聖政章 二百二十七聖政章 序 ── 祭政一致の義底本 下巻 二百九十九〜三百頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
かやうにして、こんどは『聖政章』といふ章に入ります。この章は、この國の政治といふものは、帝の御心持に従つて行はれなければならないといふことを明かにするものでありまして、卽ち前に申し上げましたやうに、『政』といふ字は、日本では『まつりごと』と訓みます。卽ち帝をお祭り申す時の御心持で凡ての政治を執り、凡ての制度を立てるといふことであります。たゞ法律制度を拵へて世の中を治めて行くといふやうなことでは、日本の國體には合はないのでありまして、上に立つ方は常に御祖先の神々の御心に基き、身を以て一般の人民をお導きになるといふ御心持でありますから、この上に立つ方をお輔け申す人々も、深く自分の身を愼んで、萬民の手本となるといふ心構へで行かなければならない。かやうにして初めて政治が本當によく行はれるのであります。またそれと共に一般人民の心持といふものをもよく察しなければならないので、人間は初めから悪い者はをりませぬけれども、つい其の境遇に依つて心が僻みまして、罪を犯すやうにもなるのでありますから、何時でも民間の様子をよく察して、人々が其の正しい道を失はないやうに之を導いて行くといふことも、また政治の局に當る者の責任であります。これらのことを、この『聖政章』といふ章の中に於て詳しく論ぜられて居るのであります。
解説
原文には對應する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。前章の神知章が「人を知ること」の難しさを説いたのに対し、聖政章はその人の上に立つて「政治の制度をいかに整へるか」を説く。作業メモに記した通り、「制度より人(神治章・神知章)――聖政章十六〜十八で修正され、以後はその上に立つ」という全体構成の中で、聖政章は神知章に続く章として、政と祭とを一つに見る「祭政一致」の理念から説き起こされる。「政」の字を「まつりごと」と訓むという、この読本のなかで幾度か触れられて来た語釈が、ここであらためて本章の入口に置かれる。
聖政章 二百二十八義は必ず時に隨ふ底本 下巻 三百頁
原文
神武帝己未年、春三月辛酉朔、丁卯、下令曰、今運屬此屯蒙、民心朴素、巢栖穴住、習俗惟常、夫大人立制、義必隨時、苟有利民、何妨聖造、
訓読
神武帝の己未の年、春三月辛酉の朔、丁卯、令を下して曰はく、今運はこの屯蒙に屬ひ、民心朴素にして、巢に栖み穴に住み、習俗惟れ常なり。夫れ大人制を立つるは、義必ず時に隨ふ。苟くも民に利あらば、何ぞ聖造に妨げあらん。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
さてその第一に引かれますのが、神武天皇己未の年の詔であります。この詔は中國章十八節、神治章六節にも既に引かれたものでありますが、ここでは殊に次の一句だけが取り出されます。神武天皇の己未の年、春三月辛酉の朔、丁卯の日、令を下して仰せられました。『今、時運はこの世の中の未だ開けきらぬ屯蒙のさなかにあたつて居り、民の心は素朴であつて、巣に棲み穴に住むといふ有様で、習俗はそのままである。そもそも大人たる者が制度をお立てになるには、その筋道は必ず時に隨ふものである。かりにも民のためになることであるならば、聖なる御造營に何の差し支へがあらうか』と。かやうに、制度といふものは一旦定めたら変へてはならぬものではなく、時に隨つて、民の利益を第一に考へて改めてよいのだといふことが、ここに示されて居るのであります。
解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』八・聖政章一「義は必ず時に隨ふ」に依る。神武天皇己未年の詔は中國章十八節・神治章六節にも引かれた文であるが、聖政章ではそのうち「義は必ず時に隨ふ」「苟くも民に利あらば」の八字だけが抜き出される。制度は不変の型ではなく、時と民の利とによつて改められてよいといふ原則が、聖政章全体の入口に置かれる。
聖政章 二百二十九政の要は、民心と習俗とを察するに在り底本 下巻 三百〜三百二頁
原文
謹按、是政令之始也、民心者、天之人心也、習俗者、人皆習以爲俗也、言、天下屯蒙、而人詐偽穴居野處以爲習俗、今帝建極、以正天下之體、新其舊俗、故於此詔、新其舊染、又大也、人心之朴素、易染善惡以成、人君立政、明教率之、則得之也、蓋政之要在察民心與習俗、人心必與俗而化成、風俗成在習熟之久、習熟久則民不識其然、故曰、政之要在察民心與習俗、此章可謂盡政教之大體也、
訓読
謹みて按ずるに、是れ政令の始なり。民心は、天の人心なり。習俗は、人皆習つて以て俗と爲すなり。言ふところは、天下屯蒙にして、人詐偽して穴居野處し、以て習俗と爲す。今帝極を建て、以て天下の體を正し、その舊俗を新たにす。故にこの詔に於いて、その舊染を新たにす。又大なり。人心の朴素なるは、善惡に染まり易くして以て成る。人君政を立て、明教これを率ゐれば、則ちこれを得るなり。蓋し政の要は民心と習俗とを察するに在り。人心は必ず俗と與に化成す。風俗の成るは習熟の久しきに在り。習熟久しきときは則ち民その然るを識らず。故に曰ふ、政の要は民心と習俗とを察するに在りと。この章は政教の大體を盡くすと謂ふべし。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
次に素行は自らの考へを謹んで申し述べます。これが政令の始めであると申すのであります。民心とは、天が人にお与へになつた心であります。習俗とは、人が皆習ひ馴れて、それを俗としたものであります。申したいところは、かうであります。天下がまだ開けきらぬ屯蒙のさなかにあつて、人は偽りをなし、穴に住み野に暮らして、それを習俗として居つた。今、天皇が大本をお建てになつて天下の體を正し、その舊い俗を新たにされた。それゆゑにこの詔に於て、その古い染まりぐせを新たにされたのである。これもまた大きなことであります。人の心が素朴であるといふことは、善にも悪にも染まりやすくて、そのまま形になるといふことであります。君主が政を立て、明らかな教へでこれを率ゐられれば、人心を得ることが出来る。思ふに政の要は、民心と習俗とを察することに在るのであります。人の心は必ず俗と共に化して形になる。風俗が成るのは、習ひ熟することの久しいところに在ります。習ひ熟することが久しければ、民は何故さうなつて居るのか、自分でも意識しないやうになる。それゆゑに、政の要は民心と習俗とを察することに在ると申すのであります。この一章は、政治と教化との大體を盡すものと申してよいのであります。
解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』八・聖政章二「政の要は、民心と習俗とを察するに在り」に依る。本章の主題文にあたる。「習熟久しきときは則ち民その然るを識らず」――習慣が長く続くと、人はなぜさうしてゐるのかを意識しなくなる。だから政を行ふ者は、まづ民の心と習俗とを「察する」ことから始めねばならないと素行は説く。自序の「久しくして狃るればなり」(見慣れると分からなくなる)が、統治の場面にあらためて置き直されてゐる。
聖政章 二百三十三種の神寶を大殿に安置す底本 下巻 三百三〜三百五頁ほか
原文
四年、春二月壬戌朔、甲申詔曰、我皇祖之靈、自天降鑒、光助朕躬、今諸虜已平、海內無事、可以郊祀天神、用申大孝者也、乃立靈畤於鳥見山中、其地號曰上小野榛原・下小野榛原、用祭皇祖天神焉、
先人曰、神武天皇定都於大和國橿原、時以三種神寶、安置大殿、床同殿共、如往古神勅、宮中無庫藏、官物・神物無差別、
訓読
四年、春二月壬戌の朔、甲申、詔して曰はく、我が皇祖の靈、天より降り鑒て、朕が躬を光らし助けたまへり。今諸虜已に平ぎ、海內事なし。以て天神を郊祀して、用て大孝を申ぶべき者なりと。乃ち靈畤を鳥見山の中に立て、その地を號けて上小野榛原・下小野榛原と曰ふ。用て皇祖天神を祭りたまふ。
先人曰く、神武天皇都を大和國橿原に定めたまふ。時に三種の神寶を以て、大殿に安置し、床を同じくし殿を共にすること、往古の神勅の如し。宮中に庫藏むるなく、官物・神物に差別なし。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
次に引かれますのが、神武天皇四年の記事であります。四年、春二月壬戌の朔、甲申の日、詔して仰せられました。『わが皇祖の御靈が、天より降り見そなはして、朕が身を照らし助けられた。今、もろもろの敵はすでに平ぎ、天下に事はない。天神を郊にお祀り申して、大いなる孝を申し述べるべきである』と。そこで靈畤を鳥見山の中にお立てになり、その地を名づけて上小野榛原・下小野榛原と申しました。それによつて皇祖天神をお祭りになつたのであります。先人の申しますには、神武天皇が都を大和國橿原にお定めになつた時、三種の神寶を大殿に安置し、床を同じくし殿を共にすることは、往古の神勅の通りであつた。宮中には別に藏を設けることなく、御役所の物と神の御寶物とに、区別がなかつたのであります。
解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』八・聖政章三「三種の神寶を大殿に安置す」に依る。神器章十五節でも引かれた記事だが、ここでは「宮中に庫藏なく、官物・神物に差別なし」という一句が中心に置かれる。政治と祭祀とがまだ分かれてゐなかつた上代の姿を示し、次段(kj231)の按語がその意味をあらためて説き明かす。
聖政章 二百三十一天下の政事は郊祀宗廟の祭祀より大なるはなし底本 下巻 三百六〜三百七頁ほか
原文
謹按、天下之政事、莫大於郊社宗廟之祭祀、夫人君以天地爲父母、況帝承乾靈天孫之統、以臨四海乎、蓋交神之道在誠、至誠以求之、則無不感、故往古神祇之祭祀、朝廷之政事、不二其義、深哉、凡主祭祀者、皆執朝政、如天種子命・神八井耳命、
訓読
謹みて按ずるに、天下の政事は、郊社宗廟の祭祀より大なるはなし。夫れ人君は天地を以て父母と爲す。況んや帝は乾靈天孫の統を承けて、以て四海に臨むをや。蓋し神に交はるの道は誠に在り。至誠以てこれを求むれば、則ち感ぜざるなし。故に往古の神祇の祭祀、朝廷の政事、その義を二つにせず。深き哉。凡そ祭祀を主る者は、皆朝政を執る。天種子命・神八井耳命の如し。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
次に素行が謹んで按じますには、天下の政事は、郊社宗廟の祭祀より大きなものはないと申します。そもそも君主は天地を父母とせられる。まして天皇は天つ神と天孫の御統をお承けになつて、四海に臨ませられるのでありますから、なほさらであります。思ふに神に交はる道は誠に在ります。至誠を以てこれを求めますれば、感ぜざるはありませぬ。それゆゑに往古に於ては、神祇の祭祀と朝廷の政事とは、その意味を二つにしなかつたのであります。深いことであります。凡そ祭祀を主る者は、皆朝廷の政をお執りになりました。天種子命・神八井耳命のやうにであります。
解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』八・聖政章四「天下の政事は郊祀宗廟の祭祀より大なるはなし」に依る。「神に交はるの道は誠に在り」――祭祀と政事とを同じ一つの事とする根拠は、形式ではなくこの一点に置かれる。なほ全集版の原文には「其後蒼生亦至誠以求祭祀、至誠以感、」の一句が続くが、対応する訓読・現代語訳が付されてゐないため、この冊では省いた。
聖政章 二百三十二教を四方に施すの始 ── 正朔を受く底本 下巻 三百八〜三百十一頁ほか
原文
崇神帝十年、秋七月丙戌朔、己酉、詔群卿曰、導民之本、在於敎化也、今旣禮神祇、災害皆耗、然遠荒人等、猶不受正朔、是未習王化耳、其選群卿、遣于四方、令知朕憲、
謹按、是發行人以施敎於四方之始也、導者、啓迪也、敎不至化、則民與敎異也、正朔者、王曆也、天下皆受正朔、同其事于天、正朔不受、則民殊俗、憲者、法也、憲章、以示人也、言、民皆有此心、敎化不明、則不盡其性、啓迪之在敎之化、曰敬鬼神與敬化民、其本不出至誠、
訓読
崇神帝の十年、秋七月丙戌の朔、己酉、群卿に詔して曰はく、民を導くの本は、敎化に在るなり。今旣に神祇を禮まひ、災害皆耗きぬ。然れども遠荒の人等、猶ほ正朔を受けず。是れ未だ王化に習はざるのみ。それ群卿を選び、四方に遣はして、朕が憲を知らしめよと。
謹みて按ずるに、是れ行人を發して以て敎を四方に施すの始なり。導は、啓迪なり。敎化に至らざれば、則ち民と敎と異なるなり。正朔は、王曆なり。天下皆正朔を受くるは、その事を天に同じくするなり。正朔受けざれば、則ち民俗を殊にす。憲は、法なり。憲章は、以て人に示すなり。言ふところは、民皆この心あり。敎化明らかならざれば、則ちその性を盡くさず。これを啓迪するは敎の化に在り。鬼神を敬すると民を化するを敬すると曰ふ、その本は至誠に出でず。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
最後に引かれますのが、崇神天皇十年の詔であります。崇神天皇の十年、秋七月丙戌の朔、己酉の日、群卿に詔して仰せられました。『民を導く根本は、教化に在るのである。今すでに神々をお祀り申し、災はみな尽きた。しかれども遠く荒れた地の人々は、なほ暦を受けて居らぬ。これはまだ王の教化に習つて居らぬだけのことである。群卿を選んで四方に遣はし、朕が定めを知らしめよ』と。素行はこれを謹んで按じて申します。これは使者を発して教へを四方に施すことの始めであります。『導く』とは、ひらき導くことであります。教へが人を変へるところまで至らなければ、民と教へとは別々のままである。『正朔』とは、王の御暦であります。天下が皆御暦をお受けするのは、その営みを天とお同じくすることであります。御暦をお受けしなければ、民は習俗を異にする。『憲』とは、法であります。『憲章』とは、それによつて人にお示しになることであります。申したいところは、かうであります。民には皆この心がある。教化が明らかでなければ、その生まれつきの性を盡すことが出来ぬ。これをひらき導くのは、教への人を変へるところに在る。鬼神を敬ふことと、民を教化することを敬ふこととは、その根本において至誠より出づるのであります。
解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』八・聖政章五「教を四方に施すの始 ── 正朔を受く」に依る。「敎、化に至らざれば、則ち民と敎と異なるなり」――教へを出しただけでは足りず、人が変はるところまで至つてはじめて教化である。暦を受けるといふ行政上のことが「その事を天に同じくする」ことだと説かれ、暦の統一が生活の同型化であることが示される。その一はここで一区切りとし、次のその二では憲法から律令へと、聖政章の議論がさらに具体的な制度論へと進んで行く。