神知章 二百十一成務帝、国郡の司を擇ぶ ── 守令は民の師帥なり底本 下巻 二百五十五〜二百五十九頁
原文
成務帝四年春二月丙寅朔、詔曰、自今以後、令國郡立長、縣邑置首、即取當國之幹了者、任其國郡之首長、是爲中區之藩屏、
先人曰、國司者當一方之重寄、察百姓之寒苦、庸才之企不可望所也、故昔者置格例、以勘治否、合格者賞禄、違格者黜、白河院七箇國之受領、皆歷勘而後參議、合格之吏公文拜參議、又曰、七箇國之受領、皆經格而後拜、
謹按、是擇國郡之司也、蓋人君者、民之父母也、以分言之、如天壤、以情言之、如心體之相愛、故守縣令者、民之師帥也、承流而宣化者也、
訓読
成務帝の四年春二月丙寅の朔、詔して曰はく、今より以後、國郡をして長を立て、縣邑に首を置かしめ、即ち當國の幹了の者を取りて、その國郡の首長に任ぜよ。是れ中區の藩屏と爲すと。
先人曰く、國司は一方の重き寄せに當り、百姓の寒苦を察す。庸才の企て望むべき所にあらず。故に昔は格例を置きて、以て治否を勘へ、格に合ふ者は賞禄し、格に違ふ者は黜く。白河院の七箇國の受領は、皆歷勘して而して後に參議す。
謹みて按ずるに、是れ國郡の司を擇ぶなり。蓋し人君は、民の父母なり。分を以てこれを言へば、天壤の如し。情を以てこれを言へば、心と體との相愛するが如し。故に守・縣令は、民の師帥なり。流を承けて化を宣ぶる者なり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
成務天皇の四年二月に、国郡に長官を置き県邑に首長を置くといふことが詔に依つて定められました。これは前にも一度出て居りましたから、其処と比べ合はせて見れば一層よく解ると思ひます。それで此の人々は中央から派遣しないで、其の土地の大いに役に立ち、また人望のある者を其の官に任じたのであります。勿論其の任命は中央よりしてするのでありますが、各地方の有力な者がさういふ任務に就いて居れば、其の地方の実情にもよく通じた事でありますから、此等の多勢の人の力が『中区』卽ち天子のいらしやる国都の藩屏となつて、卽ち中央の政治を輔けて、国の全体がよく治まる訳であります。此の御趣意は実に当時の民情に適切なものであつたと思はれるのであります。地方官といふものが其の地方の事情に通じて居なければ、適当な政治を行ふとか、適当な設備を立てるといふことの出来るものではありませぬから、それで其の土地の勝れた者を選んで、中央よりしてこれを任命するといふのは、其の成績を挙げる上に於て、極めて適切な仕方と謂はなければならないのであります。つつしんで考へてみますと、これが国郡の司を選ぶといふことであります。思ふに人君は、民の父母であります。分を以て言へば、天と地ほどの隔たりがあります。情を以て言へば、心と体とが互ひに愛し合ふやうなものであります。それであるから守や県令は、民の師であり帥であります。上からの流れを承けて教化を述べ広める者であります。
解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』七・知人章十二「國郡の司を擇ぶ ── 守令は民の師帥なり」に依る(原文は同書の校訂に従ひ、対応する現代語訳を欠く末尾の一句「若不守師帥、則郡縣不擧其職罰、以正其課賞罰、而後嚴矣」は、全集版でも訓読・現代語訳が付されてゐないため、この読本でも収めなかつた)。成務天皇四年の詔は神治章にも既に引かれた記事だが、そこでは制度の整備に重心があつたのに対し、ここでは「守令は民の師帥なり」――教化を担ふ存在として読み直される。
神知章 二百十二各地方の選良 ── 地方長官の任期の弊底本 下巻 二百五十六〜二百五十七頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
尤も其の頃とは制度が違ひますから、今では地方から人を採るといふことも出来ないかも知れませぬけれども、せめては一年二年で転任させることをせぬやうにしなければならぬでせう。兎に角土地の事情がよく解らなければ、好い成績は挙げられないものであるといふことを忘れないやうにして行くのが、実際国家の発展の為に最も肝要なことと申さなければならないのであります。今の府県知事などは中央から任命されて他所に赴任するのですが、其の弊を言ふと、其の地方の事情を全く知らないといふ点にあると思はれるのであります。不意に何々の知事とかいふやうなものに任命されて行くので、其の土地の様子が解らないのだから、其処に行つて其の管内を一通り視て歩くのに半年や一年はかかる。それで少し解つた頃にはまた他に転任するといふことが多いが、これでは其の土地に適当な設備の出来やう筈はない。どんな賢人のやうな者をやつた所が成績の挙るものではない。中には随分凡庸な者もあるのであるから、なかなか一年や二年で適当な設備などの出来やう訳はないのであります。斯ういふ点から考へますと、やはり其の土地に於ける勝れた人物を採るといふ此の御趣意は、実に後世に於ても尊んで宜いことと思はれるのであります。
解説
原文には對應する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。素行の時代からさらに下つた「今の府県知事」への言及があり、中央から短期間で異動する地方官の弊害を、成務天皇の地方統治の御精神と対比して説く。地方行政論としての現代性を強く意識した一節である。
神知章 二百十三治政の要き所以 ── 格制による考課底本 下巻 二百五十七〜二百五十八頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
また之に就いて昔の人々の御意見もここに併せて出て居りますが、其の意見に依れば、国司といふやうな者は一方の大切な重任を負うて居る者であるから、多勢の人民の苦しみを察して政治を行ふといふ心掛けでなければならない。それであるから『庸才の者』卽ち才能のない、物事のよく判らない者が国司などといふやうな地位に就いても、其の職責を全うすることの出来るものではありませぬ。それであるから昔から『格制を設け』といふのは、其の成績を調べる途を立て、其の地方をよく治めることが出来たか、或は成績が挙らなかつたかといふことをよく調べて、『合格の者』卽ち其の責任を充分に果し得た者は賞を受けるし、『違格の者』卽ち其の責任を満足に果し得なかつた者は退けられて、其の職を免ぜられるといふやうなことになつて居りました。何でも年限に依つて上げるといふやうなことでは、其の責任を全うせしむることの出来る訳ではないので、斯ういふやうな制度があつたといふことは、国民の為に大変幸ひなことと申さなければならないのであります。また昔の制度に依りますと、七箇国の国司をだんだん経て来て、『合格』卽ち成績が好いといふやうな者は、非常に才能の勝れた者でありますから、其の成績を勘へ合せて、今度は中央に引挙げて参議に任ずるといふ制度も立つて居つたといふのであります。参議は一国の大臣を輔けて国政の大切な事を執り行ふ者でありますが、七箇国も地方を経て来ると、モウ二十年間も地方を歩いて居るのでありますから、たゞ才能があるばかりでなく、民間の事情にも精通して居る人でありますから、斯ういふ人が参議に拝して、始終中央にばかり居て地方の様子の解らない人達に、自分の経験したことを述べて、適当な政治を行ふ所の参考に供するといふことは、実に好いことであります。斯くして初めて下の実情も上に通じ、また上の思召を篤く下に伝へるといふことに就いても、遺憾なきを得る訳であります。尚ほ白河院の仰せには、七箇国も国司の任を経て来た者は大概役に立つけれども、併しそれも才に依るので、たゞ経験年数だけを重んじてはいかぬと斯う仰せられてあります。これは実に国民の為めをお図りになりました所の有難い思召と申さなければならないのであります。
解説
原文には對應する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。「格制」による考課――合格者は賞禄を、違格者は黜けるという制度は、単なる年功ではなく実績に基づく人事評価の古い先例として説かれる。白河院期の受領人事への言及は、kj211の謹按で既に引かれた典拠を、より具体的に敷衍したものである。
神知章 二百十四民の父母 ── 深宮に居りても誠を求む底本 下巻 二百五十九〜二百六十頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
素行が更に自分の意見を付け加へて申しますのには、此の成務天皇の御時に、国にも邑にも長官を置くに就いて其の人物を選ばれたといふことがあるのでありますが、これは後世のお手本として仰ぐべきことと申さなければならないのであります。何故ならば人君たる者は民の父母である。卽ち親が子を思ふやうな心持を以て一般人民を愛しんで、一般人民の幸福になる為に心を用ひられるといふことが、上に立つ方の最も肝要な点であります。それであるから、其の身分を以て言へば、一国の天子と一般の人民とでは天地ほどの差がありますけれども、其の心が通ひ合はなければならないといふ点から考へれば、人間の身体の手足や腸や、心臓などにみな血が通ひ合つて居て、さうして何時でも相助けて行くと同じことでなければならない。決して離れ離れになつて居てはならない。それであるから『深宮の内に居り』卽ち御所の奥深い所にいらしつて、凡ての人の上に居られ、一般人民とはマルで段が違つて、雲の上と謂はれる位な高い地位にいらしつても、常に『誠に之を求むる』といふ御心持で、誠心を以て民間の様子をよく知つて、其の幸福になるやうに力を尽してやらうと思召すのであります。此の御趣意から言へば、地方の『守令』卽ち地方官といふやうな者を選ぶのは、決して粗末には出来ない筈であります。何故ならば、直接一般人民に接するのは地方の長官でありますから、此の長官に其の人を得なければ人民が幸福にならぬといふことは明かなことでありまして、此の点に殊に注意を用ひなければならない訳であります。若しこの地方の長官の選び方が一たび間違つて来れば、国中の一般人民が悉く其の災ひを蒙むるのでありますから、民の父母となるといふ御心持から斯ういふことが忽せにされる筈はないのであります。それですから一国の君主たる方は特に此の地方官の選任といふことに意を用ひられるのであります。それ故に往古に於て、卽ち今此処に挙げられた成務天皇の頃から此の御精神で地方官を選ばれたのであります。後世になつてもこの御精神に基いて年限を定めて、或は四年とか或は五年とかを任期とし、其の任期中の成績をよく調べて、これに対して賞罰を明かにし、其の成績の挙つて居る者は更に高い地位に進め、其の成績の挙らない者は其の職を免ずるといふやうにして行つて、此の制度といふものが厳粛に守られて来た訳であります。
解説
原文には對應する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。「民の父母」という身分と、「心体の相愛」という情――分と情という二重の論理で、天子と民との隔たりと親密さを同時に説く点が、この段の眼目である。地方官の選任がそのまま民の幸不幸を決するという指摘は、次段(kj215)の教化論へとつながる。
神知章 二百十五教化の大任(その五の結び)底本 下巻 二百六十〜二百六十二頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
斯ういふことは多くの支那の学者なども言つて居ります。例へば郡守県令といふやうな者は人民を率ゐて行く者であるから、此の郡守県令の考へが一般人民の間に承け伝へられ、さうして『宣化せしむる』――其の感化を蒙つて、皆同じ心持になつて銘々の業を励むやうに、これを導いて行く事が大切である。若し此の任務を果さなければ、郡守たり県令たる所の職に居つても、何の役にも立たない訳であります。それであるから此の人民を率ゐる所の者が勝れた者でなければ、天子の御趣意といふものも下に達しないし、其の恩沢といふものも普く下に及ばない訳になるのであります。卽ち一国の君主と人民との間に立つて、上の御趣意をよく下に伝へ、また下の事情を委さに上に申上げて、さうして一国が一家の如くになるやうに努むるのが其の務めなので、此の郡守県令といふやうな人々が本当に其の責任を果す人でなければ国は安らかにならぬのであります。素行の考へに依れば、教化といふことが地方の長官の最も大切なる任務である。それで郡守県令といふ者は、民間の物を取立てて上にお取次ぎするといふやうなことを、主として居てはならぬ。どうしても徳教を以て人民に感化を与へ、人民の気風を正しくして、皆がそれぞれの仕事をするのに満足の念を以てするといふやうに導いて行かなければ、国政を預かる者の責任を全うしたものとは謂へないのであります。勿論毎日の事務といふものも大切であるから『財賦を督し』卽ち地方の事業などをよく監督して租税を取立てるとか、或は『詞訟を理める』――民間から訴へ出た者があれば、其の訴へに対して公平なる判決をするといふことが其の公務である。併しさういふ事務をして居る間に於て、出来るだけ民間の者に善き教へを与へて、さうして皆の風俗を正しくし、人情を厚くするといふやうに努めて行けば、其の感化といふものが自ら一般に及ぶのであります。さうして一般の気風といふものも正しくなり、毎日出来るだけ善い事をしよう、国の為に尽さうといふ気分が盛んになつて参りますれば、風俗も自ら善い方に変つて行くし、皆情に厚くして、父子兄弟夫婦の仲も実に睦まじくなつて互ひに助け合ひ、お互ひに救ひ合つて、それぞれの業務を完全に営むやうになるのであります。これだけの事が出来て、初めて此の郡守県令たる者は実に勝れた人である、其の任務を疎かにしない者であるといふことが謂へるのであります。たゞ一通りの事務を執つて規則通りのことをやつて居るといふのでは、其の郡守県令たる所の任務を全うした者とは謂へないので、地方の長官たる者は、常に此の点に深く意を用ひなければならぬ訳であります。これが先づ地方の長官を任ずるに就いての根本の心得を明かにしたものであります。
解説
原文には對應する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。「財賦を督し、詞訟を理める」だけでは足りない――日々の実務を果たしながら、その合間に教化を及ぼしてこそ郡守県令の任務が全うされるという指摘は、現代の行政官にも通じる。ここでその五の一区切りとする。次のその六では、応神天皇の御代、武内宿禰が弟の甘美内宿禰に讒言される事件(全集版cj13「讒言 ── 武内宿禰と甘美内宿禰」)へと講義が進む。