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中朝事實 小林一郎 講義 七十(禮儀章 上 その六)

山鹿素行 原著 小林一郎 講述 ── 嫡・長・賢、多くは唯だ中人のみ 原文・訓読・講義・補注の四層

この読本について

小林一郎 講義本『中朝事實』の第七十冊。禮儀章 上 その六(底本 下巻 四百十三頁ほか)。前冊で「以上建儲の禮を論ず」と一区切りとなつた建儲論を承け、素行みづからの按語二段によつて、世嗣を立つる際の「嫡・長・賢」の基準と、皇太子の教育(論敎)の大切さを、更に一段深く論じます。

この冊の読みどころ。嫡・長・賢の三つの基準を掲げ、常則としては嫡・長を重んじつつも、時に應じて賢を選ぶべきことを説く段(kj266、全集版十六節)、そして皇太子といふ地位の重さと、生まれつきの賢愚に頼らず日頃の教養の積み重ねこそが人物を成すとする段(kj267、全集版十七節)を収めます。この二段は、それぞれ「愚竊按」「夫皇太子者」に始まる、山鹿素行みづからの意見表明(謹按に類する按語)であり、物語的な原文記事を伴ひません。

四層の構成。この冊の各段は全集版の対応する節にそれぞれ依拠し、現代語訳は小林一郎自身の講義プロパー(底本下巻413〜420頁ほか)を典拠として書き起こしています。

翻刻について。底本は小林一郎講述『中朝事實』下(皇國精神講座、影印)です。旧字・旧仮名の原本からの文字起こしで、なお誤りが残ってゐる可能性があります。

色分けの凡例

『日本書紀』(本文・一書)本朝の古典(古語拾遺・舊事本紀・元々集ほか)漢籍(易・書・詩・論語・孟子ほか)制度・地理・故事

主要語彙集

(ちやく)
正妻の生んだ子。
(しよ)
妾など、正妻でない者の生んだ子。
建儲(けんちよ)
皇太子を立てること。「儲」は世継ぎの意。
論敎(ろんけう)
師を選び教へを議して太子を薫陶すること。
中人(ちうじん)
上智(生まれつき非常に優れた人)でも下愚(教育によつても変はらない人)でもない、大多数の普通の人。
薫陶(くんたう)
徳を以て人を感化し育てること。

登場する神・人物

山鹿素行(やまがそこう)
一六二二〜一六八五。『中朝事實』の著者。この冊の二段は、いずれも素行みづからの按語(kj266「愚竊按」・kj267「夫皇太子者」)。
小林一郎(こばやしいちろう)
一八七六〜一九四四。漢学者・国文学者。『皇國精神講座』を主宰し、『中朝事實』のほか多くの古典を講義した。この読本の講義部分の著者。

禮儀章 二百六十六嫡・長・賢 ── 子を立つるの常禮底本 下巻 四百十三頁ほか
原文
愚竊按、有父母必有子、子以嗣孫以承、連綿以及萬世者、人倫之大綱也、子有嫡有長、有賢愚、貴嫡者正宗族姓氏之所由明、后妃遞縢之所配也、用長者、順天倫之序、正長幼之道也、用賢者、其器能以任之也、故以嫡庶則在嫡、以長幼則在長、其德其智可覆之、則用賢、是立子之常禮也、國家之世子所其任既重、所其率既衆、況天下之太子乎、然乃建立之禮、不可有苟、是往古神聖或生或及、或措長或撰智、所以不必專常禮也、

訓読
ひそかにあんずるに、父母ふぼあるときはかならあり。もつまごもつけ、連綿れんめんとしてもつ萬世ばんせいおよぶは、人倫じんりん大綱たいかうなり。ちやくありちやうあり、賢愚けんぐあり。ちやくたふとぶことは、宗族そうぞく姓氏せいしりてあきらかなるところをただし、后妃こうひ遞縢ていとうはいするところなればなり。ちやうもちふることは、天倫てんりんじよしたがひ、長幼ちやうえうみちただすなり。けんもちふることは、その器能きのうもつてこれににんずるなり。ゆゑ嫡庶ちやくしよもつてするときはすなはちやくり、長幼ちやうえうもつてするときはすなはちやうり。そのとくそのおほふべきときは、すなはけんもちふ。つるの常禮じやうれいなり。國家こくか世子せいしはそのにんずるところすでおもく、そのひきゐるところすでおほし。いはんや天下てんか太子たいしをや。しからばすなは建立こんりふれいかりそめなるべからず。往古わうこ神聖しんせいあるひしやうあるひおよび、あるひちやうあるひえらび、かならずしも常禮じやうれいもつぱらにせざる所以ゆゑんなり。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
更に素行が自分の意見を申し述べますに、親があれば子がその後を継ぎ、また孫がその後を承けるといふことは、いづれの家でも定まつたことであつて、かくの如くにして後の世までもその家が績き、その事業も傳はつて行くのでありまして、これは人間の最も肝要な道であります。ところが子の中にも、正當な妻の生んだ子、或は妾のやうな者の生んだ子といふ區別があり、また年上の者もあれば年下の者もあり、賢い者もあれば愚かな者もあります。そこで同じ子であるならば、正當な妻の生んだ子の方を重んじ、これに依つて家の順序が立つのであります。すなはち天子にも正當な皇后とその他にお仕へする婦人とがあり、その順序を正すことが最も肝要なのであります。同じ正しい妻の生んだ子の中では、年上の者を重んじて年下の者はこれに從ふといふのが自然の順序でありまして、長幼の道はこれに依つて立つのであります。併しながらまた年上の者ばかりを重んじるといふ譯にも行かず、賢い者もあれば愚かな者もありますから、賢い者を重要な地位に任じるといふことは、その家を齊へる道であるのみならず、世の中の政にも大切なことであります。それゆゑ、正當な妻の子と妾の子とを比べれば正當な妻の子を重んじ、年の上下では年上の者を重んじる。しかしながら徳や智に於て年下の者の方が優れて居るやうな場合は、順序を違へても賢い者を用ゐて重要な地位に當らせるといふことが肝要なのであります。かやうに子を選んでその家を繼がせる者を決めるといふことは、人として定まつた常則であつて、決して一身一家のことのみを主とすべきではありません。まして國家の世嗣、すなはち國の天子の位をお承けになる方は、その任ずる所は常に重く、率ゐる所も一國の人民全體でありますから、天子の位を繼がれる方がどのやうな方であるかといふことが、一國の治亂の定まる所となるのであり、最も肝要と申さねばなりません。それゆゑ建立の禮はいい加減であつてはならないのであります。ただし往古の神聖な方々の中には、或は生まれながらにして、或は年長に及んで、或は長幼の序を措いて賢を選び、必ずしも常の禮を専らにしなかつた例もある。これは、常則を原則としつつも、時に應じた判斷がなされ得ることを示すものであります。

解説
此の段は素行の按語で、建儲(世嗣を立つること)に於ける「嫡・長・賢」の三つの基準を説くものであります。嫡(正妻の子)を貴ぶのは宗族・姓氏の筋目を明らかにするため、長(年長者)を用ゐるのは天倫の序に從ふため、賢(徳・才の勝れた者)を用ゐるのはその器量に相應しい任を與へるためであるとし、原則としては嫡・長を重んじつつも、徳や智が特に優れて居れば順序を違へて賢を用ゐるべきだと説きます。同時に、往古の聖賢の中には必ずしもこの常禮に依らなかつた例があることにも觸れ、常則と臨機の判斷の兩方が必要であることを示して居ります。

禮儀章 二百六十七多くは唯だ中人のみ ── 建儲と論敎と相持し扶翼して以て正す底本 下巻 四百十六頁ほか
原文
夫皇太子者、受天下之重職、爲億兆之君師、安危治亂繫之、其高明也、其寬悠也、其博厚也、共畜而后可堪三器之任、抑欲撰其人、則無蚤建之定、欲盡其計、則君父亦不可知其終、故蚤立嫡長之序、定國本、而論敎相持扶翼以正、可謂建儲之大禮也、凡上智與下愚不可移、而亦不易得、多唯中人而已、中人之才必由所慣習薫陶、變其氣質、建儲而不謹於論敎、則錯諸宴安、知諸深窓、所以蕩其志愚其質、而非以君德之溢、豈是子子之謂乎、未有如此而知治平之實者矣、

訓読
皇太子くわうたいしは、天下てんか重職ぢゆうしよくけ、億兆おくてう君師くんしり、安危あんき治亂ちらんこれにかかる。その高明かうめいなるや、その寬悠くわんいうなるや、その博厚はくこうなるや、ともたくはへてしかしてのち三器さんきにんふべし。そもそもそのひとえらばんとほつすれば、すなははやつるのさだめなし。そのけいつくさんとほつすれば、すなは君父くんぷまたそのをはりるべからず。ゆゑはや嫡長ちやくちやうじよてて國本こくほんさだめ、しかして論敎ろんけうあひ扶翼ふよくしてもつただす。建儲けんちよ大禮たいれいふべきなり。およ上智じやうち下愚かぐとはうつらず、しかまたやすからず。おほくは中人ちうじんのみ。中人ちうじんさいかなら慣習くわんしふ薫陶くんたうするところにりて、その氣質きしつへんず。建儲けんちよして論敎ろんけうつつしまざれば、すなはちこれを宴安えんあんき、これを深窓しんさうらしむ。そのこころざしとろかしそのしつにする所以ゆゑんにして、君德くんとくあふるるをもつてするにあらず。にこれとするのいひならんや。いまだかくのごとくにして治平ちへいじつものあらず。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
まことに皇太子となれば「天下の重職」であつて、天皇の御位をお承けになつて「億兆」すなはち一般人民の上に立ち、また人民を教へ導く大任にお當りになるのでありますから、この皇太子の人物如何に依つて、一國が治まるか亂れるか、太平が永く績くか危くなるかが定まるのでありまして、洵に最も大切な地位であります。それゆゑ非常に高い徳も具はらねばならず、明かなる智も具はらねばならず、また御心が宜しく、平生のなさることも萬民の手本となるやうでなければなりません。これらを併せ具へられて、初めて三種の神器を承けて天子の御位にお即きになるだけの資格が具はるのであります。ところがその人を選んで成るべく徳の高い方をと思つて居ると、早く皇太子を定めるといふことが難しい。また早く定めようとすると、その人物を選ぶ暇がないかも知れない。理想を言へば、早く皇太子をお定めになつて國家の根本を定め、また皇太子となるべき方に充分な教養をお與へになつて、徳も智慧も具はるやうになされば、これは申し分のないことであります。そもそも生まれつき非常に優れた者は後になつて變ることはなく、どうしようもない愚かな者も、如何に教育を與へてもその性質を變へることは出來ません。併し、さやうな兩極端は稀れで、大多數は中位の者であります。この中位の者は、教へれば賢くなるし、教へなければ愚かになる。すなはち平生の習慣、また教養の如何に依つて、その天性が變つて行くのであります。それゆゑ、世嗣となる方が定まつた以上は、これに充分な教養を與へることが大切なので、若し教養を與へずに唯だ重要な地位に置くだけであれば、平生が安逸に流れ、御殿の奥に引きこもつて多勢の者にかしづかれて居るうちに、つい氣が弛んで、生まれつき愚かでない人も自然に愚かになつてしまふといふことも、已むを得ないのであります。これでは一國の君主たる徳を成就することは出來ません。世嗣を立てて教へ諭すことを愼まなければ、これを安逸に置き、深窓に閉ぢ込めることになり、その志を蕩かしその質を愚かにする所以であつて、君徳の溢るるを養ふ道ではありません。かやうであつて、どうして子を子として遇したと言へませうか。未だかやうにして治平の實を知つた者はないのであります。

解説
此の段は素行の按語で、皇太子といふ地位の重さと、それゆゑに論敎(教育)を疎かにしてはならないことを説くものであります。上智と下愚とは移らないが、大多數の「中人」は習慣・薫陶に依つてその氣質が定まるとし、世嗣を立てながら教育を愼まなければ、却つてその志を損ひ、その質を愚かにしてしまふと戒めます。小林はこれを承け、生まれつきの賢愚に頼らず、平生の教養の積み重ねこそが人物を成すといふ趣旨を敷衍して居ります。