禮儀章 二百五十五卽位は人君の大禮なり(上)── 即位の礼の意義底本 下巻 三百七十七頁ほか
原文
神武帝辛酉年、春正月庚辰朔、天皇卽帝位於橿原宮、是歲爲天皇元年、
謹按、卽位者、人君之大禮也、天者、人君之所宗、而人君者、庶人之所天也、天高于上、而文明照於四海、人君位于大寶、而明德周於天下、故行卽位之禮、以始天下萬機之道也、帝東征之功大成、定中國、以始卽位之禮、以是歲爲元年、以王正月授時、一二天地之氣候、著人君之大禮也、
訓読
神武帝の辛酉年、春正月庚辰の朔、天皇橿原宮に帝位に卽きたまふ。是の歲を天皇の元年と爲す。
謹みて按ずるに、卽位は人君の大禮なり。天は人君の宗とするところにして、人君は庶人の天とするところなり。天、上に高くして文明四海を照らし、人君、大寶に位して明德天下に周し。故に卽位の禮を行ひて、以て天下萬機の道を始むるなり。帝東征の功大いに成り、中國を定めて、以て卽位の禮を始む。是の歲を以て元年と爲し、王正月を以て時を授け、天地の氣候を一にして、人君の大禮を著はしたまふ。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
素行がこれを説明して申しますには、即位の式をお挙げになるといふことは、国の君主にとつて最も大切な御儀式であります。国は中心がなければ国として立つことが出来ないので、その中心となるべき君主の方が、その地位をお保ちになるといふことを天下に対して御宣言になるのでありますから、これほど大切な事はないと申さなければなりません。但し人君たる方は御自分に力があつて国民の上に立つとは思はれないで、人君の地位は天の護る所であるから、天に依つて委ねられた此の国土を心の力・身の力悉くを打込んで治めて行つて、天に委託された大任を全うしようといふお考へで、御即位の式を挙げられるのであります。日本以外の国ではみな天といふものを殆んど無形のものに考へて居りますが、日本では神代といふものがありまして、御先祖の神様を即ち天として仰ぐのでありますから、此の点に於て他の国とは全く違ふのであります。併しながら何れにしても君主たる方が自分の力だけではないといふことをお認めになつて、其の任務を大切になさるといふ点に於ては、何れの国も異なる所はないのであります。そこで一般の人民は其の天子たる方を天とするのであります。天の外に出るものは一人もないやうに、此の君主の御徳に普く覆はれて、国民は皆其の生活を遂げて参るのであります。そこで『人君は天に代る』といふことが言はれて居る訳であります。天は高くして、天に懸かつて居る日月の光が地上の凡ゆる物を照すのでありまして、『文明』とは其の天の徳をいふのであります。天の徳が四海を照して、山も川も草木も動物もみな其の働きを全うすることが出来る。而して人君たる者は天を手本となさるのでありますから、『大寶』即ち其の御位に居られて、『明徳天下に周く』──其の徳を以て天下を照し、天下の凡ての者を幸福にするやうに力を尽される訳であります。それでこの即位の礼を行うて、天下を治める凡ての働きを此の時からお始めになるといふことを、天下に宣言される訳であります。
解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』九・禮儀章八節「卽位は人君の大禮なり ── 正朔終に失せず」前半(謹按の前半、即位の礼の意義)に依る。神武天皇の即位を承け、即位といふ儀式そのものの意味を説く一節である。
禮儀章 二百五十六卽位は人君の大禮なり(下)── 歴代の即位の儀と中華の渾厚底本 下巻 三百七十八頁ほか
原文
自是歷代因循有此儀、大臣北面以捧神器、天子南面以詔萬國、正上下尊卑之禮、布道德聖明之政、所其繫太重哉乎、蓋此時未知外朝之三統、而人統自立四時以宜、是乃神聖之靈妙也、爾來正朔終不失、授時相正、而天下一其俗、中華之渾厚大哉、
訓読
これより歷代因循してこの儀あり。大臣北面して以て神器を捧げ、天子南面して以て萬國に詔し、上下尊卑の禮を正し、道德聖明の政を布く。その繫るところ太だ重き哉。蓋しこの時未だ外朝の三統を知らず、而も人統自ら立ちて四時以て宜し。是れ乃ち神聖の靈妙なり。爾來正朔終に失はれず、時を授くること相正しくして、天下その俗を一にす。中華の渾厚大なる哉。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
世界の他の国では、みな天とか神とかいふ無形のものを認めますから、君主が位に即く時には、天の護りを祈るとか神の護りを祈るとかいふことが儀式に加はつて居ります。殊に西洋などでは久しく耶蘇教を奉じて居りますから、王たる人が即位の式をする時には、耶蘇教の一番高い地位の僧侶が金の冠を頭に代つて被せる。それで即位式と言はずして戴冠式と申して居ります。日本は神の御裔である天皇が其の後をお継ぎになるのでありますから、天皇が御自身に位を継いだといふことを国民全体に御宣言に相成れば、それで式は済むのでありまして、特に冠を被せる者があるといふやうな外国とは国体が全く違ふのであります。そこで神武天皇は日向を発して東にお向ひになつて、七年間の御苦労を重ねられた結果、東征の功が成就して大和地方が全く平らいだので、即位の式をお挙げになり、此の年を以て元年と定められました。此の時には大臣たる者は北の方を向いて三種の神器を捧げて天皇に絶対に御帰依申上げるといふ心持を表はし、天皇は南の方にお向ひになつて万国中の者に詔を下され、今より自分が天子の位を継ぐのであるといふことをお告げになる訳であります。斯様にして上下尊卑の礼が正しくなり、万民はみな道を重んじ、君主に忠義を尽し、国の盛んになる為に力を致すといふことを誓ひまして、最も完全な政治が此の国に行はれて参るのであります。但し此の神武天皇御即位の時には、まだ外国との交通が開けて居りませんでしたから、支那の『天地人』『三統』といふやうな説もまだ日本には伝はりませんでした。併しながら天皇が国をお治めになるといふことが即ち天地の道を御実現になることでありますから、天地人などといふ言葉はなくとも、天地人の一致といふことは事実に現はれて居つた訳であります。天皇が常に民安かれとのみ思召して居らつしやるから、御先祖の神々もこれをお護りになり、天皇が続いてお立ちになりましても『正朔を失はず』──国の政治が何時も正しく行はれて、国民は何時も幸福に日を送ることが出来るのであります。斯く正しい政治が普く行はれて居りますれば、国中の風俗人情も厚くなり、国内に自ら統一が行はれて、支那のやうに革命があるとか王者が人民の叛くのを恐れるとかいふやうなことは全くない。これが日本の日本たる所以でありまして、此の日本が世界の中国とも謂はるべき尊い点は、主に此処に在るといふことを国民残らずが考へなければならぬのであります。
解説
この段の原文・訓読は同節後半(謹按の後半、歴代の即位の儀と中華の渾厚)に依る。西洋の戴冠式との対比を通じて、日本の皇位が神の裔である天皇御自身の宣言によつて定まるといふ国体観を説く。「正朔終に失せず」の一句は、革命による王朝交代を繰り返す中国の歴史と対比され、皇統の連続性そのものを禮の実現と見る素行の視点を示してゐる。
禮儀章 二百五十七后妃建立の始 ── 聖人の匹を得れば聖子あり底本 下巻 三百八十一頁ほか
原文
神武帝庚申年秋八月癸丑朔、戊辰天皇當立正妃、改廣求華胄、九月壬午朔、己巳納媛蹈韛五十鈴媛命、以爲正妃、辛酉春正月庚辰朔、天皇卽位、擧正妃爲皇后、
謹按、是后妃建立之始也、蓋聖人得其匹、則有聖子、聖子聖孫相續、則百代猶一日、是人君所以愛天下之至也、凡帝王之匹、風化之本、禮儀之大也、擇立不以其道、則唯縱欲從情、雖克其始、于以保其終不可、故必立正妃、廣議、正族姓、詳女德、及卽位乃爲皇后、其隆禮、以序男女之別、排媵妾之口、垂正議於萬世也、
訓読
神武帝の庚申年秋八月癸丑の朔、戊辰、天皇正妃を立てたまふに當りて、改めて廣く華胄を求めたまふ。九月壬午の朔、己巳、媛蹈韛五十鈴媛命を納れて、以て正妃と爲したまふ。辛酉の春正月庚辰の朔、天皇卽位して、正妃を擧げて皇后と爲したまふ。
謹みて按ずるに、是れ后妃建立の始なり。蓋し聖人その匹を得るときは、則ち聖子あり。聖子聖孫相續ぐときは、則ち百代も猶ほ一日のごとし。是れ人君の天下を愛するの至りなり。凡そ帝王の匹は、風化の本、禮儀の大なるものなり。擇立することその道を以てせざれば、則ち唯だ欲を縱にし情に從ふのみ。その始に克つと雖も、以てその終を保つべからず。故に必ず正妃を立つるに廣く議し、族姓を正し、女德を詳かにし、卽位に及びて乃ち皇后と爲す。その禮を隆んにして、以て男女の別を序し、媵妾の口を排し、正議を萬世に垂るるなり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
これは皇后の地位といふものの定まつたことを記されてあるのであります。神武天皇が七年の御苦心の結果として大和地方を御平定になり、橿原の宮に於て天皇の御位にお即きになつたといふことは前に申した通りでありますが、此の天皇が御即位になると共に、皇后となるべき方を定めようといふ思召でありました。さうして然るべき身分のある方の間にこれを求められた。これは万民の手本となさるといふ思召でありまして、上の方のなさることが天下万民の基く所でありますから、既に天皇が御位にお即きになる以上は、皇后といふものを正しくお定めになつて天下に公にされ、民間の者も悉く夫婦相和し相扶け、其の間に別を立てて行かなければならぬぞといふことの範をお示しになる訳であります。皇后は始終天皇をお助けになる方でありますから、其の御血統も正しくなければならず、其の家の経歴も明かにしなければなりません。それで広く『華胄』──家柄の良い所から皇后をお求めになり、九月の朔日に媛蹈韛五十鈴媛命といふ方を納れて正妃となさいました。辛酉の年の春正月、御即位になると同時に此の方を尊んで皇后とするといふことを御宣言になりました。天皇皇后御二方が徳を同じうして万民の上にお立ちになるといふことが、是に於て定まつたのであります。素行が謹按して申しますには、聖人聖匹を得れば聖子あり、聖孫相続けば百代猶ほ一日の如し。これ人君が天下を愛する所以の至りなり。凡そ帝王の匹は風化の本、禮儀の大なるものであります。選び立つるにその道を似てせざれば、ただ欲を縦にし情に従ふのみとなり、其の始めをよくしても其の終りを保つことは出来ません。それゆゑ帝は正妃を立てるに当り、広く議つて族姓を正し女徳を詳かにし、位に即くに及んで皇后と尊ばれた。其の禮を隆くするや、以て男女の別を序し、嫡妾の品を辮じ、戒を万世に垂れたのであります。
解説
この段の原文・訓読は同全集版九節「后妃建立の始 ── 聖人の匹を得れば聖子あり」に依る。即位の禮に続けて、皇后を立てることの意義を説く。「風化の本、禮儀の大なるなり」の一句は、家庭における夫婦の禮が万民の手本となるといふ、聖政章以来くりかへし説かれてきた「上の行ひが下の風俗を作る」といふ論法の延長線上にある。