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中朝事實 小林一郎 講義 七十一(禮儀章 上 その七・小林一郎講義本 完)

山鹿素行 原著 小林一郎 講述 ── 雄略帝の遺詔、顧命の禮 原文・訓読・講義・補注の四層

この読本について

小林一郎 講義本『中朝事實』の第七十一冊。禮儀章 上 その七(底本 下巻 四百二十一頁ほか)。雄略天皇が崩御に臨んでお遺しになつた詔(顧命)と、これに対する山鹿素行の謹按を収めます。

この冊の読みどころ。雄略天皇二十三年八月、崩御に際して大伴室屋大連・東漢掬直に賜つた御遺言を、内容の展開に沿つて三段に分けて収めました。国の現状と諸臣への感謝を述べる前半(kj268、全集版十八節)、我が子星川王の性質を隠さず明かし皇太子に位を託す後半(kj269、全集版十八節承前)、そしてこれを「顧命の禮」として讃へる素行の謹按(kj270、同承前)です。

【この冊をもって小林一郎講義本シリーズは完結します。底本(小林一郎講述『中朝事實』下)は、この雄略天皇の遺詔をもつて講述を終へており、小林自身「中朝事實はまだ績くのでありますが……先づここまで読めば十分と思ひますので……講述を終ることにいたします」と明言しています(kj270解説欄に原文を引用)。禮儀章上の残り(十九節以降)から禮儀章中・下、賞罰章、武德章、祭祀章、化功章、附録「或疑」に至る全集版本文には、この読本群がGENDAI(現代語訳)の典拠としてきた小林一郎自身の講義が見当たらないため、天先章(一冊目)から本冊(七十一冊目)まで、全七十一冊をもつて小林一郎講義本『中朝事實』読本シリーズの刊行を完結といたします。全集版(山鹿素行全集版、全十五分冊)は別シリーズとして引き続き公開しています。

四層の構成。この冊の各段は全集版の対応する節にそれぞれ依拠し、現代語訳は小林一郎自身の講義プロパー(底本下巻421〜429頁)を典拠として書き起こしています。

翻刻について。底本は小林一郎講述『中朝事實』下(皇國精神講座、影印)です。旧字・旧仮名の原本からの文字起こしで、なお誤りが残ってゐる可能性があります。

色分けの凡例

『日本書紀』(本文・一書)本朝の古典(古語拾遺・舊事本紀・元々集ほか)漢籍(易・書・詩・論語・孟子ほか)制度・地理・故事

主要語彙集

顧命(こめい)
君主が崩御に臨んで、後事を臣下に託す遺言。
大連(おほむらじ)
大和朝廷の最高executive官職の一つ。大伴室屋はこの職にあつた。
星川王(ほしかはのおほきみ)
雄略天皇の子。性質驕慢であつたため、雄略天皇は遺詔で皇太子(後の淸寧天皇)への譲位を明言し、星川王を戒めた。
(おくりな)
崩御の後に、その徳・事蹟に因んで奉る名。「雄略」もその一つ。

登場する神・人物

山鹿素行(やまがそこう)
一六二二〜一六八五。『中朝事實』の著者。この冊のkj270は素行みづからの謹按。
小林一郎(こばやしいちろう)
一八七六〜一九四四。漢学者・国文学者。『皇國精神講座』を主宰し、『中朝事實』のほか多くの古典を講義した。この読本の講義部分の著者。この雄略天皇の遺詔の段をもつて、底本『中朝事實』下巻の講述を結んでゐる。
雄略天皇(ゆうりやくてんわう)
第二十一代天皇と伝へられる。崩御に臨み、大伴室屋大連・東漢掬直に遺詔を賜つた。
大伴室屋(おほとものむろや)
雄略天皇の大連。遺詔を賜つた臣下の一人。
東漢掬直(やまとのあやのつかのあたひ)
雄略天皇の側近。遺詔を賜つた臣下の一人。

禮儀章 二百六十八雄略帝の遺詔(一)── 顧命の禮底本 下巻 四百二十一頁ほか
原文
雄略帝二十三年、秋八月庚午朔、丙子天皇疾甚、與百寮辭訣、握手歔欷、崩于大殿、遺詔於大伴室屋大連與東漢掬直曰、方今區宇一家、烟火萬里、百姓乂安、四夷賓服、此又天意欲寧區夏、所以小心翼己、日愼一日、蓋爲百姓故也、臣連伴造、每日朝參、國司郡司、隨時朝集、何不罄竭心府、誠勅慇懃、義乃君臣情兼父子、冀藉臣連智力、內外歡心、欲令普天之下永保安樂、不謂纏疾彌留至於大漸、此乃人生常分、何足言及、

訓読
雄略帝ゆうりやくてい二十三年にじふさんねんあき八月はちぐわつ庚午かのえうまついたち丙子ひのえね天皇てんわうやまひはなはだし。百寮ひやくれう辭訣じけつし、にぎりて歔欷きよきし、大殿おほとのほうじたまふ。大伴室屋大連おほとものむろやのおほむらじ東漢掬直やまとのあやのつかのあたひとに遺詔ゐせうしてのたまはく、方今はうこん區宇くう一家いつか烟火えんくわ萬里ばんり百姓ひやくせい乂安がいあんにして、四夷しい賓服ひんぷくす。また天意てんい區夏くかやすんぜんとほつするなり。小心せうしん翼己よくき一日いちにちつつし所以ゆゑんは、けだ百姓ひやくせいためゆゑなり。臣連おみむらじ伴造とものみやつこ每日まいにち朝參てうさんし、國司こくし郡司ぐんしときしたがひて朝集てうしふす。なん心府しんぷ罄竭けいけつせざらんや。誠勅せいちよく慇懃いんぎんすなは君臣くんしんじやう父子ふしぬ。ねがはくは臣連おみむらじ智力ちりよくり、內外ないぐわいこころよろこばしめ、普天ふてんもとをしてなが安樂あんらくたもたしめんとほつす。おもはざりき、やまひまとはれいよいよとどまりて大漸たいぜんいたらんとは。すなは人生じんせい常分じやうぶんなんおよぶにらん。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
雄略天皇の御代二十三年秋八月、天皇の御病氣がだんだん重くおありになり、多くの臣下たちに別れを告げられ、手を取り合つて涙にむせばれ、遂に大殿にて崩御になりました。その時、大伴室屋大連と東漢掬直とをお召しになり、御遺言を仰せられました。「今この國の内は全く一家のやうであり、竈の煙はどこまでも立ち上り、百姓は安らかに治まり、外國の者も我が國に歸服して居る。これもまた天の御心がこの國を安らかにしようとなされるゆゑであり、それゆゑ自分は心を小さくし己を愼んで、日々愼みを重ねて來たが、それは偏へに百姓の爲である。臣・連・伴造は毎日朝廷に參り、國司・郡司は時に從つて參集する。どうして心の底を盡くして誠にお仕へせぬことがあらうか。義は君臣であるが、情はまた父子を兼ねてゐる。願はくは臣・連の智力を借り、内外の心を歡ばせ、あまねく天下を永く安らかに保たせたいと思ふ。しかるに圖らずも病が重なり篤くなつて、遂に末期に至ることとなつた。これはまさに人生の常であつて、あらためて言ふほどのことでもない。」

解説
此の段は、雄略天皇が崩御に臨んで大伴室屋大連・東漢掬直に賜つた遺詔(顧命)の前半部分であります。國内の安泰、諸臣の忠勤への感謝、「義は君臣、情は父子」といふ理想的な君臣關係への言及を經て、自らの死を「人生の常分」と淡々と受け止める言葉で結ばれます。小林一郎はこの詔全體を貫く「至公至大の叡慮」(國のことのみをひたすら思ひ、私事を顧みない御心)を高く評價し、歴代天皇の御遺詔の中でも特にこの點が明かに現れて居ると講じて居ります。

禮儀章 二百六十九雄略帝の遺詔(二)── 朕、目を瞑ると雖も、何ぞ復た恨むるところあらんや底本 下巻 四百二十二頁ほか
原文
但朝野衣冠未得鮮麗、敎化政刑、猶未盡善、興言念此、唯以留恨、今年齡若干、不復稽天、筋力精神一時勞竭、如此之事本非爲己、止欲安養百姓、所以致此、生子孫誰不屬念、諡爲天下事須割情、今星川王心懷傲惡、行闕友于、古人有言、知臣莫若君、知子莫若父、縱使星川得志共治國家、必當戮辱遍於臣連、酷毒流於民庶、夫惡子孫已爲百姓所棄、好子孫足堪負荷大業、此雖我家事、理不容隱、大連等民部廣大充盈於國、皇太子以爲嗣、仁孝著聞、以其行業堪成朕志、以此共治天下、朕雖瞑目、何所復恨、

訓読
朝野てうや衣冠いくわんいま鮮麗せんれいず、敎化けうくわ政刑せいけいいまぜんつくさず。げんおこしてこれをおもへば、もつうらみをとどむるのみ。いま年齡ねんれい若干そこばくてんとどめず。筋力きんりよく精神せいしん一時いちじ勞竭らうけつす。かくのごときのこともとおのれのためにあらず。百姓ひやくせい安養あんやうせんとほつす。このむところの子孫しそんたれおもひをけざらん。天下てんかことためにはすべからくじやうくべし。いま星川王ほしかはのおほきみこころ傲惡がうあくいだき、おこなひは友于いううく。古人こじんげんあり、しんるはきみくはなく、るはちちくはなしと。たと星川ほしかはをしてこころざしとも國家こくかをさめしめば、かならまさ戮辱りくじよく臣連おみむらじあまねく、酷毒こくどく民庶みんしよながるべし。しき子孫しそんすで百姓ひやくせいつるところとり、子孫しそん大業たいげふ負荷ふかするにふ。家事かじいへども、かくすことをゆるさず。大連おほむらじ民部みんぶ廣大くわうだいにしてくに充盈じゆうえいす。皇太子くわうたいしもつす。仁孝じんかう著聞ちよぶん、その行業かうげふもつちんこころざしすにふ。これもつとも天下てんかをさめば、ちんつむるといへども、なんうらむるところあらんや。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
「ただ、朝廷にも民間にも禮儀の装ひはまだ十分に整はず、教化や政治のあり方もいまだ善を盡くしたとは言へない。このことを思ふにつけ、ただ心殘りに思ふばかりである。今、齡もそれなりに重ね、天命を留めることも出來ない。筋力も精神も一時に盡き果てようとして居る。かやうなことは、もとより自分一身の爲ではなく、ただ百姓を安らかに養はうとしてのことである。人として子孫を思はぬ者があらうか。天下の爲には、情を割いてでも申さねばならぬことがある。今、星川王は心に驕り惡しき思ひを抱き、その行ひは兄弟の情を缺いてゐる。昔の人も『臣を知ることは君に及ぶものなく、子を知ることは父に及ぶものなし』と言つたが、若し星川に志を得させて共に國を治めさせれば、必ず臣・連にまで恥辱が及び、その害毒は民にまで流れるであらう。惡しき子孫は既に百姓に見捨てられ、良き子孫こそ大業を負ふ任に堪へる。これは我が家の事とはいへ、道理として隱すことは許されない。大連たちの治める民部は廣く國に滿ちてゐる。皇太子は既に世嗣として仁孝の譽れ高く、その行ひは朕の志を成し遂げるに堪へる。この皇太子とともに天下を治めてくれるならば、朕は目を瞑るとも、何を恨むことがあらうか。」

解説
此の段は、雄略天皇の遺詔の後半で、朝野の禮儀・教化がなほ十分でないことを心殘りとしつつ、我が子星川王の惡しき性質を隱さず明かして、皇太子に位を託す旨を述べる件りであります。小林一郎は、御自分のお子樣に性質の惡い者があるといふやうなことをも少しもお恥しなく仰せられて、後の事を萬事正しい道に依つて取計らふやうにとのお教へを遺されたその御心持を、洵に尊いものと講じて居ります。

禮儀章 二百七十雄略帝の遺詔(三)── 謹按、顧命の禮を謂ふ底本 下巻 四百二十六頁ほか
原文
謹按、是顧命之禮也、凡人君崩于正殿者、禮之正也、況切切顧命、擧以天下爲任、以百姓爲心、以死生爲常、歸功於大臣、爲億兆護其子之惡、以遺戒於後嗣、其義深哉、蓋死生之際者、人倫之所甚重也、故天神臨訣、以有拳拳之神勅、今帝垂終之言、經遠保世之謀及此、以不崩於婦人女子之手、讀本章以至此、則未嘗不措卷歎之、嗚呼帝所以謚雄略、宜哉、

訓読
つつしみてあんずるに、顧命こめいれいなり。およ人君じんくん正殿せいでんほうずるは、れいせいなり。いはんや切切せつせつたる顧命こめいげて天下てんかもつにんし、百姓ひやくせいもつこころし、死生しせいもつつねし、こう大臣だいじんし、億兆おくてうためにそのあくまもり、もつ後嗣こうし遺戒ゐかいす。そのふかかなけだ死生しせいさいは、人倫じんりんはなはおもんずるところなり。ゆゑ天神てんしんわかれのぞみて、拳拳けんけん神勅しんちよくあり。いまていをはりなんなんとするのことばとほきをはかたもつのはかりごとここにおよび、もつ婦人ふじん女子ぢよしほうぜず。本章ほんしやうみてここにいたれば、すなはいまかつまききてこれをたんぜずんばあらず。嗚呼ああてい雄略ゆうりやくおくりなする所以ゆゑんむべなるかな

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
謹んで按じますに、これは顧命の禮であります。おほよそ人君が正殿にて崩じられることは、禮の正しいすがたであります。まして切々たるこの顧命は、ひたすら天下を己の任とし、百姓を心とし、死生をも常のこととし、功を大臣に歸し、萬民のためにその子の惡しき所を包み隱さず示して、後嗣に戒めを垂れられました。その義の深きことよ。おほよそ死生の際は、人倫のもつとも重んずるところであります。それゆゑ天神も訣別に臨んで、懇ろなる神勅をお垂れになりました。今、帝が末期に際してお遺しになつた言葉は、遠き將來を慮り世を保つための謀がここに及び、婦人や女子の手に崩じられることもありませんでした。この章を讀んでここに至れば、書を措いて嘆じずにはいられません。ああ、この帝が「雄略」と諡されたゆゑんも、まことにもつともなことであります。

解説
此の謹按は、崩御に際して天下後世のことを教へ遺す「顧命」の禮の意義を説くものであります。素行は、正殿にて崩じ、婦人女子の手によらず多くの臣下を召して國家の大事を託されたことを、人君の模範的な態度として高く評價して居ります。小林一郎もこれを承け、天照大神が天孫降臨に際してお教へを賜つたのと同じく、雄略天皇もまた御崩れに臨んで後の世までも御案じになつた詔を賜つたと敷衍し、この段を以て『中朝事實』下卷の講義を締め括つて居ります。小林は「中朝事實はまだ績くのでありますが、我が國の世界に比類なき國體と、皇室と臣民との關係を辯ふる資料としては、先づここまで讀めば十分と思ひますので、この『義は君臣にして情は父子』と仰せられた、有難い詔を以て自分の講述を終ることにいたします」と述べ、みづからの講義をここで結んで居ります。この読本群も、小林一郎自身の講義に依拠するといふ編集方針上、この段をもつて『中朝事實』小林一郎講義本シリーズの最終冊といたします。天先章(一冊目)以来、七十一冊にわたる講読にお付き合ひいただき、まことにありがたうございました。