| 色つきの文字=出典引用(タップ/ホバーで説明)

中朝事實 小林一郎 講義 六十六(禮儀章 上 その二)

山鹿素行 原著 小林一郎 講述 ── 聖德太子の憲法十七條、人にして禮なきときは禽獸に異ならず 原文・訓読・講義・補注の四層

この読本について

小林一郎 講義本『中朝事實』の第六十六冊。禮儀章 上 その二(底本 下巻 三百六十六頁ほか)。氏姓の話を承け、聖德太子の憲法十七條に進みます。

この冊の読みどころ。推古天皇十二年、聖德太子親ら定めた憲法十七條のうち、禮を本とすべしと説く第四條の引用と、これに対する素行の謹按(kj252・kj253、全集版六節)、そして素行がみづからの意見をさらに付け加へて「人にして禮なきときは、禽獸に異ならず」と説く一節(kj254、全集版七節)までを収めます。

禮儀章一〜三節との関はりについて。kj253・kj254では、全集版一〜三節(禮の定義、陽神先唱、天石窟の無狀)に相当する神話――伊弉諾尊・伊弉冉尊の唱和、天照大神の石窟隠れ――が、独立した節としてではなく、この六節・七節の議論を支へる実例として登場します。その一で述べた通り、小林はこれらの神話を禮儀章の独立した節としては講じませんでしたが、内容そのものは形を変へてここに生かされてゐると見ることができます。

四層の構成。この冊のkj252・kj253は、全集版六節(憲法十七條の引用と謹按)が一つづきの漢文であるところを、分量の都合上、憲法の引用部分(kj252)と謹按部分(kj253)とに分けて収めました。

翻刻について。底本は小林一郎講述『中朝事實』下(皇國精神講座、影印)です。旧字・旧仮名の原本からの文字起こしで、なお誤りが残ってゐる可能性があります。この冊のkj252〜kj254の原文・訓読は、山鹿素行全集版『中朝事實』九(禮儀章 上 六〜七節)の校訂に依拠しました。

色分けの凡例

『日本書紀』(本文・一書)本朝の古典(古語拾遺・舊事本紀・元々集ほか)漢籍(易・書・詩・論語・孟子ほか)制度・地理・故事

主要語彙集

憲法十七條(けんぽふじふしちでう)
推古天皇十二年、聖德太子が定めたと伝へられる十七箇条の訓戒。第四條は「群卿百寮、禮を以て本と爲せ」と説く。
摂政(せつしやう)
天皇に代はり、または天皇を助けて政務を執ること。聖德太子は推古天皇の摂政として二十九年間政務にあたつた。
石窟(いはや)
天石窟。天照大神が素戔嗚尊の無禮を咎めて隠れられたと伝へる岩屋。
陽神・陰神(やうしん・いんしん)
伊弉諾尊(陽神)・伊弉冉尊(陰神)。二神が唱和の順序を正して国生みをなされた神話に、禮の初めが見出される。

登場する神・人物

山鹿素行(やまがそこう)
一六二二〜一六八五。『中朝事實』の著者。この冊で謹按(kj253)と自説の敷衍(kj254)を記す。
小林一郎(こばやしいちろう)
一八七六〜一九四四。漢学者・国文学者。二松学舎に学ぶ。『皇國精神講座』を主宰し、『中朝事實』のほか多くの古典を講義した。この読本の講義部分の著者。
聖德太子(しやうとくたいし)
推古天皇の皇太子・摂政。憲法十七條・冠位十二階を定めたと伝へられる。
推古天皇(すゐこてんわう)
第三十三代天皇と伝へられる。聖德太子を摂政とした。

禮儀章 二百五十二憲法十七條(上)── 群卿百寮、禮を以て本と爲す底本 下巻 三百六十六頁ほか
原文
推古帝十二年夏四月丙寅朔、戊辰皇太子親肇作憲法十七條、其四曰、群卿百寮以禮爲本、其治民之本要在乎禮、上不禮而下非齊、下無禮以必有罪、是以君臣有禮、位次不亂、百姓有禮、國家自治、

訓読
推古帝すゐこてい十二年じふにねんなつ四月しぐわつ丙寅ひのえとらついたち戊辰つちのえたつ皇太子くわうたいしみづかはじめて憲法けんぱふ十七條じふしちでうつくりたまふ。そのいはく、群卿ぐんけい百寮ひやくれうれいもつもとす。それたみをさむるのもとかなられいり。かみれいあらざればしもととのはず、しもれいなきときはもつかならつみあり。ここをもつ君臣くんしんれいあれば、位次ゐじみだれず。百姓ひやくせいれいあれば、國家こくかおのづかをさまる。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
次には聖徳太子の憲法をお定めになつたことが記されてあります。これは推古天皇の十二年夏四月のことであります。聖徳太子は御年二十一歳で皇太子として摂政の大任にお当たりになり、国を盛んにするに非常な御功労があつた。摂政でいらしつたのは二十九年の間で、あまりに国家の為に深く心を尽くされたと見えて、まだ四十九歳で薨去になりました。この二十九年間に国力はすつかり充実し、国の威光は外国にまでも輝いて、朝鮮までも日本に服するやうになり、隋も我が国に対して迫害を加へることが出来ず、対等の交はりを開くやうになつたのであります。此の御功績を挙げられた根本はどこにあつたかと言ふと、人の心を正しくするといふことでありました。国内には私を営んで己が家の利害ばかりを考へ、国家の利害を考へない者が多かつたので、これを直すには人の心を正しくするより外はない、人間が皆私を捨てて公に奉ずる心持になりさへすれば国は必ず盛んになる、とお考へになりました。仏教を御奨励になつたのも、衣冠の制を立てられたのも、憲法十七条をお作りになつたのも、皆この人の心を正しくするといふ目的から出たものであります。これは朝廷に仕へる百官の心得を説かれたものでありますが、其の御趣意は国民全体に対して私を捨てよといふ教訓に外なりません。ここには憲法十七条のうち第四条の言葉だけを掲げます。「朝廷に事ふる官に居る者は禮を以て本としなければならぬ。人民を治める根本は禮を立つるに在り。上の者が禮を重んじ己れの職に力を尽くし、下の者も上を敬ひ重んじて己が職に力を尽くせば、君臣ともに禮あつて秩序が立ち、人民が禮を守れば自らに争ひがなくなり、国家は自ら治まる」。

解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』九・禮儀章六節「憲法十七條 ── 群卿百寮、禮を以て本と爲す」前半(推古紀・憲法十七條第四條の引用部分)に依る。素行がここに聖德太子の憲法十七條を掲げるのは、これまで繰り返し説かれてきた「禮」の主題が、はじめて成文の憲章として著されたことに注目してのことである。

禮儀章 二百五十三憲法十七條(下)── 謹按、禮の大なる、此に至りて始めて憲章に著る底本 下巻 三百六十九頁ほか
原文
謹按、禮之大於此始著諸憲章、以令天下之人民知之由之也、夫禮者、天地之大經、而往古神聖以定中國、天神以非禮入石窟、所其繫太重、所其由行、不以禮則無所措手足、有天下國家、則有其禮、不由禮、則無所謂治平、是所以治民之本要在乎禮也、人君示不以禮民之俗不易、禮下不以禮、民不心服、禮讓行而后敎化之極、可始著也、

訓読
つつしみてあんずるに、れいだいなる、ここにいたりてはじめてこれを憲章けんしやうあらはし、もつ天下てんか人民じんみんをしてこれをりこれにらしむるなり。れい天地てんち大經たいけいにして、往古わうこ神聖しんせいもつ中國ちうごくさだむ。天神てんしん非禮ひれいもつ石窟いはやりたまふ。そのかかるところはなはおもく、そのりておこなふところ、れいもつてせざればすなは手足しゆそくくところなし。天下てんか國家こくかあれば、すなはちそのれいあり。れいらざれば、すなは治平ちへいふところなし。たみをさむるのもとかなられい所以ゆゑんなり。人君じんくんしめすにれいもつてせざればたみぞくかはらず、しもれいするにれいもつてせざれば、たみこころよりふくせず。禮讓れいじやうおこなはれてしかしてのち敎化けうくわきよくはじめてあらはるべし。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
謹んで按ずるに、禮の大切なことは、ここに至つてはじめて憲章の上に著され、天下の人民をしてこれを知りこれに由らしめるのであります。そもそも禮とは天地の大いなる筋道であつて、往古の神聖はこれを以て中国を定め、天神も禮に非ざるを以て石窟にお入りになりました。その繋る所は甚だ重い。禮によらなければ手足の置き所さへない。既に天下国家がある以上、必ずその禮がある。禮によらなければ、治平といふものも成り立たない。人君が禮を示さなければ民の風俗は改まらず、下を治めるに禮を以てしなければ民心は服さない。禮譲が行はれて、はじめて教化の極みが著れるのであります。人が人たる所以、本朝が中華たる所以は、この禮によるのであります。聖徳太子は聡明な資質を以て、はじめて冠位をお定めになり、みづから憲法をお選びになつて、禮を以て国を治める本とされました。その教への明らかなることは、まことに著しいと申すべきであります。此の後もこの精神が受け継がれて、天下の万民の禮、制度の法は大いに定まり、遂に律令格式が世に行はれ、天下万世みな禮を大本とすることを知る。聖徳太子の御功績の大いなることであります。以上、禮儀の用を総論した箇所であります。

解説
この段の原文・訓読は同節後半の謹按に依る。「天神以非禮入石窟」の一句は、全集版二節・三節に相当する陽神先唱・天石窟の神話(本書ではこれまで天先章・神教章・神知章で扱はれ、禮儀章では独立した節を立てなかった)を、ここで簡潔に要約し直したものである。素行は禮を「天地の大經」と位置づけ、聖德太子の功を以て此の節の総論を結んでゐる。

禮儀章 二百五十四人にして禮なきときは、禽獸に異ならず底本 下巻 三百七十頁ほか
原文
蓋人之爲人、本朝之爲中華、由此禮也、夷狄亦人、而其國亦治、禽獸亦物、而其群亦類、然所以爲其夷狄也、爲其禽獸也、不由禮而行之也、人而無禮、則不異於禽獸、中華而無禮、則不異於夷狄、故神聖建敎於初、天神懲戒於無狀、正其禮矣、皇太子聰明美質、始定冠位、親選憲法、以禮爲治國之本、其敎可謂著明也、此後連綿、天下衆庶之禮、制度之法大定、終律令格式行于世、天下萬世皆知禮以爲大本、皇太子之功、大哉、

訓読
けだひとひとたる、本朝ほんてう中華ちうくわたるは、このれいりてなり。夷狄いてきまたひとたり、しかしてそのくにまたをさまり、禽獸きんじうまたものにして、そのむれまたるゐたり。しかれどもその夷狄いてきたる所以ゆゑんは、その禽獸きんじうたるは、れいりてこれをおこなはざればなり。ひととしてれいなきときは、すなは禽獸きんじうことならず、中華ちうくわにしてれいなきときは、すなは夷狄いてきことならず。ゆゑ神聖しんせいをしへはじめて、天神てんしん無狀ぶじやう懲戒ちようかいして、そのれいただしたまふ。皇太子くわうたいし聰明そうめい美質びしつにして、はじめて冠位くわんゐさだめ、みづか憲法けんぱふえらび、れいもつ治國ちこくもとしたまふ。そのをしへ著明ちよめいなりとひつべし。こののち連綿れんめんして、天下てんか衆庶しゆうしよれい制度せいどはふおほいにさだまり、つひ律令りつりやう格式きやくしきおこなはれ、天下てんか萬世ばんせいみなれいもつ大本たいほんたることをる。皇太子くわうたいしこうだいなるかな

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
素行が更に自分の意見を附け加へて申しますには、禮の大切であるといふことは神代よりして既に認められて居たことでありますが、これを斯ういふやうに文章の上に著して万民の教へとなされたのは、この聖徳太子の憲法に始まるのであります。禮といふのは物の秩序を立てること、物の宜しきに適ふことでありますから、これは天地の根本の道と申さなければなりません。日月が空を運るのにも定まつた道があり、春夏秋冬の気候の変化にも定まつた道がある。これも皆禮と考へてよろしいのであります。禮が立たずに凡てが混乱して居つたならば、天地の間の何物も其の所を得ることは出来ない。それゆゑ人間もまた禮を守らなければなりません。神代の事を考へても、国をお定めになる初めに禮を重んぜられました。すなはち伊弉諾尊・伊弉冉尊が夫婦のお約束をなさる時、はじめ女神の方から言葉を掛けられた。それは順序に違ふといふことで、更めて男神の方から言葉を掛けられて、夫婦の関係を定められた。天照大神が石窟の中にお入りになつたのも、素戔嗚尊の無禮を咎められたからであります。斯ういふやうに、既に国の初めから禮といふものが重んぜられて居るのであります。人にして禮がなければ、手足を満足に動かすことすら出来ない。まして国が治まり国威が外に赫くといふことは望まれません。夷狄も人にして其の国にも治まりがあり、禽獣も物にして其の群れにも類がある。それにも拘らず夷狄が夷狄たり、禽獣が禽獣たる所以は、禮によらずに行ふからであります。人にして禮がなければ禽獣に異ならず、中華にして禮がなければ夷狄に異ならず。日本のやうな立派な国であつても、禮が全く廃れてしまへば夷狄と選ぶところがないのであります。かうして聖徳太子は冠位を定め、憲法を選び、禮を以て国を治める本とされた。この教へは実に尊く、後世までも永く守つて行かねばならぬものであります。これは憲法のうち僅かに一条を抽いただけでありますが、この憲法をお定めになつた根本の御精神は、人々をして私を捨てさせるといふことにあります。私を捨てる以上は各々その分に安んじなければならぬ。その分に安んずる以上は、人と人との間の正しい関係が重んぜられねばならぬのでありますから、すなはち禮を重んずることが国を盛んにする本であるといふことが知られるのであります。徒らに禮の末に流れて、形さへ整へば宜いといふことになれば、決して実際の行ひは正しくなりません。禮の根本の精神をよく弁へて行くといふことが、如何なる人にも最も肝要なことと申さなければならぬのであります。

解説
この段の原文・訓読は同全集版七節「人にして禮なきときは、禽獸に異ならず」に依る。夷狄も人、禽獸も物として、それぞれに秩序があるにもかかはらず、それを夷狄・禽獸たらしめるのは禮によらないからだ、といふ論法は、神知章・神教章とも通じる素行の基本的な世界観である。小林は説明の中で伊弉諾尊・伊弉冉尊、天照大神石窟の神話に再びふれてをり、禮儀章一〜三節に相当する内容は、こうした形で本節の実例として吸収されてゐると見ることができる。