| 色つきの文字=出典引用(タップ/ホバーで説明)

中朝事實 小林一郎 講義 六十八(禮儀章 上 その四)

山鹿素行 原著 小林一郎 講述 ── 立后の禮、外戚威を擅にす、皇太子を立つるの始 原文・訓読・講義・補注の四層

この読本について

小林一郎 講義本『中朝事實』の第六十八冊。禮儀章 上 その四(底本 下巻 三百八十六頁ほか)。神武天皇の即位・皇后建立の話を承け、立后の禮の乱れがもたらす弊害、そして皇太子を立てることの意義に進みます。

この冊の読みどころ。皇后を立てることの意義と諫議・史官の制(kj258、全集版十節)、立后の禮が正しくなければ外戚が威を擅にするという戒め(kj259、全集版十一節)、そして神武天皇四十二年の立太子と、これに対する素行の謹按(kj260、全集版十二節)までを収めます。

【重要】全集版rg10「仁德帝」表記について。全集版『中朝事實』九のこの記事(十節)は、原文・見出しともに「仁德帝元年」としていますが、記事の内容(手白香皇女の立后、大連・大伴金村の奏請、「神祇不可乏主、宇宙不可無君」の詔)は史実上すべて繼體天皇元年の出来事であり、小林一郎自身の講義(底本下巻386頁ほか)も明確に「繼體天皇」としてこの段を紹介しています。全集版側の表記に誤りがあるものと判断し、本読本ではこれを「繼體帝」と改めて収めました。詳しくはkj258の解説欄をご覧ください。

四層の構成。この冊の各段は全集版の対応する節にそれぞれ依拠し、現代語訳は小林一郎自身の講義プロパー(底本下巻386〜399頁ほか)を典拠として書き起こしています。

翻刻について。底本は小林一郎講述『中朝事實』下(皇國精神講座、影印)です。旧字・旧仮名の原本からの文字起こしで、なお誤りが残ってゐる可能性があります。

色分けの凡例

『日本書紀』(本文・一書)本朝の古典(古語拾遺・舊事本紀・元々集ほか)漢籍(易・書・詩・論語・孟子ほか)制度・地理・故事

主要語彙集

諫議(かんぎ)
臣下が君主の過ちを諫める道。史官とともに、君主の言行を正す制度として説かれる。
史官(しくわん)
日々の出来事や君主の言行を記録する役人。
外戚(ぐわいせき)
皇后・妃の実家の一族。権を専らにし国政に干渉することの弊害が説かれる。
宮閨臨朝(きゆうけいりんてう)
本来政治に関はらぬはずの後宮の婦人が朝廷の政治に口を出すこと。
母后臨朝(ぼこうりんてう)
君主が幼少の時、その母が政治に干渉すること。垂簾聴政ともいふ。
建儲(けんちよ)
皇太子を立てること。「儲」は世継ぎの意。

登場する神・人物

山鹿素行(やまがそこう)
一六二二〜一六八五。『中朝事實』の著者。この冊で謹按三段(kj258〜kj260)を記す。
小林一郎(こばやしいちろう)
一八七六〜一九四四。漢学者・国文学者。二松学舎に学ぶ。『皇國精神講座』を主宰し、『中朝事實』のほか多くの古典を講義した。この読本の講義部分の著者。
繼體天皇(けいたいてんわう)
第二十六代天皇と伝へられる。手白香皇女を皇后に迎へた。全集版の当該記事は誤つて「仁德帝」とするが、本読本ではこれを正した。
手白香皇女(たしらがのひめみこ)
繼體天皇の皇后。
大伴金村(おほとものかなむら)
大連の任にあり、繼體天皇に立后を勧めた忠臣。
綏靖天皇(すゐぜいてんわう)
第二代天皇と伝へられる。神武天皇四十二年に皇太子と定められた。

禮儀章 二百五十八(繼體帝)皇后を立つ ── 禮儀を備へて内を修む底本 下巻 三百八十六頁ほか
原文
繼體帝元年、三月庚申朔、詔曰、神祇不可乏主、宇宙不可無君、天生黎庶、樹以元首、使司助養、令全性命、大連憂朕無息、披誠款以國家、世世盡忠、豈唯朕日、宜備禮儀、奉迎白香皇女爲皇后、修敎于內、
謹按、是立皇后備禮儀、修敎于內之詳也、蓋人君恆居九重之深、御萬乘之富、近臣進媚、佞臣逆惡、少怠縱情、則鴆毒無不根其衷、故外設諫議置史官、正其言行、猶未嘗無其闕遺、妃匹之親、皇后之睦、與內助之益、備規警之戒、以拾補於此、是良匹賢配所以倫之也、

訓読
繼體帝けいたいてい元年ぐわんねん三月さんぐわつ庚申かのえさるついたちみことのりしてのたまはく、神祇じんぎしゆとぼしくすべからず、宇宙うちうきみなかるべからず。てん黎庶れいしよしやうじて、つるに元首げんしゆもつてし、たすやしなふことをつかさどらしめて、性命せいめいまつたからしむ。大連おほむらじちんむすこなきをうれへ、誠款せいくわんひらきてもつ國家こくかのためにし、世世よよちうつくす。ちんのみならんや。よろしく禮儀れいぎそなへて、白香皇女しらかのひめみこ奉迎ほうげいして皇后くわうごうし、をしへうちをさめしむべし。
つつしみてあんずるに、皇后くわうごう禮儀れいぎそなへ、をしへうちをさむるのしやうなり。けだ人君じんくんつね九重きうちようふかきにて、萬乘ばんじようとみぎよす。近臣きんしんこびすすめ、佞臣ねいしんあくむかふ。すこしくおこたりてじやうほしいままにすれば、すなは鴆毒ちんどくそのうちざさざるはなし。ゆゑそと諫議かんぎまう史官しくわんき、その言行げんかうただすも、いまかつてその闕遺けつゐなくんばあらず。妃匹ひひつしん皇后くわうごうむつび、內助ないじよえきともに、規警きけいいましめそなへて、もつてここに拾補しふほす。良匹りやうひつ賢配けんぱいのこれをたすくる所以ゆゑんなり。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
そこで素行が更に此の事を説明して申しますには、皇后をお立てになるといふことは洵に一国の大事でありまして、此の皇后に徳の高い方がお立ちになれば、いはゆる内助の功を全うして、天皇の御位をお保ちになる上に於てまた大きな力になるのであります。万民の上に立つ君主たる方は九重の奥深い所に居られて『万乗の富を御し』──一国が悉く君主の御所有なのでありますから、非常な富を持つて居られる訳であります。それでうつかりすると近臣が媚び諂つて、邪まな者が『悪を逆ふ』──君主の間違ひを諫めないで、却つてこれを賞讃して、専ら君主の意を迎へて自分の私を営むといふやうになる。そこで君主たる者に少しでも怠慢の心が起き、自分の情を縦にし安逸な生活を望むやうになりますと、迷ひが日に盆々甚だしくなり、臣下も媚び諂つてその迷ひを助けるといふことになりますから、君主の行ひが悉く道に違うて来るやうにもなるのであります。それゆゑ君主たる者は『諌議を設け』──臣下から諫めを入れさせる道を開いて、過ちがあれば少しも遠慮なく諫めて過ちを正すやうにと仰せられ、また史官といふ日々の記録を掌る役人も置いて、君主はそれを見て、まだ足りない所を改めるやうに始終反省して行かれるのであります。そこで皇后をお立てになつて、『匹』とは妻として夫に並ぶといふ意味、皇后様が側に居らして内助の力をお添へになる。また『規警』とは、君主に万一にも間違ひがあれば側から諫めて政治が正しい道に外れないやうに心を尽されるので、これが皇后の最も大切な御任務であります。これを『拾補す』といふのは、足りない所を補ひ完全でない所を完全にすることであります。これは史上に幾らも事実があり、例へば雄略天皇が狩にいらしつた時、臣下の怠慢をお怒りになつて誅罰しようとなさつた時、皇后様がお諫めになつたところ、雄略天皇は非常にお喜びになり、狩に来て皇后の善い言葉を聞いた、此の善言を得たことが今日の本当の獲物であると仰せられ、御満足になつたといふことであります。

解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』九・禮儀章十節に依るが、全集版の原文・見出しはこの記事を「仁德帝元年」とするのに対し、本読本ではこれを「繼體帝」と改めて収めた。手白香皇女は史実上繼體天皇の皇后であり、「神祇不可乏主、宇宙不可無君」の詔・大連(大伴金村)による立后の奏請は繼體天皇元年の記事として知られる。小林一郎自身の講義(底本下巻386頁ほか)も明確に「繼體天皇」としてこの段を紹介してをり、全集版側の表記に誤りがあるものと判断した。

禮儀章 二百五十九立后の禮正しからざれば ── 外戚威を擅にす底本 下巻 三百九十二頁ほか
原文
此後立后之禮、世世相續、以至皇統連綿也、凡女德之撰、不以其道、則淫婦妖女必蠱其心、族姓之戒不嚴、則外戚擅威必構天下之害、立后之禮不正、則男女之別不明、而內修之戒不行、皇妃之道不規之以其禮、則宮闈臨朝垂簾預政、至使嗣主擁於虛位、故禮本夫婦、治亂因之興亡繫君、往古之令典、舊紀之所載、可不監乎、

訓読
こののち立后りつこうれい世世よよあひぎ、もつ皇統くわうとう連綿れんめんたるにいたる。およ女德ぢよとくえらび、そのみちもつてせざれば、すなは淫婦いんぷ妖女えうぢよかならずそのこころまどはす。族姓ぞくせいいましめげんならざれば、すなは外戚ぐわいせきほしいままにしてかなら天下てんかがいかまふ。立后りつこうれいただしからざれば、すなは男女なんによべつあきらかならずして、內修ないしういましめおこなはれず。皇妃くわうひみちこれをただすにそのれいもつてせざれば、すなは宮闈きゆうゐてうのぞすだれれてまつりごとあづかり、嗣主ししゆをして虛位きよゐようせしむるにいたる。ゆゑれい夫婦ふうふもとづき、治亂ちらんこれに興亡こうばうきみかかる。往古わうこ令典れいてん舊紀きうきするところ、かんがみざるべけんや。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
斯ういふ訳でありますから、善き配偶者といふものは民間に於ても無論選ばなければなりませんが、まして国の君主たる方の御配偶を選ぶのには、最も心を尽し、また禮を尽さなければならないのであります。斯ういふ意味で繼體天皇は最もお徳の高い所の手白香皇女といふ方を皇后になさつたので、これより歴代の天皇は何れも立后の禮を特に大切になされて、皇統が続いて参つたのであります。若し婦人たる者が徳のない者であると、いろいろな弊害が起るのであります。すなはち『淫婦妖女』──ただ姿だけ美しくして心がまるで穢れて居るやうな女が、其の主人に気に入られると、其の主人の心を惑はしてしまふ。また其の婦人の親たる者が正直な者でないと、自分の娘の縁に頼つて我が儘をするといふことになる。『外戚』すなはち其の婦人の家の者が権を専らにし威を憑んで国の政治に干渉し、天下に害を与へるといふことも随分例が多いのであります。また如何に徳の勝れた人を迎へて夫人としても、其の夫人を立てる時の禮儀が正しくないと男女の別が明かでない。婦人は内に在つて其の夫を助けるものでありますから、婦人が国の大事に干渉しないやうに、男女の別を立てて厳しくこれを戒めることが必要であります。若しそこを慎めて居ないと、『宮閨朝に臨む』──御殿の奥に引込んで居る筈の婦人が朝廷で行ふ所の政治に口を出して、其の婦人の意見が行はれるといふことになる。すると其の婦人の方に内々に賄賂でも入れて頼み込み、自分の勝手を計るといふ者が出来て来ます。また『母后臨朝』──君主が若い時に其の母親たる人が国の政治に与かること、これが行はれますと、君主の位を継いで居る人が年若くて勢力がないと、殆んど其の政見が行はれないで『虚位を擁する』──位だけは高いけれども、其の位に伴ふ所の実力をまるで失つてしまふやうにもなるのであります。例へて言へば支那の清朝の末に西太后といふ人があつて、其の勢力が盛んで国の皇帝の意見はまるで行はれず、西太后の御機嫌を損へばどんな勢力のある者も忽ちにして其の勢力を失つてしまふ位な有様でありました。それは要するに最初から夫婦の間に別がなかつたからであります。夫婦の間に於て夫がしつかりと其の地位を保つて、婦人の干渉を許さぬといふことになつて居れば、其の夫たる人が死んで後継ぎが出来れば、其の後継ぎの人が権力を持つことになつて、母親が側から干渉するといふことにはならない。要するに此の夫婦の道を正すことが、国を治め万民の道を正す所の根本になるといふことを忘れてはならぬのであります。

解説
この段の原文・訓読は同全集版十一節「立后の禮正しからざれば ── 外戚威を擅にす」に依る。前節の謹按をそのまま承け、皇后を正しく選び立てることが崩れた場合の弊害──淫婦妖女、外戚専権、宮閨臨朝、母后臨朝──を列挙する。小林は支那清朝末の西太后を実例として引いてをり、素行の按語「禮本夫婦」(禮は夫婦に本づく)を、時代を越えた具体例で補つてゐる。

禮儀章 二百六十皇太子を立つるの始 ── 國の本を定む底本 下巻 三百九十六頁ほか
原文
神武帝四十有二年、春正月壬子朔、甲寅立皇子神淳名川耳尊爲皇太子、
謹按、是立皇太子之始也、蓋建太子者、定國之本、所以重宗廟社稷也、凡立子必以長、是禮之恆也、然時有治亂屯蒙承久、地有新故大小、人有賢知愚不肖、故愼思明辨、以致其道、在人君之德、帝始定中州、建皇極、其間未嘗無拙悍不律之賊、信是屯難之時、其建立可不愼乎、太子者、帝之第三子、而風姿岐嶷、少有雄拔之氣、見子不可如父、竟立以爲皇太子、建立之禮一行、天下之大本定、自是連綿以建儲之儀成、於乎懿哉、

訓読
神武帝じんむてい四十有二年しじふいうにねんはる正月しやうぐわつ壬子みづのえねついたち甲寅きのえとら皇子わうじ神淳名川耳尊かむぬなかはみみのみことてて皇太子くわうたいししたまふ。
つつしみてあんずるに、皇太子くわうたいしつるのはじめなり。けだ太子たいしつるは、くにもとさだめ、宗廟そうべう社稷しやしよくおもんずる所以ゆゑんなり。およつるにかならちやうもつてす、れいつねなり。しかれどもとき治亂ちらん屯蒙ちゆんもう承久しようきうあり、新故しんこ大小だいせうあり、ひと賢知けんち愚不肖ぐふせうあり。ゆゑつつしみておもあきらかにべんじ、もつてそのみちいたすは、人君じんくんとくり。ていはじめて中州ちうしうさだめ、皇極くわうきよくつ。そのかんいまかつ拙悍せつかん不律ふりつぞくなくんばあらず。まことにこれ屯難ちゆんなんとき、その建立こんりふつつしまざるべけんや。太子たいしてい第三子だいさんしにして、風姿ふうし岐嶷きぎよくわかくして雄拔ゆうばつあり。ることちちくべからず。つひててもつ皇太子くわうたいしす。建立こんりふれいひとたびおこなはれて、天下てんか大本たいほんさだまる。これより連綿れんめんとしてもつ建儲けんちよる。於乎ああうるはしいかな

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
素行が此の立太子といふことに就いて説明して申しますには、神武天皇の四十二年に皇太子をお立てになつたといふことが、我が国に於て皇太子をお立てになるといふことの始めでありまして、これより歴代の天皇が何れも此の事に深く御心をお用ひになつて居らつしやるのであります。皇太子を立てるといふことは国の本を定めることであります。人民は天皇の何時までも栄えて居らつしやることを心から祈つて居るに相違ないけれども、人間の寿命には際限がありますから、天皇が健やかで居らつしやる間に、後をお継ぎになる方をお定めになるといふことが肝要なのであります。それで順序から言へば、一番上の子を以て後継ぎを立てるのが『禮の恒』で、普通の場合に最も常を得た事である。併しながら時代に治まつた時もあれば乱れた時もあり、人間にも賢い者も愚かな者もいろいろある。それであるから普通は一番上の男の子を後継ぎとするのが宜いのであるけれども、若し徳の足りない者であるならば、上の子であつてもこれを改めて、それより勝れた者を立てる必要が起る。それであるから『慎思明辨して』──よく心を定めて考へて、出来るだけ勝れた後継ぎを立てるといふことは、人君たる人の重い任務であります。神武天皇が大和地方をお定めになつて即位の礼をお挙げになり、それから後に太子を定めるといふことをなさつたのでありますが、天皇の御位が定まるまでの間には、力を恃んで天皇に反抗して国の乱れるのを助けるやうな者もなかつたわけではない。それであるから太子とおなりになつた方、即ち後の綏靖天皇は、神武天皇の御子でありましたが、特に姿も御立派であるし、お心持もしつかりして居られて、お年の若い時から凡ての人の上に立つ所の器量を具へて居らしつたのであります。支那の昔の諺にも『子を見ること父に如かず』といふ言葉がありますが、父たる人が本当に其の人物を見定めて後継ぎを定めれば、これは間違ひのない所であります。それで神武天皇が此の皇太子をよく見定められて、立太子の式をお挙げになつたのであります。此の皇太子の地位が一たび定まれば、即ち天下の本が定まつたので、天皇に万一の事があつても人民の心は動揺しない。これを以て始めとして、これより後も立太子の式を代々お挙げになることになつたのであります。斯くして二千年、三千年の後までも皇室にお変りもなく、国は永く栄えて行くのでありまして、後世の戒めでお困りになつて斯ういふ式をお挙げになつたといふことは、洵に天皇の御心をお用ひになることの深くして、且つ周到であるといふことを証すものと申すべきであります。

解説
この段の原文・訓読は同全集版十二節「皇太子を立つるの始 ── 國の本を定む」に依る。長幼の序を原則としつつ、時世・人物次第でこれを改めるべしとする素行の謹按は、聖政章以来くりかへし説かれてきた「制度は原則、されど人による調整も要る」といふ思考の延長線上にある。