神治章 百四十謹按 ── 一人を以て億兆の父母たり底本 下巻 百六十〜百六十一頁
原文
謹按、是民之產也、寬民之力、極盡天下之人君也、夫民之產、繫生靈、以一人爲億兆之父母、君道厥艱哉、唯仁德帝勝其任乎、儉於身而以賑民家、以富民家、貧己而以富天下之人、君道之至也、蓋人君者、民之父母也、以己之貧富爲民之貧富、曰共天下之富、是名民之貧富、然君之立、實爲民也、故當富者、豈過乎此哉。
訓読
謹みて按ずるに、是れ民の產なり。民の力を寬くすること、極め盡くせる天下の人君なり。夫れ民の產は、生靈に繫る。一人を以て億兆の父母たり。君道それ艱きかな。唯だ仁德帝のみその任に勝へたまふか。身を儉やかにして以て民の家を賑はし、以て民の家を富ましむ。己を貧しくして以て天下の人を富ませしむ。君道の至りなり。蓋し人君は、民の父母なり。己の貧富を以て民の貧富と爲す。天下の富を共にすと曰ふ。是れ民の貧富に名づく。然らば君の立つは、實に民の爲なり。故に當に富むべき者、豈これに過ぎんや。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
素行が更に自分の意見を加へて申しますには、此の仁德天皇の御事蹟といふものは、人民の生活を裕かにし、また人民の力をお養ひになる所の手本とも申すべきものであつて、實に天下萬世のお手本となるものと申さなければならないのであります。人民が毎日の生活を不自由なく送つて、さうしてそれ々の事に力を盡すやうに出來るといふことは、全く其の上に立つ所の君主たる方の御德に依るのであつて、上に立つ方に其の德がなければ、人民は何時でも生活に困難をして居るのであります。上に立つ天子は一人であつて『億兆』──卽ち多勢の者の父母となつて、多勢の者を敎へ、また多勢の者を養ふといふことに力を盡されるのであります。それであるから君たる所の道を全うするといふことはなか々難かしいと申すべきであります。これは仁德天皇ばかりでなく、御歴代の天子樣のお考へであつて、仁德天皇お一人が此の事をお考へになつたといふ譯ではない。たゞ仁德天皇がチョウド此の人民の困苦に陷つた時代に天皇の御位をお繼ぎになつたものでありますから、其の御仁心が自ら此の事實に現はれたものでありまして、どの天子樣もやはり斯ういふお心持でいらしつたといふことを、吾々は忘れてはならぬのであります。
解説
原文・訓読は全集版js22「一人を以て億兆の父母たり」(中朝事実_6.html)と一致する。素行自身が『謹按』として書き加へた一節で、仁德天皇の事蹟を通じて「君は民を本とす」という『中朝事實』全篇を貫く主張を最も凝縮した形で述べる。小林はこれを『素行が更に自分の意見を加へて』と紹介し、以下の講義でその意を敷衍する。「唯だ仁德帝のみその任に勝へたまふか」の一句に、理想を掲げつつもその実現の困難さを直視する素行の態度がよく現れてゐる。
神治章 百四十一無告の民を救ふ仁政 ── 「天の君を立つるは百姓の為なり」底本 下巻 百六十一〜百六十二頁
原文
(小林の講義による敷衍、または底本の損傷により漢文の確定が困難な箇所。)
訓読
(原文なし、または未確定。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
上に立つ所の方が何時でも御自分の身を儉約にして、さうして人民を賑はし多勢の者をお救ひになるといふ、此の恩召は實に尊いもので、『無告』といふのは自分が苦しんで居つて、其の苦しいといふことを誰に訴へることも出來ない意味で、これは苦しみの極であります。世間にはさういふやうな者も隨分ある。さういふ者を上の方から心を付けてお救ひになるといふのが謂ゆる仁政と申すものであります。それで上に立つ方は、人民が富めば自分が富んだのだ、人民が貧しければ自分が貧しいのだと仰せられて、卽ち人民の貧富を以て御自身の貧富とされるのであります。此の恩召から仁德天皇のお言葉にも『天の君を立つるは是れ百姓の爲なり』と仰せられて居ります。實際君は百姓を以て本と爲すといふことが此の詔に最も明かに現はれて居るので、これは後世の人君たる者に取つて、何にも換へられない御敎訓と申さなければならないのであります。
解説
原文には對應する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。前段(kj140)の謹按の趣意を承け、『無告』(自分の苦しみを誰にも訴へることの出來ない者)を救ふことこそ仁政の核心であるとする。「人民の貧富を以て御自身の貧富とされる」は、kj135(七年の問答)の「百姓貧しきときは則ち朕貧しきなり」と呼應しており、その十五・その十六を通じて繰り返し説かれる主題である。
神治章 百四十二庶民の至誠 ── 周の文王の霊台に擬えて底本 下巻 百六十二頁
原文
(小林の講義による敷衍、または底本の損傷により漢文の確定が困難な箇所。)
訓読
(原文なし、または未確定。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
斯ういふ風に上の御仁心が下の者の心に徹して居りますから、庶民が子の親を慕ふ通りの誠情を盡したのであります。周の文王が靈臺といふものを造つた時に、庶民が子の如く來たといふことが詩經の中に見えて居りますが、それと少しも違はない。人民が喜んで集まつて來て、さうして御所を造ることに力を盡したのであります。若し此の場合に臨んで怠けて居たならば天より罪を受けるといふことで、決して天皇に褒めて戴かうなどといふ、そんな心得ではない。自分の心に省みて此の際働かずには居られない。若し此の時に怠けて居れば天のお咎めを受けるのだといふ考へで、みな集まつて來たといふので、實にこれは至れり盡せる所の洪大なるお德が事實に現はれたものと申さなければならないのであります。
解説
原文には對應する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。底本には『故宮室之造、庶民子來』の句が見えるが、この句を含む段落は損傷が激しく漢文として復元することができなかったため、講義部分のみを收める。『詩經』大雅・靈臺篇「經始靈臺、庶民攻之、不日成之」(文王が靈臺を造るに、庶民が日ならずしてこれを成した)の故事に擬へ、仁德天皇の宮室造營に民が我先にと集まつた(その十五kj138)ことの意味を、命令によらぬ自発的な報恩として説く。
神治章 百四十三仲哀・神功の先蹤と外朝の聖主 ── その十六の結び底本 下巻 百六十二〜百六十三頁
原文
(小林の講義による敷衍、または底本の損傷により漢文の確定が困難な箇所。)
訓読
(原文なし、または未確定。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
これより前の事情を考へて見ると、仲哀天皇が早く御崩御になると、それから神功皇后が朝鮮征伐をなさつた。此の朝鮮を征伐なさつたといふことは、實に其の時に適つた、また日本の國の國威を輝かすといふ目的にも合つた、大變有難い御事業でありますけれども、併し其の御費用といふものも非常であつたに相違ない。而も其の後また『天地不順』で、物もよく出來ないといふやうなことが續いたのでありましたから、國の威光は外に輝いたけれども、國内は非常に疲弊して居りました。其の時に仁德天皇が御自分の御生活を儉約になさつて、さうして人民を息はせて、人民の力を養ふといふことに專ら御心を盡されて、此の困難な所を越えて行く根本の方策をお立てになつた。これは實に尊いことであります。此の仁德天皇の御仁政に依りまして、國力が大いに囘復して、國民がみな安樂に毎日を送るやうになつたのであります。それで後の世に至つて先づ人民を賑はし、さうして人民の力が裕かになつてから土木を興し、其の他いろ々な事業を始めるといふことも、みな仁德天皇の此の際に於ける所の御態度を御手本として行けば、必ず其の宜しきを得るに違ひないので、これをお手本として行つて失敗のあらう筈は決してないのであります。『外朝』卽ち支那に於ても、昔の堯とか舜とか禹とかいふやうな天子が、自分の住む所の御殿を出來るだけ質素にして、さうして儉の德を以て、民を率ゐて行つたといふことがありますが、其等は何れも此の仁德天皇の御事蹟以上には出ることは出來ないので、何處の國の明君といふやうな人の事蹟を見ても、これ以上のものは斷じてないのであります。斯ういふやうな天子が上に立つていらつしやれば、人々が其の自分に與へられたる仕事に全力を打込んで行き、さうして國を盛んにするといふことは勿論出來るのでありますから、天下後世に至るまで永くこれを以て範としなければならぬのであります。以上は民の産を豐かにするといふことの、一つの模範的の事實が擧げられた譯であります。
解説
底本にはこの段落に對應する素行自身の按文(謹按の續き。仲哀帝・神功帝の先蹤、外朝の聖主との比較を含む一節)があるが、影印の損傷が甚だしく、文字を確定して漢文として復元することができなかつた。誤つた文字を漢文として提示することを避けるため、原文・訓読の欄は空欄とし、小林の講義部分のみを收めてゐる。仲哀天皇の崩御、神功皇后の新羅征討という國難ののちに仁德天皇の仁政があつたことを述べ、さらに外朝(中国)の堯舜禹の儉德と比較して、仁德天皇の事蹟がそれに勝るとも劣らないと結ぶ。「以上は民の産を豐かにするといふことの、一つの模範的の事實」の一文は、その十三(底本百四十七頁「崇神天皇の自責の叡慮」)以来続いた民本の主題全體の結びにあたる。次冊その十七は、底本下巻百六十四頁からの「崇神天皇の御治政」──全集版js23「課役 ── 民の産を制して後に教ふ」に相当する、課役の制度そのものを主題とする新たな話題より始める見込みである。