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中朝事實 小林一郎 講義 六十一(聖政章 その一)

山鹿素行 原著 小林一郎 講述 ── 祭政一致の義、政の要は民心と習俗とを察するに在り 原文・訓読・講義・補注の四層

この読本について

小林一郎 講義本『中朝事實』の第六十一冊。聖政章その一(底本 下巻 二百九十九頁ほか)。神知章の完結を承け、いよいよ聖政章に入ります。聖政章は「政」の字が日本で「まつりごと」と訓まれること――帝をお祭り申す御心持で政治を執るという祭政一致の理念から説き起こされ、以下、政治と教化の具体的なあり方が論じられて行きます。

この冊の読みどころ。まづ聖政章全体の序として、小林一郎の講義による敷衍(kj227)を置き、続けて神武天皇己未年の詔から「義は必ず時に隨ふ」の一句(kj228、全集版sp01)、素行みづからの按語「政の要は、民心と習俗とを察するに在り」(kj229、sp02)、三種の神寶を大殿に安置したという上世の姿(kj230、sp03)、「天下の政事は郊祀宗廟の祭祀より大なるはなし」(kj231、sp04)、崇神天皇十年の詔と正朔を受くる教化の始め(kj232、sp05)までを読み進めます。

四層の構成。kj227は小林の講義による敷衍のため、「原文」「訓読」欄には対応する漢文がない旨を記し、「現代語訳」欄に小林一郎の講義そのものを現代表記に直して収めています。「解説」は新たに書き加へた補注です。

翻刻について。底本は小林一郎講述『中朝事實』下(皇國精神講座、影印)です。旧字・旧仮名の原本からの文字起こしで、なお誤りが残ってゐる可能性があります。この冊のkj228〜kj232の原文・訓読は、山鹿素行全集版『中朝事實』八(聖政章 一〜五)の校訂に依拠しました。

色分けの凡例

『日本書紀』(本文・一書)本朝の古典(古語拾遺・舊事本紀・元々集ほか)漢籍(易・書・詩・論語・孟子ほか)制度・地理・故事

主要語彙集

政令(せいれい)
まつりごとの命令。聖政章はこの語をもつて説き起こされる。
屯蒙(とんもう)
世の中がまだ開けきらない、草創のさなか。『易』屯・蒙二卦に由来する語。
郊社宗廟(かうしやそうべう)
郊で天を祀り、社で地を祀り、宗廟で祖先を祀る祭祀の総称。『中庸』にも見える。
靈畤(まつりのには)
神を祭るために設けた祭場。神武天皇が鳥見山に立てたとされる。
正朔(せいさく)
王が定める暦。これを受けることは、天下が王の教化に服することを意味する。
王化(わうくわ)
王者の教化。遠い地の人々がこれに習はないことが、聖政章五節の詔の背景にある。
憲章(けんしやう)
法。人に示すべき定め。
啓迪(けいてき)
ひらき導くこと。「導」の字の意味として解説される。

登場する神・人物

山鹿素行(やまがそこう)
一六二二〜一六八五。『中朝事實』の著者。この冊で聖政章の按語を記す。
小林一郎(こばやしいちろう)
一八七六〜一九四四。漢学者・国文学者。二松学舎に学ぶ。『皇國精神講座』を主宰し、『中朝事實』のほか多くの古典を講義した。この読本の講義部分の著者。
神武天皇(じんむてんわう)
初代天皇。己未年の詔(kj228)、四年の鳥見山靈畤の記事(kj230)に登場する。
崇神天皇(すじんてんわう)
第十代天皇。十年の詔(kj232)で群卿を四方に遣はし教化を施すことを命じた。
天種子命(あめのたねこのみこと)
祭祀を主りつつ朝政を執つたとされる神。kj231に引かれる。
神八井耳命(かむやゐみみのみこと)
神武天皇の皇子。祭祀を主りつつ朝政を執つたとされる例としてkj231に引かれる。

聖政章 二百二十七聖政章 序 ── 祭政一致の義底本 下巻 二百九十九〜三百頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
かやうにして、こんどは『聖政章』といふ章に入ります。この章は、この國の政治といふものは、帝の御心持に従つて行はれなければならないといふことを明かにするものでありまして、卽ち前に申し上げましたやうに、『政』といふ字は、日本では『まつりごと』と訓みます。卽ち帝をお祭り申す時の御心持で凡ての政治を執り、凡ての制度を立てるといふことであります。たゞ法律制度を拵へて世の中を治めて行くといふやうなことでは、日本の國體には合はないのでありまして、上に立つ方は常に御祖先の神々の御心に基き、身を以て一般の人民をお導きになるといふ御心持でありますから、この上に立つ方をお輔け申す人々も、深く自分の身を愼んで、萬民の手本となるといふ心構へで行かなければならない。かやうにして初めて政治が本當によく行はれるのであります。またそれと共に一般人民の心持といふものをもよく察しなければならないので、人間は初めから悪い者はをりませぬけれども、つい其の境遇に依つて心が僻みまして、罪を犯すやうにもなるのでありますから、何時でも民間の様子をよく察して、人々が其の正しい道を失はないやうに之を導いて行くといふことも、また政治の局に當る者の責任であります。これらのことを、この『聖政章』といふ章の中に於て詳しく論ぜられて居るのであります。

解説
原文には對應する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。前章の神知章が「人を知ること」の難しさを説いたのに対し、聖政章はその人の上に立つて「政治の制度をいかに整へるか」を説く。作業メモに記した通り、「制度より人(神治章・神知章)――聖政章十六〜十八で修正され、以後はその上に立つ」という全体構成の中で、聖政章は神知章に続く章として、政と祭とを一つに見る「祭政一致」の理念から説き起こされる。「政」の字を「まつりごと」と訓むという、この読本のなかで幾度か触れられて来た語釈が、ここであらためて本章の入口に置かれる。

聖政章 二百二十八義は必ず時に隨ふ底本 下巻 三百頁
原文
神武帝己未年、春三月辛酉朔、丁卯、下令曰、今運屬此屯蒙、民心朴素、巢栖穴住、習俗惟常、夫大人立制、義必隨時、苟有利民、何妨聖造、

訓読
神武帝じんむてい己未つちのとひつじとしはる三月さんぐわつ辛酉かのととりついたち丁卯ひのとうれいくだしてのたまはく、いまうんはこの屯蒙とんもうひ、民心みんしん朴素ぼくそにして、あなみ、習俗しふぞくつねなり。大人たいじんせいつるは、かならときしたがふ。いやしくもたみあらば、なん聖造せいざうさまたげあらん。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
さてその第一に引かれますのが、神武天皇己未の年の詔であります。この詔は中國章十八節、神治章六節にも既に引かれたものでありますが、ここでは殊に次の一句だけが取り出されます。神武天皇の己未の年、春三月辛酉の朔、丁卯の日、令を下して仰せられました。『今、時運はこの世の中の未だ開けきらぬ屯蒙のさなかにあたつて居り、民の心は素朴であつて、巣に棲み穴に住むといふ有様で、習俗はそのままである。そもそも大人たる者が制度をお立てになるには、その筋道は必ず時に隨ふものである。かりにも民のためになることであるならば、聖なる御造營に何の差し支へがあらうか』と。かやうに、制度といふものは一旦定めたら変へてはならぬものではなく、時に隨つて、民の利益を第一に考へて改めてよいのだといふことが、ここに示されて居るのであります。

解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』八・聖政章一「義は必ず時に隨ふ」に依る。神武天皇己未年の詔は中國章十八節・神治章六節にも引かれた文であるが、聖政章ではそのうち「義は必ず時に隨ふ」「苟くも民に利あらば」の八字だけが抜き出される。制度は不変の型ではなく、時と民の利とによつて改められてよいといふ原則が、聖政章全体の入口に置かれる。

聖政章 二百二十九政の要は、民心と習俗とを察するに在り底本 下巻 三百〜三百二頁
原文
謹按、是政令之始也、民心者、天之人心也、習俗者、人皆習以爲俗也、言、天下屯蒙、而人詐偽穴居野處以爲習俗、今帝建極、以正天下之體、新其舊俗、故於此詔、新其舊染、又大也、人心之朴素、易染善惡以成、人君立政、明教率之、則得之也、蓋政之要在察民心與習俗、人心必與俗而化成、風俗成在習熟之久、習熟久則民不識其然、故曰、政之要在察民心與習俗、此章可謂盡政教之大體也、

訓読
つつしみてあんずるに、政令せいれいはじめなり。民心みんしんは、てん人心じんしんなり。習俗しふぞくは、ひとみなならつてもつぞくすなり。ふところは、天下てんか屯蒙とんもうにして、ひと詐偽さぎして穴居野處けつきよやしよし、もつ習俗しふぞくす。いまていきよくて、もつ天下てんかたいただし、その舊俗きうぞくあらたにす。ゆゑにこのみことのりいて、その舊染きうせんあらたにす。まただいなり。人心じんしん朴素ぼくそなるは、善惡ぜんあくまりやすくしてもつる。人君じんくんまつりごとて、明教めいけうこれをひきゐれば、すなはちこれをるなり。けだまつりごとえう民心みんしん習俗しふぞくとをさつするにり。人心じんしんかならぞくとも化成くわせいす。風俗ふうぞくるは習熟しふじゆくひさしきにり。習熟しふじゆくひさしきときはすなはたみそのしかるをらず。ゆゑふ、まつりごとえう民心みんしん習俗しふぞくとをさつするにりと。このしやう政教せいけう大體たいたいくすとふべし。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
次に素行は自らの考へを謹んで申し述べます。これが政令の始めであると申すのであります。民心とは、天が人にお与へになつた心であります。習俗とは、人が皆習ひ馴れて、それを俗としたものであります。申したいところは、かうであります。天下がまだ開けきらぬ屯蒙のさなかにあつて、人は偽りをなし、穴に住み野に暮らして、それを習俗として居つた。今、天皇が大本をお建てになつて天下の體を正し、その舊い俗を新たにされた。それゆゑにこの詔に於て、その古い染まりぐせを新たにされたのである。これもまた大きなことであります。人の心が素朴であるといふことは、善にも悪にも染まりやすくて、そのまま形になるといふことであります。君主が政を立て、明らかな教へでこれを率ゐられれば、人心を得ることが出来る。思ふに政の要は、民心と習俗とを察することに在るのであります。人の心は必ず俗と共に化して形になる。風俗が成るのは、習ひ熟することの久しいところに在ります。習ひ熟することが久しければ、民は何故さうなつて居るのか、自分でも意識しないやうになる。それゆゑに、政の要は民心と習俗とを察することに在ると申すのであります。この一章は、政治と教化との大體を盡すものと申してよいのであります。

解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』八・聖政章二「政の要は、民心と習俗とを察するに在り」に依る。本章の主題文にあたる。「習熟久しきときは則ち民その然るを識らず」――習慣が長く続くと、人はなぜさうしてゐるのかを意識しなくなる。だから政を行ふ者は、まづ民の心と習俗とを「察する」ことから始めねばならないと素行は説く。自序の「久しくして狃るればなり」(見慣れると分からなくなる)が、統治の場面にあらためて置き直されてゐる。

聖政章 二百三十三種の神寶を大殿に安置す底本 下巻 三百三〜三百五頁ほか
原文
四年、春二月壬戌朔、甲申詔曰、我皇祖之靈、自天降鑒、光助朕躬、今諸虜已平、海內無事、可以郊祀天神、用申大孝者也、乃立靈畤於鳥見山中、其地號曰上小野榛原・下小野榛原、用祭皇祖天神焉、
先人曰、神武天皇定都於大和國橿原、時以三種神寶、安置大殿、床同殿共、如往古神勅、宮中無庫藏、官物・神物無差別、

訓読
四年しねんはる二月にぐわつ壬戌みづのえいぬついたち甲申きのえさるみことのりしてのたまはく、皇祖くわうそみたまあめよりくだて、ちんらしたすけたまへり。いま諸虜しよりよすでたひらぎ、海內かいだいことなし。もつ天神てんじん郊祀かうしして、もつ大孝たいかうぶべきものなりと。すなは靈畤まつりのには鳥見山とみやまなかて、そのところなづけて上小野榛原かみつをののはりはら下小野榛原しもつをののはりはらふ。もつ皇祖天神くわうそてんじんまつりたまふ。
先人せんじんいはく、神武天皇じんむてんわうみやこ大和國やまとのくに橿原かしはらさだめたまふ。とき三種みくさ神寶かむだからもつて、大殿おほとの安置あんちし、ゆかおなじくし殿とのともにすること、往古わうこ神勅しんちよくごとし。宮中きゆうちゆう庫藏くらをさむるなく、官物つかさもの神物かむだから差別しやべつなし。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
次に引かれますのが、神武天皇四年の記事であります。四年、春二月壬戌の朔、甲申の日、詔して仰せられました。『わが皇祖の御靈が、天より降り見そなはして、朕が身を照らし助けられた。今、もろもろの敵はすでに平ぎ、天下に事はない。天神を郊にお祀り申して、大いなる孝を申し述べるべきである』と。そこで靈畤を鳥見山の中にお立てになり、その地を名づけて上小野榛原・下小野榛原と申しました。それによつて皇祖天神をお祭りになつたのであります。先人の申しますには、神武天皇が都を大和國橿原にお定めになつた時、三種の神寶を大殿に安置し、床を同じくし殿を共にすることは、往古の神勅の通りであつた。宮中には別に藏を設けることなく、御役所の物と神の御寶物とに、区別がなかつたのであります。

解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』八・聖政章三「三種の神寶を大殿に安置す」に依る。神器章十五節でも引かれた記事だが、ここでは「宮中に庫藏なく、官物・神物に差別なし」という一句が中心に置かれる。政治と祭祀とがまだ分かれてゐなかつた上代の姿を示し、次段(kj231)の按語がその意味をあらためて説き明かす。

聖政章 二百三十一天下の政事は郊祀宗廟の祭祀より大なるはなし底本 下巻 三百六〜三百七頁ほか
原文
謹按、天下之政事、莫大於郊社宗廟之祭祀、夫人君以天地爲父母、況帝承乾靈天孫之統、以臨四海乎、蓋交神之道在誠、至誠以求之、則無不感、故往古神祇之祭祀、朝廷之政事、不二其義、深哉、凡主祭祀者、皆執朝政、如天種子命・神八井耳命、

訓読
つつしみてあんずるに、天下てんか政事せいじは、郊社かうしや宗廟そうべう祭祀さいしよりだいなるはなし。人君じんくん天地てんちもつ父母ふぼす。いはんやてい乾靈けんれい天孫てんそんとうけて、もつ四海しかいのぞむをや。けだかみまじはるのみちまことり。至誠しせいもつてこれをもとむれば、すなはかんぜざるなし。ゆゑ往古わうこ神祇じんぎ祭祀さいし朝廷てうてい政事せいじ、そのふたつにせず。ふかかなおよ祭祀さいしつかさどものは、みな朝政てうせいる。天種子命あめのたねこのみこと神八井耳命かむやゐみみのみことごとし。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
次に素行が謹んで按じますには、天下の政事は、郊社宗廟の祭祀より大きなものはないと申します。そもそも君主は天地を父母とせられる。まして天皇は天つ神と天孫の御統をお承けになつて、四海に臨ませられるのでありますから、なほさらであります。思ふに神に交はる道は誠に在ります。至誠を以てこれを求めますれば、感ぜざるはありませぬ。それゆゑに往古に於ては、神祇の祭祀と朝廷の政事とは、その意味を二つにしなかつたのであります。深いことであります。凡そ祭祀を主る者は、皆朝廷の政をお執りになりました。天種子命・神八井耳命のやうにであります。

解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』八・聖政章四「天下の政事は郊祀宗廟の祭祀より大なるはなし」に依る。「神に交はるの道は誠に在り」――祭祀と政事とを同じ一つの事とする根拠は、形式ではなくこの一点に置かれる。なほ全集版の原文には「其後蒼生亦至誠以求祭祀、至誠以感、」の一句が続くが、対応する訓読・現代語訳が付されてゐないため、この冊では省いた。

聖政章 二百三十二教を四方に施すの始 ── 正朔を受く底本 下巻 三百八〜三百十一頁ほか
原文
崇神帝十年、秋七月丙戌朔、己酉、詔群卿曰、導民之本、在於敎化也、今旣禮神祇、災害皆耗、然遠荒人等、猶不受正朔、是未習王化耳、其選群卿、遣于四方、令知朕憲、
謹按、是發行人以施敎於四方之始也、導者、啓迪也、敎不至化、則民與敎異也、正朔者、王曆也、天下皆受正朔、同其事于天、正朔不受、則民殊俗、憲者、法也、憲章、以示人也、言、民皆有此心、敎化不明、則不盡其性、啓迪之在敎之化、曰敬鬼神與敬化民、其本不出至誠、

訓読
崇神帝すじんてい十年じふねんあき七月しちぐわつ丙戌ひのえいぬついたち己酉つちのととり群卿まへつきみたちみことのりしてのたまはく、たみみちびくのもとは、敎化けうくわるなり。いますで神祇じんぎゐやまひ、災害さいがいみなきぬ。しかれども遠荒ゑんくわう人等ひとら正朔せいさくけず。いま王化わうくわならはざるのみ。それ群卿まへつきみたちえらび、四方よもつかはして、ちんのりらしめよと。
つつしみてあんずるに、行人かうじんはつしてもつをしへ四方しはうほどこすのはじめなり。だうは、啓迪けいてきなり。をしへくわいたらざれば、すなはたみをしへことなるなり。正朔せいさくは、王曆わうれきなり。天下てんかみな正朔せいさくくるは、そのことてんおなじくするなり。正朔せいさくけざれば、すなはたみぞくことにす。けんは、ほふなり。憲章けんしやうは、もつひとしめすなり。ふところは、たみみなこのこころあり。敎化けうくわあきらかならざれば、すなはちそのせいくさず。これを啓迪けいてきするはをしへくわり。鬼神きしんけいするとたみくわするをけいするとふ、そのもと至誠しせいでず。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
最後に引かれますのが、崇神天皇十年の詔であります。崇神天皇の十年、秋七月丙戌の朔、己酉の日、群卿に詔して仰せられました。『民を導く根本は、教化に在るのである。今すでに神々をお祀り申し、災はみな尽きた。しかれども遠く荒れた地の人々は、なほ暦を受けて居らぬ。これはまだ王の教化に習つて居らぬだけのことである。群卿を選んで四方に遣はし、朕が定めを知らしめよ』と。素行はこれを謹んで按じて申します。これは使者を発して教へを四方に施すことの始めであります。『導く』とは、ひらき導くことであります。教へが人を変へるところまで至らなければ、民と教へとは別々のままである。『正朔』とは、王の御暦であります。天下が皆御暦をお受けするのは、その営みを天とお同じくすることであります。御暦をお受けしなければ、民は習俗を異にする。『憲』とは、法であります。『憲章』とは、それによつて人にお示しになることであります。申したいところは、かうであります。民には皆この心がある。教化が明らかでなければ、その生まれつきの性を盡すことが出来ぬ。これをひらき導くのは、教への人を変へるところに在る。鬼神を敬ふことと、民を教化することを敬ふこととは、その根本において至誠より出づるのであります。

解説
この段の原文・訓読は山鹿素行全集版『中朝事實』八・聖政章五「教を四方に施すの始 ── 正朔を受く」に依る。「敎、化に至らざれば、則ち民と敎と異なるなり」――教へを出しただけでは足りず、人が変はるところまで至つてはじめて教化である。暦を受けるといふ行政上のことが「その事を天に同じくする」ことだと説かれ、暦の統一が生活の同型化であることが示される。その一はここで一区切りとし、次のその二では憲法から律令へと、聖政章の議論がさらに具体的な制度論へと進んで行く。