聖政章 二百三十三憲法から律令へ底本 下巻 三百十二頁ほか
原文
及二十二年、敦化流行、衆庶樂業、皇庶既滿、人民皆知長幼之序課役之制、宜哉稽其至德乎、蓋迄後世、有巡察按察宣撫之法、以正其風俗制度、及推古帝、聖德太子定憲法、孝德帝詐天下之政制、天武帝定律令法式、文武帝朝淡海公奉勅撰律令、終帝之功、不亦大哉、
訓読
二十二年に及びて、敦化流行し、衆庶業を樂しむ。皇庶既に滿ち、人民皆長幼の序、課役の制を知る。宜なる哉、その至德を稽ふるや。蓋し後世に迄るまで、巡察・按察・宣撫の法ありて、以てその風俗制度を正す。推古帝に及びて、聖德太子憲法を定む。孝德帝天下の政制を詐む。天武帝律令法式を定む。文武帝の朝淡海公勅を奉けて律令を撰ぶ。帝の功を終ふる、亦大ならずや。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
さて次に引かれますのは、崇神天皇の御代のその後、二十二年に及んでの記事であります。二十二年になりますと、篤い教化が行き渡り、人々はみな仕事を楽しむやうになつた。民は満ち足り、人民はみな長幼の序と課役の制とを知るに至つた。もつともなことであります、その至徳を考へて見れば。思ふに後の世に至るまで、巡察・按察・宣撫の法があつて、それによつて風俗と制度とを正して参りました。推古天皇の御代に至りましては、聖德太子が憲法をお定めになりました。孝德天皇は天下の政治の制度をお定めになりました。天武天皇は律令と法式とをお定めになりました。文武天皇の御代には淡海公が勅を奉じて律令をお撰びになりました。天皇の御功業をかやうに成し遂げられたことは、まことに大きなことではありませぬか。
解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』八・聖政章六「憲法から律令へ」に依る。崇神朝の教化から、聖德太子の憲法十七条を経て、大寶律令の完成までを一息に辿る。「人民皆長幼の序、課役の制を知る」――教へが知識になり、知識が制度になるといふ順序が示される。聖政章序(kj227)で説かれた祭政一致の理念が、ここでは具体的な法制の沿革として展開される。
聖政章 二百三十四殉を止めよ ── 垂仁帝の詔底本 下巻 三百十三頁ほか
原文
垂仁帝二十八年、詔曰、夫以生所愛、令殉亡者、是甚傷矣、其雖古風之非良何從、自今以後、議之止殉、
三十二年、野見宿禰、作埴輪土物以獻之、是則民之父母之誠所擴充也、
訓読
垂仁帝の二十八年、詔して曰はく、夫れ生けるを以て愛でしところを、亡き者に殉はしむるは、是れ甚だ傷ましきかな。それ古風と雖も、良からずんば何ぞ從はん。今より以後、これを議りて殉を止めよと。
三十二年、野見宿禰、埴輪土物を作りて以てこれを獻る。是れ則ち民の父母たるの誠の擴充するところなり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
次に引かれますのが、垂仁天皇二十八年の詔であります。詔して仰せられました。『そもそも生きて居るものを、それも愛して居つた者を、亡くなつた者に殉じさせるといふことは、まことに痛ましいことである。たとひ古くからの風であつたとしても、良くないものであるならば、どうしてこれに従はうか。今より以後、これを議つて殉死を止めよ』と。さうして三十二年、野見宿禰が埴輪の土の物を作つて献上いたしました。これこそ民の父母たる誠の心が押し広げられたものであります。
解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』八・聖政章七「殉を止めよ ── 垂仁帝の詔」に依る。「その古風と雖も、良からずんば何ぞ従はん」――本章でもつとも力のある一句である。古いといふだけでは従ふ理由にはならない。聖政章一節(kj228、全集版sp01)の「義は必ず時に隨ふ」が、ここで殉死の廃止といふ具体的なかたちで実現する。
聖政章 二百三十五外朝は始め俑あり、遂に殉に至る底本 下巻 三百十四頁ほか
原文
謹按、殉者、以人殉亡者也、夫人君者、民之父母也、未有父母而不愛其子、殉亡者哀之過而愛之溢也、聖人立法、止殉之詔有之、三十二年、野見宿禰作埴輪土桓、以代之、是民之父母之誠擴充之所也、帝大之德、可謂大哉、蓋外朝始有俑、而其弊以至殉、以亂國、中國始有殉、而至作土物以止殉、其風俗之渾厚、可以見之也、
訓読
謹みて按ずるに、殉は、人を以て亡き者に殉はしむるなり。夫れ人君は、民の父母なり。未だ父母にしてその子を愛せざるものはあらず。亡き者に殉はしむるは、哀みの過ぎて愛の溢るるなり。聖人法を立て、殉を止むるの詔これあり。三十二年、野見宿禰埴輪土桓を作りて、以てこれに代ふ。是れ民の父母たるの誠の擴充するところなり。帝の大なる德、大なりと謂ふべき哉。蓋し外朝は始め俑あり、而してその弊以て殉に至り、以て國を亂る。中國は始め殉あり、而して土物を作りて以て殉を止むるに至る。その風俗の渾厚、以てこれを見つべきなり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
素行はこれについて謹んで按じて申します。殉とは、人を亡くなつた者に従はせることであります。そもそも君主は民の父母である。父母であつてその子を愛さない者はをりませぬ。亡き者に殉じさせるといふのは、哀しみが過ぎて愛があふれたものであります。聖人が法をお立てになつて、殉を止める詔をお出しになつた。三十二年、野見宿禰が埴輪の土垣を作つて、これに代へました。これこそ民の父母たる誠の心が押し広げられたところであります。天皇の大いなる御徳は、大きいと申すべきでありませう。思ふに外つ國の朝廷は、はじめ人形すなはち俑があつて、その弊がついに殉死にまで至り、國を乱すに至りました。日本ははじめ殉死があつて、そして土の物すなはち埴輪を作つて殉を止めるに至つたのであります。その風俗の渾然たる厚みは、これによつて見て取ることが出来るのであります。
解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』八・聖政章八「外朝は始め俑あり、遂に殉に至る」に依る。向かつた方向が正反対だ、といふのが素行の論点である。外つ國(中国)は人形(俑)から始まつて生きた人間の殉死に至つた。日本は殉死から始まつて人形(埴輪)に至つた。同じ二つの要素を持ちながら、経過の向きがまるで逆であるといふ、中國章でも見られた比較の型がここに用ゐられる。
聖政章 二百三十六巡狩の道 ── 西方の諸侯を觀る底本 下巻 三百十五頁ほか
原文
景行帝十二年、秋八月乙未朔、己酉、幸筑紫、
謹按、是巡狩之始也、此時觀西方之諸侯、以正其風俗、明制度、以定政事、此時天下大定、封域建、後至成務帝、縣邑之制・造長・首渠之法、竟定、天下猶一家、教化俗同、巡狩之道大哉、
訓読
景行帝の十二年、秋八月乙未の朔、己酉、筑紫に幸す。
謹みて按ずるに、是れ巡狩の始なり。この時西方の諸侯を觀て、以てその風俗を正し、制度を明らかにし、以て政事を定む。この時天下大いに定まり、封域建つ。後成務帝に至りて、縣邑の制・造長・首渠の法、竟に定まり、天下猶ほ一家のごとく、教化俗を同じくす。巡狩の道大なる哉。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
次に引かれますのが、景行天皇十二年、秋八月乙未の朔、己酉の日、筑紫に行幸あそばされたといふ記事であります。素行はこれを謹んで按じて申します。これが巡狩のはじめであります。この時、西方の諸侯を御覧になつて、その風俗を正し、制度を明らかにし、政事をお定めになりました。この時天下は大いに定まり、領域が建てられました。のちに成務天皇の御代に至りまして、県邑の制、造長・首渠の法がつひに定まり、天下はまるで一家のやうになつて、教化は俗を同じくするに至つたのであります。巡狩の道は、まことに大いなるものであります。
解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』八・聖政章九「巡狩の道 ── 西方の諸侯を觀る」に依る。巡狩の要点は「観る」ことに在る。諸侯を観、風俗を観る。聖政章二節(kj229、sp02)の「政の要は民心と習俗とを察するに在り」を、天皇みづから実行なさるのが巡狩である。報告を待つのではなく、みづから行つて見るといふところに、統治の情報をいかに得るかといふ問題への、素行の答へがある。
聖政章 二百三十七妖神を殺すは夷狄の習俗なり底本 下巻 三百十六頁ほか
原文
仁德帝十一年、武藏人强頸、河內人茨田連衫子二人、以禱于河神、
謹按、妖神殺人爲牲、是夷狄之習俗也、天孫未降之前、惡鬼妖怪之餘政也、蓋祭爲鬼神、非禮之祭、亨何河伯、嗟、可惑乎、夫帝之聰明俊德、天下之太平無事、豈思辨之不用、祭河伯以爲惑、人君不愼、
訓読
仁德帝の十一年、武藏の人强頸、河內の人茨田連衫子二人、以て河神に禱る。
謹みて按ずるに、妖神人を殺して牲と爲すは、是れ夷狄の習俗なり。天孫未だ降らざるの前、惡鬼妖怪の餘政なり。蓋し祭は鬼神の爲なるも、非禮の祭、何ぞ河伯を亨らんや。嗟、惑ふべけんや。夫れ帝の聰明俊德、天下の太平無事、豈思辨のこれを用ひざらんや。河伯を祭るを以て惑と爲す。人君愼まざるべけんや。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
次に引かれますのが、仁德天皇十一年、武蔵の人强頸、河内の人茨田連衫子の二人が、河の神に祈つたといふ記事であります。素行はこれを謹んで按じて申します。妖しき神が人を殺して生贄とするといふことは、これは夷狄の習俗であります。天孫がまだ天降りになる前の、悪鬼妖怪の残した政であります。思ふに祭りといふものは鬼神のためのものではありますが、礼にかなはない祭りに於て、どうして河の神をお祀り申すことがありませうか。ああ、惑ふべきことでありませうか。そもそも天皇の聡明さと優れた御徳、天下の太平無事に於て、どうして思慮分別をお用ひにならないといふことがありませうか。河の神を祀ることを、素行は惑ひであると申します。君主たる者、愼まないでゐられませうか。
解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』八・聖政章十「妖神を殺すは夷狄の習俗なり」に依る。人身供犠を「夷狄の習俗」「悪鬼妖怪の餘政」と切つて捨てる、本章でもつとも合理的な一節である。『論語』為政篇の「その鬼に非ずして之を祭るは、諂ふなり」を踏まへ、礼にかなはない祭りは祭りではないと説く。祭祀を政の第一に置いた聖政章四節(kj231、sp04)と矛盾しない――そこで示された基準が「至誠」であつたからである。誠に基づく祭祀と、恐れに基づく供犠とは別物だといふのが素行の立場である。なほ全集版の原文には、この段の末尾に「然猶信鬼神之妖、其子之淺謀以殺神之妖、此失處在乎、豈可擧此一事以爲帝之政弊、」というやや長い一節が続くが、対応する訓読・現代語訳が付されてゐないため、この冊では訓読のある範囲までを収めた。その二はここで一区切りとし、次のその三では「國史を置くの始」から「以上、政教の道を論ず」までを読み進める。