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中朝事實 小林一郎 講義 五十九(神知章 その六)

山鹿素行 原著 小林一郎 講述 ── 讒言、良臣と姦臣と相對し君子と小人と相敵す 原文・訓読・講義・補注の四層

この読本について

小林一郎 講義本『中朝事實』の第五十九冊。神知章その六(底本 下巻 二百六十三〜二百七十六頁)。その五の結び(地方長官の教化の大任)を承け、応神天皇の御代、忠臣武内宿禰が弟甘美内宿禰の讒言によつて殺されかけた事件へと進みます。

この冊の読みどころ(一)。武内宿禰が筑紫を監察してゐる留守に、弟の甘美内宿禰が「兄は天下を望んでゐる」と天皇に讒言し、天皇は使者を遣はして武内宿禰を殺させようとします(kj216)。壹伎直の祖眞根子が身代はりとなつて自刃し(kj217)、武内宿禰は辛くも朝廷に達して弁明、最後は探湯(くかたち)の神判によつて是非が決せられます(kj218)。

この冊の読みどころ(二)。この事件を承けた謹按「良臣と姦臣と相對し、君子と小人と相敵す」(kj219、全集版cj14)は、姦臣は世に絶えることがなく、その遠因は君主が明らかであるか否かにあるという、本章全体を貫く主題を提示します。武内宿禰ほどの人物でも讒言に遭ふという事実が、いかに「人を知る」ことが困難であるかを物語ります(kj220)。

この冊の読みどころ(三)。小林一郎は素行の感慨として、赤穂配流中にこの書を執筆した素行自身の境遇を重ね合はせ、狭穂彦王・平群鮪鳥・刺領巾・眉輪王・根使主・大伴金村など、日本史上の姦臣・讒言の例を挙げます(kj221、その六の結び)。次のその七では、上世は姦臣ありといへども君主が明らかであればその害を免れるといふ一段(全集版cj15)へと講義が進みます。

四層の構成。kj220〜kj221は小林の講義による敷衍のため、「原文」「訓読」欄には対応する漢文がない旨を記し、「現代語訳」欄に小林一郎の講義そのものを現代表記に直して収めています。「解説」は新たに書き加へた補注です。

翻刻について。底本は小林一郎講述『中朝事實』下(皇國精神講座、影印)です。旧字・旧仮名の原本からの文字起こしで、なお誤りが残ってゐる可能性があります。この冊のkj216〜kj219の原文・訓読は、山鹿素行全集版『中朝事實』七(知人章 十三・十四)の校訂に依拠しました。

色分けの凡例

『日本書紀』(本文・一書)本朝の古典(古語拾遺・舊事本紀・元々集ほか)漢籍(易・書・詩・論語・孟子ほか)制度・地理・故事

主要語彙集

讒言(ざんげん)
事実を曲げて人を悪く告げ口すること。本章の中心事件。
探湯(くかたち)
盟神探湯。熱湯に手を入れさせ、正しい者は火傷せず、偽りある者は火傷するとされた神判の法。
丹心(たんしん)
偽りのない真心。赤心に同じ。
良臣(りやうしん)
忠実に国家に尽くす臣。対義語は姦臣。
姦臣(かんしん)
私心を以て君を欺き、国家を害する臣。良臣と常に相対して存在するとされる。

登場する神・人物

武内宿禰(たけうちのすくね)
景行・成務・仲哀・応神・仁徳ほか歴代の天皇に仕へたと伝へられる大臣。神知章その四に続きこの冊でも中心人物となる。
甘美内宿禰(うましうちのすくね)
武内宿禰の弟。兄を廃さうとして天皇に讒言し、探湯によつて偽りが明らかとなつた。
眞根子(まねこ)
壹伎直の祖。姿形が武内宿禰に似てゐたことから、身代はりとなつて自刃した。
小林一郎(こばやしいちろう)
一八七六〜一九四四。漢学者・国文学者。二松学舎に学ぶ。『皇國精神講座』を主宰し、『中朝事實』のほか多くの古典を講義した。この読本の講義部分の著者。
山鹿素行(やまがそこう)
一六二二〜一六八五。『中朝事實』の著者。この冊の原文も素行自身の筆による。赤穂配流中にこの書を著した。

神知章 二百十六讒言(一)── 甘美内宿禰の讒、天皇の殺害命令、武内宿禰の歎き底本 下巻 二百六十三頁
原文
應神帝九年夏四月、遣武內宿禰於筑紫、以監察百姓、時武內宿禰弟甘美內宿禰、欲廢兄、即讒言于天皇曰、武內宿禰常有望天下之情、今聞在筑紫而密謀之曰、獨裂筑紫、招三韓、令朝於己、遂有天下、於是天皇則遣使、以令殺武內宿禰、時武內宿禰歎曰、吾元無貳心、以忠事君、今何禍矣、無罪而死耶、

訓読
應神帝おうじんてい九年くねんなつ四月しぐわつ武內宿禰たけうちのすくね筑紫つくしつかはして、もつ百姓ひやくせい監察かんさつせしむ。とき武內宿禰たけうちのすくねおとうと甘美內宿禰うましうちのすくねあにはいせんとほつして、すなは天皇すめらみこと讒言ざんげんしてまうさく、武內宿禰たけうちのすくねつね天下てんかのぞむのこころあり。いまく、筑紫つくしりてひそかにこれをはかりてはく、ひと筑紫つくしき、三韓さんかんまねきて、おのれてうせしめ、つひ天下てんかたもたんとすと。ここにいて天皇すめらみことすなは使つかひつかはして、もつ武內宿禰たけうちのすくねころさしむ。とき武內宿禰たけうちのすくねなげきていはく、もと貳心ふたごころなく、ちうもつきみつかふ。いまなんわざはひぞや、つみなくしてせんやと。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
応神天皇の九年夏四月に、武内宿禰を筑紫に遣はして、筑紫地方の人民の様子を詳しく視察させられました。此の武内宿禰が筑紫に行つた留守に、其の弟の甘美内宿禰といふ者が天皇に讒言を致しました。元来これは心の曲つた者でありまして、何時も兄の武内宿禰が人望もあり、また君主の御信任も厚いといふことを妬んで居りましたから、此の機会に兄を陥れて自分の勢力を伸ばさうといふ考へで、天皇に讒言したのであります。其の讒言の趣意といふのは、詰り武内宿禰は謀叛を企ててゐる、自分が天下を取らうといふ心持である、自分は神功皇后をお輔け申して三韓征伐に大功があつて、一般人民も深く心服して居るのであるから、今般筑紫に行つてゐるのを幸ひに、独り筑紫を割いて三韓を招き、己に朝せしめ、遂には天下を有たうといふ企てを立てゝ居る様子であると、斯ういふことを申して讒言を致しました。そこで天皇は、さうなつては国の一大事であるといふので、使ひを遣はして武内宿禰を殺すことを命ぜられました。此の事を聞いて武内宿禰は非常に嘆きまして、自分は決して二心はない、独立するどころの騒ぎではない、常に誠心を以て朝廷の御為めをのみ考へて居る、終始一貫忠義を以て君に事へて居るのである、どうして罪もなくして殺されるといふことになつたのであらうかと、自分の誠心の貫徹されないことを非常に歎いたのであります。

解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』七・知人章十三「讒言 ── 武内宿禰と甘美内宿禰」の冒頭部分に依る(全集版のcj13は一段が長大なため、この読本ではkj216〜kj218の三段に分けた)。神知章その四で「棟梁の臣」「大臣」として讃へられた武内宿禰その人が、実弟の讒言によつて命を失ひかける――「人を知る」ことの困難を、これ以上ないほど生々しく示す事件である。

神知章 二百十七讒言(二)── 眞根子の登場、身代はりの自刃底本 下巻 二百六十三〜二百六十六頁
原文
於是有壹伎直祖眞根子者、其爲人能似武內宿禰之形、獨惜武內宿禰無罪而空死、便語武內宿禰曰、今大臣以忠事君、既無黑心、天下共知、願密避而參赴于朝、親辨無罪、而後死不晚也、且時人毎云、僕形似大臣、故今我代大臣而死之、以明大臣之丹心、則伏劒自死焉、

訓読
ここにいて壹伎直いきのあたひおや眞根子まねこといふものあり。そのひと武內宿禰たけうちのすくねかたちたり。ひと武內宿禰たけうちのすくねつみなくしてむなしくするをしみ、便すなは武內宿禰たけうちのすくねかたりていはく、いま大臣おほおみちうもつきみつかへ、すで黑心きたなきこころなきこと、天下てんかともれり。ねがはくはひそかけててう參赴まゐり、みづかつみなきをべんじて、しかしてのちするもおそからじ。ときひとつねふ、やつがれかたち大臣おほおみたりと。ゆゑいま大臣おほおみかはりてし、もつ大臣おほおみ丹心たんしんあきらかにせんと。すなはつるぎしてみづかせり。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
其の時に壹伎直の祖の眞根子といふ者がありまして、此の眞根子といふ人は姿形が能く武内宿禰に似て居りましたので、自ら武内宿禰の身代りにならうといふ心を起したのであります。これは非常に心の真つ直ぐな人であつたと見えまして、武内宿禰が罪もなくして死ぬといふことは実に惜しいと感じたものでありますから、それで武内宿禰に向つて申しますには、あなたは忠義を以て君に事へて居て、決して己れの私を計らうなどといふやうな心持のないことは、天下の者が皆知つて居る。それであるから此の疑ひが掛かつたといふことは、一時の間違ひであらう。天子様でもいつまでもあなたを疑つていらつしやることはあるまい。事情が判りさへすれば、必ずお疑ひは晴れるに相違ない。就いてはひそかに此処を逃れて、朝廷に参つて御自身で天皇に拝謁を願ひ、御自分に罪のないことを御弁明なさるがよからう。それでもお赦しがなければ、君主の命に背く訳には行かないから死んでも宜しいが、今此処で死んでは犬死である。出来るだけの手を尽して罪のないことを明かにして、それでも御聴きがなかつたならば死ぬといふのが、先づ当然の処置であらうと思ふ。ところが今朝廷からお使ひがあつたといふことであるから、其のお使ひの伝へられた御趣意を其の儘にする訳には行かない。幸ひにして世の人が私の顔つきは大臣によく似て居るといふことを申すから、私があなたに代つて死んで、あなたの誠心を明かにする為めのお力になりませうと、斯う申して自分で剣を抜いて自殺を致しました。

解説
全集版cj13の中段に依る。眞根子は、忠臣の身代はりとなつて自刃するという劇的な行動によつて、武内宿禰を救ふ端緒を開く。「僕が形は大臣に似たり」――ただ姿形が似てゐるといふ偶然に、忠義の心が重なつたとき、これほどの犠牲が生まれる。次段(kj218)で武内宿禰自身が帰朝し、探湯によつて是非が決せられる。

神知章 二百十八讒言(三)── 武内宿禰の弁明、探湯の神判底本 下巻 二百六十六〜二百六十八頁
原文
時武內宿禰獨大悲之、竊避筑紫、浮海以從南海廻之、泊於紀水門、僅得達朝、乃辨無罪、天皇則推問武內宿禰與甘美內宿禰、於是二人各堅執而爭之、是非難決、天皇勅之、令請神祇探湯、是以武內宿禰與甘美內宿禰共出于磯城川濱、以探湯、武內宿禰勝之、便執橫刀、以蹴倒甘美內宿禰、遂欲殺、天皇勅之令釋、仍賜紀直等祖也、

訓読
とき武內宿禰たけうちのすくねひとおほいにこれをかなしみ、ひそか筑紫つくしけ、うみかびてもつ南海なんかいよりめぐり、水門みなととまりて、わづかてうたつすることをたり。すなはつみなきをべんず。天皇すめらみことすなは武內宿禰たけうちのすくね甘美內宿禰うましうちのすくねとを推問すゐもんしたまふ。ここにいて二人ににんおのおのかたりてこれをあらそふ。是非ぜひけつがたし。天皇すめらみことこれにちよくして、神祇じんぎひて探湯くかたちせしむ。ここをもつ武內宿禰たけうちのすくね甘美內宿禰うましうちのすくねとも磯城川しきがははまでて、もつ探湯くかたちす。武內宿禰たけうちのすくねこれにつ。便すなは橫刀たちりて、もつ甘美內宿禰うましうちのすくねたふし、つひころさんとほつす。天皇すめらみことこれにちよくしてゆるさしめ、りて紀直きのあたひおやたまふなり。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
武内宿禰は非常に其の厚意に感謝すると共に、またこんな親切な人を自分の為めに死なせたのは実に残念なことであるといつて深く之を悲しみました。併し自分は何も一身の命を惜しむ訳ではないけれども、国の為めに力を尽したいといふ心持であるから、無実の罪で死にたくはないと思うて、直ぐに筑紫を去つて船に乗つて、南の方を廻つて紀伊の海岸に上陸し、其処から陸路を経て大和に参りまして、天皇に拝謁を願ひ、自分は決して独立の野心などはない、常に国の為め、また君の為めに力を尽すといふこと以外には何も考へては居ないといふことを詳しく弁解致しました。そこで天皇は武内宿禰の誠心のある所をお察しになりましたけれども、併し其の弟の甘美内宿禰といふ者が、武内宿禰が独立を企てゝ居るといふことを申上げたのでありますから、此の二人を対決させようといふお考へで、甘美内宿禰を呼出して、武内宿禰と二人に対決させた所が、二人とも相譲らず、武内宿禰は何処までも自分はさういふ野心はないと言ふし、甘美内宿禰はイヤ何と言つても野心があるのだといふことを言ひ張つて、どちらの言ふことが正しいか決定が出来なかつた。そこで天皇は、武内宿禰兄弟のことはモウ神様の御判断に任せるより外はない、昔から盟神探湯といふことがある、熱い湯の中に手を入れて神の御判断を求めるので、正しく偽りがなければどんな熱い湯でも手は爛れない、心に疚しいことがあれば忽ちに手が爛れてしまふ、卽ちこれが人の心の正邪を定める道であるといふので、昔から斯ういふ式があるから、此の度も探湯をするより外はないといふことを仰せられましたので、武内宿禰と甘美内宿禰とが磯城の川の畔りに出て、神に祈つて自分の誠心を神様が照らして下さるやうにといふことを願ひまして、二人とも熱湯の中に手を入れました所が、武内宿禰の方は少しも手が爛れないが、甘美内宿禰の方は忽ちにして手が爛れてしまつたので、これは偽りを構へた者であるといふことが明かになりました。そこで武内宿禰は、これは怪しからぬ奴だ、弟として兄を陥れて兄の勢力を奪ひ自分が権勢を握らうなどといふことは天下の害をなす者であるといふので、刀を抜いてこれを殺さうとしたのでありますが、併しもともと兄弟のことであるから、命を取るまでのことをしないでも宜しからう、過ちを悔いたならば赦して、また世の中の為めに働いて、其の功を以て罪を償はせるより外はないといふので、天皇が勅してこれを赦されました。それから紀伊直の祖である眞根子は、武内宿禰に代つて死んで、国家の功臣を救うたのでありますから、其の遺族に朝廷から特に恩賞を賜はりまして、これで万事が落着したのであります。武内宿禰ほどの人物で、またこれほどに国家に功労のある人でも、讒言に遇ふことは斯ういふ通りでありますから、上に立つ人は余ほど政を用ひて人を用ふることに力を尽すと共に、其の人物の性質といふものを見極める上に於て特に意を用ひなければならぬといふことが、此の事実に依つて教訓として後世に遺されて居るのであります。

解説
全集版cj13の後半に依る。忠臣を弟の讒言から救つたのは、武内宿禰の弁明そのものよりも、眞根子の身代はりと、最後は探湯という神判であつた――人の理を尽くしても及ばぬところを神慮に託すほかなかつたといふ事実に、素行がこの事件を重んじた理由がある。次段(kj219)の謹按は、この事件全体を承けて「良臣と姦臣と相對し、君子と小人と相敵す」という本章の主題を提示する。

神知章 二百十九謹按 ── 良臣と姦臣と相對し、君子と小人と相敵す底本 下巻 二百六十九頁
原文
謹按、蓋姦讒之行、未嘗無其所因、良臣與姦臣相對、君子與小人相敵、未嘗不有其因、故何世無姦臣乎、蓋姦人之行、未嘗無其所因、今其遠因所在、乃在人君之明不明也、

訓読
つつしみてあんずるに、けだ姦讒かんざんおこなはるるは、いまかつてそのるところなくんばあらず。良臣りやうしん姦臣かんしんあひたいし、君子くんし小人せうじんあひてきす。いまかつてそのいんあらずんばあらず。ゆゑいづれのにか姦臣かんしんなからんや。けだ姦人かんじんおこなひ、いまかつてそのるところなくんばあらず。いまその遠因ゑんいんるところは、すなは人君じんくんあきらかなるとあきらかならざるとにるなり。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
猶ほ此の事に就いて素行が自分の意見を附け加へて申しますには、本当に国家の為めに心を尽して居る臣下と、また国家の安危などは考へないで自分の私ばかりを図つて居る臣下といふものは、何時の世にも相対して居るもので、一方は君子であり一方は小人であつて、君子と小人とが互ひに敵となるといふことは免れない所である。それであるから何時の時代でも姦臣といふものがない訳ではない。たゞ上に在る方がよくこれを察して、姦臣をして其の志を得せしめないやうになさるといふことが最も肝要なのであります。併しさういふ悪い者が讒言をするといふのでは、何か拠りどころがあるので、只中にさういふことを言つても、決して上に立つ方が信ぜられるものではないのでありますから、上の隙間を窺つて、上の乗ずべき隙に乗じて讒言をするのであります。今の武内宿禰の場合も、武内宿禰が始終君主のお側に居れば讒言を入れる隙はなかつたのでありますけれども、筑紫に行つて中央を遠ざかつたといふのが此の讒言の起る機会でありまして、其の機会に乗じて甘美内宿禰といふ者が君主の御心を迷はせて、君主の耳目を塞ぐといふやうな御分別を晦まし、彼は洵に狡猾な、洵に不誠実な性質であるが、言葉は如何にも巧みであつて、兄の讒言をしたのであります。それも他人が讒言をしたのならば君主たる方も容易にはお信じにならなかつたでありませうけれども、彼は親戚であつて、しかも武内宿禰の弟である。弟といふものは内輪のことをよく知つて居る筈で、其の弟の言ふことであるから間違ひもなからうといふことで、つひ応神天皇もこれをお信じになつて、武内宿禰を殺さうとまで御決定になつた。これは一時の御過ちであつたけれども、前後の事情から考へて見れば、斯ういふ過ちが起つたのも已むを得ないことであります。

解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』七・知人章十四「良臣と姦臣と相對し、君子と小人と相敵す」に依る(原文は同書の校訂に従つた。ただし同書のcj14spanには「今其遠之辨、仍似無罪、天皇則推問武內宿禰與甘美內宿禰、於是二人各堅執而爭之、是非難決、天皇勅之、令請神祇探湯」というkj218の記事と重複する一句が挿まれてゐるが、対応する訓読・現代語訳を欠き、文意も前後と繋がらないため、この読本ではこの一句を収めなかつた)。「何れの世にか姦臣なからんや」――姦臣を根絶やしにすることはできない。素行はそう認めたうえで、責任の所在を移す。「其の遠因の在るところは、乃ち人君の明らかなると明らかならざるとに在るなり」。讒言が通るかどうかは讒言する者の巧拙ではなく、聞く側が明らかかどうかで決まる、といふ本章全体を貫く主題がここに示される。なほ影印には、この謹按に続けて狭穂彦王などの史例を含むさらに長い一段が見えるが、全集版のcj14spanはその要旨に当る部分のみを収めてをり、史例そのものは全集版には見当たらない。この読本では、その史例を小林一郎の講義に従つてkj221の敷衍段で扱ふこととした。

神知章 二百二十武内宿禰の卓越、恐ろしき讒言の力底本 下巻 二百七十〜二百七十三頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
一体武内宿禰といふ人は六代の天子に事へて、此の六代の天子をお輔け申して、其の言葉に言ふことも、また其の行ひに現はれた所も、凡ての人の手本となるやうな立派なことばかりであつた。さうして大変に年も取つて居つて、国家の老臣と謂ふべきものであり、また世を閲することも非常に久しく、何にしろ六代のことでありますから、世の中のことはスツカリ知つて居る。其の経歴から言つても実に比類がなく、先代からの政治の執り方、また法律の定め方もよく知つて居るし、久しい間に世の中がどうして盛んになつたか、どんなに変遷をしたかといふことも皆委しく知つて居る。また文武の道のことでも、また武力を以て外国を征するといふやうなことでも、悉く其の局に当つて居つて、其の当時の様子、それからどういふ事を新しく興したか、またはどういふことを廃めたかといふ、此の世の中のいろいろな施設の変遷といふことも皆知つて居る。たゞ知つて居るばかりでなく、それを皆実行して自分が国家の大事に与つて居るのである。それであるから其の見たり聞いたりしたことをハツキリ覚えて居るので、武内宿禰に聞きさへすれば六代の事蹟といふものは判る。また物事を計画するに就いても、今眼の前の事だけを見ないで、前からの事を調べて、古今に照らして間違ひのない計画を立てるといふことも出来るのでありまして、これは天下の人の共に仰ぎ見るべき所の、最も勝れた人物と申さなければならないのであります。これほどの人であるけれども、一朝弟の讒言に遇ふと命を危くするといふやうな所まで行つたので、実に此の讒言といふものは恐しいものであります。それであるから上に立つ方は此の讒言に誤られないやうに、常に意を用ひられるといふことが最も肝要なのであります。併し此の時に眞根子といふ者が居たといふことは、実に武内宿禰一人の幸ひだけではなく、真に国家の幸福なのであつた。これは何といふ尊い人であつたらうか。武内宿禰の忠心に感じて、これほどの人を讒言するとは怪しからぬことだといつて、大いに憤慨して、遂に自分の命を捨てゝ武内宿禰を救つたのでありますが、これは実に天が善人を佑くるものと申さなければならないのであります。若し此の時に武内宿禰が讒言に遇つて死んだならば、其の人の不幸ばかりではなく、国家が大いなる損害を受けなければならぬのでありますから、天が此の国をお護りになつて、斯ういふ眞根子のやうな人物が出たのだと考へなければならないのであります。それでもまだ応神天皇は武内宿禰の忠誠を信じ切るといふまでのお気になれないで、遂に盟神探湯といふことまでして、初めて彼の誠心がお解りになつたといふのであります。実に此の讒言といふことは恐ろしいものである。讒言の為めに物の道理といふものが狂つて、善いも悪いも判らなくなつてしまふのであつて、讒言の恐るべきことは此の一例を以てもよく解るのであります。

解説
原文には對應する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。武内宿禰の卓越――六代の天子に仕へた経歴の長さそのものが治政の知恵となるという評価と、「天又善人を佑くる」という眞根子への評価が、探湯という神判に至るまでの物語をつなぐ。「これほどの人物でも讒言には勝てない」という逆説が、次段(kj221)の史例へと展開する。

神知章 二百二十一素行の感慨、姦臣の史例(その六の結び)底本 下巻 二百七十三〜二百七十六頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
また臣下たる者が私を図るといふことも昔から沢山例があるのでありますが、斯ういふことも一朝一夕に出来ることはないのでありますから、さういふ災ひの起らぬ内に予め意を用ふるといふことが最も肝要なのであります。此処に挙げてありますいろいろな事蹟は、日本史に関係のある事柄でありますから、今更一々其の事蹟を明かにして説明をする必要は少しもないのでありますが、たゞうつかりすると斯ういふ事があるといふ実例として挙げられたものと見れば宜しいのであります。例へば垂仁天皇の御時に皇后の兄に当る所の狭穂彦王といふ者が謀叛を企んだことがあり、また武烈天皇が太子でいらしつた時に平群鮪鳥といふ者が勢力があつたので、これが武烈天皇の即位をお継ぎになるお妨げをして遂に誅戮されたといふこともある。或は刺領巾といふ者が王子を殺したとか、眉輪王が安康天皇を弑し奉つたとかいふやうなこともいろいろある。詳しい事を申すには及びませぬけれども、いづれも一朝一夕の事ではない。斯ういふ災ひの起らない内に予めこれを防ぐといふことに意を用ひなかつた為めの過ちと申さなければならないのであります。何れも初めから自分の私を図らうといふ心持があつて、其の計略が後に至つて事実に現れたのである。何事でも一朝一夕に起ることではない。例へば根使主といふ者が十四年も謀つて其の謀叛の計画が露はれて、さうして一家一族悉く誅戮を受けたのであります。斯ういふことも後世の者はよく考へなければならぬ。凡て事が大きくならぬ内に処置をすれば宜しいけれども、其の処置が出来ないと非常に大きなことになつて、其の災ひの及ぶ所が敗いのであります。例へば大伴金村といふ人は非常に忠義の心の深い人で、六代の天子に事へて国家に功労があつたのでありましたけれども、多勢の人間の讒言にあひ、これを憂へて自ら住吉の家に引込んで其の疑ひの晴れるのを待つて居つたといふ事蹟もあるのであります。これは素行が歴史上の事実を書くと共に、実は自らも感ずる所があつたのであらうと思はれます。卽ち素行は本当の孔子の道を明かにし、殊に日本の国体の勝れて居ることを明かにする為めに誠心を尽したにも拘らず、幕府の嫌疑に触れて、今此の書物を書く時には赤穂に流されて居て、其の配所に於て書いたのでありますから、どうも世の中に人を讒言するといふやうな者は絶えない、国の政治を執る者は余ほど此処に意を用ひて怠らなければならないといふことを心から感じまして、其の感じたことを此処に告白して居るものと見ても宜しいのであります。併し決して素行は情に激して間違つた議論をして居るのでも何でもないので、全く此処に言つて居る通りであります。人の上に立つ人は余ほど斯ういふ点に意を用ひなければ、多くの者が其の患ひを受けるのでありますから、注意の上にも注意をするといふことが肝要なことでありませう。以上を以て、良臣と姦臣とが常に相対するといふ人を知る道の一段を終へます。次のその七では、上世は姦臣ありといへども君主が明らかであればその害を免れるといふ一段へと講義が進みます。

解説
原文には對應する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。狭穂彦王・平群鮪鳥・刺領巾・眉輪王・根使主・大伴金村の史例は、影印によれば素行自身の謹按(kj219の続き)にも引かれてゐるが、影印の文字は摩滅が甚だしく、確実な原文の再構成が難しいため、この読本ではその漢文を収めず、小林一郎の講義による平明な説明に依つた。素行の感慨――赤穂配流という自らの境遇を、讒言に苦しんだ古人の事蹟に重ねて読む小林一郎の指摘は、この書が単なる考証の書ではなく、著者の実感に裏打ちされた書であることを示す。ここでその六の一区切りとする。