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中朝事實 小林一郎 講義 四十九(神治章 その十八)

山鹿素行 原著 小林一郎 講述 ── 六十二年秋七月の詔、依網池・苅坂池・反折池の開鑿、謹按「農の利を尽す」、外朝との比較 原文・訓読・講義・補注の四層

この読本について

小林一郎 講義本『中朝事實』の第四十九冊。神治章の第十八分冊(底本 下巻 百七十一〜百七十六頁)を収めます。その十七で語られた崇神天皇の課役の制を承け、この冊は話題を転じて、灌漑用の池(依網池・苅坂池・反折池)の開鑿という、農業振興のための具体的施策を語ります。

この冊の読みどころ(一)。崇神天皇六十二年秋七月の詔「農は天下の大本なり」から始まり、河内狭山の水不足を解消するため三つの池を築いたという『日本書紀』の記事です。この一節に対応する全集版の分冊は現時点で未確認のため、この冊では底本のみを典拠として翻刻・訓読しています。

この冊の読みどころ(二)。小林はこの詔を敷衍するにあたり、「実行が伴はなければ心持だけでは役に立たない」として、当時(昭和初期)の官僚制度・委員会行政の弊害にまで踏み込んで論じます。古代の詔の講義でありながら現代批評となつてゐる、この読本シリーズでも珍しい一節です。

この冊の読みどころ(三)。謹按では、垂仁天皇・景行天皇による灌漑事業の継承に触れたのち、外朝(中国)の周および漢の文帝・景帝の「農は天下の大本なり」という詔を引き、東西を問はず「民事に拳々たる」君主のあり方は同一であると結びます。

四層の構成。kj151・kj154・kj155は小林の講義による敷衍のため、「原文」「訓読」欄には対応する漢文がない旨を記し、「現代語訳」欄に小林一郎の講義そのものを現代表記に直して全文収めています。「解説」は新たに書き加へた補注です。

翻刻について。底本は小林一郎講述『中朝事實』下(皇國精神講座、影印)です。旧字・旧仮名の原本からの文字起こしで、なお誤りが残ってゐる可能性があります。

色分けの凡例

『日本書紀』(本文・一書)本朝の古典(古語拾遺・舊事本紀・元々集ほか)漢籍(易・書・詩・論語・孟子ほか)制度・地理・故事

主要語彙集

依網池・苅坂池・反折池(よさみのいけ・かりさかのいけ・さかをりのいけ)
崇神天皇六十二年に築かれたと伝はる三つの灌漑用の池。河内国狭山の水不足を解消するため築造された。
溝洫(こうきよく)
田畑に水を引くための溝。灌漑用水路。
拳拳(けんけん)
両手で捧げ持つやうに、大切に心にかけて忘れないさま。ここでは民事を大切にする君主の姿勢をいふ。
先儒(せんじゆ)
先代の儒者、昔の学者。ここでは漢の文帝の詔について考証した後世の学者を指す。

登場する神・人物

小林一郎(こばやしいちろう)
一八七六〜一九四四。漢学者・国文学者。二松学舎に学ぶ。『皇國精神講座』を主宰し、『中朝事實』のほか多くの古典を講義した。この読本の講義部分の著者。
山鹿素行(やまがそこう)
一六二二〜一六八五。『中朝事實』の著者。この冊の謹按も素行自身の筆による。
崇神天皇(すじんてんのう)
第十代天皇。河内狭山の水不足を解消するため三つの池を築かせた。
垂仁天皇(すいにんてんのう)
第十一代天皇。崇神天皇の皇子。諸国に池を作らせたと伝はる。
景行天皇(けいこうてんのう)
第十二代天皇。垂仁天皇の皇子。灌漑事業を継承した。
漢の文帝・景帝(かんのぶんてい・けいてい)
前漢の第五代・第六代皇帝。ともに「農は天下の大本なり」と詔したことで知られ、農本主義的な善政を敷いたとされる。

神治章 百五十六十二年秋七月の詔 ── 依網池・苅坂池・反折池の開鑿底本 下巻 百七十一〜百七十三頁
原文
六十二年秋七月乙卯朔丙辰、詔曰、農天下之大本也、民所恃以生也、今河內狹山埴田水少、是以其國百姓怠於農事、其多開池溝、以寬民業、冬十月造依網池、十一月作苅坂池、反折池、一云、天皇居桑間宮、造是三池也。

訓読
六十二年ろくじふにねんあき七月しちぐわつ乙卯きのとうついたち丙辰ひのえたつみことのりしてのたまはく、のう天下てんか大本たいほんなり、たみたのみてもつくるところなり。いま河內かはち狹山さやま埴田はにたみづすくなし。これもつくに百姓ひやくせい農事のうじおこたれり。おほ池溝ちこうひらりて、もつたみわざひろめよと。ふゆ十月じふぐわつ依網池よさみのいけつくる。十一月じふいちぐわつ苅坂池かりさかのいけ反折池さかをりのいけつくる。(あるいふ、天皇すめらみこと桑間くはまのみやまして三池さんちつくりたまふ。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
尚ほ崇神天皇の御事蹟の続きでありますが、人民の生活を裕かにするといふことを実行して行かなければ、たゞ其の心持だけあつたのでは何の役にも立たないのでありますから、其の実行に就いての詔をお下しになつたのであります。これは六十二年秋七月のことでありまして、其の詔に仰せられるのには、農といふものは國民の生活を立てる根本であつて、人民は此の農業に依つて自分の生活の基を得て、これを頼みにして毎日を送るのである。ところがだん々調べて見ると、河內の狹山といふ所の田地は、水が足りない爲にどうも思はしく收穫がないといふことである。それで收穫が少くて骨折つた甲斐がないから、張合ひがないので其の地の百姓逹は農事を怠つて居る。斯ういふことでは其の地方の者は洵に不幸である。斯ういふことを棄てゝ置くと他の地方の者もツイ悪い習慣には染み易いものであるから、各々其の業を怠るやうになるので、これは國として大きな損失であるから、何とか方法を立てなければならぬ。就いては池や溝を掘つて灌漑の便を得るやうにしてやつて、人民が其の業を勵むやうに勤めなければならぬと、斯う仰せられました。それから冬の十月に此の御趣意に依つて依網池といふものを造り、それから十一月に苅坂池と反折池といふものを造り、此の三つの池が出來て、其處に湛へた所の水はまた溝を以て方々に分つて、謂はゆる灌漑の便を圖るといふ途が立つたと申すことであります。また一説には、天皇が桑間の宮にいらしつた時に、此の三つの池を造ることを命ぜられたとも傳へられて居ります。

解説
この詔は『日本書紀』崇神紀六十二年秋七月条に見える記事で、河内国狭山の水不足を解消するために依網池・苅坂池・反折池の三池を築かせたと伝へる。前段(その十七)の課役の制が民の負担を定める制度であるのに対し、この段は民の生業そのものを支へる基盤整備を扱ふ点で対をなす。この一節に対応する全集版の分冊は現時点で未確認のため、この冊では底本のみを典拠として翻刻・訓読した。

神治章 百五十一実行の尊さ ── 官僚式の弊への戒め底本 下巻 百七十三〜百七十四頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
此の事柄は何事も実行が大切であるといふことの善い教訓でありまして、たとひ其の心があつても、其の心が事に現はれなければ何の役にも立たないのであります。ところが上に立つ人といふものは民間と離れて居るから、兎角実情に疏くなり易いものであります。此の点をよく御考慮になつて、天皇が実際農民の爲に灌漑の便を好くすることの実行を命ぜられたといふことは、非常に有難いことであります。これとは全く別の事を申すやうでありますが、兎角に官僚式とでも申しますか、専ら制度に依つてやるといふことになると、集まつて評議をすることばかりが多くて、実行が疏くなつて來ます。これは今日での我が國の状態を見ても、幾らでも其の弊が認められるのであります。いろいろ委員などを設けて調査をするが、其の委員を設けるのに、また手間が掛かるといふやうな状態でありますから、善い事を誰か思ひ付いても、其の実行に移るまでの間に非常に時日を要するので、其の爲に兎角事業に障りが多いといふやうな弊がしばしば見られるのであります。今後に於て國が益々繁榮をするに就いては、斯ういふやうな弊害を矯めるといふことが最も肝要なのであります。それで崇神天皇が実行を尊ぶといふ範をお示しになつたといふことは、今後の吾々國民に取つても、洵に有難い御教訓であると申さなければならないのであります。

解説
原文には對應する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。古代の詔の講義でありながら、講義当時(昭和初期)の官僚制度・委員会行政の弊害にまで踏み込んで論じる、この読本シリーズでも珍しい一節である。「心持だけあつても実行が伴はなければ役に立たない」という論旨は、次段(kj152)の謹按「農の利を盛す」にもそのまま通じる。

神治章 百五十二謹按 ── 農の利を尽くす底本 下巻 百七十四頁
原文
謹按、是盛農之利也、利百穀者莫大于水、今浚狹山及三池、盛力於溝洫如此、自是歷代因循開水利備非常、垂仁帝作池於諸國、景行帝相繼掲力、百姓大富、天下大平也。

訓読
つつしみてあんずるに、のうさかんにするなり。百穀ひやくこくするはみづよりだいなるはし。いま狹山さやまおよ三池さんちさらへ、ちから溝洫こうきよくさかんにすることかくごとし。これより歷代れきだい因循いんじゆんして水利すゐりひら非常ひじようそなふ。垂仁帝すゐにんていいけ諸國しよこくつくり、景行帝けいかうてい相繼あひついでちからかかげ、百姓ひやくせいおほいみ、天下てんかおほいたひらかなり。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
謹んで按じますに、これが農の利を盛んにするといふことであります。百穀を利するものとして水より大なるはない。今狹山及び三池を浚へて、水路を開く力をこれほどまでに盛んにした。これより御歴代、代々この事を受け継いで水利を開き、非常の時に備へられた。垂仁天皇は諸國に池をお作りになり、景行天皇も相繼いでこれに力を尽され、百姓は大いに富み、天下は大いに平かになつたのであります。

解説
崇神天皇一代の事蹟にとどめず、垂仁・景行と続く歴代天皇の灌漑事業を「因循」(受け継ぐ)の一語でつなぐ点に、素行の史眼が現れてゐる。次段(kj153)ではさらに視野を外朝(中国)にまで広げる。

神治章 百五十三謹按 ── 外朝周・漢文帝景帝との比較底本 下巻 百七十四〜百七十五頁
原文
謹按、外朝周以農爲國之本、重此奬如漢文景二帝、文帝曰、農天下之大本也、景帝曰、農天下之本也、先儒曰、文帝有此詔凡三、詔之先冠、漢人去古未遠、猶知所重也、今與帝詔更不異、國雖有中外、至於拳拳於民事一也。

訓読
つつしみてあんずるに、外朝ぐわいちようしうのうもつくにもとすののちこれおもんずるはかんぶんけい二帝にていくはし。文帝ぶんていいはく、のう天下てんか大本たいほんなりと。景帝けいていいはく、のう天下てんかもとなりと。先儒せんじゆいはく、文帝ぶんていみことのりあることおよたび、みことのりさきかんすと。漢人かんじんいにしへることいまとほからず、なほおもんずるところるなり。いまみかどみことのりさらことならず。くに中外ちうぐわいありといへども、民事みんじ拳拳けんけんたるにいたりてはいつなり。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
尚ほこれを外の國に就いて考へて見ますと、支那では周の時代に農を以て國の本と爲すといふ趣意を以て、大いに農業を奬勵致しました。其の後に至つてやはり此の農業を大切にするといふ心持がズツト傳はつて居つたので、漢の文帝景帝の如きは、此の點に深く意を用ひたのであります。文帝の言つたのに『農は天下の大本なり』といふことがあります。また景帝の申したことにも『農は天下の本なり』といふことがあります。尚ほ又後の學者が考證した所に依ると、文帝は此の『農は天下の大本なり』といふことを一生の間に三度も、特に詔として下の者に敎へたといふことであります。それから景帝や武帝も詔を發する時に、其の詔の初めに幾度も農は國の本であるといふことを申して居ります。此の漢の時代といふものは周の時代を去ること餘り遠くないものであるから、此の周の時代の精神をやはり承け繼いで、人民の農業を奬勵し、人民の生活を裕かにするといふことに特に意を用ひたる所の、勝れた天子も相繼いで出たものと見えるのであります。これを崇神天皇の詔と比べて見ると、其の大體の精神に於て少しも違はないのであります。國は支那と日本との違ひはあるけれども、本當に勝れた德を具へた方が上にお立ちになれば、人民の生活を裕かにするといふことに拳々として特に意を用ひられるといふ點は、全く同一であつて、これは後世の政治を爲す者の手本として永く傳へられなければならない所の事蹟と申すべきであります。

解説
漢の文帝・景帝の「農は天下の大本なり」の詔は『史記』『漢書』に見える著名な句で、日本でも農本主義を説く際にしばしば引かれる。「國に中外ありと雖も、民事に拳々たるに至りては一なり」の一句は、この読本シリーズが繰り返し示す「国や時代を問はず、優れた為政者の心はひとつである」という視点を最も端的に表す。

神治章 百五十四素行の言葉 ── 農利を尽くすの理底本 下巻 百七十四〜百七十五頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
素行が更に自分の意見を附け加へて申しますには、此の崇神天皇の御事蹟に依つて示されて居る所は、農の利を盡さなければならないといふことである。『利を盡す』といふのは、人間の力のあらん限りを盡して、農民の利益を多くすることであります。努力が足りなければ、たゞ習慣的に自分の仕事をして居つても、其の仕事は滿足には出來ないので、何時でも一生懸命に硏究し、また硏究した所を直ぐに實行するやうにしまして、初めて完全に其の事業を果すことが出來るのであります。これは何事でも同樣ですが農業に就いて申せば、其の收穫を多くするのには灌漑の便を好くするといふことが根本であります。水の運りが惡くてはいくら地味が良くても、又いくら良い種子を選んで蒔いても、收穫は決して多くならないのであります。此の點をよくお考へになつて、崇神天皇が特に詔をお下しになり、此の三つの池を造つて灌漑の便を圖られたといふことは、洵に其の根本を明かにされたことであつて、有難いことと申さなければならないのであります。それで爾來それからして御歴代の時代に於て、皆此の御趣意に從うて水利を開いて農業を御奬勵になつた。また雨が少い年には殊に水が足りなくなるから、それで平生に於てさういふ非常時に備へる爲に、特に水利を好くするといふことに意を用ひなければならないので、此の事も崇神天皇の御事蹟がお手本となつて居る譯であります。

解説
原文には對應する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。「利を盡す」(力の限りを盡して民の利益を大きくする)という語の説明が眼目で、単に農業に従事するだけでなく、その成果を最大化する努力こそが肝要であるとする。前段(kj152・kj153)の謹按を承けた敷衍にあたる。

神治章 百五十五垂仁・景行の継承 ── その十八の結び底本 下巻 百七十五〜百七十六頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
卽ち其の後に至つて垂仁天皇も諸國に池を造ることを御命令になり、景行天皇も續いて此の事に力をお盡しになり、これに依つて百姓は大いに富み、天下は大いに平かになりました。これを崇神天皇の詔と比べて見ると、其の大體の精神に於て少しも違はないのであります。國は支那と日本との違ひはあるけれども、本當に勝れた德を具へた方が上にお立ちになれば、人民の生活を裕かにするといふことに拳々として特に意を用ひられるといふ點は、全く同一であつて、これは後世の政治を爲す者の手本として永く傳へられなければならない所の事蹟と申すべきであります。以上は農の利を盡すといふことの範を擧げてあるのでありまして、たゞ農業をするといふだけではいかぬ。其の利を盡すやうに、卽ち力の有らん限りを盡して農民の生活を裕かにするといふことが肝要であるといふ意味が示されて居るのであります。

解説
原文には對應する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。「以上は農の利を尽すといふことの範を挙げてある」の一文が、その十八全体の結びとなつてゐる。次冊その十九は、底本下巻百七十七頁からの仁德天皇十一年の詔──難波の堀江の開鑿と茨田堤の築造という、水害を防ぐための治水事業の一節より始める見込みである。