
これより先、天照太神・倭大國魂神、並びに天皇の大殿の内に祭る。然るにその神勢を畏れ、共に住みて安からず。故に天照太神を以て、豐鍬入姫命に託して倭笠縫邑に祭らしめ、仍りて磯堅城の神籬を立つ。亦倭大國魂神を以て、淳名城入姫命に託して祭らしむ。然るに淳名城入姫命髮落ち體痩せて、祭ること能はず。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
此れより先、天照大神と倭大國魂神とは、並んで天皇の大殿の内にお祀り申して居りました。然るに其の神威を畏れ多く思召され、共にお住みになることが御心にお安まりにならなかつたのであります。それで天照大神は、豊鍬入姫命にお託しになつて倭笠縫邑にお祀り申さしめ、それによつて磯堅城の神籬をお立てになりました。また倭大國魂神は、淳名城入姫命にお託しになつてお祀り申さしめました。ところが淳名城入姫命は御髪が落ち御体が痩せて、御祭りを續けることがお出來にならなかつたのであります。是は崇神天皇の御代に神器・神霊が宮中を離れることになる、其の最初の一段であります。天照大神ほどの尊い御神威と、平生御一緒にお住みになるといふことは、決して容易ならぬことでありまして、それで別に御殿をお建てになつてお遷し申し上げるやうになつたのであります。
解説
天照大神・倭大國魂神が宮中を離れる、その最初の記事。これは三種の神器そのものの記事ではないが、後段(sk36)で語られる「神器を別所に置く」経緯の、いわば先例・淵源として置かれている。
淳名城入姫命が御髪落ち御体痩せて祭ることが出来なかった、という一句は、神威の重さ・畏れ多さを具体的な人体の変化として語る、素行らしい生々しい書きぶりである。
神器章 三十四淳名城入姫命の御苦勞、神籬のはじめ底本 三七三頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
崇神天皇の六年に詔が出て居るのでありますが、此の時には大変な飢饉などが續いて、人民の中に生活に困難する者が澤山出來て、或いは其の生活の困難な餘りに叛くといふやうな者も出來て、人心が甚だ不安になつたのを、崇神天皇は固より徳の高い天子でいらせられましたけれども、なかなかこれは御自分の徳だけで治めることは出來ないといふやうに、全くこれは神様の御力を藉りるより外はない、御自分の徳が足らぬ為めに、斯ういふ災ひがあるといふ風に恐らく神の誠めであらうと考へへて、御自分の生活の困難に叛くといふやうな者が出來ても、人心が甚だ不安になつたのをスツカリ穩かにするといふことは出來ない。就いて天皇は特に神を敬ふといふことを、御自身にお手本となつて多勢の人にもお勧めになつたのであります。斯ういふ訳で崇神天皇は特に神を敬ふといふことを、永く仰ぎ尊んで居る訳であるとして、皇の御徳の然らしむる所であると、臣下の者も自然に人民の心も和いで世の中がよく治まりました。それからまた大國魂神の神霊は、別に淳名城入姫命といふ方に命ぜられて、これをお祭り申すことになりました。それからまた大國魂神の神霊は、別に淳名城入姫命といふ方に命ぜられて、これをお祭り申すことになりました。天皇の御時に神器を御所の中に安置しておいでになりました。此の崇神天皇の御時に神器を御所の中に自分の意見を述べて申しますには、此の崇神天皇の御時に神器を別殿に置く事に就いて更に自分の意見を述べて申しますには、此の崇神天皇の御代に神器を御所の中にお置きになるといふことになつたのであります。
解説
崇神天皇六年の飢饉・叛乱と、天皇御自身の敬神の実践。前段(sk33)で語られた御霊の遷座は、単なる宮中整理ではなく、御代の困難(飢饉・叛乱・人心不安)への対応として位置づけられている。徳をもつてしても治め難い事態にあたり、神を敬ふ実践そのものを天皇御自身がお手本として示された、という筋である。
次段(sk35)では、此の御霊の遷座(神祠の問題)と、三種の神器そのもの(神器の問題)とは本来別の話であることが、あらためて断られる。
神器章 三十五神祠と神器 ── 別説として措く底本 三七四頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
皇の御所の中にお祭りになつて居りましたが、それからまた大国魂神は別に淳名城入姫命といふ方に命ぜられて祭るといふ訳でありましたが、それも今日に及んで居るといふ訳であります。それからまた大国魂神の神霊は、別に淳名城入姫命といふ方に命ぜられて居りましたけれども、御自分の力が足らぬのだといつて自ら責めるといふ御心持が強かつたのであります。垂仁天皇の御時になりますと、天照大神の御霊をお祀り申す為めに別にお宮をお建てになるといふことになりました。所謂崇神天皇の如きは最も徳の勝れた天子様であらせられたのでありますから、民を思ふといふ御自分の徳の勝れたのだといつて自ら責めるといふ御心持が強かつたのであります。それは兎も角、此の神祠と神器との別が立つたのであります。人君たる方が後世から仰ぎ尊ぶのは当然のことであります。固より三種の神器といふやうなものが別説として挙げてあるのでありますが、それがどういふものであるかといふことに就いては、恣に説を立てるといふことの出來るものでもなし、又それがどういふものであるかといふことに就いては後世から見てよく解りません。この説の当否は後世から見てよく解りません。此の後に御所の中にお置きになる神器との別に就いてのいろ〳〵なことを、先づ此の時に有難い次第で、宮中と神の祠との別が立つたのであります。
解説
「神祠」(御霊を祀る社)と「神器」(三種の神器そのもの)とを、あらためて別のものとして整理する一段。崇神・垂仁両天皇の御代に起きた御霊の遷座(神祠の始まり)と、神器が別殿に置かれるようになった経緯(sk36)とは、時代も理由も重なるところがあるが、小林は両者を混同せず、神祠についての細かな異説の当否には立ち入らないと断つたうえで、神器の話に戻ってゆく。
この整理の仕方は、皇統章以来くり返し見られる「異説の当否には深入りしない」(神器章 その二 INTRO)という小林の講述の姿勢と一貫している。
神器章 三十六神器を別所に置くの始め ── 温明殿へ底本 三七五頁
原文
謹按。是置神器於別所之始也。自天孫至今、任神勅、同床共殿。承平久、而萬機之政令繁、神人之間數則潰。帝敬之遠之、故模於溫明殿、奉崇神器於別處。亦時宜之節、而留鏡。神以劒與日本武尊、而神人相去之機也。璽者人君之所司、寶劒者神人之全體也。
訓読
謹みて按ずるに、これ神器を別所に置くの始なり。天孫より今に至るまで、神勅に任せて、床を同じくし殿を共にす。承平久しくして、萬機の政令繁く、神人の間數則ち潰る。帝これを敬ひこれに遠ざかり、故に溫明殿に模し、神器を別處に奉崇す。亦時宜の節にして、鏡を留む。神劒を以て日本武尊に與へ、神人相去るの機なり。璽は人君の司る所、寶劒は神人の全體なり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
謹んで按じまするに、是れが神器を別所にお置きになる始めであります。天孫瓊瓊杵尊の御代より今に至るまで、神勅に任せて、床を同じくし殿を共にして参られました。ところが御代が久しく続き、萬機の政令が繁くなつて參りますと、神と人との間柄が數々破れるやうな事情も出て参ります。それで帝は之を敬ひ、之に遠ざかるといふ形で、温明殿にお模しになつて、神器を別処にお崇め申し上げることになつたのであります。是れもまた時宜に適つた御処置でありまして、鏡は其の儘お留めになりました。一方、剣の方は日本武尊にお与へになりました。是れが神と人とが相去る機会となつたのであります。璽(鏡)は人君御自身の司る所、宝剣は神と人との全体を表すもの、といふ違ひがそこにございます。
解説
「神器を別所に置くの始め」を、正面から論じる一段。天孫降臨以来ずつと「同床共殿」であつたものが、御代の重なりとともに萬機(政務)が繁くなり、やがて温明殿という別の場所に神器を崇め奉ることになる――その経緯が、ここで初めて理由づきで説明される。
特に注目したいのは「神器を敬ひ遠ざける」という逆説である。距離を置くことは疎かにすることではなく、むしろ敬意の深まりの結果として説明されている。また「鏡は留め、剣は日本武尊に与へる」という使い分けは、次段以降(sk37)で語られる「鏡は神の全体、剣は臣下の用」という配当の伏線になっている。
神器章 三十七三器の用、虚しからず ── 鏡は全體、劒は臣下の用底本 三七六頁
原文
以上、置神器於別殿。天下之化行、而三器之用不虛。無所不中、而後君臣相因。天下之化行、而三器之用不虛。
訓読
以上、神器を別殿に置く。天下の化行はれて、三器の用虛しからず。中らざる所なく、而して後君臣相因る。天下の化行はれて、三器の用虛しからず。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
以上、神器を別殿にお置きになりました。それで天下の教化が行はれて、三器の用は決して虚しいものにはなりません。天下の万機の政令が、この崇神天皇の御代に神器を御所の中にお置きになるといふことになつたのでありますが、それでなければならぬのであります。一人の人が勝手に使ふもの、また一つの事柄にだけ用に立つといふやうなのは、尚更のことであります。神と言ひ宝と言ふのは、其の中に現はれて居る所の意義を含めたものでありまして、これは普通の器であつても宝とは謂へない。天下の大器と謂ふものは、それであつて宝といふものは、一人の人が勝手に使ふものであるから、況して非常に尊い宝といふものは、其の中に神様の働きも其の中に現はれて居なければならぬ。神器に依つて表はされるものは即ち器のことでありますから、これを永久に人の手本とすべきものでなければならぬ。また万民を恵む所の働きも其の中に現はれて居なければならぬ。さうして古今の人の行ひの手本とすべきものでなければならぬ。神と言ひ宝と言ふのは、其の意義を含めたものであり、これは普通の意義とは尚更のことなのであります。
解説
神器が別殿に置かれてもなお「三器の用」が虚しくならない、という論点。前段(sk36)の「神器を敬ひ遠ざける」を受けて、物理的に離れても神器の働きそのものは損なわれない、という理屈がここで説かれる。
「一人の人が勝手に使ふもの」ではない、「天下の大器」である、という言い方は、後段(sk44)で改めて詳しく展開される「三器の用」の主題を、ここで先取りしたものである。神器章 その二の「虚器」(sk22)と対をなす一段と読める。
神器章 三十八神と鏡の語義 ── 「かむ」「かみ」「かゞみ」底本 三七七頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
一体神といふことと鏡といふこととは同じ意義になるので、日本の言葉で「かみ」といふのは「かゞみ」といふ字は唐音で「かゞむ」と言つても「かゞみ」と言つても、その意義は結局一つになる。「かむ」と「み」とは音が通じて居ると考へられる。「神」といふ言葉の真ん中の一つの音を略したのだとも考へられる。それでまた更に考へて見ると、日本の言葉で「かみ」といふのは洵に明かなものでありますから、天皇の思召を身に体して剣の徳を発揮するのであります。斯様にして三種の神器の御働きが皆此の国を盛んにするといふ結果を来す訳であります。それ〴〵の御働きを盡し、以て剣の徳を身に体して不正な者を取締り、また国に害をなす者があれば之を除いて天下を平定になる所の平生の御心持を最もよく形に表はすものといふ意味が皆この鏡といふものと考へられる。それから玉といふものは天皇の思召を身に体して臣下に此の事をお任せになつて、其の帥を除いて天下を平し、また更に考へて日本の言葉で「かみ」といふのは、鏡の字は唐音で「かがみ」と言つても「かゞむ」と言つても、凡ての物の相を有りのま〳〵と言つても其の意義は洵に明かなもので、凡ての物の相を有りのまゝに映すものであるから、一体神といふことと鏡といふこととは、詰り同じ意義になるのであります。
解説
「神」と「鏡」の語義的な近さを説く一段。「かみ」と「かゞみ」――音が通じるところから、両者は「詰り同じ意義になる」と小林は説く。
この種の語義解釈は、神器章 その一で読んだ剣・鏡・玉の徳の配当(sk13)を、こんどは言葉そのものの成り立ちから裏付けようとする試みである。学問的な語源説というより、講義の中で聴衆に印象づけるための説明と見るべきだろう。
神器章 三十九神器の靈用 ── 賊の難を脱れた劒、神と鏡底本 三七八頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
剣を以て賊の難をお脱れになつた通りであります。即ち賊が四方から火を放つた時に、其の燃えて居る所の草を薙ぎ払つて此の難をお脱れになつたといふことは前にも申した通りでありまして、それから鏡といふ名が始まつたといふことは、日本武尊が東夷を御征伐になる時に神様の御徳を最もよく表はすものであるから、其の剣をお受けになつたのであります。剣といふものは武徳を表はすものであります。それから鏡といふものを御神体として永く留められることになりました。此の三種の神器の中で鏡といふものは神様の御全体を表はすものと考へられる。それから鏡といふものを御神体として永く留められることになりました。此の鏡といふものは神様の全体を表はすものと考へられる。それであるから此の鏡といふものを御神体として永く留められることになりました。此の鏡といふものは神様の全体を表はすものと考へられます。若し不正な者があれば之を討ち払ふといふことになつて、一国の君主と臣下たる者が天下を平ぐる所の働きを最もよく形に表はすものであると考へられます。それから玉といふものは臣下に此の事をお任せになつて、其の除きを除いて天下を安んずるといふことに力を与へて、其の際を除いて天下を平ぐるといふ働きが自ら之に伴ふて起ることは、要するに知を磨くといふことが根本であるといふ意味であります。
解説
剣=武徳、鏡=神の全体、という配当の再確認。神器章 その二の「玉は仁、鏡は智、劒は勇」(sk21)を踏まえつつ、ここでは剣が日本武尊に授けられ、実際に武徳の働きを担うものとして語られる。
草薙劒による焼津の故事(sk18)が、剣が「臣下の用」として動く神器であることの実例として、ここでも参照されている。
神器章 四十天孫降臨以後 ── 鏡を敬ふ道、君臣一致底本 三七九頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
天孫降臨以後、天照大神と称する場合には、皆鏡をお祀り申すことになつて居るのでありますが、それは天孫降臨の時に、天照大神と稱する場合には皆鏡をお祀り申すことになつて居るのであります。天子のお徳の益々盛んになるのは、鏡を見るがごとくのことと意義を同じうする訳であります。それであるから人君たる者が常に神に対せられる所の道でもありますし、また常に神に對せられる所の道なのであります。斯ういふやうにして勝れた人を挙げ用ひるには勝つた者の地位を保つことが出来なくなり、心の正しくない者は其の地位を占めることになるのであります。臣下の間でも心の曲つた者は其の地位を保つことが出来なくなり、また臣下を挙げ用ひるには親を親として賢を賢とすれば、則ち霊璽の徳日に厚し。人君は何時でも寛仁なお心をお持ちになつて、親を親とし賢を賢とすれば、則ち宝剣の霊威日に加はる。國は愈々発展をして日常の行ひの本となさろうといふことが、じいお手本をお示しになり、また臣下を挙げ用ひるには勝つた人を尊敬し合はなければならぬといふ道でもありますし、また常に神に對せられる所の道でもあります。
解説
天孫降臨以後、天照大神を祀ることが鏡を祀ることと同義になる、という論点。鏡を見ることと吾を視ることとが同じである(sk26の神勅)という筋が、ここでは人君・臣下双方の日々の道にまで及ぼされている。
「人君は何時でも寛仁なお心をお持ちになつて、親を親とし賢を賢とすれば、則ち宝剣の霊威日に加はる」という言い方は、鏡だけでなく剣の徳もまた日々の実践によって発揮される、という考え方を示しており、神器章全体を貫く「徳という条件」の具体化になっている。
神器章 四十一神器を別殿に置くの解釋、こゝに終る底本 三八〇頁
原文
以上論寶器之實。謹按。有事則有物。物乃器也。以利其用、以通其誠。故有物必有則。衣食之爲物、家宅用器之爲制、金玉之財、文武之器、各有其禮。有器而其用不通、況寶器乎。夫一人之私器、一事之私物非寶也。曰神曰寶、則天下之大器也、萬民之利用也、神聖之靈器也、古今之法器也。
訓読
以上寶器の實を論ず。謹みて按ずるに、事有れば則ち物有り。物は乃ち器なり。以てその用を利し、以てその誠を通ず。故に物有れば必ず則有り。衣食の物たる、家宅の用器の制たる、金玉の財、文武の器、各その禮有り。器有りて而もその用通ぜざれば、況んや寶器をや。夫れ一人の私器、一事の私物は寶にあらざるなり。神と曰ひ寶と曰ふは、則ち天下の大器なり、萬民の利用なり、神聖の靈器なり、古今の法器なり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
以上、宝器の実質を論じました。謹んで按じまするに、凡そ世の中に事があれば必ず物がある。物は即ち器であります。之を以て其の用を利し、之を以て其の誠を通ずるのであります。故に物があれば必ず則――決まりがある。衣食の物にも、家宅で用ひる器の制にも、金玉の財、文武の器にも、各々其の礼があります。器があつて其の用が通じなければ、況して宝器に於てをや。夫れ一人の私の器、一事の私物は、宝とは申せません。神と言ひ宝と言ふのは、即ち天下の大器であり、万民の利用であり、神聖の霊器であり、古今の法器なのであります。此処で先づ大体三種の神器に就いての解釋は斯ういふことになつて居ります。それで先づこれで神器を別殿に置くといふことの解釋が終るのであります。
解説
「以上論寶器之實」――神器を別殿に置くことの解釈が、ここで一区切りとなる。「先づこれで神器を別殿に置くといふことの解釋が終るのであります」という一句は、この読本の前巻末(sk31解説)で予告した通り、章の途中に置かれた小結びである。
神器章の記述はここで終らない。次段(sk42)からは仲哀天皇・日本武尊の故事を引きつつ、「器用の意義」「三器の用」という新しい主題へと続く。ここでの結びは、あくまで「神器が別殿に置かれる理由」という一つの論点についての結びであることに注意されたい。
神器章 四十二三器の賓 ── 仲哀帝西征・日本武尊東征の故事底本 三八一頁
原文
而後天子可以敬、天下可以由治也。三器之神也寶也、可倂案矣。蓋上古其人、稱其德、示其威、必以玉劒鏡。仲哀征西之時、筑紫伊覩縣主五十迹手參迎于穴門引島、掛賢木於三器。示其威。且如白銅鏡、懸大鏡於王船。因奏言、天皇如八坂瓊之勾、以曲妙御宇。乃提是十握劒、平天下矣。又日本武尊東征之時、神夏磯媛賢木掛三器以迎啓。亦然。
訓読
而して後、天子敬ふべく、天下由つて治むべきなり。三器の神たり寶たること、倂せ案ずべし。蓋し上古その人、その德を稱し、その威を示すに、必ず玉劒鏡を以てす。仲哀征西の時、筑紫伊覩縣主五十迹手穴門の引島に參迎して、賢木に三器を掛け、その威を示す。且つ白銅鏡の如く、大鏡を王船に懸く。因りて奏言す、天皇八坂瓊の勾るが如く、曲妙を以て御宇せよと。乃ちこの十握劒を提げて、天下を平げたまふ。又日本武尊東征の時、神夏磯媛賢木に三器を掛けて以て迎へ啓す。亦然り。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
而して後、天子は敬ふべく、天下はそれに由つて治まるべきものであります。三種の神器が神であり宝であるといふことは、併せて考へるべきことであります。蓋し上古の人は、其の徳を称へ其の威を示すのに、必ず玉・剣・鏡を以て致しました。仲哀天皇が西征なさつた時、筑紫の伊覩県主五十迹手が穴門の引島に参り迎へて、賢木に三種の器を掛け、其の威を示しました。且つ白銅鏡のやうな大鏡を王船に懸けました。そして奏上して申しますには、天皇は八坂瓊の勾玉の曲がるがごとく、曲妙を以て天下をお治め下さいと。そこで天皇は此の十握剣を提げて天下をお平げになりました。また日本武尊が東征なさつた時にも、神夏磯媛が賢木に三種の器を掛けてお迎へ申し上げました。是もまた同じことであります。
解説
三八〇頁の小結びを受けて、新しい主題が始まる。「神器を別殿に置く」解釈が終つたすぐ後に置かれるのは、仲哀天皇の西征・日本武尊の東征という、三種の神器の形代(レプリカ)を掲げて忠誠・恭順を示す故事である。伊覩県主五十迹手や神夏磯媛が賢木に玉・剣・鏡を掛けて奉迎する場面は、『日本書紀』にも見える記事で、神器が単に宮中に安置されるだけのものではなく、天下の統治そのものを象徴するものとして各地で用いられたことを示している。
この段は次段(sk43)「器用の意義」への橋渡しになつている。
神器章 四十三器用の意義 ── 物には則あり、器には用あり底本 三八二頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
以上は凡そ世の中に様々な事がありますのに就いて考へて見ますと、其の事を果す為めに物がなければならぬのであります。人間の心に誠があつても、それに就いて現はれて居ることに就いては、何かの器といふものが必要になるのであります。それから文武の器、金玉の財、家宅用器の制など、道に合つた物といふものがある。それであるから物といふものを製する所の定まつた道があるのであります。道に合はない器といふものは一つもないのであります。人間の着る物でも食べる物でも、皆それ〴〵の製し方が正しくないといふやうなことでは、道に合はないといふ譯であります。それから人間の心に誠があつても、何かの器を用ひなければ其の誠を表はすことは出来ない。有形な物に依つて無形なる心の誠を表はすといふことになるのであります。物といふものがなければ、其の事を果す為めに就いて誠が行はれの上に就いては、何かの器に誠が現はれなければ何かの役に立たない。物といふものが必要になるのであります。それであるから其の器を用ひるといふことは、其の事に就いて誠を尽すといふことと、さうして其の誠を表はすといふことになるのであります。
解説
神器という特殊な「器」の話から、いったん「器」一般の話に広がる。器(うつわ・道具)とは、人の心の誠を、目に見える形として表すものである、という考え方が示される。この一段があるからこそ、次段(sk44)で三種の神器が「天下の大器」として特別に重い意味を持つ、という論の運びが成り立つ。
この構成――一般論を述べてから特殊(神器)に戻る――は、皇統章・神器章を通じて素行・小林がしばしば用いる論法である。
神器章 四十四三器の用 ── 天下の大器としての神器底本 三八三頁
原文
三器之用。以上論寶器之實。謹按。有事則有物、物乃器也。以利其用、以通其誠。故有物必有則。衣食之爲物、家宅用器之爲制、金玉之財、文武之器、各有其禮。有器而其用不通、況寶器乎。夫一人之私器、一事之私物非寶也。曰神曰寶、則天下之大器也、萬民之利用也、神聖之靈器也、古今之法器也。
訓読
三器の用。以上寶器の實を論ず。謹みて按ずるに、事有れば則ち物有り、物は乃ち器なり。以てその用を利し、以てその誠を通ず。故に物有れば必ず則有り。衣食の物たる、家宅の用器の制たる、金玉の財、文武の器、各その禮有り。器有りて而もその用通ぜざれば、況んや寶器をや。夫れ一人の私器、一事の私物は寶にあらざるなり。神と曰ひ寶と曰ふは、則ち天下の大器なり、萬民の利用なり、神聖の靈器なり、古今の法器なり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
「三器の用」――此の三種の神器といふものに就いて、日常の器と同じ道理から考へ直して見ようと思ひます。以上、宝器の実質を論じました。謹んで按じまするに、事があれば物があり、物は即ち器であります。之を以て其の用を利し、之を以て其の誠を通ずる。故に物があれば必ず則がある。衣食の物にも、家宅で用ひる器の制にも、金玉の財、文武の器にも、各々其の礼があります。器があつて其の用が通じなければ、況して宝器に於てをや。夫れ一人の私の器、一事の私物は、宝とは申せません。神と言ひ宝と言ふのは、即ち天下の大器であり、万民の利用であり、神聖の霊器であり、古今の法器なのであります。一人の人が勝手に使ふものではない。日常の器さへも其の位に大切なものであるから、況して天下の大器と謂ふべき神器は、一人の人が勝手に位に使ふものではない。神と言ひ宝と言ふのは、其の中に現はれて居る所の意義を含めたものであつて、普通の意義とは尚更のことなのであります。
解説
「三器の用」という見出しのもとで、器一般の論(sk43)が三種の神器そのものに適用される。「日神日寶。則天下之大器也」――神器を単なる私物・私器と対比し、「天下の大器」「万民の利用」「神聖の霊器」「古今の法器」という四つの言い方で重ねて規定する漢文は、この一段の要である。
ここに至って、神器章 その二の「虚器」(sk22)で語られた「心が伴わなければ形だけのもの」という戒めと、本節の「天下の大器」という積極的規定とが、ひとつに合流する。
神器章 四十五九州下向の例 ── 五十迹手の奉迎底本 三八三〜三八四頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
此の三種の神器をお持ちになるといふことでありますから、それを永久に人の手本とすべきものでなければならぬ。詰り三種の神器をお持ちになるといふ場合には、天皇の御身の御守りとしてお伝へへになる訳でありますから、それを永く治め下さるかどうかと思つて、其の徳をお具へになりました天皇が、斯の如くに国を治めるかどうかと思つて、常に自ら省みるのであらうと、斯う仰せられて居るのであります。九州にお下りになりましたが、其の際に筑紫の伊覩といふ所の地方の長官である所の五十迹手といふ者が榊に玉と剣と鏡とを差上げたものであります。例へば仲哀天皇が熊襲を征伐する為めに、九州にお下りになりましたが、其の際に筑紫の伊覩といふ所の地方の長官である所の五十迹手といふ者が、天皇の行ひに間違ひのないやうにと御自分の考へから、常に自ら反省する為めに鏡を懸けてお置きになつて用意の足りないことも傳はつて居ります。これは詰り昔の遺されたお手本を御賞行になつた譯なのでありまして、何れも神様の遺された道に従ひ、天皇の仰せを受けて熊襲を征伐するに就いて、天下を平げるといふ場合には此の熊襲を平げ、国土を安らかにするといふ場合にも一種の困難に屈せずして此の熊襲を平げ、地方の様子をよく見定めて、必ず勝を制するやうに願ひたい。
解説
仲哀天皇の熊襲征討にあたる、九州の地方官による奉迎の一段。五十迹手が榊に玉・剣・鏡を掛けて奉迎した故事(sk42)が、ここでもう一度、天皇の統治実務――熊襲征討という具体的な軍事行動――と結びつけて語り直される。
神器(あるいはその形代)を奉げる行為が、単なる儀礼ではなく、征討という現実の政治・軍事行動に伴走するものとして描かれている点に注意したい。
神器章 四十六日本武尊の東征と白銅鏡 ── 王船に懸けて底本 三八四頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
また日本武尊が東の国を御征伐になる時にも、此の鏡を見て自分の行ひに間違ひのないやうにと御自分でお考へへから、常に自ら反省する為めに鏡を御船の中に懸けて置かれて、萬民が皆其の処を得て天下をお治めになるやうに、どうぞ天下を治める為めに、この鏡をお手本となさるやうに願ひたい。此の八坂瓊の玉といふものは、天皇の今回の御征伐に就いて此の三つのものを造つて、榊に懸けて此の曲つて居るのであるが、上が円くて下が曲つて居るのであるといふことは、詰り三種の神器に象どつて此の三つのものを造つて、榊に懸けて前途をよく見定めて、地方々々の様子をもよく御観察になつて、必ず勝を制するやうに、また鏡といふものは明かに凡ての物を照らすのであるから、万事を明かに見てこれを決行するといふ場合に、間違ひのないやうに地方を治め、国土を安らかにするといふ場合に於ては此の熊襲を平げ、また戦争をなさるやうにして、何時もお祝ひ申上げる為めに滞らないでこの八坂瓊の玉といふものを本として天下の教化が行はれるのであると、さう考へられます。
解説
日本武尊の東征における白銅鏡の奉懸。仲哀天皇の場合(sk45)と対をなす形で、日本武尊の東征にも鏡が王船に懸けられたことが語られる。「鏡は明かに凡ての物を照らす」という性質が、実際の軍事行動における「間違ひのないやうに」「地方の様子をよく見定めて」という具体的な指針にまで結びつけられている。
神器章 その二で説かれた「鏡=智」(sk21)の配当が、ここでは戦陣における実践知として語り直されている。
神器章 四十七神器解釋のまとめ ── 民間の輕々しく説くべきに非ず底本 三八五頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
先づ大体三種の神器に就いての解釈は斯ういふことになつて居ります。併しながら前に申上げたやうに、此の三種の神器の中に宿つて居る所の御徳を斯様に解釈して見れば宜しいのでありまして、其の詳しい形とか、神器其の物に就いての解釈といふことになりますと、これ等は愼んで差し控へれば宜しいことと考へるのであります。民間の者が此の三種の神器の中に宿られた神の御徳を軽々しくすべきことではありません。此の中朝事実は随分長いものでありまして、以上はまだ其の半にも達しませぬが、これ等は民間の者の軽々しくすべきことではないのであります。民間の者がこれ等を解釈することの出来ないものでありますから、民間の者は斯ういふことに就いては、たゞ此の三種の神器の中に宿つて居る所の御徳を尊いものとして考へへて置けば宜しいのでありまして、其の詳しい形とか神器其の物に就いての解釈とこれ等は、慎んで差控へるべきことであると存じます。
解説
神器章全体の結び。三種の神器についての解釈の限界を、あらためて確認する。「民間の者が軽々しくすべきことではない」という戒めは、神器章 その二の「虚器」(sk22)とも呼応する。神器そのものの形状や実体を詮索することよりも、其の中に宿る御徳を尊ぶことこそが肝要である、というのが神器章全体を通じての結論といえる。
次段(sk48)は、神器章の結びであると同時に、小林一郎による『中朝事實』上巻講義全体の結びともなる。
神器章 四十八・完中朝事實 賛上(終)── 山鹿素行の赤穗配流と本書底本 三八五〜三八六頁
原文
(小林一郎の結びの言葉。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎による講義の結びの言葉。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
此の中朝事実は随分長いものでありまして、以上はまだ其の半にも達しませぬが、毎巻の紙数に制限がありますから、今回の講述はこゝに止めて、残りは別の巻に於て講述することにいたします。併しこれまで読みました所だけでも、素行が此の国を尊ぶ所の至誠はよく現れて居ると思はれます。此の書は素行の赤穂へ流されて居る時に著したものであることは前に申した通りでありますが、なほ委しく申せば寛文九年の十二月、即ち赤穂へ流されてから四年目に書いたものであります。自分には何の罪もないのに流罪といふ処分にあひ、四年も経つてもまだ赦されないのでありますが、心中では大いに憤慨して居たことでありませうが、斯ういふ境遇に在りながらも国を思ふ誠心は少しも謬らず、此の大著述を完成したといふことは、まことに敬服の外はないのであります。
解説
中朝事実 賛上(終)。此の一句をもつて、底本『中朝事實』上(小林一郎講述、賛上)は結ばれている。神器章そのものの結びであると同時に、小林一郎が講じた『中朝事實』連続講義の、今回底本とした影印における最後の頁でもある。
寛文九年(一六六九)十二月、赤穂配流四年目の執筆。山鹿素行が何の罪もないまま流罪に処せられ、四年を経てもなお赦されぬ境遇にありながら、国を思う至誠を少しも曲げずにこの大著を完成させたことへの敬服の念で、小林はこの巻を結んでいる。皇統章・神器章を通じて繰り返し語られてきた「徳」「誠」という言葉が、最後には著者素行自身の生き方に重ねられて締めくくられる構成である。
この読本について。小林一郎講義本は、天先章(その一)より説き起こし、中國章・皇統章・神器章と全二十二冊を数えるに至りました。神教章以下(下巻)についても小林一郎による続きの講述があるはずですが、今回底本とした影印にその続巻は含まれておらず、この連続講義もここで一区切りといたします。