神治章 百二十五神武帝の詔(再掲)と崇神帝六年の御事底本 下巻 百四十七〜百四十八頁
原文
神武帝詔曰。恭臨寶位。以鎮元元。上則答乾霊授國之德。下則弘皇孫養正之心。崇神帝六年。百姓流離。或有背叛。其勢難以德治之。是以晨興夕惕。請罪神祇。
訓読
神武帝詔して曰はく、恭みて寶位に臨み、以て元元を鎮め、上は則ち乾霊國を授くるの徳に答へ、下は則ち皇孫正を養ふの心を弘めん。崇神帝の六年、百姓流離し、或は背叛する者有り。其の勢徳を以て之を治め難し。是を以て晨に興き夕に惕れて、罪を神祇に請ふ。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
証の神武天皇の詔は前に既に引かれて居りますから、重ねて説明をするには及びませぬが、要するに天子として此の國を治めるのに力をお盡しになるのは、御先祖の神様のお徳に報ゆる道であるといふこと、また御先祖以來正義といふものを重んぜられたから、此の正しきを養ふといふ精神を國中に弘めるといふ御趣意であるといふことが、ここに重ねて明かにしてあるのであります。それから崇神天皇の時に大變天災が多くて、國民の中に其の生活を支へることの出來ない者があつた。其の爲にツイ人間といふ者は生活に困ると心が荒くなるものでありますから、法律規則なども一向守らず、上の御命令も一向大切にしないで、自分の勝手なことのみをやつて、爭ひ合ふ者なども隨分あつたといふのであります。そこでこれは當り前の方法では迚も國内をすつかり安らかにするといふことは出來ないとお考へになつたものでありますから、崇神天皇は御先祖の神様に、これは自分の政治の執り方が悪くて、徳が足りないから人民が服從しないのであらうといふことを申上げて、さうしてお詑びを申上げたといふことであります。
解説
「崇神天皇の自責の叡慮」の冒頭。前段(その十二)までに引かれた神武天皇の詔(橿原奠都の詔)を再掲し、それを承けて崇神天皇六年の記事へ続ける。原文「崇神帝六年。百姓流離。或有背叛。其勢難以徳治之。是以晨興夕惕、請罪神祇」は『日本書紀』崇神天皇六年の記事にもとづく。「晨興夕惕」は朝に起き出でて夕べに至るまで慎み恐れるさまをいい、崇神天皇が自ら日夜省みて神祇に罪を請うたことを表す。全集版js19冒頭の神武帝詔(中朝事実_6.html)に相当するが、js19は神武帝六年の条を「百姓洗雝(民和らぎ和む)」という穏やかな記事にとどめ、崇神天皇の自責説話には及ばない。小林本が崇神紀の記事を新たに接続している点は、全集版に対応箇所を持たない独自の構成である。
神治章 百二十六崇神天皇の御詫びと天下の平定底本 下巻 百四十八頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それで朝から夜まで深く自ら反省して、自分の力の足りないといふことをお考へになつて、どうか自分は何處までも己れを愼しんで行ひを正しくすることに努めるから、御先祖の神様もお力をお添へ下さるやうにといふことをお祈り申上げたといふのであります。此の天子様の誠心が自ら神に通じたと見えまして、此より後は氣候も穏やかになるし、だんだんと人民の心も平和になりまして、天下がよく治まつたと申すことであります。
解説
原文には対応する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。崇神天皇が天災・民心の乱れを自らの不徳の致す所と受け止め、神祇に罪を請うたことで天下が治まったという流れを、講義口調で敷衍する。前段(kj125)の「請罪神祇」の一句を承け、その内実を物語る一段。
神治章 百二十七崇神天皇の御徳への賛 ── 自ら責めるといふことの肝要底本 下巻 百四十八頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
勿論崇神天皇の如きは御徳の高い天子様であります。此の御徳の高い天子様が斯ういふ風にして、自分に足らないことがあると思つて、自ら恐れるといふお心持でありましたから、下の者は尚更のことでありまして、銘々が自分を省みて其の足らない所を悟つて、ますます努力して參りまして、そこで國も盛んになり、國民全體の風儀も篤いやうになつたものと思はれるのであります。何にしても人間は己れを責めるといふことが肝要なので、殊に重要な責任を負つて居る者は尚更のことでありまして、何時の時代に於ても、人々が此の心掛けを失はないやうにすれば、自ら國は盛んになり、また事業も發展して行くに相違はないのであります。
解説
原文には対応する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。「崇神天皇の自責の叡慮」の結びにあたり、天子一人の自責の心が下々にまで及んで国全体の風儀を篤くするという構図を説く。「己れを責める」という徳目を、地位の上下を問わぬ普遍的な心掛けとして敷衍している点が特徴で、次段の謹按「国は民を以て本と為す」への橋渡しとなる。
神治章 百二十八謹按 ── 國は民を以て本と爲す底本 下巻 百四十八〜百四十九頁
原文
謹按。國以民爲本。民勞則國衰。民安則國興。乾霊所授者、則此蒼生也。二帝恭儉之至哉。民惟國本。本固邦寧。故或制中國、或敷民教。其德大哉。以上重民之事。
訓読
謹んで按ずるに、國は民を以て本と爲す。民勞るる時は則ち國衰へ、民安き時は則ち國興る。乾霊の授けたまふ所は、則ち此蒼生なり。二帝の恭儉したまふ所至れる哉。民は惟國の本、本固ければ邦寧し。故に或は中國を制し、或は民に教を敷く。其の徳大なる哉。以上民の事を重ず。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
謹んで按ずるに、國は民を以て本と爲すのであります。民勞るる時は則ち國衰へ、民安き時は則ち國興ります。天神の授けたまふ所は、則ち此れ蒼生なりであります。二帝の恭儉したまふ所至れる哉。民は惟れ國の本、本固ければ邦寧し。故に或は中國を制し、或は民に教を敷く。其の徳大なる哉。以上民の事を重んず。
解説
全集版js19の謹按「國以民爲體、民勞則國衰、民安則國興、民者、是國之本、邦寧之基也、二帝之恭儉、其德大哉」に相当するが、字句がかなり異なる。小林本は「乾霊所授者、則此蒼生也」(天神の授けたまう所は、この蒼生なりの意)の一句を新たに加えており、これは全集版には見当たらない独自の増補と判断した。また末尾の「故或制中國、或敷民教」(或いは中国を制し、或いは民に教えを敷く)も全集版に対応箇所がなく、神武天皇の中つ国平定と崇神天皇の教化とを二帝の徳の顕れとしてまとめる小林独自の一句と見られる。なお該当箇所は活字の判読がやや困難な箇所を含み、「敷民教」の三字は文脈から意を汲んだ推定を含む。
神治章 百二十九素行の言葉 ── 國本の尊重底本 下巻 百四十九頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
素行が尚ほこれに就いて言葉を添へて申しますには、一體國といふものは人民の努力に依つて保たれて行くのでありますから、民といふものが國の本體であると考へなければならない。それであるから人民が疲れ果てて生活も立たず、また自分の毎日のことを勵むといふ氣力もなくなれば、國は衰へるより外はない。それから人民がみな其の所に安んじて、喜んで銘々の業を勵むといふことになれば、國は必ず盛んになるのであります。そこで御先祖の神様が此の國をお授けになつたといふことは、たゞ其の土地ばかりをお授けになつたのではなく、卽ち人民をお授けになつて、人民と一緒に力を協せて此の國を盛んにしなければならぬといふ思召で、天孫を此の國にお降しになつたに相違ないのであります。それでありますから何時でも人民といふことを考へなければ、上に立つ帝王たる所の責任を全うされる譯には行かないのであります。それで神武天皇が御先祖の神が此の國をお授けになつた御徳を有難いと思ふと仰せられ、また崇神天皇が人民の心が安穩でないのは神様がお咎めになるのであらうと仰せられ、此のお二人の天子様がみな御先祖の神様を大切になさつて、さうして神様の思召に適はないことがあつてはならぬと自ら戒めていらつしやつたといふことは、洵に至れり盡せりと申すべきであります。斯ういふお心持ちの方が上に立つていらつしやれば、多勢の者も自分の役目を良い加減にして置いて濟ますといふやうな心持にはならぬ譯であります。
解説
原文には対応する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。前段の謹按「国は民を以て本と為す」を承け、素行の言葉として「国本の尊重」を説く。神武天皇の詔(御先祖の神の授けたまう国への感謝)と崇神天皇の自責の叡慮(民の心が安らかでないのを神への申し訳と受け止める)とを、共に「民を国の本と見て神を大切にする」という一線でつなぎ、上に立つ者の心構えとしてまとめている。
神治章 百三十制度と教化の必要 ── その十三の結び底本 下巻 百四十九〜百五十頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それで何と言つても民は國の本であるから、其の本が固ければ國は裕かになつて行くのであります。隨つて人民が皆しつかりと協力一致するといふことが何より大切である。其の能く協力一致するためには、以て生活を安らかにしてやらなければならぬけれども、生活が安らかであればそれで國が本當に盛んになるかと言ふと、なかなかさうは行かない。何故ならば人間の慾望といふものはどこまでも募つて來るものでありますから、生活が立たなくなれば何とかして生活が立てば宜いと思ふし、生活が立つやうになれば、贅澤をしたくなつて來る。ところが物には限りがあつて、人の慾望は限りなく發展するのであるから、そこで誰でも自ら安んじないで、人の物を奪はうといふことになる。それであるから生活を安らかにするといふことも大切であらうけれども、一方に於てはこれを敎へて、さうして銘々の私の心を制して行くやうにするといふことが肝要なのであります。それで帝王たる者は人民を安らかにすると共に、たゞ安らかにしてそれで終るのではなくて、能く人民を敎へて、各々私の心を捨てて行くやうに之を導かれるのであります。是れは實に歴代の天子様の力をお盡しになつた所であつて、實に其のお徳といふものは廣大なものであります。斯ういふ譯でありますから、獨り國を治めることだけではなく、どんな仕事をする人も此の點をよく考へなければならないのであります。例へば五人なり十人なりの人を使つて商賣をするのでも、其の生活が安定するやうにしてやらなければならぬけれども、またこれを敎へるといふことを怠つて居つては、其の商賣が上首尾に行くものではないのでありますから、人の上に立つ人は何時でも其の下に屬する者を敎へて行くといふだけの覺悟がなければなりません。ところが人を敎へるのには、自分の身を愼むといふことが根本であります。それであるから身を愼むことの出來ない人は、要するに人の上に立てないといふことになるのでありまして、これは今後に於てもまだ肝要なこととして銘々が大いに心に銘すべき點と思はれるのであります。
解説
原文には対応する漢文がなく、小林一郎の講義による敷衍箇所である。「国本の尊重」(kj129)を承けて、民を安んずるだけでなく教化することの必要を説き、統治から日々の商いに至るまで通ずる「教えるには己を慎むことが根本」という結論に至る。その十二の結び「経済の本は農業」と同様、素行・小林に一貫する君主論・徳治論の締めくくりであり、その十三の結びとなる。次冊その十四は底本下巻百五十一頁からの仁徳天皇(欄外見出し「仁徳天皇の仁政」──高台よりの遠望と課役三年免除の詔)へ進む見込みである。