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中朝事實 小林一郎 講義 三(中國章 その二)

山鹿素行 原著 小林一郎 講述 ── 洲は天の星のごとし 原文・訓読・講義・補注の四層

この読本について

小林一郎 講義本『中朝事實』の第三冊。中國章の続き(底本 上巻 一九三〜二〇四頁)を収めます。

その一では、国の名――豐葦原千五百秋瑞穗、大日本、大八洲――を一字ずつ解いて、名から国の性格を読むという素行の方法を見ました。この冊はそれを承けて、国土そのものの話に入ります。

この冊の内容。「凡そ地の洲あるは猶ほ天の星あるがごとし」――海に浮かぶ島を天の星になぞらえる一句から始まり、「耶麻騰(やまと)」の語源、「倭」という他称の由来、天孫降臨と「葦原中國」の名、そして風土が人を作るという議論へと進みます。

とりわけ「倭」の字をめぐる議論は、この章の要のひとつです。中国側が当てたこの字を、素行は「倭音を假用したにすぎない。字義で論ずるのは尤も差謬なり」と斥けます。音を写しただけの字に意味を読み込むな、という指摘で、名を重んずる素行らしい筋の通し方です。

もうひとつ、この冊には見落とせない一節があります。素行は「中を得た」と称する例として中国・朝鮮・インドを並べて挙げ、小林も「自分の國が良い國だというのには『中を得た』ものであるということを、何処の國でも言って居る」と述べます。「中國」という自称はどこの国もやっていることだと、素行自身が承知したうえで書いている――この章の優越論を読むときに、忘れないでおきたい留保です。

読むときの注意。他国との比較で自国の優位を説く箇所が続きます。気候風土の優劣を説く議論や、「他の國を率いて行く」「保護して行く」という言い方など、そのままには受け取れない主張が含まれます。とくに底本二〇一頁の一段は、素行の原文にない、昭和初期の対外行動を念頭に置いた講義者の議論です。そのつど補注にことわりを入れました。

四層の構成。「原文」は小林本の漢文、「訓読」はその読み下しに総ルビを補ったもの、「現代語訳」の欄には小林一郎の講義そのものを現代表記に直して全文収めています。「解説」は新たに書き加えた補注です。

翻刻について。底本は小林一郎講述『中朝事實』上(皇國精神講座)の影印です。旧字・旧仮名の原本からの文字起こしで、なお誤りが残っている可能性があります。

色分けの凡例

『日本書紀』(本文・一書)本朝の古典(古語拾遺・舊事本紀・元々集ほか)漢籍(易・書・詩・論語・孟子ほか)制度・地理・故事

主要語彙集

耶麻騰(やまと)
「山迹(やまと)」の意と素行は説く。山が多く、その山あいに人が住みついて国を建てたことによる、とする。
(わ)
中国側が日本を呼んだ字。素行は「倭音を假用したにすぎず、字義で論ずるのは差謬である」として、この字に意味を読むことを斥ける。
卓爾(たくじ)
高く抜きんでて立つさま。『論語』子罕篇の「卓爾として立つ所あるが如し」による。
穴居野處(けっきょやしょ)
穴に住み野に暮らすこと。上古の素朴な生活をいう。『易』繫辭下伝による。
營窟(えいくつ)
住まいを構えること。山に寄りかかって住居を営むことをいう。
追稱(ついしょう)
後の世からさかのぼって付けた呼び名。素行は「耶麻止」も「秋津」も追稱だとする。

登場する神・人物

小林一郎(こばやしいちろう)
一八七六〜一九四四。漢学者・国文学者。二松学舎に学ぶ。『皇國精神講座』を主宰し、『中朝事實』のほか多くの古典を講義した。この読本の講義部分の著者。
山鹿素行(やまがそこう)
一六二二〜一六八五。『中朝事實』の著者。寛文九年(一六六九)、赤穂配流中に本書を著した。
神武天皇(じんむてんのう)
初代天皇。日向から東征して大和に至り、橿原に都を開く。素行は「耶麻止」の称を神武朝以後の追稱と見る。

中國章 三地の洲あるは猶ほ天の星あるがごとし底本 一九三〜一九四頁
原文
凡地之有洲。猶天之有星。地乃一陰水之相積。而其間有洲島之相顯。如天之積氣裏星宿相著也。其洲或連續。而異其域。或相獨立。而異其洲。本朝唯卓爾于洋海。稟天地之精秀。四時不違。文明以隆。皇統終不斷。其名實相應。可幷考也。
以日本號耶麻騰者。猶言山迹。因其山迹之多。以建洲。設都邑。乃稱號耶麻騰。今之倭洲是也。自此以耶麻止爲天下之通稱。自大倭洲也。外國猶稱夏殷周也。或曰倭國。或曰倭奴國。猶曰吾國。
竊按。其稱耶馬止者。神武帝朝已後。史書追稱呼也。然乃秋津亦追稱也。

訓読
およしまあるはてんほしあるがごとし。すなは一陰水いちいんすゐあひんで、しかしてあひだ洲島しうたうあひあらはるゝあり。てん積氣せききうち星宿せいしゆくあひあらはるゝがごときなり。しまあるいは連續れんぞくしてゐきことにし、あるいはあひ獨立どくりつしてしまことにす。本朝ほんてう洋海やうかい卓爾たくじし、天地てんち精秀せいしうけ、四時しいじたがはず、文明ぶんめいもつさかんなり。皇統くわうとうつひえず、じつあひおうず。あはかんがふべきなり。
日本につぽんもつ耶麻騰やまとがうするは、山迹やまとふがごとし。山迹やまとおほきにりてもつしまて、都邑といふまうけ、すなは耶麻騰やまと稱號しようがうす。いま倭洲やまとしまれなり。これより耶麻止やまともつ天下てんか通稱つうしようす。大倭洲おほやまとしまよりこるは、外國ぐわいこくいんしうしようするがごとし。あるいは倭國わこくひ、あるいは倭奴國わぬこくふは、くにふがごとし。
ひそかにあんずるに、耶麻止やまとしようするは、神武帝じんむていてう已後いご史書ししようて稱呼しようこするなり。しからばすなは秋津あきつまた追稱つゐしようなり。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
また考えて見るのに、此の地上には海の方が多いのでありますが、此の海の中に島があるというのは、チョウド天に星があるのと同じことである。其の星が天の上にズット連なってあるように、地の上に島が沢山連なって居って、そうして其の島に人が住んで、だんだんと繁昌して行くのである。
一体地というものは陰の気が現われたもので、陰の気が相続いて其の形を表わして行けば、陸となり或は海となるのであって、其の海の中に島が現われるということは、詰り陰の気の固まったものが其処に現われて居るのであると解釈すれば宜しいのである。チョウド天の陽の気が集まって星となって現われたのと同じことであります。

解説
第三段。海に浮かぶ島を、天に散らばる星になぞらえる。『中朝事實』でもっとも印象的な比喩のひとつである。
天先章第五段で説かれた陰陽の理が、ここで地理の説明にそのまま使われている。天=陽の気が集まって星となり、地=陰の気が凝って島となる。星と島は同じ理の裏表だという見方である。
この比喩には含みがある。星が天に散らばるように、島も本来は世界のあちこちにある――つまり日本を特別扱いする前に、まず並列に置いている。そのうえで次段で「唯だ洋海に卓爾す」と続く。並べてから抜き出すという運びは、附録「或疑」九節の人材比較と同じ手つきである。

中國章 三(承)本朝は唯だ洋海に卓爾す ── 名と實と相應ず底本 一九五頁
原文
其洲或連續。而異其域。或相獨立。而異其洲。本朝唯卓爾于洋海。稟天地之精秀。四時不違。文明以隆。皇統終不斷。其名實相應。可幷考也。

訓読
しまあるいは連續れんぞくしてゐきことにし、あるいはあひ獨立どくりつしてしまことにす。本朝ほんてう洋海やうかい卓爾たくじし、天地てんち精秀せいしうけ、四時しいじたがはず、文明ぶんめいもつさかんなり。皇統くわうとうつひえず、じつあひおうず。あはかんがふべきなり。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それで、其の島の中には続いて居て、其の中に部落の分れて居るのもあり、或はまた互いに独立して離れ離れになって居るのもあるが、何れにしても其の島というものは皆地上に在るのであるから、何れも人間が其処に棲息することは出来るのであります。
其の島の多くある中に於て、日本の國は最も気候風土の勝れた島なので、即ち海の中に於て「卓爾する」というのは、他に比べるもののない位に勝れた島であるから、即ち此の日本という國に、天地の最も清らかな、最も美しい所の気が集まったのであると考えて宜しいのであります。
実際此の日本は気候風土が良くて「四時違はず」――春夏秋冬の順序も違わず、また此処に住む所の人間の心も正しいから「文明以て隆」――だんだん國が栄えて行って、外の國の手本ともなる。また此の國は神様のお開きになった國で、其の神の御裔である所の天皇の御血統というものは永く断えない。即ち「やまと」と言い「大八洲」というその名と、其の実際の性質とがよく相応じて居る。謂わゆる名実共に全き國と申さなければならぬのであります。

解説
「卓爾」は『論語』子罕篇、顔淵が孔子を評した「卓爾として立つ所あるが如し」による語。素行はこの語を国土に用いた。
結論は「其の名と實と相應ず」――名実が一致している、という一点である。中國章の全体が、この命題の証明として組まれている。名(豐葦原・大日本・大八洲・やまと)を解き、実(気候・風土・皇統の連続)と照らし合わせる。
読むときの注意。「他に比べるもののない位に勝れた島」という気候風土の優劣論は、根拠を欠く。素行の時代の地理知識では他国の風土を実見できず、比較の手続きが成り立たないためである。素行自身、附録「或疑」十一節では「五方の民各々その性あり」と風土の差を優劣ではなく違いとして扱っており、こことは立場が揺れている(『中朝事實』十五・或疑 十一節)。

中國章 三(承)耶麻騰は山迹なり ── 人の住んだ迹の多い所底本 一九五〜一九六頁
原文
以日本號耶麻騰者。猶言山迹。因其山迹之多。以建洲。設都邑。乃稱號耶麻騰。今之倭洲是也。

訓読
日本につぽんもつ耶麻騰やまとがうするは、山迹やまとふがごとし。山迹やまとおほきにりてもつしまて、都邑といふまうけ、すなは耶麻騰やまと稱號しようがうす。いま倭洲やまとしまれなり。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それでまた、此の日本の名を「やまと」と言うのは「山の迹」という意味、即ち山に人の住んだ迹ということである。神武天皇が都を大和にお定めになった時に、既に斯ういうことをお考えになった。此処には多勢人の住んだ迹がある。即ち人の住むのに適した所である。それであるから此処を経営して都を繁昌せしめて、徳化が普く全國に及ぶようにしようと、斯ういう御考えであった。
一体昔は人間が山に住んだり野に住んだりして居たものでありますから、其の住みよい山には人の多く住んだ迹がある。それで神武天皇が御東征になった時に、此の山の迹の多いという所をお選びになって、此処に都をお建てになった。是れが即ち橿原の都であります。
人の住んだ迹が多いということは、即ち土地が良くて住み好いから人が多勢住むのでありますから、此処が國の都として最も適当であるというお考えで、此処に都をお定めになって、此処に「やまと」という名を付けられた。今の言葉で「倭洲」と言うのはこれであります。

解説
国号「やまと」の語源を「山迹」――山に人が住んだ跡――と解く説。
ここでも名から実を読む方法が働いているが、方向が逆転していることに注意したい。前段までは「名が良いから土地も良い」だったが、ここでは「人が多く住んだ跡がある=住みよい土地だ」と、事実から都の選定理由を説明している。より地に足のついた議論である。
なお「やまと」の語源については諸説あり、「山戸(山の入口)」「山門」などの説も古くからある。素行の「山迹」説はそのひとつで、確定したものではない。

中國章 三(承)一地方の名が國全體の名となる ── 夏・殷・周も同じ底本 一九六頁
原文
自此以耶麻止爲天下之通稱。自大倭洲也。外國猶稱夏殷周也。

訓読
これより耶麻止やまともつ天下てんか通稱つうしようす。大倭洲おほやまとしまよりこるは、外國ぐわいこくいんしうしようするがごとし。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それで、此の「やまと」というのが最初は其の一地方の名になったのであるけれども、其の地方の名が即ち此の國全体の名となった訳であります。それであるから最初は、武蔵とか相模とかいうのに対して、橿原の都の在る所を「やまと」といったのである。併し此の大和が中心となって、日本全体が天皇の御統治の下に栄昌して来たのでありますから、日本全体のことをまた「やまと」と言うので、即ち一つの地方の名が日本國全体の名となった訳であります。
そこで、國の初めの君主のいらしった所の名が即ち國全体の名になるということは、日本ばかりではなく、外國にも多く例がある。神武天皇は初め日向の方から中央にお移りになって、そうして大和を國の都として此の日本國をお治めになったのでありますから、其の初め都の置かれた土地の名が、やがて此の國全体の名となったのですが、例えば支那に於て夏・殷・周と言ったのも皆其の通りで、皆初めは一地方の名であった。ところが其の夏とか殷とか周とかいう地方の君主が天下を一統して来れば、支那の國全体を、或る時は夏と名づけ、或る時は殷と名づけ、或る時は周と名づける。是れは何処の國でも同じことでありまして、即ち発祥の地の名を以て國其のものの名とするのであります。

解説
「是れは何処の國でも同じことであります」――この一句に注目したい。
中國章はここまで日本の特殊性を説いてきたが、ここでは日本も中国も同じ仕組みだと、あっさり並べる。素行の原文も「外國の猶ほ夏・殷・周と稱するがごとし」と、比較を対等に置いている。
この書は優劣を説く箇所と、同じだと言う箇所とが混在している。附録「或疑」四節「幷せ按ずべきなり」(中国側の例を挙げて相手の基準を相手に返す)と同じで、素行は必要に応じて両方の論法を使い分けている。優劣論だけを取り出して読むと、この書の実際の姿を見誤る。

中國章 三(承)「倭」は「吾が國」の音を寫したもの底本 一九六〜一九七頁
原文
或曰倭國。或曰倭奴國。猶曰吾國。──吾此曰倭。曰倭奴。以倭音假用。外以字義論説。尤差謬。

訓読
あるいは倭國わこくひ、あるいは倭奴國わぬこくふは、くにふがごとし。(これひ、倭奴わぬふは、倭音わおんもつ假用かようす。そと字義じぎもつ論説ろんせつするは、もつと差謬さびうなり)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それからまた「倭國」という言葉、或は「倭奴國」という言葉がある。此の「倭」とか「倭奴」とかいうのは、日本の國名の発音を漢字で表わしたので、其の「吾が」というのは自分の國ということである。國民が此の國の非常に勝れた國であるということを信じて、実にこれは自分の大切な國であるという意味から「吾が國」と言うのであります。其の「吾が國」というのが、「倭國」とか或は「倭奴國」とかいう意味となって、後に遺って居るのであります。
初めは「わ」と言った、其の発音を此の字で表わして居るだけの事でありますから、此の字に意味があるのではない。発音を表わす為めに仮りに此の漢字を使ったのであって、決して此の字に拘泥すべきものではありませぬ。

解説
「倭」という字をめぐる、この章でもっとも切れ味のよい議論。
「倭」は中国側が当てた字で、字義としては「したがう」「小さい」などの含みを持つ。日本の学者はこの字を恥じたり、逆に美化したりしてきた。
素行の答えは明快である。「倭音を假用す。外に字義を以て論説するは、尤も差謬なり」――ただ音を写しただけの字だ。そこに意味を読むのは大きな間違いだ。
この立場は名を重んずる素行の一貫性から来ている。名(言葉)は実を映すが、それを写した文字は便宜にすぎない。禮儀章 下四十六節「聲→音→字→文」の順序論と同じ考え方である(『中朝事實』十一・禮儀章 下四十六節)。

中國章 三(承)字に拘泥するは漢學者の通弊 ── 「南無」の例底本 一九七頁
原文
以倭音假用。外以字義論説。尤差謬。

訓読
倭音わおんもつ假用かようす。そと字義じぎもつ論説ろんせつするは、もつと差謬さびうなり。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
これは実際健実な意見でありまして、どうも字を使うようになると、字に拘泥する者が多く出ますけれども、一体、字が出来てから言葉が出来たのではない。最初に言葉が出来て、其の言葉を表わす為めに字を使うのでありますから、言葉の本当の意味をよく研究すべきであって、徒らに字に拘泥しては意味を成さないのであります。
若し字に拘泥すれば、例えば仏教の方で仏様を拝む時に「南無」と言うが、「なむ」というのは印度の言葉で、此の言葉を「南」という字と「無」という字で表わして居るので、南が無いという意味は少しも含んでは居ない。それと同じことで、「わ」という音を漢字に表わす時に此の「倭」という字を使ったのであると解釈して宜しいので、其の使った字に拘泥して彼れ此れ穿鑿するということは漢学者の通弊で、そういう弊を破らなければならぬという意見は、洵に尤もであります。

解説
小林が「南無」を例に出して説くところが見事である。梵語 namas の音を「南無」と写しただけで、「南が無い」という意味ではない。音訳の字に意味を読むな――これほど分かりやすい例はない。
そして「一体、字が出来てから言葉が出来たのではない。最初に言葉が出来て、其の言葉を表わす為めに字を使う」。言葉が先、文字は後。この順序は、禮儀章 下で素行が「聲ありて音あり、音ありて字あり、字ありて文あり」と説いた通りである。
小林は素行の意見を「実際健実な意見」「洵に尤も」と評する。講義のなかで素行を手放しで支持する数少ない箇所で、それだけこの指摘が的を射ているということだろう。

中國章 三(結)秋津も追稱なり ── 細かい點まで穿鑿しない底本 一九七〜一九八頁
原文
竊按。其稱耶馬止者。神武帝朝已後。史書追稱呼也。──神武帝紀曰。始有秋津洲之號也。然乃秋津亦追稱也。

訓読
ひそかにあんずるに、耶麻止やまとしようするは、神武帝じんむていてう已後いご史書ししようて稱呼しようこするなり。(神武帝紀じんむていきいはく、はじめて秋津洲あきつしまがうありと。しからばすなは秋津あきつまた追稱つゐしようなり)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それからまた考えて見るのに、「やまと」と言うのは神武天皇以後の歴史家が専らこれを歴史の上に用いて居るのであって、ズット昔は「やまと」という言葉は無かったものと考えられる。
また神武天皇の御事蹟を書いた中に、初めて「秋津洲」という名がある。そうして見ると「秋津洲」と言うのも、神武天皇が此の國の形を見て「あきつ」――即ち蜻蛉の形に似て居ると仰せられた、此の事から此の名が定まったのであると考えて宜しいのであります。
斯ういう名前に就いての考証はいろいろあるけれども、要するに此の國が初めから考えて永遠に栄えて行くべき國であるということを根本として考えて、其の余はそう一々細かい点にまで穿鑿をしないでも宜しい訳であります。

解説
第三段の結び。「やまと」も「秋津」も、後の世からさかのぼって付けた名(追稱)だと、素行みずから認める。
これは重要な留保である。この章は名から実を読む方法で組み立てられているが、その名の多くは後世の命名だと、素行は自分で言っている。名が古いから実が古い、とは言えないことになる。
そのうえで「其の余はそう一々細かい点にまで穿鑿をしないでも宜しい」と締める。天先章第三段の「庸愚の舌頭を容るべからず」、附録「或疑」十五節と同じ姿勢である(『中朝事實』十五・或疑 十五節)。
細部の詮索を戒める態度と、名から実を読む方法とは、本来は緊張関係にある。素行はその緊張を抱えたまま先へ進む。

中國章 四皇孫を葦原中國の主と爲す ── 中には四つの中あり底本 一九八〜一九九頁
原文
皇祖高皇産靈尊。遂欲立皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊。以爲葦原中國之主。
謹按。是以本朝爲中國之謂也。先是天照太神在於天上曰。聞葦原中國有保食神。然則中國之稱自往古。旣有此也。凡人物之生成。一日未嘗不襲水土。故生成平易之土者。稟平易之氣。而性情自平易也。生成險難之土者。稟險難之氣。而性情堪危險。豈唯人而已乎。鳥獸草木亦然。是所以五方之民皆有性。而異其俗也。蓋中有天之中。有地之中。有水土人物之中。有時宜之中。故外朝有級于土中之説。迦維有天地之中言也。南人亦曰得天中。愚按。天地之所運。四時之所交。得其中。則風雨寒暑之會不偏。故水土沃而人物精。是乃可稱中國。萬邦之衆。唯本朝及外朝得其中。而本朝神代。旣有天御中主尊。二神建國中柱。則本朝之爲中國。天地自然之勢也。神神相生。聖皇連綿。文武事物之精秀。實以相應。是豈誣稱之乎。

訓読
皇祖くわうそ高皇産靈尊たかみむすびのみことつひ皇孫くわうそん天津彦彦火瓊瓊杵尊あまつひこひこほのににぎのみことてて、もつ葦原中國あしはらのなかつくにあるじさんとほつす。
つつしんであんずるに、本朝ほんてうもつ中國ちゆうごくすのいひなり。これよりさき天照太神あまてらすおほみかみ天上てんじやういましてのたまはく、葦原あしはら中國なかつくに保食神うけもちのかみありと。しからばすなは中國ちゆうごくしよう往古わうこよりすでここるなり。およ人物じんぶつ生成せいせいは、一日いちじつとしていまかつ水土すゐどおそはれずんばあらず。ゆゑ平易へいいつち生成せいせいするもの平易へいいけて、性情せいじやうおのづか平易へいいなり。險難けんなんつち生成せいせいするもの險難けんなんけて、性情せいじやう危險きけんふ。ひとのみならんや、鳥獸てうじう草木さうもくまたしかり。五方ごはうたみみなせいありて、しかしてぞくことにする所以ゆゑんなり。けだちゆうにはてんちゆうあり、ちゆうあり、水土すゐど人物じんぶつちゆうあり、時宜じぎちゆうあり。ゆゑ外朝ぐわいてうには土中どちゆうきふするのせつあり。迦維かゐ天地てんちちゆうげんあるなり。南人なんじんまたてんちゆうふ。あんずるに、天地てんちめぐところ四時しいじまじはるところちゆうればすなは風雨ふうう寒暑かんしよくわいへんせず、ゆゑ水土すゐどよくにして人物じんぶつせいなり。すなは中國ちゆうごくしようすべし。萬邦ばんぱうしゆう本朝ほんてうおよ外朝ぐわいてうちゆうたり。しかして本朝ほんてう神代かみよすで天御中主尊あめのみなかぬしのみことあり。二神にしん國中くになかはしらつ。すなは本朝ほんてう中國ちゆうごくたるは天地てんち自然しぜんいきほひなり。神神かみがみあひしやうじ、聖皇せいくわう連綿れんめんとして、文武ぶんぶ事物じぶつ精秀せいしうじつもつあひおうず。ひてこれしようするならんや。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
そこで伊弉諾・伊弉册尊に依って、略々此の日本の國土の経営が済んだのでありますけれども、いよいよ此の國を永久に盛んにして行くのには、本当に後まで其の君主の御血統の続くことが大切であって、其の最初の君主となるべき方を定めなければならぬという順になった訳であります。
日本書紀等に依りますと、天照大神が天孫の瓊瓊杵尊をお遣わしになったということになって居りますので、ここに皇祖高皇産靈尊のお考えに依って決定されたので、即ち皇孫に当られる所の瓊瓊杵尊を、此の葦原の中國――即ち日本の主にしようということを御決心になったというのであります。

解説
第四段。天孫降臨の記事から、「中國」という語の正当性を論証する段である。
素行の按語は三段構えになっている。①『日本書紀』はすでに「葦原中國」と書いているから、「中國」の称は古くからある。②風土が人を作る(平易の土には平易の性、険難の土には険難の性)。だから五方の民はそれぞれ違う。③「中」には四つある――天の中・地の中・水土人物の中・時宜の中。
とくに「中には天の中あり、地の中あり、水土人物の中あり、時宜の中あり」は重要で、「中」が一義でないことを素行自身が認めている。そのうえで、中国(外朝)も「中」を得ているとし、「萬邦の衆、唯だ本朝及び外朝其の中を得たり」と並べる。自国だけが中だとは言っていない
「迦維」は迦毘羅衞(カピラヴァストゥ)、「南人」はインド以南の人々。各国それぞれが自分を天地の中と称していることを、素行は承知して書いている。

中國章 四(承)産靈の意義 ── 凡ての物を生かす力底本 二〇〇頁
原文
皇祖高皇産靈尊。

訓読
皇祖くわうそ高皇産靈尊たかみむすびのみこと

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
此の「産靈」というのは、一体物を生み出すという意味でありまして、詰り木が実を結ぶということと同じ意味の言葉であります。物を生み出すということは、詰り國土を盛んにするということにもなるし、又國の勢いも無論盛んになる訳であります。
それから天照大神と申すのは、即ち太陽というものは有らゆる物を生み出す力を持っていらっしゃると解釈されるのであります。日の光りの中には熱が含まれて居まして、此の熱に依って温められて、草木も伸びるし、動物も其の生を遂げるという訳でありますから、即ち君主の勝れたお徳は、凡ての物を生かす力を具えていらっしゃると解釈されるのであります。
斯ういう訳でありますから、此の「産靈」という言葉の中に、非常に勝れた徳、或は凡ての物を生かす力という意味が含まれて居ると解釈されるのであります。前に読みました佐藤信淵の説などにも、此の産靈の道が日本の根本であるということが繰返して説いてあるのであります。

解説
「産靈(むすび)」=物を生み出す力。小林はこれを君主の徳に読み替える。日の光が草木を伸ばし動物を生かすように、すぐれた徳は物を生かす、と。
ここでも天先章以来の「化育を助ける」という主題が働いている。産靈も天照大神も、生成する力として一つに括られる。
末尾に出る佐藤信淵(一七六九〜一八五〇)は江戸後期の経世家で、「産靈の道」を国家経営の根本に据える説を唱えた。小林が序説でその説を引いていたことを、ここで受けている。

中國章 四(承)日本國民の態度 ── 領土を取らうといふ野心からではなく底本 二〇一頁
原文
遂欲立皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊。以爲葦原中國之主。

訓読
つひ皇孫くわうそん天津彦彦火瓊瓊杵尊あまつひこひこほのににぎのみことてて、もつ葦原中國あしはらのなかつくにあるじさんとほつす。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それで今、此の日本の國の君主をいよいよ決定せられるという場合に於て、斯様な徳をお具えになった天照大神の皇孫を此処にお遣わしになって、そうして此の國が永久に栄えて行くべき所の基礎をお建てにならうという御趣意であったと考えると、日本の國体というものが一層明かになるのであります。
随って日本國民たる者は皆此の精神を体得して、他の國に対してもただ力を以てこれに臨むということをしてはならぬ。其の國の人民がみな永く栄えて、みな幸福になって行くように、之を保護してやるという考えでなければならぬ。或は他の國の人民と戦いを交える場合でも、決して領土を取ろうなどというような野心からではなく、詰り其の國を平定して、其の國に住む者を永久に幸福にしてやる為めに、間違った者は改めさせ、道に違ったことは直してやるという考えでなければならぬのであります。
今までは日本の態度が斯ういうことでズット続いて居りますけれども、今後に於ても日本の國民たる者は、此の大切な所を少しも誤らないように心得るということが、最も肝要なのであります。

解説
この講義が語られた時代を、もっともはっきり映す一段。
小林は「ただ力を以てこれに臨むということをしてはならぬ」「決して領土を取ろうなどというような野心からではなく」と、力による支配を明確に戒めている。これは当時の空気のなかでは、一定の抑制を働かせた発言と読める。
しかし同時に、他国と戦いを交えることを前提としたうえで、それを「間違った者は改めさせ、道に違ったことは直してやる」ものとして正当化する論法でもある。相手の側に立てば、これは介入を徳の名で語ることにほかならない。
素行の原文にはこうした議論は一切ない。ここは講義者が、昭和初期の日本の対外行動を念頭に置いて語った箇所である。素行を読むためではなく、この講義が置かれた時代を読むために、そのまま残した。

中國章 四(承)中國とは四方を安らかにする根本の國底本 二〇一頁
原文
謹按。是以本朝爲中國之謂也。然則中國之稱自往古。旣有此也。

訓読
つつしんであんずるに、本朝ほんてうもつ中國ちゆうごくすのいひなり。しからばすなは中國ちゆうごくしよう往古わうこよりすでここるなり。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
そこで素行がこれに就いて自分の意見を述べて申すには、日本の國を「中國」と言うことは、決して自分が勝手に考えたのではなくて、これ等の事実に依って見ても、確かに理由のあることであると言えるのである。
即ち「中國」ということは、ただ凡ての國の中央に在るということだけでなくて、詰り他の國を教え導くべき國、即ち四方の國々を安らかにする所の根本の國という意味に解さなければならぬので、斯ういう意味から言って日本を中國と称するのは、固より当然のことなのであります。

解説
「中國」を地理ではなく役割で定義し直す一段。「ただ凡ての國の中央に在るということだけでなくて」――位置の中心ではない、と小林は明言する。
これは附録「或疑」十七節で素行が過厚(外朝)と淸薄(西蕃)の中間として「中」を語ったのと同じ操作である。地理的な中を、倫理的・機能的な中へ読み替える。
ただし「四方の國々を安らかにする所の根本の國」という定義は、素行の原文にある「中國之稱自往古旣有此也」(中國の称は昔からある)よりも踏み込んでいる。素行は名の由緒を言い、小林は使命を語る。両者を分けて読むのがよい。

中國章 四(承)天照大神の神慮 ── 保食神のゐる國へ底本 二〇一〜二〇二頁
原文
先是天照太神在於天上曰。聞葦原中國有保食神。

訓読
これよりさき天照太神あまてらすおほみかみ天上てんじやういましてのたまはく、葦原あしはら中國なかつくに保食神うけもちのかみありと。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それで此の國へ天孫の瓊瓊杵尊がお降りになる前に、誰を此の國の君主としようかということに就いて、天照大神が御自分の御考えをお定めになって、其の時仰せられるには、あの葦原の中國という所に保食神という神様が居るという事であるから、そこへ皇孫を遣わしたいと、斯ういうことを仰しゃって居られます。
「保食」というのは、詰り食べ物が足りなくならぬように、これを保護して行く神という意味であります。それであるから、之に依って人民の生活が安定であるということはよくわかるのであります。
此の葦原の中つ國はまだ開けないで、「葦が生えて居る」というのは極く開けない状態でありますが、其の開けない状態の中に於ても、其処には人民の食物に不自由のないように力を尽して居る者があるそうである。そういうようにまだ開けない時でも、既に其の人民を安んずるということに力を尽す者がある位であるから、最も仁徳の勝れた、人民を真に撫育して行くというだけの力のある者が行って之を治めれば、必ず其の地が盛んになるであろう。それでいろいろ考えて見ると、自分の孫に当る瓊瓊杵尊という方が其の徳も具えて居る方であるから、此の方を降そうということを御決定になったというのであります。

解説
保食神(うけもちのかみ)――食を保つ神。天照大神が皇孫を降す理由として、素行はこの一句を引く。
小林の読み方が興味深い。まだ開けていない土地にも、すでに人民の食を保つ者がいた。そこへさらに仁徳のすぐれた者を送れば、必ず盛んになる。つまり降臨は「無」に「有」を持ち込むのではなく、すでにある良いものを伸ばすことだと読む。
天先章第一段の「土を捏ねて器にする」(人は無から作れないが、加われば別のものになる)と同じ発想である。
そして食が先、教えが後という順序もここに現れている。天先章第四段「生きることが出来ないで道を学ぶなどという余裕のあろう訳はない」と一続きである。

中國章 四(承)人物の生成は水土に襲はる ── 險難の土には險難の氣底本 二〇二〜二〇三頁
原文
凡人物之生成。一日未嘗不襲水土。故生成平易之土者。稟平易之氣。而性情自平易也。生成險難之土者。稟險難之氣。而性情堪危險。豈唯人而已乎。鳥獸草木亦然。是所以五方之民皆有性。而異其俗也。

訓読
およ人物じんぶつ生成せいせいは、一日いちじつとしていまかつ水土すゐどおそはれずんばあらず。ゆゑ平易へいいつち生成せいせいするもの平易へいいけて、性情せいじやうおのづか平易へいいなり。險難けんなんつち生成せいせいするもの險難けんなんけて、性情せいじやう危險きけんふ。ひとのみならんや、鳥獸てうじう草木さうもくまたしかり。五方ごはうたみみなせいありて、しかしてぞくことにする所以ゆゑんなり。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
一体人間というものと其の土地との関係とは、密接にして離るべからざるものであって、人の性質或は気風というものと、それから「水土」――即ち其の土地の様子というものとは、いつも相伴って居る。「襲はれる」というのは、之に基くとか之に依るとかいうような意味で、要するに其の國の風土に従って、之に相応ずる所の人物が出るということは、何時の場合でも少しも変らない。
それであるから、極く安らかな所に生れる者は安らかな気を受けて居るから、其の人物も自ら平穏で変らない、温厚な所の君子のような性質の者が出る。それから険難な土地――即ち大変な山の中とか、或は大海に面して居る所の土地とかいうような、ヒョット眼に見ても恐ろしく感ずるような景色の中で生れた人は、其の性質もまたシッカリして居って、有らゆる艱難に耐え、どういう困難な事でも打克って行くというような元気の人が出る。
これは人間ばかりではない。鳥や獣、或は草木のようなものでもそうであって、平原の中に生えた草や木と、岩の間などに生えたものとは性質が違う。また鳥や獣でも、やはり山の奥とか海の際とかいう所に棲んで居ると、自然に其の気象が荒々しくなる。其の代りどういう苦しい中でも耐えて行くという力が具わるのであって、斯ういう性質は皆自然のことである。

解説
風土決定論――土地が人を作る、という考え方。素行の対外認識の理論的な支えになっている部分である。
ここで注目したいのは、素行が優劣を言っていないことである。平易の土には平穏な人、険難の土には艱難に耐える人。それぞれに長所があるという書き方で、「五方の民皆性ありて、其の俗を異にする」と結ぶ。附録「或疑」十一節の「五方の民各々その性あり、以て同じからず」とまったく同じ立場である(『中朝事實』十五・或疑 十一節)。
問題は、この相対主義がしばしば優劣の判定に転じることである。次段でその転回が起こる。

中國章 四(承)中を得たる國 ── 他の國を率ゐ、保護する本性底本 二〇三頁
原文
蓋中有天之中。有地之中。有水土人物之中。有時宜之中。

訓読
けだちゆうにはてんちゆうあり、ちゆうあり、水土すゐど人物じんぶつちゆうあり、時宜じぎちゆうあり。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それであるから、「五方」というのは中央と東西南北で、即ち世界中という意味でありますが、此の世界中の何処の國の人民でも、皆それぞれ独特の性質というものがあって、其の性質に従ってまた、其の國の風俗というものがそれぞれ異って来ます。
それであるから、土地も平らかで、而も地味が良くて、穀物でも何でも良く出来るというような所の人というものは、やはり極く寛大な広い心持があって、他の國の者をも包容して行き、他の者に対して保護を加えてやるというような、即ち人を率いて行くような本性が具わるというのは当然のことであります。それで此の日本を中國と申すのは、地理上他の國の中央であるというばかりでなく、一体此の土地に伴う所の人間の性質から言っても、他の國を率いて行く、或は他の國を保護して行くところの、謂わゆる中を得たる國であると考えて宜しいのであります。
一体「中」と言っても、天にも中があり、地にも中があり、それから「水土人物」――土地の様子とか人間の性質とかいうものに就いて見ても、中を得たもの、即ち一方に偏しないものがあるのであります。

解説
前段の相対主義が、ここで優劣に転じる。
「五方の民それぞれに性がある」という認識までは前段どおりだが、そこから「土地が平らかで地味が良い所の人は、寛大で他を包容し、人を率いる本性が具わる」という一段が加わり、その条件に日本が当てはまる、という運びになる。
この推論には二つの飛躍がある。①豊かな土地の人が寛大だという因果に根拠がない ②日本がその条件を満たすという判定が自己申告である。
素行の原文は「中には天の中あり、地の中あり、水土人物の中あり、時宜の中あり」と、「中」が多義であることを述べているだけで、そこから日本の優越を導いてはいない。「率いる」「保護する」という言葉は小林のものである。

中國章 四(承)何處の國も「中を得た」と言ふ ── 外朝・迦羅・南方底本 二〇四頁
原文
故外朝有級于土中之説。迦維有天地之中言也。南人亦曰得天中。

訓読
ゆゑ外朝ぐわいてうには土中どちゆうきふするのせつあり。迦維かゐ天地てんちちゆうげんあるなり。南人なんじんまたてんちゆうふ。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それから時に於ても其の通りで、詰り冬は寒さに偏り、夏は暑さに偏って居るが、春と秋というものは其の中を得て居る。何事に関しても、斯ういうように考えられるのであります。
それであるから「外朝」というのは支那のことでありますが、支那でも「土中に級す」――土地の中にもいろいろ種類があって、良い土地もあれば悪い土地もある。併し本当に暑さに偏らず寒さに偏らないような気候の土地は、やはり其の土地が物を生ずる所の力を多く具えて居るというように言われて居るのであります。
それから「迦羅」というのは即ち朝鮮のことであります。朝鮮の言い伝えの中にも、此処は天地のチョウド中ばである、即ち中を得た所であるということが言われて居る。詰り、自分の國が良い國だというのには「中を得た」ものであるということを、何処の國でも言って居るのであります。それから南の方の國――これは何処かハッキリ判りませぬが、印度とかいうような國のことでありますが、そういうような所でもやはり「天の中を得る」ということがある。即ち正しい道に適ったということを「中を得た」と言って居るのであります。

解説
この冊でもっとも重要な一段。
小林ははっきりこう言う。「自分の國が良い國だというのには『中を得た』ものであるということを、何処の國でも言って居るのであります。」
中国も、朝鮮も、インドも、みな自分の国を「天地の中」と称している。素行はそれを知ったうえで、日本も「中國」だと言っている。素行の原文が外朝・迦維・南人の三つを並べて挙げているのは、そのためである。
これは重要な留保になる。「中國」という自称は、どこの国もやっていることだと、素行自身が認めているのである。だとすれば、日本が「中國」だという主張も、他国のそれと同じ資格の主張ということになる。
この章の優越論を読むときは、素行が置いたこの一節を忘れないほうがよい。

中國章 四(承)中を得るの心得 ── 寬い度量を具へ、他の國を保護する底本 二〇四頁
原文
愚按。天地之所運。四時之所交。得其中。則風雨寒暑之會不偏。故水土沃而人物精。

訓読
あんずるに、天地てんちめぐところ四時しいじまじはるところちゆうればすなは風雨ふうう寒暑かんしよくわいへんせず、ゆゑ水土すゐどよくにして人物じんぶつせいなり。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
これ等の方々の國の思想を取纏めて考えても、中を得るということが最も肝要なものであるという点に於ては、みな一致して居るのであります。それであるから、真に中を得た國の日本に生れた者は、常に能く中を守って、そうして寛い度量を具え、また他の國を保護する所の心得を持って居るということが、其の特色を発揮する所以であると考えなければならぬのであります。
尚ほ更に素行の考えを附加えて言うのに、天地の作用が運行して、春夏秋冬の四時が変る変る行われて居るが、それ等が凡て中を得れば、風雨も甚だしく偏らず、適当に風も吹き雨も降る。また寒さ暑さの気候というものも、其の宜しきに適うようになって行くのである。それであるから、斯ういうように中を得た國に於ては、土地も物をよく育てるし、それから人間もまた洵に純粋な、清らかな性質を持って居るのであります。

解説
「中を得るということが最も肝要である点では、みな一致して居る」――前段の指摘を、小林はここで共通の理想としてまとめ直す。どの国も「中」を求めている、という点では同じだ、と。
そのうえで日本人の心得を「常に能く中を守って、寛い度量を具え、また他の國を保護する」と説く。「中を得た」ことを、優越の証明ではなく、果たすべき態度として語るのがこの箇所の特徴である。
ただし「他の國を保護する」という言い方は、ck28と同じ問題をはらむ。相手が望むかどうかを問わない保護は、支配と紙一重である。当時の文脈を踏まえて読みたい。
末尾の「風雨寒暑の會偏せず、故に水土沃にして人物精なり」は、天先章第五段の陰陽論から自然に導かれた結論で、素行の議論としては一貫している。