神治章 百十一保食神(一)── 月夜見尊、饗応を怒りて斬る底本 下巻 百三十四〜百三十五頁
原文
天照太神在於天上曰。聞葦原中國有保食神。宜爾月夜見尊就候之。月夜見尊受勅而降。已到于保食神許。保食神乃廻首嚮國。則自口出飯。又嚮海。則鰭廣鰭狹亦自口出。又嚮山。則毛麁毛柔亦自口出。夫品物悉備。貯之百机而饗之。是時月夜見尊忿然作色曰。穢哉鄙矣。寧可以口吐之物。敢養我乎。廼拔劒擊殺。然後復命。具言其事。時天照太神慍甚之曰。汝是惡神。不須相見。乃與月夜見尊。一日一夜隔離而住。
訓読
天照太神天上に在して曰はく、葦原中國に保食神ありと聞く。宜しく爾月夜見尊就きてこれを候へと。月夜見尊勅を受けて降ります。已に保食神の許に到りたまふ。保食神乃ち首を廻らして國に嚮ひしかば、口より飯出づ。又海に嚮ひしかば、鰭廣鰭狹も亦口より出づ。又山に嚮ひしかば、毛麁毛柔も亦口より出づ。夫れ品物悉く備はりて、百机に貯へてこれを饗ふ。この時月夜見尊忿然として色を作して曰はく、穢きかな鄙しきかな。寧ぞ口より吐きし物を以て、敢て我れを養ふべけんやと。廼ち劒を拔きて擊ち殺しつ。然して後に復命し、具さにその事を言す。時に天照太神慍りたまふこと甚だしくして曰はく、汝は是れ惡しき神なり。相見るべからずと。乃ち月夜見尊と、一日一夜隔離てて住みたまふ。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
天照太神が天上にあつて仰せられた。「葦原中國に保食神があると聞く。そなた月夜見尊よ、行つてこれをうかがへ」。月夜見尊は勅を受けて降られた。保食神のもとに到られると、保食神は首をめぐらして國に向かふと、口から飯が出た。また海に向かふと、大きな魚小さな魚もまた口から出た。また山に向かふと、毛の粗い獸柔らかい獸もまた口から出た。あらゆる品がことごとく備はり、たくさんの机に盛つてもてなした。このとき月夜見尊は怒つて顔色を変へて言はれた。「穢らはしい、卑しい。どうして口から吐いたもので、あへてわたしを養はうとするのか」。そこで劍を拔いて撃ち殺してしまはれた。そののち復命して、詳しくそのことを申し上げた。そのとき天照太神はたいそう怒つて言はれた。「そなたは惡い神である。顔を合はせるべきではない」。さうして月夜見尊とは、一日一夜へだたつて住まはれた。
解説
全集版js17(〈保食神 ── 五穀と養蠶の起り〉、中朝事実_6.html)に対応する。小林本は「天照大神」を「天照太神」、「在天上」を「在於天上」、「往候之」を「就候之」とし、全集版と細部の字形が異なることを確認した。全集版js17の解説は「日と月が別れて住むやうになったという一句に注目」し、日月一体の像がここで破れると評してゐる。
神治章 百十二保食神(二)── 五穀と養蠶の起り底本 下巻 百三十五頁
原文
是後天照太神復遣天熊人往看之。是時保食神實已死矣。唯有其神之頂化爲牛馬。顱上生粟。眉上生蠒。眼中生稗。腹中生稻。陰生麥及大小豆。天熊人悉取持去而奉進之。時天照太神喜之曰。是物者。顯見蒼生可食而活之也。乃以粟稗麥豆爲陸田種子。以稻爲水田種子。又因以定天邑君。即以其稻種。始殖于天狹田及長田。其秋垂穎八握莫莫然。甚快也。又口裏含蠒。便得抽絲。自此始有養蠶之道焉。
訓読
この後天照太神復た天熊人を遣はして往きてこれを看せしむ。この時保食神實に已に死れり。唯だその神の頂に化りて牛馬と爲るあり。顱の上に粟生れり。眉の上に蠒生れり。眼の中に稗生れり。腹の中に稻生れり。陰に麥及び大小豆生れり。天熊人悉く取り持ち去きてこれを奉進る。時に天照太神喜びて曰はく、この物は顯見蒼生の食ひて活くべきものなりとのたまひて、乃ち粟・稗・麥・豆を以て陸田種子と爲し、稻を以て水田種子と爲す。又因りて以て天邑君を定む。即ちその稻種を以て、始めて天狹田及び長田に殖う。その秋垂穎八握莫莫然として、甚だ快し。又口の裏に蠒を含みて、便ち絲を抽くことを得たり。これより始めて養蠶の道あり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
その後、天照太神はあらためて天熊人を遣はして見に行かせられた。このとき保食神はまことにすでに死んでゐた。ただその神の頭が化して牛馬となつてゐた。額の上に粟が生じ、眉の上に蠒が生じ、眼のなかに稗が生じ、腹のなかに稻が生じ、陰に麥と大豆・小豆が生じてゐた。天熊人はことごとく取り持ち去つて獻上した。そのとき天照太神は喜んで言はれた。「これらは現し世の人々が食べて生きてゆくべきものである」。そこで粟・稗・麥・豆を畑の種とし、稻を水田の種とされた。またこれによつて天の邑君を定められた。そしてその稻種をはじめて天狹田と長田に植ゑられた。その秋、垂れた穗は八握もあつてふさふさと茂り、まことに氣持ちよかつた。また口のなかに蠒を含んで、絲を引くことができた。ここからはじめて養蠶の道が起こつた。
解説
全集版js17と対応する(字句はkj111と同様の変異)。全集版js17の解説は「章の第三部、民を養ふに入る」段と位置づけ、素行がこの神話を引く理由は次節の按語(謹按)で明らかになると述べる。この読本でも同様に、kj116〜117の「利用厚生の道」「謹按」でその意味づけが明らかになる。
神治章 百十三耕織の起原(一)── 月夜見尊、保食神を訪ねる底本 下巻 百三十六頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
次には國の繁殖して行く爲に、國民の産業がだんだんと其の道を得たといふことが説かれてゐるのであります。天照太神が天上に在つて勅して仰せられるのには、葦原の中つ國、卽ち日本の國土には保食神といふものが居るといふことである。これは多勢の者の生活の途を立てることに最も長じて居る者と聞いて居るので、其の樣子を見に行つて報告をするやうにといふことで、月夜見尊にこれを命ぜられました。そこで月夜見尊が天照太神の仰せを承けて降つて參りまして、保食神の所に行くと、保食神が、あゝよく參られたといふので、首を廻らして國の方に向いた所が口から米が出た。次に海の方に嚮つた所が「鰭の廣もの」といふのは幅の廣い魚、卽ち平目とかいふやうなもの、それから「鰭の狹もの」といふのは丈が長くて幅の狹いもの、卽ち鮎とか或は鰺とかいふやうな類のものでありませう。それから山の方に嚮いた所が、毛の荒い獸、卽ち鹿とかいふやうな類のもの、それから毛の柔い獸、卽ち兎とかいふやうな類のものでありませう。斯ういふものを皆揃へて、そこに澤山机を置いて、其の机の上に列べて月夜見尊を饗應したのであります。
解説
欄外見出し「耕織の起原」。js17前半(保食神の饗応)を承け、鰭廣・鰭狹・毛麁・毛柔をそれぞれ具体的な魚・獸の種類(平目・鮎・鹿・兎など)に敷衍する、この読本ならではの講義口調の説き直しである。
神治章 百十四耕織の起原(二)── 保食神を斬り、復命す底本 下巻 百三十六〜百三十七頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
ところが月夜見尊が非常に怒つて顏色を變へて、これは穢らはしい。お前の口から出たものを列べて自分に與へるといふことは、全く人を侮辱したと言つて、これを殺してしまひましたといふことを申上げました。そこで天照太神が非常にお怒りになりまして、お前は惡しき神である。人が誠心を以て物を供へるのを、無禮だなどと言つて殺すといふのは、全くどうも人の情けを知らないことである。さういふ横暴な者とはモウこれから會はないと、斯う仰せられて、月夜見尊と一日一夜の間隔てゝ住んで、お會ひになることを許されなかつた。それから天照太神が天熊人といふ者をやつて、其の保食神の死んだ後の樣子を詳しく見て來るやうにといふことを命ぜられた。
解説
js17後半(月夜見尊の忿怒・撃殺・天照太神の慍り)に対応する敷衍。素行が「一日一夜隔離而住」と記す一句を、小林は「横暴な者とはモウこれから會はない」という天照太神の断固たる態度として説き直してゐる。
神治章 百十五五穀の起り ── 天照太神の御心づかい底本 下巻 百三十七〜百三十八頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
そこで天熊人が行つて見ると、保食神は死んで居たけれども、其の頭の所からは牛や馬が出て、額の所には粟が生り、眉の上には蠒が生り、眼の中には稗が生え、腹の中には稻が生え、陰部の所には麥や豆や小豆などが生えて居つた。それを一々揃へて持つて來て天照太神に差上げた所が、天照太神は非常にお喜びになつて、これは好い物である。これは今こゝに生きて居る所の顯見蒼生といふのは人民のことで、人民達の生活を續ける食物として洵に好い物である。今までは自然に生えて居つた草や木の實などを食べて居つたけれども、斯ういふことで本當の生活が永く保てるものではないから、今お前の持つて來た斯ういふものをだんだん殖やして行けば、多勢の人間の生活といふものは、幾らでも容易く出來るであらうと仰せられました。
解説
js17後半(顯見蒼生可食而活之也)に対応する敷衍。「顯見蒼生」を「人民」と明快に言ひ換へ、五穀の起りを人民の食の起源として説く段。
神治章 百十五の二養蠶の起り ── 田畑の定めと絹絲底本 下巻 百三十八頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それから粟とか稗とか麥とかいふやうなものは畑の方に植ゑるものと定められ、稻といふものは水が多くなければ育たないから、田の方に植ゑるものと定められ、それから天邑君といふのは、さういふ農業を指導する所の者ですが、此の任に當る者をお定めになつたのであります。さうして稻の種は食糧として最も適當なものであるといふので、天狹田及び長田といふのは、何れも田の名でありますが、此等の田に植ゑて、これを先づ多勢の人間の主なる食糧とお定めになつたのであります。それで此等の田は地味も良し、稻といふものも大變に育ちの宜いものでありますから、秋になつて見ると其の穗が垂れて、さうして「八握」といふのは非常に長いのであります。穗が長いといふのは實つた所の米の粒が非常に多いので、其の穗がしなうて洵に良く出來ました。これから後日本の人は稻を主要な食糧とするといふことが定まつたのであります。それから此の蠒を口に含んでフツト息を吹掛けると絲が出たので、此の絲を抽いて、謂はゆる絹絲が出來た譯であります。これからだんだんに養蠶といふことも開けて參りました。斯様にして人民の衣食の本が立つたと申すのであります。
解説
js17後半(天狹田・長田・八握莫莫然・養蠶之道)に対応する敷衍。五穀・養蠶の起りを人民の衣食の起源として締めくくる。次段(kj116)で、この衣食の充足が「利用厚生」──王道の根本であるという議論へ接続する。
神治章 百十六利用厚生の道底本 下巻 百三十八〜百三十九頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
これは一國を治めるのには、先づ人民の生活を裕かにしなければならぬといふことを明かに示されて居るのであります。支那の儒教で王道を論ずるのにも、「利用厚生」といふことを第一に申しまして、凡ての物資を裕かにして、人間の生活を安らかにすることが天下に王道を行ふところの根本となつて居ります。人の道を教へるといふことは何より肝要であるけれども、生活に困つて居ては、どうしても人々相爭ふといふことになりまして、道は立たないのであります。生活を裕かにして置いて、然る後に人間の道を厳しく教へれば、道は立つて行くものであります。日本の國でもやはり人民の生活を裕かにするといふことが、だんだんと榮えて行つたればこそ、人の人たる道を教へるといふことと、此の二つのことが相並んで行つたのであります。其の根本は食を足らすといふことに在るので、此の事を天照太神が深くお考へになつたといふことを證するのであります。
解説
『書經』大禹謨に見える「正德・利用・厚生」の語を承ける。素行・小林ともに、民を治める根本を道徳の教へより先に「利用厚生」(生活の充足)に置く点は、儒教の民本主義と共通する立場である。次段(kj117)の謹按「播穀之初」が、この「利用厚生」論を五穀起源神話に結び付けて締めくくる。
神治章 百十七謹按 ── 播穀の初(新規原文)底本 下巻 百三十九頁
原文
謹按。是播百穀之始也。蓋中州本有秋瑞穗之稱。則水土之美。嘉禾之瑞。固有之地也。天神因保食神之教。大成稼穡養蠶之道。自是天下之人民。食以給。衣以防。皆是神之洪徳也。以上播穀之初。
訓読
謹んで按ずるに、是れ百穀を播くの始なり。蓋し中州本秋瑞穗の稱あり。則ち水土の美、嘉禾の瑞、固有の地なり。天神保食神の敎に因りて、大に稼穡養蠶の道を成す。是より天下の人民、食以て給し、衣以て防ぐ。皆是れ神の洪徳なり。以上播穀の初。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
謹んで按ずるに、これが百穀を播くことの始めである。思ふに我が國はもともと「秋瑞穗の稱」――秋に瑞穗の實る國だといふ稱へがある。すなはち水と土との美しさ、嘉禾(めでたい稻)が實るといふ瑞は、もとより我が國に固有のものである。天神が保食神の敎へに因つて、大いに稼穡・養蠶の道を成し遂げられた。これより天下の人民は、食によつて養はれ、衣によつて寒暑を防ぐ。これらは皆神の大いなる徳である。以上、穀物を播くことの始めについて述べた。
解説
この謹按は全集版data6.pyのjs17〜js18の間を検索しても見当たらず、全集版に対応箇所を持たない小林本独自の一節と判断した。「秋瑞穗の稱」──日本を瑞穗の國と稱する古来の言ひ習はしを、保食神神話の帰結として位置づける点に、小林独自の讀みが表れてゐる。
神治章 百十八瑞穂の國と比較の必要底本 下巻 百三十九〜百四十一頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
これは一國を治めるのには、先づ人民の生活を裕かにしなければならぬといふことを明かに示されて居る所と申すより外はないのであります。日本が瑞穗の國であるといふことは、昔から言つて居ることでありまして、私共も子供の時からさういふことを始終聞かされて居つたので、別に珍しいこととも思はないで、實は此の有難さに狎れ過ぎて居つたのであります。まことに我が國の固有と謂ふべきものであります。ところが土地が斯ういふ風に勝れて居る上に、また外國の例へばイギリス邊りへ行つて見ますと、第一地味が惡いので、物を蒔いても出來ない。あの狹い島國でありながら、空地が到る處にある。聞いて見れば此處は物が出來ないから已むを得ずに其の儘にして置くのだといふことであります。殊に氣候も日本などとは異つて非常に惡いし、秋から冬に掛けてば毎日霧が深くて、殆んど靑い空を見ることも出來ないといふやうな状態でありますが、さういふ所を見て歸りますと、成るほど日本は有難い國だ、瑞穗の國だといふことがしみぐ〜と解るのであります。外と比べない一國の非常に勝れて居ることを知つて、感謝の心持で銘々の仕事をするといふことが肝要であります。併しながらまた一方に於ては、外の國だといつてみな惡い事ばかりではないのでありまして、また我等の及ばない所もあるに相違ないのでありますから、さういふ所は極く冷靜な考へを持つてよく見て、及ばざる所は他を學んで補ふといふやうに努めて行けば、國が榮えて行くし、また世界の凡ての國の手本となることであらうと思はれるのであります。何にしても固陋な心持を去つて、さうして良い所は良い所として充分これを尊重すると共に、缺けたる所はまた他に學んでこれを補ふといふだけの寛い氣分を持つといふことが最も肝要であらうと考へられます。
解説
欄外見出し「比較の必要」。「瑞穗の國」であることへの感謝と、外國(イギリスを例に)の悪条件から日本の恵まれた自然を再認識する一方、外國の長所も謙虚に學ぶべきだとする、素行・小林に一貫する「和漢同一揆」(神教章その七参照)の精神が、ここでは対イギリスという新しい比較対象で反復される。その十一の結び。次冊その十二は全集版js18「天照大神、天狹田・長田を御田と爲す」(欄外見出し「勤勞の神訓」)へ進む見込みである。