聖政章 一義は必ず時に隨ふ
原文
神武帝己未年、春三月辛酉朔、丁卯、下令曰、今運屬此屯蒙、民心朴素、巢栖穴住、習俗惟常、夫大人立制、義必隨時、苟有利民、何妨聖造、
訓読
神武帝の己未の年、春三月辛酉の朔、丁卯、令を下して曰はく、今運はこの屯蒙に屬ひ、民心朴素にして、巢に栖み穴に住み、習俗惟れ常なり。夫れ大人制を立つるは、義必ず時に隨ふ。苟くも民に利あらば、何ぞ聖造に妨げあらん。
現代語訳
神武天皇の己未の年、春三月辛酉の朔、丁卯の日、令を下して言われた。「いま時運はこの未明のさなかにあたり、民の心は素朴で、巣に棲み穴に住み、習俗はそのままである。そもそも大人が制度を立てるにあたっては、その筋道は必ず時に従う。かりにも民に利があるならば、聖なる造営に何の妨げがあろうか」。
解説
中國章では「壞區」の語を、神治章では「治道を諭する始め」を取り出した同じ詔から、聖政章は「義必隨時」「苟有利民」の八字だけを抜き出す。制度は時に従って変えてよい/判定の基準は民の利にある――この二つが本章の全体を貫く原則になる。
聖政章 二政の要は、民心と習俗とを察するに在り
原文
謹按、是政令之始也、民心者、天之人心也、習俗者、人皆習以爲俗也、言、天下屯蒙、而人詐偽穴居野處以爲習俗、今帝建極、以正天下之體、新其舊俗、故於此詔、新其舊染、又大也、人心之朴素、易染善惡以成、人君立政、明教率之、則得之也、蓋政之要在察民心與習俗、人心必與俗而化成、風俗成在習熟之久、習熟久則民不識其然、故曰、政之要在察民心與習俗、此章可謂盡政教之大體也、
訓読
謹みて按ずるに、是れ政令の始なり。民心は、天の人心なり。習俗は、人皆習つて以て俗と爲すなり。言ふところは、天下屯蒙にして、人詐偽して穴居野處し、以て習俗と爲す。今帝極を建て、以て天下の體を正し、その舊俗を新たにす。故にこの詔に於いて、その舊染を新たにす。又大なり。人心の朴素なるは、善惡に染まり易くして以て成る。人君政を立て、明教これを率ゐれば、則ちこれを得るなり。蓋し政の要は民心と習俗とを察するに在り。人心は必ず俗と與に化成す。風俗の成るは習熟の久しきに在り。習熟久しきときは則ち民その然るを識らず。故に曰ふ、政の要は民心と習俗とを察するに在りと。この章は政教の大體を盡くすと謂ふべし。
現代語訳
つつしんで考えてみるに、これが政令のはじめである。民心とは、天が与えた人の心である。習俗とは、人がみな習って俗としたものである。言おうとするところはこうである。天下がまだ未明のさなかにあって、人は偽りをなし穴に住み野に暮らして、それを習俗としていた。いま天皇が極を建てて天下の体を正し、その旧い俗を新たにされた。だからこの詔において、その古い染まりぐせを新たにされたのである。これもまた大きなことである。人の心が素朴であるということは、善にも悪にも染まりやすくてそのまま形になるということである。君主が政を立て、明らかな教えでこれを率いれば、これを得ることができる。思うに政の要は、民心と習俗とを察することにある。人の心は必ず俗とともに変化して形になる。風俗が成るのは、習い熟することが久しいからである。習い熟することが久しければ、民はそうなっている理由を意識しない。だからいう、政の要は民心と習俗とを察することにあると。この章は政治と教化の大体を尽くすといってよい。
解説
本章の主題文である。素行の洞察は鋭い――「習熟久しきときは則ち民その然るを識らず」。習慣が長く続くと、人はなぜそうしているのかを意識しなくなる。だから政を行う者は、民の心と習俗を「察する」ことから始めねばならない。自序の「久しくして狃るればなり」(見慣れると分からなくなる)が、統治の場面に置き直されている。
聖政章 三三種の神寶を大殿に安置す
原文
四年、春二月壬戌朔、甲申詔曰、我皇祖之靈、自天降鑒、光助朕躬、今諸虜已平、海內無事、可以郊祀天神、用申大孝者也、乃立靈畤於鳥見山中、其地號曰上小野榛原・下小野榛原、用祭皇祖天神焉、
先人曰、神武天皇定都於大和國橿原、時以三種神寶、安置大殿、床同殿共、如往古神勅、宮中無庫藏、官物・神物無差別、
訓読
四年、春二月壬戌の朔、甲申、詔して曰はく、我が皇祖の靈、天より降り鑒て、朕が躬を光らし助けたまへり。今諸虜已に平ぎ、海內事なし。以て天神を郊祀して、用て大孝を申ぶべき者なりと。乃ち靈畤を鳥見山の中に立て、その地を號けて上小野榛原・下小野榛原と曰ふ。用て皇祖天神を祭りたまふ。
先人曰く、神武天皇都を大和國橿原に定めたまふ。時に三種の神寶を以て、大殿に安置し、床を同じくし殿を共にすること、往古の神勅の如し。宮中に庫藏むるなく、官物・神物に差別なし。
現代語訳
四年、春二月壬戌の朔、甲申の日、詔して言われた。「わが皇祖の御霊が、天から降り見そなわして、朕の身を照らし助けられた。いま諸々の敵はすでに平らぎ、天下に事はない。天神を郊で祀って、大いなる孝を申し述べるべきである」。そこで霊畤を鳥見山のなかに立て、その地を名づけて上小野榛原・下小野榛原といった。それによって皇祖天神を祀られた。
先人はいう。神武天皇は都を大和國橿原にお定めになった。そのとき三種の神寶を大殿に安置し、床を同じくし殿を共にすること、往古の神勅のとおりであった。宮中に別に蔵はなく、官の物と神の物とに区別がなかった、と。
解説
祭祀を政の第一に置く。神器章第十五節でも引かれた記事だが、ここでは「官物・神物に差別なし」――政と祭がまだ分かれていなかった状態が強調される。次節の按語がその意味を説く。
聖政章 四天下の政事は郊祀宗廟の祭祀より大なるはなし
原文
謹按、天下之政事、莫大於郊社宗廟之祭祀、夫人君以天地爲父母、況帝承乾靈天孫之統、以臨四海乎、蓋交神之道在誠、至誠以求之、則無不感、故往古神祇之祭祀、朝廷之政事、不二其義、深哉、凡主祭祀者、皆執朝政、如天種子命・神八井耳命、其後蒼生亦至誠以求祭祀、至誠以感、
訓読
謹みて按ずるに、天下の政事は、郊社宗廟の祭祀より大なるはなし。夫れ人君は天地を以て父母と爲す。況んや帝は乾靈天孫の統を承けて、以て四海に臨むをや。蓋し神に交はるの道は誠に在り。至誠以てこれを求むれば、則ち感ぜざるなし。故に往古の神祇の祭祀、朝廷の政事、その義を二つにせず。深き哉。凡そ祭祀を主る者は、皆朝政を執る。天種子命・神八井耳命の如し。
現代語訳
つつしんで考えてみるに、天下の政事は、郊社と宗廟の祭祀より大きなものはない。そもそも君主は天地を父母とする。まして天皇は天の神と天孫の統を承けて四海に臨まれるのだからなおさらである。思うに神と交わる道は誠にある。至誠をもってこれを求めれば、感じないということはない。だから往古においては、神祇の祭祀と朝廷の政事とは、その意味を二つにしなかった。深いことである。そもそも祭祀を掌る者は、みな朝廷の政を執った。天種子命・神八井耳命のようにである。
解説
祭祀と政事とは同じ一つの事である――「その義を二つにせず」。そしてその根拠は形式ではなく「神に交はるの道は誠に在り」という一点に置かれる。この「誠」が、後段で妖神への供犠を退ける根拠にもなる。祭祀を重んずることと、迷信を退けることとが、素行のなかでは同じ原理から出ている。
聖政章 五教を四方に施すの始 ── 正朔を受く
原文
崇神帝十年、秋七月丙戌朔、己酉、詔群卿曰、導民之本、在於敎化也、今旣禮神祇、災害皆耗、然遠荒人等、猶不受正朔、是未習王化耳、其選群卿、遣于四方、令知朕憲、
謹按、是發行人以施敎於四方之始也、導者、啓迪也、敎不至化、則民與敎異也、正朔者、王曆也、天下皆受正朔、同其事于天、正朔不受、則民殊俗、憲者、法也、憲章、以示人也、言、民皆有此心、敎化不明、則不盡其性、啓迪之在敎之化、曰敬鬼神與敬化民、其本不出至誠、
訓読
崇神帝の十年、秋七月丙戌の朔、己酉、群卿に詔して曰はく、民を導くの本は、敎化に在るなり。今旣に神祇を禮まひ、災害皆耗きぬ。然れども遠荒の人等、猶ほ正朔を受けず。是れ未だ王化に習はざるのみ。それ群卿を選び、四方に遣はして、朕が憲を知らしめよと。
謹みて按ずるに、是れ行人を發して以て敎を四方に施すの始なり。導は、啓迪なり。敎化に至らざれば、則ち民と敎と異なるなり。正朔は、王曆なり。天下皆正朔を受くるは、その事を天に同じくするなり。正朔受けざれば、則ち民俗を殊にす。憲は、法なり。憲章は、以て人に示すなり。言ふところは、民皆この心あり。敎化明らかならざれば、則ちその性を盡くさず。これを啓迪するは敎の化に在り。鬼神を敬すると民を化するを敬すると曰ふ、その本は至誠に出でず。
現代語訳
崇神天皇十年、秋七月丙戌の朔、己酉の日、群卿に詔して言われた。「民を導く根本は、教化にある。いますでに神々を礼まい、災害はみな尽きた。しかし遠く荒れた地の人々は、なお暦を受けていない。これはまだ王の教化に習っていないだけである。群卿を選んで四方に遣わし、朕の法を知らせよ」。
つつしんで考えてみるに、これが使者を発して教えを四方に施すことのはじめである。「導」とは、ひらき導くことである。教えが人を変えるところまで至らなければ、民と教えとは別々のままである。「正朔」とは、王の暦である。天下がみな暦を受けるのは、その営みを天と同じくすることである。暦を受けなければ、民は習俗を異にする。「憲」とは、法である。「憲章」とは、それによって人に示すことである。言おうとするところはこうである。民にはみなこの心がある。教化が明らかでなければ、その性を尽くすことができない。これをひらき導くのは教えが人を変えるところにある。鬼神を敬うことと、民を教化することを敬うこととは、その根本において至誠から出るのである。
解説
「敎、化に至らざれば、則ち民と敎と異なるなり」――教えを出しただけでは足りない。人が変わるところまで至ってはじめて教化である。そして暦を受けるという行政的な事柄が「その事を天に同じくする」ことだと説かれる。暦の統一は、時間の共有であり、生活の同型化なのである。
聖政章 六憲法から律令へ
原文
及二十二年、敦化流行、衆庶樂業、皇庶既滿、人民皆知長幼之序課役之制、宜哉稽其至德乎、蓋迄後世、有巡察按察宣撫之法、以正其風俗制度、及推古帝、聖德太子定憲法、孝德帝詐天下之政制、天武帝定律令法式、文武帝朝淡海公奉勅撰律令、終帝之功、不亦大哉、
訓読
二十二年に及びて、敦化流行し、衆庶業を樂しむ。皇庶既に滿ち、人民皆長幼の序、課役の制を知る。宜なる哉、その至德を稽ふるや。蓋し後世に迄るまで、巡察・按察・宣撫の法ありて、以てその風俗制度を正す。推古帝に及びて、聖德太子憲法を定む。孝德帝天下の政制を詐む。天武帝律令法式を定む。文武帝の朝淡海公勅を奉けて律令を撰ぶ。帝の功を終ふる、亦大ならずや。
現代語訳
二十二年になって、篤い教化がゆきわたり、人々は仕事を楽しんだ。民は満ち足り、人民はみな長幼の序と課役の制とを知った。もっともなことである、その至徳を考えてみれば。思うに後の世に至るまで、巡察・按察・宣撫の法があって、それによって風俗と制度とを正した。推古天皇に至って、聖徳太子が憲法を定められた。孝徳天皇は天下の政治制度を定められた。天武天皇は律令と法式を定められた。文武天皇の御代には淡海公が勅を奉じて律令を撰ばれた。天皇の功を成しとげたこと、なんと大きいではないか。
解説
崇神朝の教化から、憲法十七条を経て、律令の完成までを一息に辿る。素行の関心は、教化が制度として定着してゆく過程にある。「人民皆長幼の序、課役の制を知る」――教えが知識になり、知識が制度になる、という順序である。
聖政章 七殉を止めよ ── 垂仁帝の詔
原文
垂仁帝二十八年、詔曰、夫以生所愛、令殉亡者、是甚傷矣、其雖古風之非良何從、自今以後、議之止殉、
三十二年、野見宿禰、作埴輪土物以獻之、是則民之父母之誠所擴充也、
訓読
垂仁帝の二十八年、詔して曰はく、夫れ生けるを以て愛でしところを、亡き者に殉はしむるは、是れ甚だ傷ましきかな。それ古風と雖も、良からずんば何ぞ從はん。今より以後、これを議りて殉を止めよと。
三十二年、野見宿禰、埴輪土物を作りて以てこれを獻る。是れ則ち民の父母たるの誠の擴充するところなり。
現代語訳
垂仁天皇二十八年、詔して言われた。「そもそも生きている者、それも愛していた者を、亡くなった者に殉じさせるのは、まことに痛ましいことである。たとえ古くからの風であっても、よくないものにどうして従おうか。今より以後、これを議って殉死を止めよ」。
三十二年、野見宿禰が埴輪の土の物を作って献上した。これこそ民の父母たるまごころが押し広げられたところである。
解説
「その古風と雖も、良からずんば何ぞ從はん」――本章でもっとも力のある一句である。古いからといって従う理由にはならない。第一節の「義は必ず時に隨ふ」が、ここで具体的な廃止として実現する。伝統を重んずる書でありながら、悪しき伝統は断ち切るべきだと明言している点は、輪読で立ち止まる価値がある。
聖政章 八外朝は始め俑あり、遂に殉に至る
原文
謹按、殉者、以人殉亡者也、夫人君者、民之父母也、未有父母而不愛其子、殉亡者哀之過而愛之溢也、聖人立法、止殉之詔有之、三十二年、野見宿禰作埴輪土桓、以代之、是民之父母之誠擴充之所也、帝大之德、可謂大哉、蓋外朝始有俑、而其弊以至殉、以亂國、中國始有殉、而至作土物以止殉、其風俗之渾厚、可以見之也、
訓読
謹みて按ずるに、殉は、人を以て亡き者に殉はしむるなり。夫れ人君は、民の父母なり。未だ父母にしてその子を愛せざるものはあらず。亡き者に殉はしむるは、哀みの過ぎて愛の溢るるなり。聖人法を立て、殉を止むるの詔これあり。三十二年、野見宿禰埴輪土桓を作りて、以てこれに代ふ。是れ民の父母たるの誠の擴充するところなり。帝の大なる德、大なりと謂ふべき哉。蓋し外朝は始め俑あり、而してその弊以て殉に至り、以て國を亂る。中國は始め殉あり、而して土物を作りて以て殉を止むるに至る。その風俗の渾厚、以てこれを見つべきなり。
現代語訳
つつしんで考えてみるに、殉とは、人を亡くなった者に従わせることである。そもそも君主は民の父母である。父母であってその子を愛さない者はいない。亡き者に殉じさせるのは、哀しみが度を過ぎて愛があふれたものである。聖人が法を立てて、殉を止める詔を出された。三十二年、野見宿禰が埴輪の土の垣を作って、これに代えた。これこそ民の父母たるまごころが押し広げられたところである。天皇の大いなる徳は、大きいというべきであろう。思うに外朝ははじめ俑があり、その弊がついに殉に至って、国を乱した。中國(日本)ははじめ殉があり、そして土の物を作って殉を止めるに至った。その風俗の渾然たる厚みは、これによって見てとれる。
解説
方向が逆だ、というのが素行の論点である。大陸は人形(俑)から始まって生きた人間の殉死に至った。日本は殉死から始まって人形(埴輪)に至った。同じ二つの要素をもちながら向かった方向が正反対だ、と。中國章の「五失」と同じ比較の型だが、ここでは残酷な習俗を廃したかどうかという、より普遍的な尺度が使われている。
聖政章 九巡狩の道 ── 西方の諸侯を觀る
原文
景行帝十二年、秋八月乙未朔、己酉、幸筑紫、
謹按、是巡狩之始也、此時觀西方之諸侯、以正其風俗、明制度、以定政事、此時天下大定、封域建、後至成務帝、縣邑之制・造長・首渠之法、竟定、天下猶一家、教化俗同、巡狩之道大哉、
訓読
景行帝の十二年、秋八月乙未の朔、己酉、筑紫に幸す。
謹みて按ずるに、是れ巡狩の始なり。この時西方の諸侯を觀て、以てその風俗を正し、制度を明らかにし、以て政事を定む。この時天下大いに定まり、封域建つ。後成務帝に至りて、縣邑の制・造長・首渠の法、竟に定まり、天下猶ほ一家のごとく、教化俗を同じくす。巡狩の道大なる哉。
現代語訳
景行天皇十二年、秋八月乙未の朔、己酉の日、筑紫に行幸された。
つつしんで考えてみるに、これが巡狩のはじめである。このとき西方の諸侯を観て、その風俗を正し、制度を明らかにし、政事を定められた。このとき天下は大いに定まり、領域が建てられた。のちに成務天皇に至って、県邑の制、造長・首渠の法がついに定まり、天下はまるで一家のようになり、教化は俗を同じくした。巡狩の道は大きなことである。
解説
巡狩の要点は「観る」ことにある。諸侯を観、風俗を観る。第二節の「政の要は民心と習俗とを察するに在り」を、天皇みずから実行するのが巡狩である。報告を待つのではなく、行って見る――統治の情報をどう得るかという問題への、素行の答えである。
聖政章 十妖神を殺すは夷狄の習俗なり
原文
仁德帝十一年、武藏人强頸、河內人茨田連衫子二人、以禱于河神、
謹按、妖神殺人爲牲、是夷狄之習俗也、天孫未降之前、惡鬼妖怪之餘政也、蓋祭爲鬼神、非禮之祭、亨何河伯、嗟、可惑乎、夫帝之聰明俊德、天下之太平無事、豈思辨之不用、祭河伯以爲惑、然猶信鬼神之妖、其子之淺謀以殺神之妖、此失處在乎、人君不愼、豈可擧此一事以爲帝之政弊、
訓読
仁德帝の十一年、武藏の人强頸、河內の人茨田連衫子二人、以て河神に禱る。
謹みて按ずるに、妖神人を殺して牲と爲すは、是れ夷狄の習俗なり。天孫未だ降らざるの前、惡鬼妖怪の餘政なり。蓋し祭は鬼神の爲なるも、非禮の祭、何ぞ河伯を亨らんや。嗟、惑ふべけんや。夫れ帝の聰明俊德、天下の太平無事、豈思辨のこれを用ひざらんや。河伯を祭るを以て惑と爲す。人君愼まざるべけんや。
現代語訳
仁徳天皇十一年、武蔵の人の强頸、河内の人の茨田連衫子の二人が、河の神に祈った。
つつしんで考えてみるに、妖しき神が人を殺して生贄とするのは、これは夷狄の習俗である。天孫がまだ降られる前の、悪鬼や妖怪の残した政である。思うに祭りは鬼神のためのものではあるが、礼にかなわない祭りにおいて、どうして河の神を祀ろうか。ああ、惑うべきことであろうか。そもそも天皇の聡明さと優れた徳、天下の太平無事において、どうして思慮分別を用いないことがあろうか。河の神を祀ることを惑いとする。君主は慎まないでいられようか。
解説
本章でもっとも合理的な一節。人身供犠を「夷狄の習俗」「悪鬼妖怪の餘政」と切って捨てる。『論語』の「その鬼に非ずして之を祭るは諂ふなり」を引いて、礼にかなわない祭りは祭りではないと言う。祭祀を政の第一に置いた第四節と矛盾しない――そこで示された基準が「至誠」だったからである。誠にもとづく祭祀と、恐れにもとづく供犠とは別物だというのが素行の立場である。
聖政章 十一國史を置くの始 ── 風俗を巡省す
原文
成務帝四年、秋八月辛卯朔、戊申、始於諸國置國史、記言事、達四方志、
謹按、是置國史之官也、史者記事之官也、言、上以記天子之敎令、下以記國郡之事、記言事、是置國史之始也、民之敎令、下以記國郡之事、令知國俗之化、以正其政也、後世國守之外、有目代等官、皆記國之事、以正其政、是也、
清寧帝三年、秋九月壬子朔、癸丑、遣臣連、巡省風俗、冬十月壬午朔、乙酉、詔大爲器、獻器大馬、
謹按、使臣之巡察者、政之恆也、而巡省風俗、是敎化所繫、其俗之大也、物至微而志者至大也、
訓読
成務帝の四年、秋八月辛卯の朔、戊申、始めて諸國に國史を置きて、言事を記し、四方の志を達せしむ。
謹みて按ずるに、是れ國史の官を置くなり。史は事を記すの官なり。言ふところは、上は以て天子の敎令を記し、下は以て國郡の事を記す。言事を記す、是れ國史を置くの始なり。國俗の化を知らしめ、以てその政を正すなり。後世國守の外、目代等の官ありて、皆國の事を記し、以てその政を正す、是なり。
清寧帝の三年、秋九月壬子の朔、癸丑、臣連を遣はして、風俗を巡省せしむ。
謹みて按ずるに、使臣の巡察は、政の恆なり。而して風俗を巡省するは、是れ敎化の繫るところ、その俗の大なるなり。物は至つて微にして志は至つて大なり。
現代語訳
成務天皇四年、秋八月辛卯の朔、戊申の日、はじめて諸国に国史を置いて、言と事とを記させ、四方の志を届けさせられた。
つつしんで考えてみるに、これが国史の官を置くということである。史とは事を記す官である。言おうとするところは、上は天子の教令を記し、下は国郡の事を記す。言と事とを記す、これが国史を置くはじめである。国の習俗の変化を知らせて、その政を正すのである。後の世に国守のほかに目代などの官があって、みな国の事を記してその政を正した。これがそれである。
清寧天皇三年、秋九月壬子の朔、癸丑の日、臣連を遣わして風俗を巡り視させられた。
つつしんで考えてみるに、使者の巡察は政の常のことである。そして風俗を巡り視るのは、教化のかかるところであって、その習俗こそ大事なのである。物はきわめて微かでも、志はきわめて大きい。
解説
記録と視察――統治の情報をどう集めるか、という主題が続く。第九節の巡狩(天皇みずから行く)に対して、ここは国史(記録させる)と巡省(使者を出す)である。「物は至つて微にして志は至つて大なり」。日々の細かな記録に大きな志がかかっている、というのが素行の評価である。
聖政章 十二農桑を勸む ── 一日もこれなきときは苦しむ
原文
顯宗帝元年、詔曰、朕聞、士有當年而不耕者、則天下或受其飢矣、女有當年而不績者、天下或受其寒矣、故王親耕而勸農業、后妃親蠶而勉桑業、況厥百寮、棄捐農績、而至殷富者乎、有司普告天下、令識朕懷、
謹按、凡天下之人物、未嘗無其事業、既有事業、則其成敗必繫于勤怠、農以養天下之飢、桑以防天下之寒、人一日無之則苦、故聖主賢后親耕親蠶、備嘗稼穡之艱難、勸勉天下之黎元、是人君父母子民之義也、帝錯志於政敎、即位元年有此詔、以告天下可勤其事業、百寮有司、豈可怠乎、
訓読
顯宗帝の元年、詔して曰はく、朕聞く、士に當年にして耕さざる者あれば、則ち天下或はその飢を受けん。女に當年にして績まざる者あれば、天下或はその寒きを受けん。故に王親ら耕して農業を勸め、后妃親ら蠶して桑業を勸む。況んやそれ百寮、農績を棄捐して、殷富に至る者をや。有司普く天下に告げて、朕が懷を識らしめよ。
謹みて按ずるに、凡そ天下の人物、未だ嘗てその事業なくんばあらず。既に事業あれば、則ちその成敗必ず勤怠に繫る。農は以て天下の飢を養ひ、桑は以て天下の寒きを防ぐ。人一日もこれなきときは則ち苦しむ。故に聖主賢后親ら耕し親ら蠶して、備に稼穡の艱難を嘗め、天下の黎元を勸め勉ましたまふ。是れ人君の民に父母たるの義なり。帝志を政敎に錯きたまうて、即位の元年にこの詔あり、天下に告ぐるにその事業を勤むべきを以てす。百寮有司、豈に怠るべけんや。
現代語訳
顯宗天皇元年、詔して言われた。「朕は聞いている。男でその年に耕さない者があれば、天下は飢えを受けることがある。女でその年に糸を紡がない者があれば、天下は寒さを受けることがある。だから王はみずから耕して農業を勧め、后妃はみずから蚕を飼って桑の業を励ます。まして百官が農と紡績とを捨てておいて、富み栄えるということがあろうか。役人は広く天下に告げて、朕の思いを知らせよ」。
つつしんで考えてみるに、そもそも天下の人にはみな、その生業がなかったためしはない。すでに生業があれば、その成否は必ず勤めるか怠るかにかかる。農は天下の飢えを養い、桑は天下の寒さを防ぐ。人は一日でもこれがなければ苦しむ。だから聖なる君も賢い后も、みずから耕しみずから蚕を飼って、耕作の苦労をつぶさに味わい、天下の民を励まされた。これが君主が民の父母であるという意味である。天皇は志を政と教とに置かれ、即位の元年にこの詔があって、天下に告げるのにその生業に勤めるべきことをもってされた。百官も役人も、どうして怠ってよいだろうか。
解説
神治章の親耕・親蠶がここで詔として現れる。「人一日もこれなきときは則ち苦しむ」――農と桑とは、思想ではなく一日の生活である。素行はここから「人君の民に父母たるの義」を引き出す。父母であるとは、慈しむことではなく、みずから稼穡の艱難を嘗めることだ、というのがこの按語の含みである。
聖政章 十三以上、政敎の道を論ず ── 五つの「能く」
原文
以上論政敎之道、
謹按、政者在以誠、敎者在弘審、凡政敎之道、能察其時、以沿革損益、能知其水土、以考風俗、能通其人情、以節過不及、能詳其事物、以定制度、能明其大倫、以序禮用、而后敷省以化之、可謂聖神功用之極也、否乃或煩碎而不厚、或不敎而期化、竟不可得政敎之實也、
訓読
以上、政敎の道を論ず。
謹みて按ずるに、政は誠を以てするに在り、敎は弘め審にするに在り。凡そ政敎の道は、能くその時を察して以て沿革損益し、能くその水土を知りて以て風俗を考へ、能くその人情に通じて以て過不及を節し、能くその事物を詳にして以て制度を定め、能くその大倫を明らかにして以て禮用を序し、而して后に敷き省みて以てこれを化す。聖神功用の極と謂ふべきなり。否らざれば乃ち或は煩碎にして厚からず、或は敎へずして化を期し、竟に政敎の實を得べからず。
現代語訳
以上、政と教との道を論じた。
つつしんで考えてみるに、政は誠をもって行うことにあり、教は広め詳らかにすることにある。そもそも政と教との道は、その時代をよく見きわめて古きを継ぎ新しきを加減し、その土地の風土をよく知って習俗を考え、その人情によく通じて行きすぎと足りなさとを調節し、その事物をよく詳らかにして制度を定め、その大きな人倫をよく明らかにして礼の運用を順序立て、そのうえで施行し反省してこれを感化していく。聖なる神の働きのきわみと言ってよい。そうでなければ、こまごまと煩わしいばかりで手厚くなく、あるいは教えもしないで感化を期待して、結局は政と教との実を得ることができない。
解説
本章の総括。「政は誠に在り、敎は弘め審にするに在り」と二語で言い切ったうえで、五つの「能く」を並べる――時/水土/人情/事物/大倫。時代・風土・感情・事実・人倫の五つを知らずに制度だけ作るな、というのが素行の統治論である。ここまで本章が挙げてきた個々の記事は、この五つの実例だったことになる。
聖政章 十四祭事を以て政の字に訓ず ── 祭祀と政事とは義を一にす
原文
或疑、外朝聖人以政爲正也、今所解多在以政爲誠、何也、愚謂、中國以祭祀郊社宗廟爲政之要、故以祭事訓政字、是祭祀政事一義也、蓋祭祀者、主於誠、政事亦在人君之誠、政不以誠、則唯存條目而無綱領、日煩月勞而無敦化之功、是所以民免而無恥也、
訓読
或は疑ふ、外朝の聖人、政を以て正と爲す。今解するところは多く政を以て誠と爲すに在るは何ぞやと。愚謂へらく、中國は郊社宗廟を祭祀するを以て政の要と爲す。故に祭事を以て政の字に訓ず。是れ祭祀と政事とは義を一にすればなり。蓋し祭祀は誠を主とし、政事も亦人君の誠に在り。政誠を以てせざれば、則ち唯だ條目を存して綱領なく、日に煩はしく月に勞して敦化の功なし。是れ民免れて恥なき所以なり。
現代語訳
ある人は疑って言う。「中国の聖人は政を『正』の意味に解している。ところがいまの解釈は多くの場合、政を『誠』としているのはなぜか」。私はこう考える。中国では郊社と宗廟とを祭ることを政の要とする。だから『政』の字を「まつりごと」──祭りごと──と訓ずるのである。これは祭祀と政事とが意味を一つにしているからである。思うに祭祀は誠を主とするし、政事もまた君主の誠にかかっている。政が誠によらなければ、ただ細目だけがあって大綱がなく、日に日に煩わしく月ごとに骨を折って、しかも人を厚く感化する功がない。これが「民は刑罰を免れることだけを考えて恥じる心を失う」ということの原因である。
解説
本章でもっとも有名な一節。「祭事を以て政の字に訓ず」――日本語の「まつりごと」が「祭り」と同語であることを、素行は偶然ではなく祭祀と政事とが義を一にする証拠として読む。中国の「政は正なり」(『論語』顏淵篇)に対して、日本の「政は祭なり」を置いたわけである。第四節「神に交はるの道は誠に在り」と、第十三節「政は誠を以てするに在り」とが、ここで一本に繫がる。
聖政章 十五誠の至れるや、鬼神も亦在すが如し
原文
惟誠之至、鬼神亦如在、況人民乎、以治國、其如示諸掌乎、然乃正誠之二義、更無間隔也、
訓読
惟だ誠の至れるや、鬼神も亦在すが如し、況んや人民をや。以て國を治むる、それ諸を掌に示すが如きか。然らば乃ち正誠の二義、更に間隔することなし。
現代語訳
ただ誠がきわまったときには、鬼神さえもそこにいますかのようである。まして人民においてはなおさらだ。それによって国を治めるのは、手の平を指し示すようにたやすいことであろう。そうであれば、「正」と「誠」との二つの意味は、まったく隔たるところがない。
解説
前節の問いへの答えの締めくくり。「正」と「誠」とは別の教えではない――誠がきわまれば、おのずと正しい。素行はここで中国の解釈を退けるのではなく、日本の「まつりごと」の語感のほうがより深く同じ一点を突いている、と言っているのである。
聖政章 十六或は疑ふ、政敎法令は德の末にして形の下なるものか
原文
或疑、政敎法令者德之末、而形之下乎、愚謂、否、有物必有則、有天下國家、必有政敎法令、政敎法令之外、豈有此德乎、明聖之主亦用之、愚昧之君亦用之、其利鈍煩簡、而治亂相因、共在此四者、四者正明、猶權衡設而不可欺以輕重、繩墨設而不可欺以曲直、否則平正・眞僞・邪正何能辨乎、
訓読
或は疑ふ、政敎法令は德の末にして、形の下なるものかと。愚謂へらく、否。物あれば必ず則あり、天下國家あれば必ず政敎法令あり、政敎法令の外、豈にこの德あらんや。明聖の主も亦これを用ひ、愚昧の君も亦これを用ふ。その利鈍煩簡、而して治亂相因る、共にこの四つの者に在り。四つの者正明なるときは、猶ほ權衡を設けて欺くに輕重を以てすべからず、繩墨を設けて欺くに曲直を以てすべからざるがごとし。否らざれば、平正・眞僞・邪正何ぞ能く辨ぜんや。
現代語訳
ある人は疑って言う。「政や教や法令は、徳の末端であって、形而下のものではないか」。私はこう考える。そうではない。ものがあれば必ずその法則がある。天下国家があれば必ず政と教と法令とがある。政教法令の外に、いったいどこにその徳があろうか。聡明な君主もこれを用い、愚かな君主もこれを用いる。その切れ味の良し悪し、煩雑さと簡潔さ、そして治まると乱れるとが互いに因となるのは、ともにこの四つのものにかかっている。この四つが正しく明らかであれば、ちょうど秤を据えれば軽重をごまかせず、墨縄を張れば曲直をごまかせないようなものだ。そうでなければ、平らか正しいか、真か偽か、邪か正かを、どうして見分けることができようか。
解説
制度を「徳の末」として軽んじる議論への正面からの反論。素行は「政教法令の外に、豈にこの德あらんや」と言う。徳は制度の向こう側にあるのではなく、制度としてしか現れない。しかも制度は賢君も愚君も等しく用いる――だからこそ、権衡(はかり)や繩墨(墨縄)のように、それ自体が正しく明らかであることが要るのである。
聖政章 十七良工と器用 ── 鈍器を用ふれば筋を勞し骨を苦しむ
原文
或疑、政敎法令者、猶器用、人君修德則器用自利、否乃雖有器用不可乎、愚謂、雖良工無器用、則無施工之用、良工之爲良工、器用利而備也、如用鈍器、勞筋苦骨、竟不遂功也、
訓読
或は疑ふ、政敎法令は猶ほ器用のごとし。人君德を修むるときは器用自ら利し、否らざれば乃ち器用ありと雖も可ならざらんかと。愚謂へらく、良工と雖も器用なきときは工を施すの用なく、良工の良工たるは器用利くして備はればなり。鈍器を用ふる如くんば、筋を勞し骨を苦しめて竟に功を遂げざるなり。
現代語訳
ある人は疑って言う。「政や教や法令は、道具のようなものだ。君主が徳を修めれば道具はおのずと切れ味がよくなり、そうでなければ道具があっても役に立たないのではないか」。私はこう考える。すぐれた工人であっても道具がなければ腕をふるいようがない。すぐれた工人がすぐれた工人でありうるのは、道具が切れて揃っているからである。なまくらな道具を使ったのでは、筋を疲れさせ骨を苦しめて、結局は仕事を仕上げられない。
解説
前節への追い討ち。「徳さえあれば道具は要らない」という反論を、良工と道具の比喩で崩す。良工が良工たるゆえんは、道具が切れて備わっているからだ――徳が先で制度が後、ではない。両方なければ何も切れない。同じ比喩は次節の「舟と水」に引き継がれる。
聖政章 十八舟と水 ── 二つの者相持して后に功化の實を談ずべし
原文
凡政敎法令之備也、猶乘舟濟大川、能水與不能、共檝而逸安、專以修德期其功、猶能水者恃己力以泅水濟、甚勞而少功、危而寡濟者、況不修德不以政敎法令、唯以私知妄作要治平之功、猶無舟之可乘技之可泅、恃力構私以入水、不溺而何待之乎、故治國平天下之要、不可出修身以正政敎、二者相持而后可談功化之實、中華往古聖主政敎之功、所著于舊紀不乏、後世襲之律之以祖述憲章、乃無爲過化之治、千萬世可蒙其澤也、
訓読
凡そ政敎法令の備はるや、猶ほ舟に乘りて大川を濟るがごとし。水を能くすると能くせざると、共に檝りて逸んじ安し。專ら德を修むるを以てその功を期するは、猶ほ水を能くする者の己れが力を恃みて以て水を泅いで濟るがごとく、甚だ勞して功少なく、危くして濟る者寡なし。況んや德を修めず政敎法令を以てせずして、唯だ私知妄作を以て治平の功を要むるは、猶ほ舟の乘るべく技の泅ぐべきなくして、力を恃み私を構へ、以て水に入るがごとし。溺れずして何をか待たんや。故に治國平天下の要は身を修めて以て政敎を正しくするに出づべからず。二つの者相持して而して后に功化の實を談ずべし。中華往古の聖主政敎の功は舊紀に著はるるところ乏しからず。後世これに襲りこれに律り、以て祖述憲章せば、乃ち無爲過化の治、千萬世もその澤を蒙るべし。
現代語訳
そもそも政と教と法令とが備わっているのは、舟に乗って大河を渡るようなものである。泳ぎができる者もできない者も、ともに舵をとってゆったりと安らかに渡れる。ひたすら徳を修めることだけでその功を期待するのは、泳ぎのできる者が自分の力をたのんで水を泳いで渡るようなもので、ひどく骨が折れるのに成果は少なく、危なくて渡りきる者はまれである。まして徳も修めず、政や教や法令にもよらないで、ただ自分勝手な知恵とでたらめとで天下を治める功を求めるのは、乗るべき舟も泳ぐ技もないままに、力をたのみ私心をかまえて水に入るようなものだ。溺れるほかに何を待つことがあろうか。だから国を治め天下を平らかにする要は、身を修めて政と教とを正しくすることの外には出ない。この二つが互いに支え合って、はじめて感化の実を語ることができる。中華の遠い昔の聖なる君主たちの政教の功は、古い記録に現れているものが少なくない。後の世がこれを承けこれにのっとって、祖述し憲章とするならば、無為にして人が化していく治が千万年ののちまでその恵みを及ぼすであろう。
解説
聖政章の結び。舟と泳ぎ――制度が備わっているとは、泳げない者も渡れるということである。徳だけを頼むのは、達人が素手で川を泳ぐようなもの。渡れないわけではないが、渡れる者はごく少ない。「二つの者相持して而して后に功化の實を談ずべし」。修身と制度、そのどちらか一方を選ぶ議論を、素行はここで終わらせている。