聖政章 二百三十八國史を置くの始 ── 風俗を巡省す底本 下巻 三百十七頁ほか
原文
成務帝四年、秋八月辛卯朔、戊申、始於諸國置國史、記言事、達四方志、
謹按、是置國史之官也、史者記事之官也、言、上以記天子之敎令、下以記國郡之事、記言事、是置國史之始也、民之敎令、下以記國郡之事、令知國俗之化、以正其政也、後世國守之外、有目代等官、皆記國之事、以正其政、是也、
清寧帝三年、秋九月壬子朔、癸丑、遣臣連、巡省風俗、冬十月壬午朔、乙酉、詔大爲器、獻器大馬、
謹按、使臣之巡察者、政之恆也、而巡省風俗、是敎化所繫、其俗之大也、物至微而志者至大也、
訓読
成務帝の四年、秋八月辛卯の朔、戊申、始めて諸國に國史を置きて、言事を記し、四方の志を達せしむ。
謹みて按ずるに、是れ國史の官を置くなり。史は事を記すの官なり。言ふところは、上は以て天子の敎令を記し、下は以て國郡の事を記す。言事を記す、是れ國史を置くの始なり。國俗の化を知らしめ、以てその政を正すなり。後世國守の外、目代等の官ありて、皆國の事を記し、以てその政を正す、是なり。
清寧帝の三年、秋九月壬子の朔、癸丑、臣連を遣はして、風俗を巡省せしむ。
謹みて按ずるに、使臣の巡察は、政の恆なり。而して風俗を巡省するは、是れ敎化の繫るところ、その俗の大なるなり。物は至つて微にして志は至つて大なり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
次に引かれますのが、成務天皇四年、秋八月辛卯の朔、戊申の日、はじめて諸国に國史をお置きになり、言と事とを記させ、四方の志を届けさせられたといふ記事であります。素行はこれを謹んで按じて申します。これが國史の官を置くといふことであります。史とは、事を記す官であります。申したいところは、上は天子の教令を記し、下は国郡の事を記す。言と事とを記す、これが國史を置くはじめであります。国の習俗の変化を知らせて、その政を正すのであります。後の世には国守のほかに目代などの官があつて、みな国の事を記してその政を正しました。これがそれであります。続けて清寧天皇三年、秋九月壬子の朔、癸丑の日、臣連を遣はして風俗を巡り視させられたといふ記事が引かれます。素行はこれについても謹んで按じて申します。使者を遣はして巡察させるのは、政の常のことであります。さうして風俗を巡り視るといふのは、教化のかかるところであつて、その習俗こそ大事なのであります。物はきはめて微かでも、志はきはめて大きいのであります。
解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』八・聖政章十一「國史を置くの始 ── 風俗を巡省す」に依る。統治の情報をどう集めるかといふ主題が続く。聖政章九節(kj236、sp09)の巡狩が天皇みづから行くのに対し、ここは國史(記録させる)と巡省(使者を出す)である。「物は至つて微にして志は至つて大なり」――日々の細かな記録に大きな志がかかつてゐる、といふのが素行の評価である。
聖政章 二百三十九農桑を勸む ── 一日もこれなきときは苦しむ底本 下巻 三百十八頁ほか
原文
顯宗帝元年、詔曰、朕聞、士有當年而不耕者、則天下或受其飢矣、女有當年而不績者、天下或受其寒矣、故王親耕而勸農業、后妃親蠶而勉桑業、況厥百寮、棄捐農績、而至殷富者乎、有司普告天下、令識朕懷、
謹按、凡天下之人物、未嘗無其事業、既有事業、則其成敗必繫于勤怠、農以養天下之飢、桑以防天下之寒、人一日無之則苦、故聖主賢后親耕親蠶、備嘗稼穡之艱難、勸勉天下之黎元、是人君父母子民之義也、帝錯志於政敎、即位元年有此詔、以告天下可勤其事業、百寮有司、豈可怠乎、
訓読
顯宗帝の元年、詔して曰はく、朕聞く、士に當年にして耕さざる者あれば、則ち天下或はその飢を受けん。女に當年にして績まざる者あれば、天下或はその寒きを受けん。故に王親ら耕して農業を勸め、后妃親ら蠶して桑業を勸む。況んやそれ百寮、農績を棄捐して、殷富に至る者をや。有司普く天下に告げて、朕が懷を識らしめよ。
謹みて按ずるに、凡そ天下の人物、未だ嘗てその事業なくんばあらず。既に事業あれば、則ちその成敗必ず勤怠に繫る。農は以て天下の飢を養ひ、桑は以て天下の寒きを防ぐ。人一日もこれなきときは則ち苦しむ。故に聖主賢后親ら耕し親ら蠶して、備に稼穡の艱難を嘗め、天下の黎元を勸め勉ましたまふ。是れ人君の民に父母たるの義なり。帝志を政敎に錯きたまうて、即位の元年にこの詔あり、天下に告ぐるにその事業を勤むべきを以てす。百寮有司、豈に怠るべけんや。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
次に引かれますのが、顯宗天皇元年の詔であります。詔して仰せられました。『朕は聞いて居る。男でその年に耕さない者があれば、天下は飢ゑを受けることがある。女でその年に糸を紡がない者があれば、天下は寒さを受けることがある。それゆゑに王はみづから耕して農業を勧め、后妃はみづから蚕を飼つて桑の業を励ます。まして百官が農と紡績とを捨てておいて、富み栄えるといふことがあらうか。役人は広く天下に告げて、朕の思ひを知らしめよ』と。素行はこれを謹んで按じて申します。そもそも天下の人には、みなその生業がなかつたためしはありませぬ。すでに生業があれば、その成否は必ず勤めるか怠るかにかかる。農は天下の飢ゑを養ひ、桑は天下の寒さを防ぐ。人は一日でもこれがなければ苦しみます。それゆゑに聖なる君も賢い后も、みづから耕しみづから蚕を飼つて、耕作の苦労をつぶさに味はひ、天下の民をお励ましになつた。これが君主が民の父母であるといふ意味であります。天皇は御志を政と教とに置かれ、即位の元年にこの詔があつて、天下に告げるのにその生業に勤めるべきことをもつてなされました。百官も役人も、どうして怠つてよいでありませうか。
解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』八・聖政章十二「農桑を勸む ── 一日もこれなきときは苦しむ」に依る。神治章で説かれた天照太神の親耕・親蠶が、ここでは人の世の詔として現れる。「人一日もこれなきときは則ち苦しむ」――農と桑とは、思想ではなく一日の生活である。素行はここから「人君の民に父母たるの義」を引き出す。父母であるとは慈しむことではなく、みづから稼穡の艱難を嘗めることだ、といふのがこの按語の含みである。
聖政章 二百四十以上、政敎の道を論ず ── 五つの「能く」底本 下巻 三百十九頁ほか
原文
以上論政敎之道、
謹按、政者在以誠、敎者在弘審、凡政敎之道、能察其時、以沿革損益、能知其水土、以考風俗、能通其人情、以節過不及、能詳其事物、以定制度、能明其大倫、以序禮用、而后敷省以化之、可謂聖神功用之極也、否乃或煩碎而不厚、或不敎而期化、竟不可得政敎之實也、
訓読
以上、政敎の道を論ず。
謹みて按ずるに、政は誠を以てするに在り、敎は弘め審にするに在り。凡そ政敎の道は、能くその時を察して以て沿革損益し、能くその水土を知りて以て風俗を考へ、能くその人情に通じて以て過不及を節し、能くその事物を詳にして以て制度を定め、能くその大倫を明らかにして以て禮用を序し、而して后に敷き省みて以てこれを化す。聖神功用の極と謂ふべきなり。否らざれば乃ち或は煩碎にして厚からず、或は敎へずして化を期し、竟に政敎の實を得べからず。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
以上、政と教との道を論じました。素行はこれを謹んで按じて申します。政は誠をもつて行ふことに在り、教は広め詳らかにすることに在ります。そもそも政と教との道は、その時代をよく見きはめて古きを継ぎ新しきを加減し、その土地の風土をよく知つて習俗を考へ、その人情によく通じて行き過ぎと足りなさとを調節し、その事物をよく詳らかにして制度を定め、その大きな人倫をよく明らかにして礼の運用を順序立て、そのうへで施行し反省してこれを感化して行く。聖なる神の御働きの極みと申してよいのであります。さうでなければ、こまごまと煩はしいばかりで手厚くなく、あるいは教へもしないで感化を期待して、結局は政と教との実を得ることが出来ませぬ。
解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』八・聖政章十三「以上、政敎の道を論ず ── 五つの『能く』」に依る。冒頭の「以上論政敎之道」は、聖政章一節(kj228、sp01)からここまでを振り返る素行自身の言葉である。「政は誠に在り、敎は弘め審にするに在り」と二語で言ひ切つたうへで、五つの「能く」を並べる――時・水土・人情・事物・大倫。時代・風土・感情・事実・人倫の五つを知らずに制度だけ作るな、といふのが素行の統治論である。ここまで読み進めて来た憲法から律令への沿革、殉死の廃止、巡狩、國史と巡省、農桑の勧めといふ個々の記事は、この五つの実例だつたことになる。聖政章はここでいつたん一区切りとなり、次のその四では、祭りごとを「政」の一字に訓ずるという、あらためて祭政一致の理念に立ち返る段へと進む。