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中朝事實 小林一郎 講義 四十五(神治章 その十四)

山鹿素行 原著 小林一郎 講述 ── 仁徳天皇の仁政、高台よりの遠望、課役三年免除、御自らの御倹約 原文・訓読・講義・補注の四層

この読本について

小林一郎 講義本『中朝事實』の第四十五冊。神治章の第十四分冊(底本 下巻 百五十一〜百五十四頁)を収めます。前冊(その十三)の結び「制度と教化の必要」を承け、この冊は全集版js20に相当する新たな漢文原文(仁德帝の詔)から始まり、いはゆる「民のかまど」の故事として知られる仁徳天皇の仁政の前半を収めます。

この冊の読みどころ(一)。欄外見出し「仁徳天皇の仁政」──高台に登つて遠く望むも、國中に炊煙の立たないのを見て、天皇が自らの不徳と受け止め、課役を三年悉く免じ、自ら倹約に徹せられたという一節。

この冊の読みどころ(二)。原文は全集版js20「民の竈 ── 課役を三年免ず」(中朝事実_6.html)とほぼ一致しますが、小林本は末尾に「是以宮垣崩而不造……頌德旣滿、炊烟亦繁」の一段を続けて引いており、これは全集版js20には見当たりません。

この冊の読みどころ(三)。「課」「役」「無為」といった語を、小林が講義口調で丁寧に説き分けている点も特徴です。

四層の構成。kj132・kj133・kj134は小林の講義による敷衍のため、「原文」「訓読」欄には対応する漢文がない旨を記し、「現代語訳」欄に小林一郎の講義そのものを現代表記に直して全文収めています。「解説」は新たに書き加へた補注です。

翻刻について。底本は小林一郎講述『中朝事實』下(皇國精神講座、影印)です。旧字・旧仮名の原本からの文字起こしで、なお誤りが残ってゐる可能性があります。

色分けの凡例

『日本書紀』(本文・一書)本朝の古典(古語拾遺・舊事本紀・元々集ほか)漢籍(易・書・詩・論語・孟子ほか)制度・地理・故事

主要語彙集

康哉(かうさい)
『書經』益稷篇に見える語。泰平を寿ぐ意で、「家家に康哉の歌あり」は太平の世を人々が寿ぎ歌うさまをいう。
億兆(おくてう)
多くの民、万民。天子が統べる民全体を指す語。
課役(くわやく)
「課」は人民から徴する租税、「役」は道路の修繕や宮室の造営などに人民を徴発する労役。
黼衣鞋履(ほいあいり)
縫ひ取りをした衣と麻の履物。上等な衣服・履物の意。
無為(むゐ)
ここでは道家的な無為自然ではなく、出来るだけ人民に手数をかけぬよう事を省くという、民政上の倹約の意で用ゐられる。

登場する神・人物

小林一郎(こばやしいちろう)
一八七六〜一九四四。漢学者・国文学者。二松学舎に学ぶ。『皇國精神講座』を主宰し、『中朝事實』のほか多くの古典を講義した。この読本の講義部分の著者。
山鹿素行(やまがそこう)
一六二二〜一六八五。『中朝事實』の著者。寛文九年(一六六九)、赤穂配流中に本書を著した。
仁徳天皇(にんとくてんのう)
第十六代天皇。高台から国見をして炊煙の乏しいのを見て民の窮乏を知り、課役を三年悉く免じ、自ら倹約して天下を富ませたと伝はる。「民のかまど」の故事で知られる。

神治章 百三十一仁德帝の詔 ── 高台よりの遠望と課役三年免除底本 下巻 百五十一〜百五十二頁
原文
仁德帝四年、春二月己未朔、甲子、詔群臣曰、朕登高臺以遠望、烟氣不起於域中、以爲百姓既貧、而家無炊者、朕聞、古聖王之世、人人誦德音、家家有康哉之歌、今朕臨億兆、於茲三年、頌德不聆、炊烟轉疎、即知五穀不登、百姓窮乏也、封畿之內、尙有不給者、況乎畿外諸國耶、三月己丑朔、詔曰、自今以後、至于三年、悉除課役、息百姓之苦、是日始之、黼衣鞋履、盡而不更爲也、溫飯煖羹、酸而不易也、削心約志、以從事無爲、是以宮垣崩而不造、茅茨壞而不葺、風雨入隙、而漏衣被、星辰漏壞、而露牀蓐、是後風雨順時、五穀豐穰、三稔之間、百姓富寛、頌德旣滿、炊烟亦繁。

訓読
仁德帝にんとくてい四年しねんはる二月にぐわつ己未つちのとひつじついたち甲子きのえね群臣ぐんしんみことのりしてのたまはく、ちん高臺たかどののぼりてもつとほのぞむに、烟氣えんき域中いきちうおこらず。もつ百姓ひやくせいすでまづしくして、いへかしものなしとす。ちんく、いにしへ聖王せいわうには、人人ひとびと德音とくおんとなへ、家家いへいへ康哉かうさいうたありと。いまちん億兆おくてうのぞみて、ここ三年さんねん頌德しようとくきこえず、炊烟すゐえんうたたまばらなり。すなは五穀ごこくみのらず、百姓ひやくせい窮乏きゆうばふせることをりぬ。封畿はうきうちすらなほたらざるものあり、いはんや畿外きぐわい諸國しよこくをや。三月さんぐわつ己丑つちのとうしついたちみことのりしてのたまはく、いまより以後いご三年さんねんいたるまで、ことごと課役くわやくのぞきて、百姓ひやくせいくるしみをやすめよと。よりはじめたまふ。黼衣ほい鞋履かいりは、きてさらつくらざるなり。溫飯をんぱん煖羹だんかうは、えてへざるなり。こころけづこころざしつづめて、もつ無爲むゐ從事じゆうじたまふ。これもつ宮垣きゆうゑんくづれてつくらず。茅茨ばうしやぶれてかず。風雨ふううすきりて、衣被いひうるほす。星辰せいしんやぶれて、牀蓐しようじよくあらはる。これよりのち風雨ふううときしたがひ、五穀ごこく豐穰ほうじようす。三稔さんねんあひだ百姓ひやくせい富寛ふくわんし、頌德しようとくすで滿ち、炊烟すゐえんまたしげし。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
仁徳天皇の四年春二月己未の朔甲子の日に、群臣に詔して仰せられますには、朕高臺に登りて遠く望むに、烟氣域中に起らず。以て百姓既に貧しくして、家に炊ぐ者無しと爲す。朕聞く、古の聖王の世には、人人德音を誦へ、家家に康哉の歌ありきと。今朕億兆に臨みて、茲に三年、頌德聆こえず、炊烟轉た疎らなり。卽ち五穀登らず、百姓窮乏せることを知りぬ。封畿の內すら尙給たらざる者あり、況んや畿外の諸國をや、と。三月己丑の朔に、詔して曰く、今より以後、三年に至るまで、悉く課役を除きて、百姓の苦しみを息めよと。此の日より始めたまふ。黼衣鞋履は、盡きて更に造らざるなり。溫飯煖羹は、酸えて易へざるなり。心を削り志を約めて、以て無爲に從事し給ふ。是を以て宮垣崩れて造らず、茅茨壞れて葺かず。風雨隙に入りて、衣被を漏らす。星辰漏れ壞れて、牀蓐露はる。是より後、風雨時に順ひ、五穀豐穰す。三年の間、百姓富み寛かになり、頌德旣に滿ち、炊烟も亦繁くなつたのであります。

解説
全集版js20「民の竈 ── 課役を三年免ず」(中朝事実_6.html)の原文とほぼ一致する。ただし小林本は末尾に「是以宮垣崩而不造。茅茨壞而不葺。風雨入隙而漏衣被。星辰漏壞而露牀蓐。是後風雨順時、五穀豐穰。三稔之間、百姓富寛、頌德旣滿、炊烟亦繁」の一段を続けて引いており、これは全集版js20には見当たらない。この一段はむしろ次章(js21「宮垣壞れて修めず」)の主題を先取りする内容であり、小林本が両者を一続きの文脈として読ませている点が特徴である。

神治章 百三十二高台よりの遠望 ── 明君の証底本 下巻 百五十二〜百五十三頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
仁徳天皇の四年春二月の朔日に、多勢の臣下を集めて仰せられるには、自分が此のほど高い所に登つて遠くを見渡した所が、此の邊りの人々の家から物を炊ぐ所の烟が殆んど立たなかつた。それで考へて見るに、これは多勢の人民が貧しいものであるから、其の家に炊ぐ所の米等も乏しいので、それで烟が立たないものと思はれる。斯ういふことは全く上に立つ所の自分の責任と心得なければならない。昔優れた天子が上に立つて居た時には、人民がみな其の天子の徳を讃へて、斯ういふ明君を上に戴いて居るから自分逹は安楽であると言つて、お互ひに感謝し合つた。また『康哉』──洵に泰平の世である、お目出たいと言つて人がその喜びを歌に作つて詠つたといふことも傳へられて居る。斯うあつてこそ本當に人の上に立つて其の責を全うし得たものと申せるのである。ところが今自分は『億兆』──多勢の民の上に臨んで天子の位を嗣いでから三年になるが、泰平の世を感謝するといふ聲も聞えないし、また實際銘々の家で米を炊ぐ烟も斯ういふ風に立たない。此の様子を見て考へると、穀物の稔りも悪くて多勢の人民は毎日の生活に困つて居るに相違ない。それで今自分の眼の前に見えるのは此の通りの地方だけで、謂はゆる畿內の地方だけの様子であるが、畿内でさへも此の通りであるから、況して都より遠い所の國々は尚更どれほど困難をして居るか、考へて見ると實に氣の毒なことである。それであるから自分は何とかして人民の生活を裕かにしなければならぬと思ふ。斯ういふことを仰せられたのであります。

解説
原文には対応する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。kj131の詔の前半(高台よりの遠望、烟の少なさへの気づき、古聖王の故事)を、天皇の内面の語りとして敷衍する。「億兆」「康哉」の語をそれぞれ注記しつつ物語る手法は、他の巻でも繰り返し用いられる小林独自の講義スタイルである。

神治章 百三十三課役三年免除の御沙汰底本 下巻 百五十三頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それから翌る月になつてまた重ねて仰せ出だされるのには、此の間からいろいろ考へて見たが、人民を裕かにするには人民の負擔を軽くするより外はない。就いては今から三年の間といふものは『悉く課役を除め』──『課』といふのは人民から税を徴ること、『役』といふのは前にも申したやうに、時々道路を繕ふとか或は天子様のお住ひのお手入れをなさるといふ時には、人民を集めて働かせるのでありますが、其の租税も用させないやうに、また労働等にも從事させないやうにして、出来るだけみなが銘々の生業に力を盡すやうにさせて、出来るだけ苦勞を休めてやりたいと思ふ。斯ういふ御沙汰でありました。

解説
原文には対応する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。「課」「役」の語をそれぞれ講義口調で説き分ける。この語釈は本冊の主要語彙集にも収める。

神治章 百三十四天皇御自らの御倹約とその報い ── その十四の結び底本 下巻 百五十三〜百五十四頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それで此の時から天皇が先に立つて御倹約をなされ、例へば召物でも或は足にお穿きになる履き物でも、スツカリ破れてしまはなければ新しくなさらない。それから御飯でもまた羮でも、それが腐らなければ拵へないで、何時でも前に作つた物をまた召上るといふやうになされて、出来るだけ心を倹まして、また大いに自ら戒めて、さうして『無為』といふのは、出来るだけ人民の事を省くやうにといふことを、主にして居らしつた。それであるから御所の垣根が破れてもこれを繕ふこともなさらず、また屋根が破れて其の間から雨が漏つたり風が吹き込んだりしても其のまゝにしてお置きになり、天皇や皇后の召物が雨の爲に濡れるといふほどでありました。また屋根の間から星が見えたり、月の影がさしたりして、其の月の影が天皇のお休みになるお床の上まで照すといふ位であつたけれども、それでも其の儘にしてお置きになつて、有らゆる艱苦をお忍びになつたのであります。然るにこれより後は風雨共に時に順うて、天災等もなかつたものでありますから、五穀も非常に豊かになりまして、三年續いて後には、人民の生活といふものは非常に安楽になつて来て、これは全く上の御恩で、自分逹が税なども出さないで専ら農業にのみ従事することが出来、また天皇のお心持が天地の神々にも感應したと見えて、天災なども一つも起らないで、物もよく出来て此の通りまことに安楽である。是れは全く上の御恩であると言つて、お互ひに感謝の心持を語り合ふやうになり、隨つて勵しみも増して、以前とは違つて物を炊ぐ所の烟も盛んに立つやうになつて、國中の様子といふものが全く一變致したのであります。これは偏へに天皇の御恩徳の致す所と申さなければならぬので、後世に至るまで此のお恵みを偲んで止まぬといふことは少しも不思議ではないのであります。

解説
原文には対応する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。「無為」の語を、道家的な無為自然としてではなく「出来るだけ人民の事を省く」という民政上の倹約と読み替える点が素行・小林に一貫する解釈である。天皇自ら艱苦を忍んだことが三年後の豊穣に結実するという構成は、次冊その十五で「七年」の条(皇后との問答、宮室修理の再開)へと続く。その十四の結び。次冊その十五は底本下巻百五十四頁からの「朕既に富めり」(仁徳天皇と皇后の問答)へ進む見込みである。