禮儀章 二百五十二憲法十七條(上)── 群卿百寮、禮を以て本と爲す底本 下巻 三百六十六頁ほか
原文
推古帝十二年夏四月丙寅朔、戊辰皇太子親肇作憲法十七條、其四曰、群卿百寮以禮爲本、其治民之本要在乎禮、上不禮而下非齊、下無禮以必有罪、是以君臣有禮、位次不亂、百姓有禮、國家自治、
訓読
推古帝の十二年夏四月丙寅の朔、戊辰、皇太子親ら肇めて憲法十七條を作りたまふ。その四に曰く、群卿百寮、禮を以て本と爲す。それ民を治むるの本は要ず禮に在り。上禮あらざれば下齊はず、下禮なきときは以て必ず罪あり。ここを以て君臣禮あれば、位次亂れず。百姓禮あれば、國家自ら治まる。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
次には聖徳太子の憲法をお定めになつたことが記されてあります。これは推古天皇の十二年夏四月のことであります。聖徳太子は御年二十一歳で皇太子として摂政の大任にお当たりになり、国を盛んにするに非常な御功労があつた。摂政でいらしつたのは二十九年の間で、あまりに国家の為に深く心を尽くされたと見えて、まだ四十九歳で薨去になりました。この二十九年間に国力はすつかり充実し、国の威光は外国にまでも輝いて、朝鮮までも日本に服するやうになり、隋も我が国に対して迫害を加へることが出来ず、対等の交はりを開くやうになつたのであります。此の御功績を挙げられた根本はどこにあつたかと言ふと、人の心を正しくするといふことでありました。国内には私を営んで己が家の利害ばかりを考へ、国家の利害を考へない者が多かつたので、これを直すには人の心を正しくするより外はない、人間が皆私を捨てて公に奉ずる心持になりさへすれば国は必ず盛んになる、とお考へになりました。仏教を御奨励になつたのも、衣冠の制を立てられたのも、憲法十七条をお作りになつたのも、皆この人の心を正しくするといふ目的から出たものであります。これは朝廷に仕へる百官の心得を説かれたものでありますが、其の御趣意は国民全体に対して私を捨てよといふ教訓に外なりません。ここには憲法十七条のうち第四条の言葉だけを掲げます。「朝廷に事ふる官に居る者は禮を以て本としなければならぬ。人民を治める根本は禮を立つるに在り。上の者が禮を重んじ己れの職に力を尽くし、下の者も上を敬ひ重んじて己が職に力を尽くせば、君臣ともに禮あつて秩序が立ち、人民が禮を守れば自らに争ひがなくなり、国家は自ら治まる」。
解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』九・禮儀章六節「憲法十七條 ── 群卿百寮、禮を以て本と爲す」前半(推古紀・憲法十七條第四條の引用部分)に依る。素行がここに聖德太子の憲法十七條を掲げるのは、これまで繰り返し説かれてきた「禮」の主題が、はじめて成文の憲章として著されたことに注目してのことである。
禮儀章 二百五十三憲法十七條(下)── 謹按、禮の大なる、此に至りて始めて憲章に著る底本 下巻 三百六十九頁ほか
原文
謹按、禮之大於此始著諸憲章、以令天下之人民知之由之也、夫禮者、天地之大經、而往古神聖以定中國、天神以非禮入石窟、所其繫太重、所其由行、不以禮則無所措手足、有天下國家、則有其禮、不由禮、則無所謂治平、是所以治民之本要在乎禮也、人君示不以禮民之俗不易、禮下不以禮、民不心服、禮讓行而后敎化之極、可始著也、
訓読
謹みて按ずるに、禮の大なる、ここに至りて始めてこれを憲章に著はし、以て天下の人民をしてこれを知りこれに由らしむるなり。夫れ禮は天地の大經にして、往古の神聖以て中國を定む。天神は非禮を以て石窟に入りたまふ。その繫るところ太だ重く、その由りて行ふところ、禮を以てせざれば則ち手足を措くところなし。天下國家あれば、則ちその禮あり。禮に由らざれば、則ち治平と謂ふところなし。是れ民を治むるの本の要ず禮に在る所以なり。人君示すに禮を以てせざれば民の俗易らず、下に禮するに禮を以てせざれば、民心より服せず。禮讓行はれて而して后に敎化の極、始めて著はるべし。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
謹んで按ずるに、禮の大切なことは、ここに至つてはじめて憲章の上に著され、天下の人民をしてこれを知りこれに由らしめるのであります。そもそも禮とは天地の大いなる筋道であつて、往古の神聖はこれを以て中国を定め、天神も禮に非ざるを以て石窟にお入りになりました。その繋る所は甚だ重い。禮によらなければ手足の置き所さへない。既に天下国家がある以上、必ずその禮がある。禮によらなければ、治平といふものも成り立たない。人君が禮を示さなければ民の風俗は改まらず、下を治めるに禮を以てしなければ民心は服さない。禮譲が行はれて、はじめて教化の極みが著れるのであります。人が人たる所以、本朝が中華たる所以は、この禮によるのであります。聖徳太子は聡明な資質を以て、はじめて冠位をお定めになり、みづから憲法をお選びになつて、禮を以て国を治める本とされました。その教への明らかなることは、まことに著しいと申すべきであります。此の後もこの精神が受け継がれて、天下の万民の禮、制度の法は大いに定まり、遂に律令格式が世に行はれ、天下万世みな禮を大本とすることを知る。聖徳太子の御功績の大いなることであります。以上、禮儀の用を総論した箇所であります。
解説
この段の原文・訓読は同節後半の謹按に依る。「天神以非禮入石窟」の一句は、全集版二節・三節に相当する陽神先唱・天石窟の神話(本書ではこれまで天先章・神教章・神知章で扱はれ、禮儀章では独立した節を立てなかった)を、ここで簡潔に要約し直したものである。素行は禮を「天地の大經」と位置づけ、聖德太子の功を以て此の節の総論を結んでゐる。
禮儀章 二百五十四人にして禮なきときは、禽獸に異ならず底本 下巻 三百七十頁ほか
原文
蓋人之爲人、本朝之爲中華、由此禮也、夷狄亦人、而其國亦治、禽獸亦物、而其群亦類、然所以爲其夷狄也、爲其禽獸也、不由禮而行之也、人而無禮、則不異於禽獸、中華而無禮、則不異於夷狄、故神聖建敎於初、天神懲戒於無狀、正其禮矣、皇太子聰明美質、始定冠位、親選憲法、以禮爲治國之本、其敎可謂著明也、此後連綿、天下衆庶之禮、制度之法大定、終律令格式行于世、天下萬世皆知禮以爲大本、皇太子之功、大哉、
訓読
蓋し人の人たる、本朝の中華たるは、この禮に由りてなり。夷狄も亦人たり、而してその國も亦治まり、禽獸も亦物にして、その群も亦類たり。然れどもその夷狄たる所以は、その禽獸たるは、禮に由りてこれを行はざればなり。人として禮なきときは、則ち禽獸に異ならず、中華にして禮なきときは、則ち夷狄に異ならず。故に神聖は敎を初に建て、天神は無狀を懲戒して、その禮を正したまふ。皇太子聰明美質にして、始めて冠位を定め、親ら憲法を選び、禮を以て治國の本と爲したまふ。その敎著明なりと謂ひつべし。この後連綿して、天下衆庶の禮、制度の法大いに定まり、終に律令格式世に行はれ、天下萬世皆禮を以て大本たることを知る。皇太子の功、大なる哉。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
素行が更に自分の意見を附け加へて申しますには、禮の大切であるといふことは神代よりして既に認められて居たことでありますが、これを斯ういふやうに文章の上に著して万民の教へとなされたのは、この聖徳太子の憲法に始まるのであります。禮といふのは物の秩序を立てること、物の宜しきに適ふことでありますから、これは天地の根本の道と申さなければなりません。日月が空を運るのにも定まつた道があり、春夏秋冬の気候の変化にも定まつた道がある。これも皆禮と考へてよろしいのであります。禮が立たずに凡てが混乱して居つたならば、天地の間の何物も其の所を得ることは出来ない。それゆゑ人間もまた禮を守らなければなりません。神代の事を考へても、国をお定めになる初めに禮を重んぜられました。すなはち伊弉諾尊・伊弉冉尊が夫婦のお約束をなさる時、はじめ女神の方から言葉を掛けられた。それは順序に違ふといふことで、更めて男神の方から言葉を掛けられて、夫婦の関係を定められた。天照大神が石窟の中にお入りになつたのも、素戔嗚尊の無禮を咎められたからであります。斯ういふやうに、既に国の初めから禮といふものが重んぜられて居るのであります。人にして禮がなければ、手足を満足に動かすことすら出来ない。まして国が治まり国威が外に赫くといふことは望まれません。夷狄も人にして其の国にも治まりがあり、禽獣も物にして其の群れにも類がある。それにも拘らず夷狄が夷狄たり、禽獣が禽獣たる所以は、禮によらずに行ふからであります。人にして禮がなければ禽獣に異ならず、中華にして禮がなければ夷狄に異ならず。日本のやうな立派な国であつても、禮が全く廃れてしまへば夷狄と選ぶところがないのであります。かうして聖徳太子は冠位を定め、憲法を選び、禮を以て国を治める本とされた。この教へは実に尊く、後世までも永く守つて行かねばならぬものであります。これは憲法のうち僅かに一条を抽いただけでありますが、この憲法をお定めになつた根本の御精神は、人々をして私を捨てさせるといふことにあります。私を捨てる以上は各々その分に安んじなければならぬ。その分に安んずる以上は、人と人との間の正しい関係が重んぜられねばならぬのでありますから、すなはち禮を重んずることが国を盛んにする本であるといふことが知られるのであります。徒らに禮の末に流れて、形さへ整へば宜いといふことになれば、決して実際の行ひは正しくなりません。禮の根本の精神をよく弁へて行くといふことが、如何なる人にも最も肝要なことと申さなければならぬのであります。
解説
この段の原文・訓読は同全集版七節「人にして禮なきときは、禽獸に異ならず」に依る。夷狄も人、禽獸も物として、それぞれに秩序があるにもかかはらず、それを夷狄・禽獸たらしめるのは禮によらないからだ、といふ論法は、神知章・神教章とも通じる素行の基本的な世界観である。小林は説明の中で伊弉諾尊・伊弉冉尊、天照大神石窟の神話に再びふれてをり、禮儀章一〜三節に相当する内容は、こうした形で本節の実例として吸収されてゐると見ることができる。