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中朝事實 小林一郎 講義 六十三(聖政章 その三)

山鹿素行 原著 小林一郎 講述 ── 國史を置くの始、農桑を勸む、以上・政敎の道を論ず 原文・訓読・講義・補注の四層

この読本について

小林一郎 講義本『中朝事實』の第六十三冊。聖政章その三(底本 下巻 三百十七頁ほか)。この冊では、統治の情報をいかに集めるかという主題(國史・巡省)、民の生業を政の根本に置く農桑の詔、そして聖政章一節からここまでを総括する「以上、政敎の道を論ず」までを読み進め、ひとまとまりの区切りとします。

この冊の読みどころ。成務天皇の國史設置と清寧天皇の巡省の按語(kj238、全集版sp11)、顯宗天皇元年「人一日もこれなきときは則ち苦しむ」という農桑の詔(kj239、sp12)、そして素行みづからが「政は誠に在り、敎は弘め審にするに在り」と総括し、時・水土・人情・事物・大倫の五つの「能く」を並べる結び(kj240、sp13)までを収めます。

四層の構成。この冊はすべて全集版の原文・訓読に対応する段で構成されています。「解説」は新たに書き加へた補注です。

翻刻について。底本は小林一郎講述『中朝事實』下(皇國精神講座、影印)です。旧字・旧仮名の原本からの文字起こしで、なお誤りが残ってゐる可能性があります。この冊のkj238〜kj240の原文・訓読は、山鹿素行全集版『中朝事實』八(聖政章 十一〜十三)の校訂に依拠しました。

色分けの凡例

『日本書紀』(本文・一書)本朝の古典(古語拾遺・舊事本紀・元々集ほか)漢籍(易・書・詩・論語・孟子ほか)制度・地理・故事

主要語彙集

國史(こくし)
諸国に置かれた記録の官、またその記録。成務天皇四年に始まるとされる。
巡省(じゆんせい)
使者を遣はして地方の風俗を巡り視ること。清寧天皇三年の記事に見える。
目代(もくだい)
後世、国守に代はつて国務を記録・処理した官。
稼穡(かしよく)
穀物を植ゑ収穫すること。農事の労苦を指す。
黎元(れいげん)
民、人民。「黎民」と同義。
沿革損益(えんかくそんえき)
古きを継ぎ、時に応じて新しく加減すること。
大倫(たいりん)
大きな人の道、人倫の大本。

登場する神・人物

山鹿素行(やまがそこう)
一六二二〜一六八五。『中朝事實』の著者。この冊で聖政章の按語と総括とを記す。
小林一郎(こばやしいちろう)
一八七六〜一九四四。漢学者・国文学者。二松学舎に学ぶ。『皇國精神講座』を主宰し、『中朝事實』のほか多くの古典を講義した。この読本の講義部分の著者。
成務天皇(せいむてんわう)
第十三代天皇。四年、諸国に國史を置いたとされる。kj238に登場する。
清寧天皇(せいねいてんわう)
第二十二代天皇。三年、臣連を遣はして風俗を巡省させたとされる。kj238に登場する。
顯宗天皇(けんぞうてんわう)
第二十三代天皇。元年、農桑を勧める詔を発した。kj239に登場する。

聖政章 二百三十八國史を置くの始 ── 風俗を巡省す底本 下巻 三百十七頁ほか
原文
成務帝四年、秋八月辛卯朔、戊申、始於諸國置國史、記言事、達四方志、
謹按、是置國史之官也、史者記事之官也、言、上以記天子之敎令、下以記國郡之事、記言事、是置國史之始也、民之敎令、下以記國郡之事、令知國俗之化、以正其政也、後世國守之外、有目代等官、皆記國之事、以正其政、是也、
清寧帝三年、秋九月壬子朔、癸丑、遣臣連、巡省風俗、冬十月壬午朔、乙酉、詔大爲器、獻器大馬、
謹按、使臣之巡察者、政之恆也、而巡省風俗、是敎化所繫、其俗之大也、物至微而志者至大也、

訓読
成務帝せいむてい四年しねんあき八月はちぐわつ辛卯かのとうついたち戊申つちのえさるはじめて諸國しよこく國史こくしきて、言事げんじしるし、四方しはうたつせしむ。
つつしみてあんずるに、國史こくしくわんくなり。ことしるすのくわんなり。ふところは、かみもつ天子てんし敎令けうれいしるし、しももつ國郡こくぐんことしるす。言事げんじしるす、國史こくしくのはじめなり。國俗こくぞくくわらしめ、もつてそのまつりごとただすなり。後世こうせい國守こくしゆほか目代もくだいとうくわんありて、みなくにことしるし、もつてそのまつりごとただす、これなり。
清寧帝せいねいてい三年さんねんあき九月くぐわつ壬子みづのえねついたち癸丑みづのとうし臣連おみむらじつかはして、風俗ふうぞく巡省じゆんせいせしむ。
つつしみてあんずるに、使臣ししん巡察じゆんさつは、まつりごとつねなり。しかして風俗ふうぞく巡省じゆんせいするは、敎化けうくわかかるところ、そのぞくだいなるなり。ものいたつてにしてこころざしいたつてだいなり。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
次に引かれますのが、成務天皇四年、秋八月辛卯の朔、戊申の日、はじめて諸国に國史をお置きになり、言と事とを記させ、四方の志を届けさせられたといふ記事であります。素行はこれを謹んで按じて申します。これが國史の官を置くといふことであります。史とは、事を記す官であります。申したいところは、上は天子の教令を記し、下は国郡の事を記す。言と事とを記す、これが國史を置くはじめであります。国の習俗の変化を知らせて、その政を正すのであります。後の世には国守のほかに目代などの官があつて、みな国の事を記してその政を正しました。これがそれであります。続けて清寧天皇三年、秋九月壬子の朔、癸丑の日、臣連を遣はして風俗を巡り視させられたといふ記事が引かれます。素行はこれについても謹んで按じて申します。使者を遣はして巡察させるのは、政の常のことであります。さうして風俗を巡り視るといふのは、教化のかかるところであつて、その習俗こそ大事なのであります。物はきはめて微かでも、志はきはめて大きいのであります。

解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』八・聖政章十一「國史を置くの始 ── 風俗を巡省す」に依る。統治の情報をどう集めるかといふ主題が続く。聖政章九節(kj236、sp09)の巡狩が天皇みづから行くのに対し、ここは國史(記録させる)と巡省(使者を出す)である。「物は至つて微にして志は至つて大なり」――日々の細かな記録に大きな志がかかつてゐる、といふのが素行の評価である。

聖政章 二百三十九農桑を勸む ── 一日もこれなきときは苦しむ底本 下巻 三百十八頁ほか
原文
顯宗帝元年、詔曰、朕聞、士有當年而不耕者、則天下或受其飢矣、女有當年而不績者、天下或受其寒矣、故王親耕而勸農業、后妃親蠶而勉桑業、況厥百寮、棄捐農績、而至殷富者乎、有司普告天下、令識朕懷、
謹按、凡天下之人物、未嘗無其事業、既有事業、則其成敗必繫于勤怠、農以養天下之飢、桑以防天下之寒、人一日無之則苦、故聖主賢后親耕親蠶、備嘗稼穡之艱難、勸勉天下之黎元、是人君父母子民之義也、帝錯志於政敎、即位元年有此詔、以告天下可勤其事業、百寮有司、豈可怠乎、

訓読
顯宗帝けんぞうてい元年ぐわんねんみことのりしてのたまはく、ちんく、當年たうねんにしてたがやさざるものあれば、すなは天下てんかあるひはそのうゑけん。をんな當年たうねんにしてまざるものあれば、天下てんかあるひはそのさむきをけん。ゆゑわうみづかたがやして農業のうげふすすめ、后妃こうひみづかかひこして桑業さうげふすすむ。いはんやそれ百寮ひやくれう農績のうせき棄捐きえんして、殷富いんぷいたものをや。有司いうしあまね天下てんかげて、ちんおもひらしめよ。
つつしみてあんずるに、およ天下てんか人物じんぶついまかつてその事業じげふなくんばあらず。すで事業じげふあれば、すなはちその成敗せいはいかなら勤怠きんたいかかる。のうもつ天下てんかうゑやしなひ、さうもつ天下てんかさむきをふせぐ。ひと一日いちにちもこれなきときはすなはくるしむ。ゆゑ聖主せいしゆ賢后けんこうみづかたがやみづかかひこして、つぶさ稼穡かしよく艱難かんなんめ、天下てんか黎元れいげんすすはげましたまふ。人君じんくんたみ父母ふぼたるのなり。ていこころざし政敎せいけうきたまうて、即位そくゐ元年ぐわんねんにこのみことのりあり、天下てんかぐるにその事業じげふつとむべきをもつてす。百寮ひやくれう有司いうしおこたるべけんや。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
次に引かれますのが、顯宗天皇元年の詔であります。詔して仰せられました。『朕は聞いて居る。男でその年に耕さない者があれば、天下は飢ゑを受けることがある。女でその年に糸を紡がない者があれば、天下は寒さを受けることがある。それゆゑに王はみづから耕して農業を勧め、后妃はみづから蚕を飼つて桑の業を励ます。まして百官が農と紡績とを捨てておいて、富み栄えるといふことがあらうか。役人は広く天下に告げて、朕の思ひを知らしめよ』と。素行はこれを謹んで按じて申します。そもそも天下の人には、みなその生業がなかつたためしはありませぬ。すでに生業があれば、その成否は必ず勤めるか怠るかにかかる。農は天下の飢ゑを養ひ、桑は天下の寒さを防ぐ。人は一日でもこれがなければ苦しみます。それゆゑに聖なる君も賢い后も、みづから耕しみづから蚕を飼つて、耕作の苦労をつぶさに味はひ、天下の民をお励ましになつた。これが君主が民の父母であるといふ意味であります。天皇は御志を政と教とに置かれ、即位の元年にこの詔があつて、天下に告げるのにその生業に勤めるべきことをもつてなされました。百官も役人も、どうして怠つてよいでありませうか。

解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』八・聖政章十二「農桑を勸む ── 一日もこれなきときは苦しむ」に依る。神治章で説かれた天照太神の親耕・親蠶が、ここでは人の世の詔として現れる。「人一日もこれなきときは則ち苦しむ」――農と桑とは、思想ではなく一日の生活である。素行はここから「人君の民に父母たるの義」を引き出す。父母であるとは慈しむことではなく、みづから稼穡の艱難を嘗めることだ、といふのがこの按語の含みである。

聖政章 二百四十以上、政敎の道を論ず ── 五つの「能く」底本 下巻 三百十九頁ほか
原文
以上論政敎之道、
謹按、政者在以誠、敎者在弘審、凡政敎之道、能察其時、以沿革損益、能知其水土、以考風俗、能通其人情、以節過不及、能詳其事物、以定制度、能明其大倫、以序禮用、而后敷省以化之、可謂聖神功用之極也、否乃或煩碎而不厚、或不敎而期化、竟不可得政敎之實也、

訓読
以上いじやう政敎せいけうみちろんず。
つつしみてあんずるに、まつりごとまこともつてするにり、をしへひろつまびらかにするにり。およ政敎せいけうみちは、くそのときさつしてもつ沿革えんかく損益そんえきし、くその水土すゐどりてもつ風俗ふうぞくかんがへ、くその人情にんじやうつうじてもつ過不及くわふきふせつし、くその事物じぶつつまびらかにしてもつ制度せいどさだめ、くその大倫たいりんあきらかにしてもつ禮用れいようじよし、しかしてのちかへりみてもつてこれをくわす。聖神せいしん功用こうようきよくふべきなり。しからざればすなはあるひ煩碎はんさいにしてあつからず、あるひをしへずしてくわし、つひ政敎せいけうじつべからず。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
以上、政と教との道を論じました。素行はこれを謹んで按じて申します。政は誠をもつて行ふことに在り、教は広め詳らかにすることに在ります。そもそも政と教との道は、その時代をよく見きはめて古きを継ぎ新しきを加減し、その土地の風土をよく知つて習俗を考へ、その人情によく通じて行き過ぎと足りなさとを調節し、その事物をよく詳らかにして制度を定め、その大きな人倫をよく明らかにして礼の運用を順序立て、そのうへで施行し反省してこれを感化して行く。聖なる神の御働きの極みと申してよいのであります。さうでなければ、こまごまと煩はしいばかりで手厚くなく、あるいは教へもしないで感化を期待して、結局は政と教との実を得ることが出来ませぬ。

解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』八・聖政章十三「以上、政敎の道を論ず ── 五つの『能く』」に依る。冒頭の「以上論政敎之道」は、聖政章一節(kj228、sp01)からここまでを振り返る素行自身の言葉である。「政は誠に在り、敎は弘め審にするに在り」と二語で言ひ切つたうへで、五つの「能く」を並べる――時・水土・人情・事物・大倫。時代・風土・感情・事実・人倫の五つを知らずに制度だけ作るな、といふのが素行の統治論である。ここまで読み進めて来た憲法から律令への沿革、殉死の廃止、巡狩、國史と巡省、農桑の勧めといふ個々の記事は、この五つの実例だつたことになる。聖政章はここでいつたん一区切りとなり、次のその四では、祭りごとを「政」の一字に訓ずるという、あらためて祭政一致の理念に立ち返る段へと進む。