神治章 百五十六仁徳天皇十一年の詔 ── 難波の堀江と茨田堤底本 下巻 百七十七〜百七十九頁
原文
仁德帝十一年、夏四月戊寅朔甲午、詔群臣曰、今朕視是國者、郊澤曠遠、田圃少乏、且河水橫逝以流末不速、每逢霖雨、海潮逆上、而巷里乘船、道路亦潦、故群臣共視之、決橫源而通海、塞逆流以全田宅、冬十月掘宮北之郊原、引南水以入西海、因以號其水曰堀江、又將防北河之澇、以築茨田堤、是時有雨壞之築、而乃壞之難塞、時天皇夢有神誨之、獲塞其堤、且成。
訓読
仁德帝の十一年、夏四月戊寅の朔甲午、群臣に詔して曰はく、今朕是の國を視るに、郊澤曠遠にして、田圃少乏且つ河水橫逝して以て流末速やかならず、每に霖雨に逢へば、海潮逆まに上りて、巷里船に乘り、道路も亦潦あり。故に群臣共にこれを視て、橫源を決りて海に通じ、逆流を塞ぎて以て田宅を全くせよと。冬十月宮の北の郊原を掘りて、南の水を引きて西の海に入る。因りて其の水を號けて堀江と曰ふ。又北の河の澇を防がんとして、以て茨田堤を築く。是の時雨壞の築ありて、乃ち壞れて塞ぎ難し。時に天皇夢に神の誨へあることを獲て、其の堤を塞ぐことを獲て、且つ成りぬ。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
次には仁德天皇の時に水の害を除く爲に特に力をお盡しになられたといふ御事蹟が擧げられて居るのであります。仁德天皇は謂はゆる難波の宮に居られたので、今の大阪でありますが、あの邊りは海に近くて、川と海との關係が巧く行つて居ないと水害が多く起るのであります。其の事を仁德天皇がよくお考へになつて、最も適切なる處置をお執りになつたと申すのであります。卽ち仁德天皇の十一年四月に群臣に詔を下して仰せられるには、自分が此の地方の樣子をよく見ると、此の地方では郊外の土地は隨分廣いけれども、開墾が出來て居ないから田や畑が乏しい。隨つて人民の收入といふものも少いやうである。ところがどうして其の開墾が充分に出來ないかといふことを考へて見ると、水害が兎角多いので、其の水害の爲に妨げられて開墾が思はしく行かないやうである。川の水があつちこつちに流れて居つて、さうして其の川の水が海に注ぐ所の川尻の捌け口が十分に出來て居ない。それで水が滯つて居て充分に海に注がないから、少し雨でも餘計に降ると、溢れて田を害したりなどするのである。また霖雨などに逢ふと海の方の水が逆さに上つて、さうして川の流れを妨げるといふやうなことになつて、場合に依ると方々の村や何かを船に乘つて歩かなければならぬといふことになり、道路も泥が多くて交通を妨げられるといふことにまでなることがたびたびである。これではいくら農業を奬勵しようと思つても、農業の奬勵が充分に出來ないのであるから、皆能く此の點を考へて、實地に就いて調べて見て、川がどういふ風に流れて居るかをよく調査して、さうして其の川の水が滯りなく海に捌けるやうにしなければならぬ。また動もすれば海の水が逆さに流れ上るといふことがあつてはいかぬから、其の逆流を防ぐべき方法をも立てなければならぬ。さうして田地も害を受けないやうに、また人民の住宅も安全なやうにしてやれば、人民は喜んで自分の業に從事するであらう。其の途を立てないでたゞ奬勵した所が、人民が働くものではないのであるから、此の點をよく調べるやうにといふことを仰せられました。それから十月になりまして御所の北の方に川を掘つて、卽ち今謂ふ運河でありますが、運河を造つてそこで南の方から流れて來る所の水を引いて西の方の海に落すやうにした。それで之を名づけて難波の堀江と申すのであります。これはズツト後にまで傳はつて居りまして、全く天皇の恩召に依つて、人民は非常に其の生活に安定を得た譯であります。また北の方の川の溢れるのを防ぐ爲に堤を築かれたのでありますが、其の堤が二つあつて、水の流れが餘り急なものでありますから其の堤が破れ易くて、折角堤があつても殆んど役に立たぬといふやうな状態でありました。其の時に天皇が夢に神の敎へを受けられて、さうして此の二つの堤の築き方を改めて、兩方とも崩れることのないやうな安全なる途を見出され、其の仰せに依つて堤が完成したといふことであります。
解説
『日本書紀』仁德紀十一年の記事に見える難波の堀江・茨田堤の開鑿である。前冊(その十八)の依網池・苅坂池・反折池が灌漑(水を引く)のための施策であつたのに対し、この段は治水(水害を防ぐ)のための施策であり、両者を併せて読むことで「農の利を尽す」と「民の害を除く」という次段以降で説かれる二つの主題がそろふ。この一節に対応する全集版の分冊は現時点で未確認のため、底本のみを典拠として翻刻・訓読した。
神治章 百五十七民を安んずるの叡慮 ── その事蹟の尊さ底本 下巻 百七十九頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
是れ等の事は何れも人民の生活に深く天皇の御心を盡せられたといふことを表はして居るのでありまして、如何にも民の生活を御心に掛けさせ給ふ有難い恩召が一々の事實の上に現はれて居るといふことが尊いのであります。殊に仁德天皇は八十餘年の久しい間天皇の御位を保つていらせられたからでもありますので、斯ういふやうな御事蹟が澤山歴史にも傳はつて居ります。天皇は勿論でありますが、諸國の政治を輔ける人々も、民を安んずるといふことを根本としなければならぬのは明かであります。併しながら其の心持があつても、其の心持が事實の上に現はれないといふ場合が往々にしてあるのでありまして、其の任に當る者はよく此等の御事蹟を調べて、これを敎訓として銘々の責任を完全に果すやうに勤めなければならないことと思はれるのであります。
解説
原文には對應する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。「心持があつても事實の上に現はれない場合が往々にしてある」という指摘は、その十八のkj151で述べられた「実行の尊さ」と呼應する。次段(kj158)の謹按ではこれが「民の害を除く」というより一般化された主題として整理される。
神治章 百五十八謹按 ── 民の害を除くなり底本 下巻 百七十九〜百八十頁
原文
謹按、是除民之害也、天地之間爲民害者、天有旱潦之災、地有河海之暴、人君有志於爲民者、豫備先謀、以爲之制、則其災殆可逃、是人心所精、物無以勝也、既除其害、則民之利百倍也、帝甚以民生爲念、開河以疏之、築堤以塞之、民以子來、神以佑之、故無堤岸之崩、無泉源之涸、無沙土之滯、無畛域之失、其德大哉、其後大盛力於溝洫、百姓寬饒而無凶年、況興橋路以利人民、以氷室規改其政、大答乾靈授國之德乎。
訓読
謹みて按ずるに、是れ民の害を除くなり。天地の間民の害を爲す者、天に旱潦の災あり、地に河海の暴あり。人君民を治むるに志あり、豫め備へ先づ謀り以て之が制を爲せば、則ち其の災殆ど逃るべし。是れ人心の精一なる所、物以て勝るべき無し。旣に其の害を除けば則ち民の利百倍す。帝甚だ民生を以て念と爲し、河を開き、以て之を疏し、堤を築きて以て之を塞ぐ。民以て子のごとく來る、神以て之を佑く。故に堤岸の崩るる無く、泉源の涸るる無く、沙土の滯なく、畛域の失なし。其の德大なる哉。其の後大に力を溝洫に盛にし、百姓寬饒にして凶年無し。況んや橋路を興して以て人民を利し、氷室を以て其の政を規改し、大に乾靈國を授くるの德に答ふるをや。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
謹んで按じますに、これが民の害を除くといふことであります。天地の間、民の害を為すものとしては、天に旱りと大雨の災あり、地には河や海の荒れることあり。人君として民を治めるに志があれば、あらかじめ備へ先づ謀つて、これに対する制度を為しておけば、其の災は殆ど逃れることが出来る。これが人の心のひとすぢに凝る所であつて、これに勝るものはない。既にその害を除けば、民の利は百倍する。天皇は甚だ民の生活を心にかけられ、河を開いてこれを疏し、堤を築いてこれを塞いだ。民は子のやうに慕つて集まり来り、神もこれを助けた。故に堤の崩れることなく、水源の涸れることなく、砂の滞ることなく、境界の乱れることもない。其の御徳の大きいことよ。その後も大いに水路の力を盛んにし、百姓は豊かになつて凶年の患ひもなかつた。況してや橋や道を興して人民を利し、氷室の制度を改めて政をも整へられたことは、天が国をお授けになつた御徳に応へられたことといふべきである。
解説
その十八のkj152・kj153「謹按 ── 農の利を尽す」と対をなす謹按で、素行の政治論の骨格である「利を興す」(積極的施策)と「害を除く」(消極的だが根本的な施策)の両輪のうち、後者を扱ふ。「民以て子の如く来る、神以て之を佑く」の一句は、その十六(kj142)で引かれた周の文王の霊台の故事とも通じる、仁政と民心の一致を示す常套表現である。
神治章 百五十九素行の言葉 ── 治水と民害を除くの理底本 下巻 百八十〜百八十一頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
素行が尚ほ自分の政見を附け加へて申しますには、仁德天皇が斯ういふやうに堀を掘るといふやうな事業をお興しになつて、民の害を除くことに力をお用ひになつたのは、非常に尊いことであります。天地の間に民の害を爲すものと言へば、『天に旱潦の災あり』──旱りが續いたり、雨が多過ぎるといふやうなことが皆人民の害になる。地には川と海があつて、其の川や海の水が溢れて人民の害を爲す。それであるから是れ等の點をよく考へて之を防がなければならぬ。尤も天の方の雨の量の多い少いを人間の力でどうすることも出來ないのであるけれども、併し川や海の水といふものは人間の力でどうにでもなるのであるから、治水といふ事に大いに力を用ひて、さうして旱りが續いても雨が多くても、其の害の餘り多くならぬやうに努めなければならないのであります。人民の生活が裕かにならなければ國は決して本當に繁榮しないのであるから、上に立つ人が眞に人民を安らかにしてやらうといふ志があるならば、先づ治水といふ點によく意を用ひて、さうして其の制度を立てれば、たとひ災ひがあつても、其の災ひは殆んど逃れることが出來るのであります。これは人間の心の力といふものが卽ち天地の働きを補ふことなので、本當に人間が一生懸命に努めさへすれば、『物以て勝るべき無し』で、其の人間の努力を妨げるものはない譯であります。自分の努力が足りないで、天災地變のせゐにするといふことは愚かな至りで、天災地變に打克つべく努力するといふことが、人間として最も肝要と申さなければならないのであります。旣に其の害を除きさへすれば、人民といふものは喜んで働くのであります。誰でも働くのが厭な譯ではないので、働いても其の效果がないからツイ怠けるのであります。其の害を除いて働く甲斐のあるやうにしてやれば、勿論人民といふものは働いて自分の生活を裕かにするといふことを喜ぶに相違ないのであります。
解説
原文には對應する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。「天に旱潦の災あり、地に河海の暴あり」の謹按(kj158)を承け、天災は人力で防ぎ切れずとも治水は人力の及ぶところとする現実的な区分を説く。「物以て勝るべき無し」の一句を「人間の努力を妨げるものはない」と読み替へる点に、小林独自の敷衍の特色がある。
神治章 百六十仁徳天皇の実行とその成果 ── 恩徳の広がり底本 下巻 百八十一〜百八十二頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
此の點を仁德天皇がよくお考へになつて、人民の生活を裕かにしようから川を開いたり或は堤を築いたりして、人民の害を防ぐといふことをお計ひになつたのであります。それですから人民は皆其の御仁德に懷いて、子が親を慕ふ如くに喜んで集まつて來て、さうして或は運河を造つたり、或は堤を築いたりしました。それで神もこれをお佑けになつたと見えて、何れも成功したのであります。是れより崖の崩れることもなく、水源の涸れることもなく、また泥が溜つて往來の妨げをするといふこともなく、『畛域』といふのは村や町の境でありますが、其の境もよく立つて混亂を來すといふこともなかつたのであります。斯ういふやうに凡てが宜しきに適ふやうになれば、固より人民は喜んで銘々の仕事に力を盡しますから、國は益々繁榮をして參つたのであります。これは全く天皇の御仁德の致す所でありまして、此の御德は洵に洪大なものと申さなければならないのであります。是れより後も歴代の天皇は皆此の恩召に基きまして、水利が充分に便利になるやうに力をお盡しになりましたので、百姓は裕かになりまして、凶年の患ひもなくなつたのであります。また其の上に仁德天皇は橋をお造りになつたり、道の修繕をなさつたりして、人民に利益を與へるといふこともたびたびなさつて居ります。それから氷室といふものを作る制度なども改革をなさつて、人民の實生活といふものを少しも離れないで政治をなさつたものでありますから、御一代に於て幾多の立派な御事業が興されて、これが後世にまで傳はつて居るのであります。神武天皇は『乾靈國を授くるの德に答へる』所以として、此の國を安らかにすることが、天照大神が此の國を皇孫にお授けになつた御趣意を全うする途であると仰せられましたが、其の思召が仁德天皇に至つては事實の上に一々現はれたのでありまして、本當に人の上に立つ方のお手本として、後世にまでも永く仰がれなければならない御事蹟と申すべきであります。
解説
原文には對應する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。神武天皇の「乾靈國を授くるの德に答ふ」(その一・天先章で扱つた語)を仁德天皇の代の事蹟と結びつけ、建國の理念が具体的な治水事業として結実したと位置づける。この構成は、素行の『中朝事實』全体を貫く「理念は必ず事実として現れる」という考へ方を象徴する。
神治章 百六十一耶律楚材の言葉 ── 害を除くことの尊さ、その十九の結び底本 下巻 百八十二〜百八十三頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
これが民の害を除くといふことに就いての事實でありますが、利を興すのは害を除かなければならないので、支那の元時代の耶律楚材といふ賢人も『一利を興すは一害を除くに如かず』といふことを申して居ります。害を除かずして利を興さうとしても、其の利を興すといふ目的は決して達せられないのであります。ところが害を除くといふことは骨が折れて割合に目立たないことでありますが、新しく仕事を興すと直ぐに人の注意を惹くのであります。それであるから考への淺い者は害を除くことを主にしないで、利を興すことに力を入れるので、利を興さうとしても利を興す目的が達せられないのであります。これは何事に付けてもよく考へなければならぬことであります。新しく事を興して自分の名を揚げようといふやうな野心を捨てて、實際役に立つやうに、實際國が繁榮する力となるやうに專ら意を用ひるといふことが、政治に與かる者は勿論でありますが、凡ての人の共に心得なければならない所の大切なる條件と考へられるのであります。以上、仁德天皇の治水の御事蹟を以て、その十九の結びと致します。次の冊その二十は、底本下巻百八十三頁からの「天照太神、天邑君を定む」及び成務天皇の国郡造長・県邑稲置の制──地方を治める長官を置くことを主題とする新たな話題より始める見込みであります。
解説
耶律楚材は金・元に仕へた契丹族の政治家で、モンゴル帝国の中国統治の基礎を築いた人物として知られる。「興一利不若除一害」の語は『元史』などに伝はる故事に基づく。素行がこの異朝の言葉を引いて日本の事蹟を補強する手法は、この読本シリーズが繰り返し示す「国や時代を問はず、優れた政治の理は同一である」といふ視点の一例である。