知人章 一八十萬神、天安河邊に會す
原文
天照大神乃入于天石窟、閉磐戸而幽居焉、故六合之內常闇、而不知晝夜之相代、于時八十萬神、會於天安河邊、計其可禱之方、故思兼神深謀遠慮、遂集常世之長鳴鳥、使互長鳴、亦以手力雄神立於磐戸之側、而中臣連遠祖天兒屋命・忌部遠祖太玉命、掘天香山之五百箇眞坂樹、而上枝懸八坂瓊之五百箇御統、中枝懸八咫鏡、下枝懸青和幣・白和幣、相與致其祈禱焉、又猿女君遠祖天鈿女命、則手持茅纏之矟、立於天石窟戸之前、巧作俳優、亦以天香山之眞坂樹爲鬘、以蘿爲手繦、而火處燒覆槽置、顯神明之憑談、
訓読
天照大神乃ち天石窟に入りまして、磐戸を閉ぢて幽居しぬ。故に六合の內常闇にして、晝夜の相代るをも知らず。時に八十萬神、天安河邊に會して、その禱るべきの方を計る。故に思兼神深く謀り遠く慮りて、遂に常世の長鳴鳥を集めて互に長鳴きせしむ。亦手力雄神を以て磐戸の側に立てて、中臣連の遠祖天兒屋命・忌部の遠祖太玉命、天香山の五百箇眞坂樹を掘りて、上枝には八坂瓊の五百箇御統を懸け、中枝には八咫鏡を懸け、下枝には青和幣・白和幣を懸けて、相與にその祈禱を致す。又猿女君の遠祖天鈿女命は、則ち手に茅纏の矟を持ち、天石窟戸の前に立ちて、巧に俳優を作す。亦天香山の眞坂樹を以て鬘と爲し、蘿を以て手繦と爲し、火處燒き覆槽置きて、顯神明の憑談をす。
現代語訳
天照大神は天の石窟にお入りになり、磐戸を閉じて隠れられた。そのため天地四方のうちは常闇となり、昼と夜が入れ替わることも分からなくなった。そのとき八十万の神々が天安河の河原に会して、祈るべき方法をはかった。そこで思兼神が深く謀り遠く慮って、ついに常世の長鳴鳥を集めてたがいに長鳴きさせた。また手力雄神を磐戸のかたわらに立たせ、中臣連の遠祖である天兒屋命・忌部の遠祖である太玉命が、天香山の五百箇の眞坂樹を掘りとって、上の枝には八坂瓊の五百箇の御統を懸け、中の枝には八咫鏡を懸け、下の枝には青と白の和幣を懸けて、ともに祈禱をささげた。また猿女君の遠祖である天鈿女命は、手に茅を巻いた矛を持ち、天石窟戸の前に立って、巧みに舞い演じた。また天香山の眞坂樹を鬘とし、日蔭のかずらを襷とし、火をたき、桶を伏せて置いて、神がかりの言葉を告げた。
解説
神教章第七節と同じ場面だが、読む角度がまるで違う。そちらでは「考えることと学ぶこと」の原型として読まれた。ここではそれぞれの神が持ち場を果たしている、その配置そのものが主題になる。謀る者、力を出す者、祭る者、演ずる者――危機に際して顔ぶれがそろっていた。次節の按語はこの一点を賞讃する。
知人章 二この時、人才最も盛んなる哉
原文
謹按、此時人才最盛哉、凡事得其人、則其道明矣、天地常靖之時、不可得非常之人、非常之人、不可以常事得之、當非常之時、以非常之事、得非常之功、雄毅以盡其難、寬優以盡其道、而后大成、蓋才之大成、知以遠慮、仁以力行、勇以果斷、三德在此、故思兼神其任在知、手力雄神其任在勇、天兒屋命・太玉命其任在仁、
訓読
謹みて按ずるに、この時人才最も盛なる哉。凡そ事その人を得れば、則ちその道明らかなり。天地常靖の時には、非常の人を得べからず。非常の人は、常事を以てこれを得べからず。非常の時に當りて、非常の事を以て、非常の功を得。雄毅以てその難を盡くし、寬優以てその道を盡くして、而して后に大成す。蓋し才の大成は、知は以て遠慮し、仁は以て力行し、勇は以て果斷す。三德ここに在り。故に思兼神その任は知に在り、手力雄神その任は勇に在り、天兒屋命・太玉命その任は仁に在り。
現代語訳
つつしんで考えてみるに、このとき人材はもっとも盛んであった。そもそも事はその人を得れば、その道はおのずと明らかである。天地が常に静かなときには、非常の人を得ることはできない。非常の人は、平常の事によって得ることはできない。非常のときにあたって、非常の事によって、非常の功を得るのである。雄々しく毅然としてその難局を尽くし、寛やかにゆたかにその道を尽くして、そうしてのちに大成する。思うに才の大成とは、知はもって遠くを慮り、仁はもって力を尽くして行い、勇はもって果断する。三つの徳がここにある。だから思兼神はその任が知にあり、手力雄神はその任が勇にあり、天兒屋命・太玉命はその任が仁にある。
解説
神器章の三德(玉=仁、鏡=知、劒=勇)が、ここでは神々の配役として現れる。思兼神=知、手力雄神=勇、天兒屋命・太玉命=仁。器の三徳が人の三徳に移されているのである。そしてもう一つ重要な指摘――「天地常靖の時には、非常の人を得べからず」。平時には非常の人材は現れない。危機こそが人を見出す、というのが素行の人材観である。
知人章 三仁は乃ち勇を行ふべし
原文
仁乃可以行勇、天兒屋命・太玉命是也、其得三德者、其唯天鈿女命歟、勇以果斷、手力雄神、天鈿女命是也、其得之者、三德在此、故非常之時、非非常之人、不可得非常之功、天地常靖之時、必以常道求之、
訓読
仁は乃ち以て勇を行ふべし。天兒屋命・太玉命是なり。その三德を得たる者は、それ唯だ天鈿女命か。勇は以て果斷す、手力雄神、天鈿女命是なり。それこれを得たる者は、三德ここに在り。故に非常の時は、非常の人にあらずんば、非常の功を得べからず。天地常靖の時は、必ず常道を以てこれを求む。
現代語訳
仁はすなわち勇を行うことができる。天兒屋命・太玉命がこれである。その三つの徳をあわせ得た者は、ただ天鈿女命であろうか。勇はもって果断する、手力雄神と天鈿女命がこれである。それを得た者においては、三つの徳がここにそろっている。だから非常のときには、非常の人でなければ非常の功を得ることはできない。天地が常に静かなときには、必ず平常の道によってこれを求めるのである。
解説
素行が天鈿女命を「三德を得たる者」と評するのが目を引く。石窟の前で舞い演じた神である。危険な役どころに自ら立った勇、場を和ませた仁、そして何をすれば戸が開くかを見きわめた知。芸能の神に三徳がそろっていると読むところに、素行の人材観の幅広さが出ている。
知人章 四二度の失敗 ── 誰を遣はすべきぞ
原文
皇祖高皇産靈尊、欲立皇孫爲葦原中國之主、然彼地多有螢火光神及蠅聲邪神、復有草木咸能言語、故高皇産靈尊召集八十諸神、而問之曰、吾欲撥平葦原中國之邪鬼、當遣誰者宜也、惟爾諸神、勿隱所知、僉曰、天穗日命是神之傑也、可不試歟、於是俯順衆言、即以天穗日命往平之、然此神佞媚於大己貴神、比及三年、尚不報聞、故其子大背飯三熊之大人、亦順其父、遂不報聞、故高皇産靈尊更會諸神、問當遣者、僉曰、天國玉之子天稚彦是壯士也、宜試之、於是高皇産靈尊賜天稚彦天鹿兒弓及天羽羽矢、以遣之、此神亦不忠誠、來到即娶顯國玉之女子下照姫、遂欲有其國、報命不至、于時高皇産靈尊、更會諸神、選當遣者、僉曰、可遣經津主神・武甕槌神、于時二神於是降到出雲國五十田狹之小汀、二神誅諸不順鬼神等、果以復命、
訓読
皇祖高皇産靈尊、皇孫を立てて葦原中國の主と爲さんと欲す。然れども彼の地には螢火の光く神及び蠅聲なす邪しき神多くあり。復草木咸く能く言語ふあり。故に高皇産靈尊八十諸神を召し集へてこれに問ひて曰はく、吾れ葦原中國の邪鬼を撥ひ平げんと欲ふ。當に誰を遣はすべきぞ。惟れ爾諸神、知るところを隱しましそと。僉曰さく、天穗日命はこれ神の傑れたるなり。試みたまはざるべけんやと。ここに於いて俯して衆言に順ひ、即ち天穗日命を以て往きてこれを平けしむ。然れどもこの神大己貴神に佞媚して、三年に比るまで尚ほ報聞さず。故にその子大背飯三熊之大人も、亦その父に順ひて、遂に報聞さず。故に高皇産靈尊更に諸神を會めて、當に遣はすべき者を問ひたまふ。僉曰さく、天國玉の子天稚彦はこれ壯士なり。宜しくこれを試みたまへと。ここに於いて高皇産靈尊天稚彦に天鹿兒弓及び天羽羽矢を賜ひて、以てこれを遣はす。この神も亦忠誠ならず。來り到りて即ち顯國玉の女子下照姫を娶り、遂にその國を有たんと欲して、報命至らず。時に高皇産靈尊、更に諸神を會めて、當に遣はすべき者を選びたまふ。僉曰さく、經津主神・武甕槌神を遣はすべしと。時に二神ここに於いて出雲國五十田狹の小汀に降り到る。二神諸の順はざる鬼神等を誅し、果たして以て復命す。
現代語訳
皇祖高皇産靈尊は、皇孫を立てて葦原中國の主とされようとした。しかしかの地には蛍火のように光る神や、五月蠅のように騒がしい邪しき神が多くあった。また草木がことごとく物を言うということもあった。そこで高皇産靈尊は八十の神々を召し集めて問われた。「わたしは葦原中國の邪しき神どもを払い平らげたい。誰を遣わすのがよいだろうか。そなたたち神々よ、知っていることを隠すな」。みなが申し上げた。「天穗日命こそ神のなかの傑物です。試されてはいかがでしょう」。そこで身を低くして衆議に従い、天穗日命を遣わして平定させられた。しかしこの神は大己貴神にへつらい媚びて、三年たってもなお復命しなかった。その子の大背飯三熊之大人も、その父にならってついに復命しなかった。そこで高皇産靈尊はあらためて神々を集めて、遣わすべき者を問われた。みなが申し上げた。「天國玉の子である天稚彦は壮士です。試されるのがよろしい」。そこで高皇産靈尊は天稚彦に天鹿兒弓と天羽羽矢を賜って遣わされた。この神もまた忠誠ではなかった。到着するとすぐ顯國玉の娘の下照姫を娶り、ついにその国を自分のものにしようとして、復命が来なかった。そのとき高皇産靈尊は、あらためて神々を集めて、遣わすべき者を選ばれた。みなが申し上げた。「經津主神・武甕槌神を遣わすべきです」。そのとき二神は出雲國の五十田狹の小汀に降り到った。二神は順わない鬼神たちを誅し、はたして復命した。
解説
皇統章・神教章にも引かれた同じ場面だが、ここでは失敗の中身がもっとも詳しい。天穗日命は媚びて三年報告せず、その子も父にならい、天稚彦は現地で妻を娶って国を乗っ取ろうとした。衆議で推された人材が、二度続けて裏切っている。神ですらこうなのだから――というのが次節以降の議論の前提になる。
知人章 五是れ天神、人を擇ぶの愼みなり
原文
謹按、是天神愼於人之擇也、天神之靈、如月中天、萬象擧照、片言乃通、所以不染德惑、而盡衆議、重擧衆言、夫人之質、雖有美已、不能卓立於富貴威聲之場、二子之或媚、非有他也、故建大業、以復命、或媚東方、以防護皇孫、
訓読
謹みて按ずるに、是れ天神の人の擇びに愼むなり。天神の靈は、月の天に中するが如く、萬象擧りて照らされ、片言乃ち通ず。所以に德惑に染まずして、衆議を盡くし、重ねて衆言を擧ぐ。夫れ人の質は、美なるありと雖も、富貴威聲の場に卓立すること能はず。二子の或は媚びしは、他あるにあらざるなり。故に大業を建てて、以て復命す。或は東方に媚び、以て皇孫を防護す。
現代語訳
つつしんで考えてみるに、これが天神が人を選ぶことに慎重であったということである。天神の霊妙なはたらきは、月が中天にかかるように、あらゆるものがことごとく照らされ、ひとことでも通じ合う。だからこそ徳や惑いに染まらず、衆議を尽くし、重ねて人々の言葉を挙げさせた。そもそも人の資質は、すぐれたところがあっても、富貴や威勢の場において独り立ちしていることができない。二人の神が媚びたのは、ほかに理由があるのではない。だからこそ大業を建てて復命する者があり、あるいは東方に媚びて皇孫を守る者もある。
解説
「人の質は、美なるありと雖も、富貴威聲の場に卓立すること能はず」――これが素行の人間観察である。天穗日命も天稚彦も、もともと悪い神だったのではない。権勢の場に置かれれば人は流される。だから選ぶ側は慎重にならざるをえない。神代の失敗が、人材論の一般命題として引き出されている。
知人章 六人を知ることの難きこと
原文
凡才必得其人、而後大業建、故知人之難、人才之難、皆爲難矣、外朝之先儒曰、知人之難、雖聖亦以爲病乎、孔子亦聽言觀行之戒有之、然乃人才難得、知人之難、中外以爲一也、
訓読
凡そ才は必ずその人を得て、而して後に大業建つ。故に人を知るの難きこと、人才の難きこと、皆難しと爲す。外朝の先儒曰く、人を知るの難きことは、聖と雖も亦以て病と爲すかと。孔子も亦言を聽きて行を觀るの戒これあり。然らば乃ち人才の得難きこと、人を知るの難きこと、中外以て一と爲すなり。
現代語訳
そもそも才は必ずその人を得て、そののちに大業が建つ。だから人を知ることの難しさ、人材を得ることの難しさは、いずれも難しいこととされる。外朝の先の学者はいう、人を知ることの難しさは、聖人といえどもやはり悩みとしたのではないか、と。孔子もまた「その言葉を聴いてその行いを観る」という戒めを残している。とすれば人材が得がたく、人を知ることが難しいのは、内も外も同じことである。
解説
「人を知るの難きことは、聖と雖も亦以て病と爲すか」――堯舜ですら悩んだ、孔子ですら「言葉を聴くだけでなく行いを観る」と戒めた。ここで素行は例によって漢籍を引くが、「中外以て一と爲す」――日本も中国も同じだ、と結ぶ。神教章の「その揆一なり」と同じ姿勢である。
知人章 七五部神を配侍せしむ
原文
天照大神乃賜天津彦火瓊瓊杵尊八坂瓊曲玉及八咫鏡・草薙劒三種寶物、又以中臣上祖天兒屋命、忌部上祖太玉命、猿女上祖天鈿女命、鏡作上祖石凝姥命、玉作上祖玉屋命、凡五部神、使配侍焉、
一書曰、天孫天降給時、天兒屋根命・天太玉命、奉勅而左右扶翼、
謹按、是擇臣之始也、今之世之左右之相、如今日歟、凡爲治之道、在人、況又艱屯之時乎、蓋世臣之舊德、屯難之時見、而其風榮以其瞻於時足矣、初運動之勞、不學於功人、及豐厚、
訓読
天照大神乃ち天津彦火瓊瓊杵尊に八坂瓊曲玉及び八咫鏡・草薙劒三種の寶物を賜ふ。又中臣の上祖天兒屋命、忌部の上祖太玉命、猿女の上祖天鈿女命、鏡作の上祖石凝姥命、玉作の上祖玉屋命、凡て五部の神を以て、配へ侍らしむ。
一書に曰く、天孫天降りたまふ時、天兒屋根命・天太玉命、勅を奉けて左右に扶翼す。
謹みて按ずるに、是れ臣を擇ぶの始なり。今の世の左右の相、今日の如きか。凡そ治を爲すの道は、人に在り。況んや又艱屯の時をや。蓋し世臣の舊德は、屯難の時に見はれ、而してその風榮は以てその時に瞻るに足れり。
現代語訳
天照大神は天津彦火瓊瓊杵尊に、八坂瓊曲玉と八咫鏡・草薙劒という三種の宝物を賜った。また中臣の遠祖である天兒屋命、忌部の遠祖である太玉命、猿女の遠祖である天鈿女命、鏡作の遠祖である石凝姥命、玉作の遠祖である玉屋命、あわせて五部の神を添えてお仕えさせられた。
一書にはこうある。天孫が天降られるとき、天兒屋根命・天太玉命が勅を奉じて左右に助けた。
つつしんで考えてみるに、これが臣を選ぶことのはじめである。今の世の左右の大臣も、今日のありようは同じであろうか。そもそも政治を行う道は人にある。まして困難のときはなおさらである。思うに代々仕えてきた臣の古い徳は、困難のときにこそ現れ、その風格と栄えはその時において十分に見てとれる。
解説
神器章では「器」に重心があった同じ記事が、ここでは「臣を擇ぶの始」として読まれる。三種の宝物と五部神――器と人。素行は本章で人の側を取り上げる。そして「世臣の舊德は、屯難の時に見はれ」。第二節の「非常の時に非常の人を得る」が、代々の家臣についても言われている。
知人章 八臣に文武あり、大小あり、親疎あり
原文
凡臣有文武、有大小、有親疎、一毛闕之時不全、文武者、經綸康濟、近親之侍臣者、安危之寄、職之親者、習綺之移有、而其天下之本繫者一也、又天孫依賴之任、付以正皇統、以養其德、故何強擧之服、雅俗之敎不亂、
訓読
凡そ臣に文武あり、大小あり、親疎あり。一毛もこれを闕くの時は全からず。文武は、經綸康濟なり。近親の侍臣は、安危の寄せなり。職の親しき者は、習綺の移るあり。而してその天下の本に繫る者は一なり。又天孫依賴の任は、付するに以て皇統を正し、以てその德を養ふ。故に何ぞ強を擧げてこれを服せしめん。雅俗の敎亂れざらんや。
現代語訳
そもそも臣には文と武があり、大と小があり、親しい者と疎い者とがある。ひとすじの毛ほどでもこれを欠けば全きを得ない。文武とは、天下を経営し民を安んずることである。近くに侍る臣は、安危のかかるところである。職務の近い者には、習わしや飾りが移ってゆくということがある。しかしその天下の本にかかっているという点では一つである。また天孫が頼りとされた任務は、皇統を正し、その徳を養うことをもって託された。だからどうして強引に人を服従させることがあろうか。雅と俗との教えが乱れることもあるまい。
解説
人材の分類がここで示される。文と武/大と小/親と疎。そして「一毛もこれを闕くの時は全からず」――どれ一つ欠けてもいけない。第一節の八十萬神がそれぞれの持ち場を果たした構図が、そのまま臣下の編成論になっている。「職の親しき者は、習綺の移るあり」――近くに仕える者ほど、君主の癖や好みが移る、という観察も鋭い。
知人章 九論功行賞 ── 道臣命と大來目部
原文
神武帝甲寅年、東征之時、以大來目部爲侍臣、賜天種子命妻、大來目之遠祖日臣命、帥將軍之元戎、蹈山營行、乃隨烏所向、時勅曰、汝忠而且勇、加之能有導之功、是以改汝名爲道臣、
辛酉年春正月、天皇卽位、二年春二月乙巳、天皇定功行賞、賜道臣命宅地、以寵異之、又曰、以宇廐志麻治命・天富命爲左右臣、又曰、以宇麻志麻治命爲申食國政大夫、
訓読
神武帝の甲寅の年、東を征ちたまうて、大來目部を以て侍臣と爲す。天種子命に妻を賜ふ。大來目の遠祖日臣命、將軍の元戎を帥ゐ、山を蹈み行を營み、乃ち烏の向ふところの隨にす。時に勅して曰はく、汝忠にして且つ勇めり。加之能く導きの功あり。ここを以て汝が名を改めて道臣と爲すと。
辛酉の年春正月、天皇位に卽きたまふ。二年春二月乙巳、天皇功を定め賞を行ひたまふ。道臣命に宅地を賜ひて以て寵異たまふ。又曰く、宇廐志麻治命・天富命を以て左右の臣と爲す。又曰く、宇麻志麻治命を申食國政大夫と爲す。
現代語訳
神武天皇の甲寅の年、東を討たれたとき、大來目部を侍臣とされた。天種子命には妻を賜った。大來目の遠祖である日臣命は、将軍の主力を率い、山を踏みわけ行軍を営み、八咫烏の向かうところに従った。そのとき勅して言われた。「そなたは忠にしてしかも勇である。それだけでなく、よく導いた功がある。そこでそなたの名を改めて道臣とする」。
辛酉の年春正月、天皇は位にお即きになった。二年春二月乙巳の日、天皇は功を定め賞を行われた。道臣命には宅地を賜って特別に寵された。また、宇廐志麻治命・天富命を左右の臣とされた。また、宇麻志麻治命を申食國政大夫とされた。
解説
名を賜るという賞が印象的である。日臣命が「道臣」となる。忠と勇と、そして「導きの功」――道を見つけた功に対して、道の字を含む名が与えられた。賞とは何を評価したかを名指すことだという理解がここにある。次章の賞罰章につながる主題でもある。
知人章 十四道將軍 ── 武官の始め
原文
崇神帝十年秋九月丙戌朔、甲午、以大彦命遣北陸、武渟川別遣東海、吉備津彦遣西道、丹波道主命遣丹波、因以詔之曰、若有不受敎者、乃擧兵伐之、既而共授印綬爲將軍、
謹按、是武官之始也、神代既有將帥之任、神武帝之時有軍帥之稱、然未及名號、今始以將軍投印綬、四道將軍是也、
訓読
崇神帝の十年秋九月丙戌の朔、甲午、大彦命を以て北陸に遣はし、武渟川別を東海に遣はし、吉備津彦を西道に遣はし、丹波道主命を丹波に遣はす。因りて以てこれに詔して曰はく、若し敎を受けざる者あらば、乃ち兵を擧げてこれを伐てと。既にして共に印綬を授けて將軍と爲す。
謹みて按ずるに、是れ武官の始なり。神代既に將帥の任あり、神武帝の時軍帥の稱あり。然れども未だ名號に及ばず。今始めて將軍を以て印綬を投く。四道將軍是なり。
現代語訳
崇神天皇十年秋九月丙戌の朔、甲午の日、大彦命を北陸に遣わし、武渟川別を東海に遣わし、吉備津彦を西道に遣わし、丹波道主命を丹波に遣わされた。そこでこれに詔して言われた。「もし教えを受けない者があれば、兵を挙げてこれを討て」。そうしてともに印綬を授けて将軍とされた。
つつしんで考えてみるに、これが武官のはじめである。神代にはすでに将帥の任があり、神武天皇のときには軍帥の称があった。しかしまだ名称としては定まっていなかった。いまはじめて将軍という称をもって印綬を授けた。四道将軍がこれである。
解説
中國章・神治章にも引かれた四道将軍だが、ここでの主題は印綬――任命の形式である。「神代既に將帥の任あり」「神武帝の時軍帥の稱あり」、しかし名称と印綬による正式の任命はここに始まる。実質はあっても、形が定まってはじめて制度になるという素行の見方が現れている。
知人章 十一棟梁の臣 ── 武内宿禰
原文
景行帝五十一年春正月壬午朔、戊子、招群卿而宴數日、時皇子稚足彦尊與武內宿禰、不參赴於庭、天皇召之問其故、因以奏曰、當宴樂之日、群卿百寮必情在遊戲、不存國家、若有狂生、伺墻閤之隙、故侍于庭門下、以備非常、時天皇謂曰、灼然也、則異寵之、秋八月己酉朔、壬子、立稚足彦尊爲皇太子、是日命武內宿禰爲棟梁之臣、
謹按、是擇其人而任其大職之義也、權柔之臣有成務、帝之踞終連綿而大臣之稱有之、蓋大臣者、以一人師範四海、儀形之稱也、其人無時、則國家不存、
訓読
景行帝の五十一年春正月壬午の朔、戊子、群卿を招きて宴すること數日なり。時に皇子稚足彦尊と武內宿禰と、庭に參赴らず。天皇これを召してその故を問ひたまふ。因りて以て奏して曰さく、宴樂の日に當りては、群卿百寮必ず情遊戲に在りて、國家を存せず。若し狂生ありて、墻閤の隙を伺はんか。故に庭の門下に侍りて、以て非常に備ふと。時に天皇謂はく、灼然なりとのたまひて、則ちこれを異寵たまふ。秋八月己酉の朔、壬子、稚足彦尊を立てて皇太子と爲す。この日武內宿禰に命じて棟梁の臣と爲す。
謹みて按ずるに、是れその人を擇びてその大職を任ずるの義なり。權柔の臣成務にあり。帝の踞終に連綿して大臣の稱これあり。蓋し大臣は、一人を以て四海に師範し、儀形するの稱なり。その人時なきときは、則ち國家存せず。
現代語訳
景行天皇五十一年春正月壬午の朔、戊子の日、群卿を招いて数日にわたって宴を催された。そのとき皇子の稚足彦尊と武内宿禰だけが、庭に参上しなかった。天皇はこれを召してその理由を問われた。そこで奏上して申し上げた。「宴楽の日にあたっては、群卿も百官も必ず心が遊びにあって、国家のことを念頭に置きません。もし乱心の者があって、垣や門の隙をうかがうことがあってはなりません。だから庭の門下に侍って、非常に備えているのです」。そのとき天皇は「まことにその通りだ」と言われて、特別に寵された。秋八月己酉の朔、壬子の日、稚足彦尊を立てて皇太子とされた。この日、武内宿禰に命じて棟梁の臣とされた。
つつしんで考えてみるに、これがその人を選んでその大職を任ずるという意味である。権を執って柔らかにあたる臣は成務朝にある。天皇の座はついに連綿と続いて、大臣という称が生まれた。思うに大臣とは、一人の身で四海に師範となり、模範を示す者の名である。その人がいないときには、国家は存立しない。
解説
宴の席で一人だけ出てこなかった者を、天皇が賞したという話である。人材を見出す場面としてこれ以上に具体的な例はない。そして按語で素行は大臣を定義する――「一人を以て四海に師範し、儀形するの稱なり」。地位ではなく模範であることが大臣の本義だという。
知人章 十二國郡の司を擇ぶ ── 守令は民の師帥なり
原文
成務帝四年春二月丙寅朔、詔曰、自今以後、令國郡立長、縣邑置首、即取當國之幹了者、任其國郡之首長、是爲中區之藩屏、
先人曰、國司者當一方之重寄、察百姓之寒苦、庸才之企不可望所也、故昔者置格例、以勘治否、合格者賞禄、違格者黜、白河院七箇國之受領、皆歷勘而後參議、合格之吏公文拜參議、又曰、七箇國之受領、皆經格而後拜、
謹按、是擇國郡之司也、蓋人君者、民之父母也、以分言之、如天壤、以情言之、如心體之相愛、故守縣令者、民之師帥也、承流而宣化者也、若不守師帥、則郡縣不擧其職罰、以正其課賞罰、而後嚴矣、
訓読
成務帝の四年春二月丙寅の朔、詔して曰はく、今より以後、國郡をして長を立て、縣邑に首を置かしめ、即ち當國の幹了の者を取りて、その國郡の首長に任ぜよ。是れ中區の藩屏と爲すと。
先人曰く、國司は一方の重き寄せに當り、百姓の寒苦を察す。庸才の企て望むべき所にあらず。故に昔は格例を置きて、以て治否を勘へ、格に合ふ者は賞禄し、格に違ふ者は黜く。白河院の七箇國の受領は、皆歷勘して而して後に參議す。
謹みて按ずるに、是れ國郡の司を擇ぶなり。蓋し人君は、民の父母なり。分を以てこれを言へば、天壤の如し。情を以てこれを言へば、心と體との相愛するが如し。故に守・縣令は、民の師帥なり。流を承けて化を宣ぶる者なり。
現代語訳
成務天皇四年春二月丙寅の朔、詔して言われた。「今より以後、国郡には長を立て、県邑には首を置き、その国の実務に長けた者を選んでその国郡の首長に任ぜよ。これを中央の藩屏とする」。
先人はいう。国司は一方の重い任にあたり、民の寒さと苦しみを察する者である。凡庸な才の者が望みうるところではない。だから昔は審査の基準を置いて、治める能力の有無を調べ、基準にかなう者には賞禄を与え、基準にたがう者は退けた。白河院のとき七箇国の受領は、みな審査を経てから参議した、と。
つつしんで考えてみるに、これが国郡の司を選ぶということである。思うに君主は民の父母である。分によっていえば天と地ほどの隔たりがある。情によっていえば、心と体とがたがいに愛しあうようなものである。だから守や県令は、民の師であり帥である。上からの流れを承けて教化を述べ広める者である。
解説
「守令は民の師帥なり」――地方官は徴税吏ではなく教える者だ、というのが素行の定義である。だから「庸才の企て望むべき所にあらず」。そして白河院の例を引いて、審査を経てから任じるという運用を評価する。神治章の「當國の幹了の者を取りて」が、ここで人事考課の話に展開している。
知人章 十三讒言 ── 武内宿禰と甘美内宿禰
原文
應神帝九年夏四月、遣武內宿禰於筑紫、以監察百姓、時武內宿禰弟甘美內宿禰、欲廢兄、即讒言于天皇曰、武內宿禰常有望天下之情、今聞在筑紫而密謀之曰、獨裂筑紫、招三韓、令朝於己、遂有天下、於是天皇則遣使、以令殺武內宿禰、時武內宿禰歎曰、吾元無貳心、以忠事君、今何禍矣、無罪而死耶、於是有壹伎直祖眞根子者、其爲人能似武內宿禰之形、獨惜武內宿禰無罪而空死、便語武內宿禰曰、今大臣以忠事君、既無黑心、天下共知、願密避而參赴于朝、親辨無罪、而後死不晚也、且時人毎云、僕形似大臣、故今我代大臣而死之、以明大臣之丹心、則伏劒自死焉、時武內宿禰獨大悲之、竊避筑紫、浮海以從南海廻之、泊於紀水門、僅得達朝、乃辨無罪、天皇則推問武內宿禰與甘美內宿禰、於是二人各堅執而爭之、是非難決、天皇勅之、令請神祇探湯、是以武內宿禰與甘美內宿禰共出于磯城川濱、以探湯、武內宿禰勝之、便執橫刀、以蹴倒甘美內宿禰、遂欲殺、天皇勅之令釋、仍賜紀直等祖也、
訓読
應神帝の九年夏四月、武內宿禰を筑紫に遣はして、以て百姓を監察せしむ。時に武內宿禰の弟甘美內宿禰、兄を廢せんと欲して、即ち天皇に讒言して曰さく、武內宿禰常に天下を望むの情あり。今聞く、筑紫に在りて密にこれを謀りて曰はく、獨り筑紫を裂き、三韓を招きて、己に朝せしめ、遂に天下を有たんとすと。ここに於いて天皇則ち使を遣はして、以て武內宿禰を殺さしむ。時に武內宿禰歎きて曰く、吾れ元貳心なく、忠を以て君に事ふ。今何の禍ぞや、罪なくして死せんやと。ここに於いて壹伎直の祖眞根子といふ者あり。その人と爲り能く武內宿禰の形に似たり。獨り武內宿禰の罪なくして空しく死するを惜しみ、便ち武內宿禰に語りて曰く、今大臣忠を以て君に事へ、既に黑心なきこと、天下共に知れり。願はくは密に避けて朝に參赴り、親ら罪なきを辨じて、而して後に死するも晚からじ。且つ時の人毎に云ふ、僕が形は大臣に似たりと。故に今我れ大臣に代りて死し、以て大臣の丹心を明らかにせんと。則ち劒に伏して自ら死せり。時に武內宿禰獨り大いにこれを悲しみ、竊に筑紫を避け、海に浮かびて以て南海より廻り、紀の水門に泊りて、僅に朝に達することを得たり。乃ち罪なきを辨ず。天皇則ち武內宿禰と甘美內宿禰とを推問したまふ。ここに於いて二人各堅く執りてこれを爭ふ。是非決し難し。天皇これに勅して、神祇に請ひて探湯せしむ。ここを以て武內宿禰と甘美內宿禰と共に磯城川の濱に出でて、以て探湯す。武內宿禰これに勝つ。便ち橫刀を執りて、以て甘美內宿禰を蹴り倒し、遂に殺さんと欲す。天皇これに勅して釋さしめ、仍りて紀直等の祖に賜ふなり。
現代語訳
応神天皇九年夏四月、武内宿禰を筑紫に遣わして、民の暮らしを監察させられた。そのとき武内宿禰の弟の甘美内宿禰が、兄を廃そうとして、天皇に讒言して申し上げた。「武内宿禰は常に天下を望む心があります。いま聞くところでは、筑紫にあってひそかにこれをはかって、『ひとり筑紫を割いて三韓を招き、自分に朝貢させ、ついには天下を取ろう』と言っているとのことです」。そこで天皇は使者を遣わして、武内宿禰を殺させようとされた。そのとき武内宿禰は嘆いて言った。「わたしはもともと二心なく、忠をもって君に仕えてきた。いま何の災いだろうか、罪もなくて死ぬのか」。そこに壹伎直の祖である眞根子という者がいた。その人となりは武内宿禰の姿によく似ていた。ひとり武内宿禰が罪もなくむなしく死ぬのを惜しんで、武内宿禰に語って言った。「いま大臣が忠をもって君に仕え、汚れた心のないことは、天下がともに知っています。どうかひそかに逃れて朝廷に参上し、みずから罪のないことを弁明して、そののちに死んでも遅くはありません。しかも世の人は常々、わたしの姿は大臣に似ていると言います。だから今わたしが大臣に代わって死に、大臣の赤心を明らかにしましょう」。そうして剣に伏して自ら死んだ。そのとき武内宿禰はひとり大いにこれを悲しみ、ひそかに筑紫を離れ、海に浮かんで南海からめぐり、紀の水門に泊まって、かろうじて朝廷に到ることができた。そこで罪のないことを弁明した。天皇は武内宿禰と甘美内宿禰とを取り調べられた。そこで二人はそれぞれ頑なに主張して争った。是非は決しがたかった。天皇は勅して、神々に請うて探湯をさせられた。そこで武内宿禰と甘美内宿禰とはともに磯城川の浜に出て、探湯をした。武内宿禰が勝った。そこで太刀を執って甘美内宿禰を蹴り倒し、ついに殺そうとした。天皇は勅してこれを許させ、そこで紀直らの祖に賜ったのである。
解説
本章でもっとも長く、もっとも生々しい記事である。忠臣が弟の讒言によって殺されかける。しかも身代わりになって死ぬ者まで現れる。素行がこれを長々と引くのは、「人を知る」ことの失敗がどれほどの犠牲を生むかを示すためである。天皇は讒言を信じ、使者を出してしまった。次節の按語はこの一点を突く。
知人章 十四良臣と姦臣と相對し、君子と小人と相敵す
原文
謹按、蓋姦讒之行、未嘗無其所因、今其遠之辨、仍似無罪、天皇則推問武內宿禰與甘美內宿禰、於是二人各堅執而爭之、是非難決、天皇勅之、令請神祇探湯、良臣與姦臣相對、君子與小人相敵、未嘗不有其因、故何世無姦臣乎、蓋姦人之行、未嘗無其所因、今其遠因所在、乃在人君之明不明也、
訓読
謹みて按ずるに、蓋し姦讒の行はるるは、未だ嘗てその因るところなくんばあらず。良臣と姦臣と相對し、君子と小人と相敵す。未だ嘗てその因あらずんばあらず。故に何れの世にか姦臣なからんや。蓋し姦人の行ひ、未だ嘗てその因るところなくんばあらず。今その遠因の在るところは、乃ち人君の明らかなると明らかならざるとに在るなり。
現代語訳
つつしんで考えてみるに、思うに讒言が行われるのには、その拠りどころがなかったためしはない。良臣と姦臣とが相対し、君子と小人とが相敵する。それには必ずもとがある。だからどの世に姦臣がいないということがあろうか。思うに姦人の行いには、必ずその拠りどころがある。いまその遠い原因のありかは、すなわち君主が明らかであるかないかにある。
解説
「何れの世にか姦臣なからんや」――姦臣をなくすことはできない。素行はそう認めたうえで、責任の所在を移す。「その遠因の在るところは、乃ち人君の明らかなると明らかならざるとに在るなり」。讒言が通るかどうかは、讒言する者の巧拙ではなく、聞く側が明らかかどうかで決まる。神教章の「言路何ぞ通ぜんや」と同じ構造の議論である。
知人章 十五上世は姦臣ありと雖も、君明かなれば
原文
上世之政、祖宗之迹、古今之興衰、亂文武之迹、當時尤爲多、況其親戚乎、況兄弟乎、帝之過亦不寡矣、凡武內宿禰獨大悲之、竊避筑紫、浮海以從南海廻之、垂仁帝之狹穗彦、武烈帝之平群眞鳥、皆是先王之社稷幾危、然而終不亡者、以人君之明也、故姦臣有之、而君明則不能爲害、君暗則良臣不能自保、
訓読
上世の政、祖宗の迹、古今の興衰、文武の迹を亂すこと、當時尤も多しと爲す。況んやその親戚をや。況んや兄弟をや。帝の過ちも亦寡からず。凡そ武內宿禰獨り大いにこれを悲しみ、竊に筑紫を避け、海に浮かびて以て南海より廻れり。垂仁帝の狹穗彦、武烈帝の平群眞鳥、皆是れ先王の社稷幾ど危ふし。然れども終に亡びざる者は、人君の明らかなるを以てなり。故に姦臣これありて、君明らかなれば則ち害を爲すこと能はず。君暗ければ則ち良臣自ら保つこと能はず。
現代語訳
上代の政治、祖先の事跡、古今の興亡、文武の跡を乱すことは、当時もっとも多かった。まして親戚においてはなおさら、まして兄弟においてはなおさらである。天皇の過ちもまた少なくない。武内宿禰はひとり大いにこれを悲しみ、ひそかに筑紫を離れ、海に浮かんで南海からめぐった。垂仁天皇のときの狹穗彦、武烈天皇のときの平群眞鳥、いずれも先王の社稷はほとんど危ういところであった。しかしついに滅びなかったのは、君主が明らかであったからである。だから姦臣がいても、君主が明らかであれば害をなすことができない。君主が暗ければ、良臣もみずからを保つことができない。
解説
「君明らかなれば則ち害を爲すこと能はず。君暗ければ則ち良臣自ら保つこと能はず」――本章の要約というべき対句である。姦臣の有無ではなく、君主の明暗がすべてを決める。しかも素行は「帝の過ちも亦寡からず」と、天皇の側の誤りも明記している。
知人章 十六以上、人を知るの道を論ず
原文
以上論知人之道、愚謂、天下之治道、莫大於得人、不得其人、則勞而無功、大臣不一、有守令、有近親、三者一不得、則政體不正而衆體虧、大臣不一、有文臣、有武臣、有舊老臣、有勳功臣、各其道得之時、政體正而衆職惟修、
訓読
以上は人を知るの道を論ず。愚謂へらく、天下の治道は、人を得るより大なるはなし。その人を得ざれば、則ち勞して功なし。大臣は一ならず、守令あり、近親あり。三つの者一つも得ざれば、則ち政體正しからずして衆體虧く。大臣は一ならず、文臣あり、武臣あり、舊老の臣あり、勳功の臣あり。各その道これを得る時は、政體正しくして衆職惟れ修まる。
現代語訳
以上は人を知る道について論じたものである。わたしが思うに、天下の統治の道は、人を得ることより大きなものはない。その人を得なければ、労するばかりで功がない。大臣は一つではなく、守令があり、近親がある。この三つのうち一つでも得られなければ、政の体は正しくならず、全体が欠ける。大臣も一つではなく、文の臣があり、武の臣があり、古くから仕えた老臣があり、勲功の臣がある。それぞれその道にかなった人を得たときには、政の体は正しく、あらゆる職務が整う。
解説
章の結論部にあたる。「天下の治道は、人を得るより大なるはなし」。そして人材を三つの層に整理する――大臣・守令・近親。中央の重臣、地方の長官、身近に仕える者。この三つが揃わなければ「政體正しからずして衆體虧く」。神治章が制度の階層を示したのに対し、本章は人の階層を示している。
知人章 十七人を知るの道は、その言行を察するに在り
原文
蓋知人之道、內主其言行、外察其言行、試之以事、而後其人可得也、若拘拘以其俗弊輕薄、純以德行、猶未嘗有其差、乾靈之神也、其登庸每必以衆議試任、故大臣以下各奉職勤、言動忠不隱、猶未嘗有其差、親親則漠々之失、遠之則塞、故明大臣之體、嚴其制、豐其祿、
訓読
蓋し人を知るの道は、內その言行を主とし、外その言行を察す。これを試みるに事を以てし、而して後にその人得べきなり。若し拘拘として、その俗弊輕薄を以てせば、純なる德行を以てするも、猶ほ未だ嘗てその差あらずんばあらず。乾靈の神なり。その登庸には每に必ず衆議を以て試み任ず。故に大臣以下各職を奉けて勤め、言動忠にして隱さず。親を親しめば則ち漠々の失あり、これを遠ざくれば則ち塞がる。故に大臣の體を明らかにし、その制を嚴にし、その祿を豐かにす。
現代語訳
思うに人を知る道は、内にはその言と行いを主とし、外にはその言と行いを察する。これを事によって試みて、そののちにその人を得ることができる。もしこせこせと世俗の弊や軽薄さによって判断するなら、純粋な徳行によって判断したとしても、なお違いが出ないわけにはいかない。天の神である。その登用にあたっては常に必ず衆議によって試み任じた。だから大臣以下それぞれが職を奉じて勤め、言動は忠実で隠すところがなかった。親しい者を親しめば漠然とした過ちがあり、これを遠ざければ塞がってしまう。だから大臣の体を明らかにし、その制度を厳しくし、その禄を豊かにする。
解説
人を知る具体的な方法が示される。言行を見る/事で試す。そして「衆議を以て試み任ず」――一人の判断ではなく合議で。さらに親疎のジレンマが指摘される。親しめば甘くなり、遠ざければ実情が届かない。この難問への答えが最終節に置かれる。
知人章 十八近臣は知ること難く、遠臣は知ること易し
原文
或曰、近臣知之難、遠臣知之易、愚謂、近臣者、君之親昵、遠臣者、君之威名、遠臣知之難、近臣知之易、遠臣者君自試之、其及所不及、在其人也、近臣則自古未有近親之邪惡是非、以繫其膚、故其爲所大違、近臣如君自試之、其人以爲宗、其所學所狹、遠臣如其友、其所宗、其所學太廣、故或曰、近臣知之難、遠臣知之易、
訓読
或は曰く、近臣は知ること難く、遠臣は知ること易しと。愚謂へらく、近臣は、君の親昵なり。遠臣は、君の威名なり。遠臣はこれを知ること難く、近臣はこれを知ること易し。遠臣は君自らこれを試み、その及ぶところ及ばざるところは、その人に在るなり。近臣は則ち古より未だ近親の邪惡是非あらざるはなく、以てその膚に繫る。故にその爲すところ大いに違ふ。近臣は君自らこれを試みるがごとく、その人以て宗と爲すところ、その學ぶところ狹し。遠臣はその友のごとく、その宗とするところ、その學ぶところ太だ廣し。故に或は曰く、近臣は知ること難く、遠臣は知ること易しと。
現代語訳
ある人はいう、近くに仕える臣は知ることが難しく、遠くにある臣は知ることが易しい、と。わたしが思うに、近臣とは君主に親しく馴れた者であり、遠臣とは君主の威名によって仕える者である。遠臣はこれを知ることが難しく、近臣はこれを知ることが易しいともいえる。遠臣は君主がみずからこれを試み、その及ぶところ及ばないところは、その人にかかっている。近臣については、昔から近しい者の邪悪や是非がなかったためしはなく、それが君主の肌身にかかわる。だからそのなすところは大きく食い違う。近臣は君主がみずから試みるようであって、その人が宗とするところ、学ぶところは狭い。遠臣はその友のようであって、宗とするところ、学ぶところはたいへん広い。だからある人はいう、近臣は知ることが難しく、遠臣は知ることが易しい、と。
解説
章の結びである。近くにいる者ほど見えない――肌身に触れているからこそ判断が曇り、しかもその者の視野は君主の好みに合わせて狭くなる。遠くにいる者は威名によって仕えるから、かえって公平に試すことができ、学ぶところも広い。配所にあって遠くから幕府と藩を見ていた素行の実感が、この逆説にはにじんでいる。人を知ることの難しさを説き続けた章が、この一句で閉じられる。