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中朝事實 小林一郎 講義 四十(神治章 その九)

山鹿素行 原著 小林一郎 講述 ── 根本の問題、封建の弊、郡縣の利、封建より郡縣 原文・訓読・講義・補注の四層

この読本について

小林一郎 講義本『中朝事實』の第四十冊。神治章の第九分冊(底本 下巻 百二十三〜百二十七頁)を収めます。前冊(その八)で全集版js12〜js15に相当する封建・郡縣の得失論の原文・訓読を読み終へた後を承け、この冊はその全文を承けた小林の講義(現代語訳に相当する部分)にあたります。全集版・小林本ともにこの区間には対応する漢文原文が新たに現れないため、本冊はすべて小林の講義による敷衍です。

この冊の読みどころ(一)。欄外見出し「根本の問題」──封建と郡縣、どちらの制度が良いかは、突き詰めれば制度そのものの優劣ではなく、それを行う「人」の問題である、という『大學』八条目に基づく議論から始まります。

この冊の読みどころ(二)。欄外見出し「封建の弊」では、小林が素行の「愚謂へらく」を承けて、封建という制度が抱へる弊害(世襲による賢愚不定・百姓への害・王室への害・天子も速やかに変へられないこと)を具体的に説き明かし、対して郡縣の利(任限・黜陟・監察・尾大掉はざること)を丁寧に対比させ、最終的に「封建よりは郡縣の方が勝つて居る」という素行の結論へ至ります。

四層の構成。この冊はすべて敷衍のため「原文」「訓読」の欄には対応する漢文がない旨を記し、「現代語訳」の欄に小林一郎の講義そのものを現代表記に直して全文収めています。「解説」は新たに書き加えた補注です。

翻刻について。底本は小林一郎講述『中朝事實』下(皇國精神講座、影印)です。旧字・旧仮名の原本からの文字起こしで、なお誤りが残っている可能性があります。

色分けの凡例

『日本書紀』(本文・一書)本朝の古典(古語拾遺・舊事本紀・元々集ほか)漢籍(易・書・詩・論語・孟子ほか)制度・地理・故事

主要語彙集

跋扈(ばつこ)
勢力を得た者が我がもの顔にふるまふこと。
尾大掉はず(びだいふるはず)
尾が大きすぎて自由に振れないこと。転じて、下の勢力が強すぎて上から制御できないことのたとへ。

登場する神・人物

小林一郎(こばやしいちろう)
一八七六〜一九四四。漢学者・国文学者。二松学舎に学ぶ。『皇國精神講座』を主宰し、『中朝事實』のほか多くの古典を講義した。この読本の講義部分の著者。
山鹿素行(やまがそこう)
一六二二〜一六八五。『中朝事實』の著者。寛文九年(一六六九)、赤穂配流中に本書を著した。

神治章 八十七根本の問題底本 下巻 百二十三頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
此の制度のどちらが好いかと言ふと、其の根本を言ふと人の問題であります。何故ならば天下を平かにするのには國を治めなければならぬし、國を治める者は先づ銘々の家を齊へなければならない。これは大學の中にも教へられてある通りであります。家を齊へることの出來るか出來ないかといふことは、詰り其の家の主人たる者の徳の如何に因るのであります。それであるから身を修めるを本と爲すといふことになるのであります。家が齊へば國も治まるし、天下も平かになるといふ譯でありますから、

解説
全集版js14後半・js15冒頭の「竊按、天下欲平者、先治其國、欲治其國者、先齊其家、……」(中朝事実_6.html)で示された『大學』八条目の枠組みを承け、小林はここで「制度の優劣ではなく人の問題である」という論点をあらためて掲げ直す。その八のkj80で既に引かれた八条目を、講義の言葉であらためて説き直す段。

神治章 八十八封建も郡縣も人物次第底本 下巻 百二十三〜百二十四頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
皆然るべき立派な人物が揃つて居れば、封建でも郡縣でも政治は巧く行つて、人民も幸福になるのであります。併しながら大體の制度から言ふと、此の郡縣といふ方が洵に統一も具はり、また秩序も立つて居るのであります。卽ち家が集まつて邑や縣が出來、邑や縣が集まつて郡となり、郡が集まつて國となるといふ譯であります。それで「天下」卽ち日本ならば日本といふものの全體は郡を集めた其の總體を言ふのだと、斯うなるのでありますから、洵に統一がよく出來て居るのであります。それ故に郡縣といふ制度を確立するのが本當の治め方には相違ないのであります。

解説
立派な人物が揃つてゐれば封建でも郡縣でも良いという原則を確認しつつ、それでも制度としては郡縣の方が統一・秩序の点で優れるという、小林独自の評価が加へられる段。

神治章 八十九明君と賢臣底本 下巻 百二十四頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
併しながら聖人といふやうな徳の勝れた君主が上にいらつしやれば、其の地方々々の樣子をよく調べて其の制度を立て、また其の時代に適應すべき所の道に依つて禮をも立てられるのであります。兎も角も上に明君があれば、必ず勝れた臣下がこれを輔け、地方にまでも其の人を得ることになります。斯ういふやうになれば、たとひ封建でも人民は皆滿足して仕事を勵むし、郡縣でもやはり其の通りであります。

解説
「明君あれば必ず賢臣あり」という、この読本を通じて繰り返し現れる小林の統治観がここでも確認される段。

神治章 九十君主に徳がなければ底本 下巻 百二十四頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
ところが若し君主たる者に徳がないとすれば、「之に反す」── どちらの制度にした所が政務は滯するし、また役人は自分の私をするといふやうになるのでありますから、人民は無論不仕合せでありまして、國の發展といふことも到底望まれないのであります。斯ういふやうな状態であれば、封建でも「之を失ふ」卽ち巧く行かないで其の國は衰へる。郡縣でも其の國は立ち行かぬといふことになるのであります。それであるから其の制度だけでどつちが宜しいかといふことは斷定し得られない譯であります。

解説
全集版js15の「暗主之於天下也、反之、故封建亦失其體、郡縣亦失其體」に対応する内容を、講義口調で敷衍した段。制度そのものでは優劣が決まらないという前提を、無徳の君主という反例で確認する。

神治章 九十一封建の弊 ── 愚謂へらく底本 下巻 百二十四頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
併しどつちも人物が同じ程度であつたとしたら、どちらが良いかといふのが問題なので、「愚謂へらく」── 素行の考へるのには、封建といふものに弊害が多く、郡縣の方が餘ほど勝つて居ると見るべきである。何故かと言ふと、

解説
全集版js15の「愚謂、封建者、如公之於天下、而私之、……」の書き出しに対応する導入部。ここから素行自身の判断(郡縣優位論)が具体的に展開される。

神治章 九十二封建の弊 ── 世襲の弊害底本 下巻 百二十四頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
封建といふものは天下を公にするやうに見える。卽ち然るべき人物に領地を與へて、天子が折々之を巡狩して歩かれるといふ譯であるから、洵に公けな制度のやうに見えるけれども、實は天下を私することになる。何故ならば諸侯たる者が領地を子孫に傳へるのであるが、其の親が賢くて其の子が愚かであつても、直ぐに其の領地を取上げるといふ譯には行かない。それであるからどうしても私といふことが主になつて、人民が累ひを受ける場合が多いのであります。

解説
js15の「封建者、如公之於天下、而私之」を、世襲による賢愚不定という具体的な理由で説き明かす段。

神治章 九十三封建の弊 ── 王侯自身を害す底本 下巻 百二十四〜百二十五頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
またさうして見ると大變に諸侯たる者は仕合せなやうであるけれども、併し諸侯に徳がなければ人民が懐かない。人民が懐かなければ、幾ら廣い領地を持つて居た所が、其の領地を保つて行くことが出來ない。結局は其の土地を奪はれるとか、或は土地を削られて以前と異つて小さい所に引込まなければならぬといふことになる。それであるから王侯を世々にするといふことは好いやうであるけれども、實は王侯を害するので、餘ほど氣を付けて居ないと、子孫が永く繁昌するといふ譯には行かないのであります。

解説
js15の「如世王侯而害王侯」に対応する箇所を、諸侯自身にとっての危険(人民の離反による領地の喪失)として具体的に説く段。

神治章 九十四封建の弊 ── 百姓を毒す底本 下巻 百二十五頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
また一般の人民を利益するやうに見えるけれども、若し其の諸侯に愚かな者があると、大概領地内の主なことは其の領主の思ふ通りに出來るのであるから、租税を澤山取つて贅澤をするとか、領主の氣に入つた者が重く用ひられて、人民の爲めを圖る者が斥けられるといふやうなことも隨分ある。さういふことが多いと一般人民といふものは大變な損害を受けなければならぬ。それで人民の爲には餘りならないといふ場合の方が多いのであります。

解説
js15の「如利百姓而毒百姓」に対応する箇所。重税・佞臣の登用という具体例で、封建が人民にとって必ずしも利益にならないことを説く。

神治章 九十五封建の弊 ── 王室に敵す底本 下巻 百二十五〜百二十六頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それから王室を護るやうに見えるけれども、實は王室に敵することになる。何故ならば地方に居て銘々が兵を蓄へて居るのでありますから、武力を持つて居る者が餘り大きい勢力を持ち、また多くの土地を領するといふことになると、其の武力を恃みにして私をするといふことになるから、王室に對して敵對のやうな形になる譯であります。それで先づ表面の所は、政治の執り方、法律の立て方といふやうなものも、中央の君主が監督をされる譯であるから、巧く行きさうなものであるけれども、實際に於ては諸侯が「跋扈する」── 兎角自分の土地が廣いとか、勢力が強いとかいふと、其の勢力の強いのに驕つて勝手なことをやるといふやうな弊害が多いのであります。さうしてまた何百人といふ諸侯があれば、その諸侯が悉く賢者であるといふことは望めない。中には愚かな者もあるし、中には自分の勢力を恃んで、朝廷をも蔑ろにするといふやうな者も出て來る。それであるからどうも封建といふものは弊害の多いもので、一たび其の領地を與へると、天子たる者が速かにこれを變ずるといふことは出來ない。餘り道に背いたことが多ければ、其の領地を取上げるとか、或はモット小さい國へ遷すとかいふことも出來るけれども、それは急に出來ることではない。人民の方は其の君主が亂暴なことをすれば、其の日から害を受ける譯であるから、どうも封建の制度といふのは弊害の方が多いのであります。また國の政治を執る所の、卽ち天子の左右に在つて天子をお輔けする人でも、地方のさういふ諸侯を直ぐに何とか處置することが出來るかと言ふと、それはなか〳〵出來ないのである。幾ら中央からの命令でも、さう始終變へるといふ譯には行かないものでやはり諸侯が一たび其の土地を領すれば、相當に長く其の勢力を保つて行くといふことになるのであります。

解説
js15の「如護王室而敵王室」「上雖有政令之正、下必存跋扈之志、是悉不何得其人、一封之、則天子速不得變之、執政直不得規之矣」に対応する箇所。この段は封建の弊害論の中でも最も長く、武力保持による跋扈と、天子・執政ですら速やかに是正できないという二点を丁寧に説く。

神治章 九十六郡縣の利 ── 任限と黜陟・監察底本 下巻 百二十六頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
ところが郡縣の制度であると、それとは異つて第一地方官に年限があつて、四年とか五年經てばこれを交替するといふことになつてゐる。それからまた其の交替した場合に黜陟が行はれて、成績に依つて以前よりもモット好い地位に轉任することもあり、或はまた以前より低い地位に墜されるといふやうなこともある。それであるから成績の擧がるやうに努力して、其の地方々々の爲にも隨分骨折る譯であります。それから其の地方の長官一人ではない、これは輔ける者もあるし、また監察といふやうな其の地方の長官を側に居つて監督をして、其の結果を中央に報告するといふやうな役人もあります。それですから弊害があれば直ちに解る譯であります。隨つて皆が其の任務を果す爲に骨折るやうにもなり、また間違ひがあれば之を糺して其の反省を促すといふのにも洵に便宜が多いのであります。

解説
js15の「如郡縣異是、有任限、有交替、有黜陟、有輔佐、有監察、易移其任、易規其過」に対応する箇所。任期・黜陟・輔佐・監察という郡縣の仕組みを、実務的に説き明かす段。

神治章 九十七郡縣の利 ── 尾大掉はず、國の統一底本 下巻 百二十六頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それで本當に其の地方々々に立派な人が居れば、其の感化を受けて其の地方全體が良くなるが、それ程に立派な人間がなくても、何にしろ其の地方に長居るのでないから、「尾大掉はず」といふのは、地方の者ばかりが勢力を得て、中央が勢力を失ふといふことでありますが、さういふやうな心配はない譯で、隨つて先づ國の統一といふものは何處までも保たれて行く譯であります。

解説
js15の「上雖無政教之化、下無尾大不掉之失」に対応する箇所。任期による人事異動が、地方の勢力肥大化(尾大掉はず)を防ぎ、国の統一を保つ仕組みであることを説く。

神治章 九十八郡縣の利 ── 天下を公にす底本 下巻 百二十七頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
そこで斯ういふ制度を立てゝ、人を選んでこれに任せて、其の職に堪へるやうなものを國中に巧く分布して行けば、人民も仕合せになるし、各地方の事業といふものも興るのでありますから、これは天下を公にするものといふべきであります。さうして封建制度のやうに諸侯が其の土地を領して居て「自ら險に擥る」卽ち其の地方の廣いのを利用して、私を營むといふやうな心配は先づない譯であります。それであるから先づ此の方が制度としては宜い譯であります。何にしろ皆任期があるから、其の四年なり五年なりの間に事を怠れば、自分の身が立たぬことになる。それ故に地方の役人といふものは罪を恐れて自分の私の欲を遏しうしない。また他日外へ遷る時にも、今骨折つて置けば其の成績が認められて、モット好い地位が得られるといふことが眼の前に見えて居るから、皆それぞれの事務を勵んで、自分の職を怠らないといふやうになるのであります。役人が其の職務を怠らないで一生懸命にやれば、其の土地の人間が皆仕合せになりますから、詰り百姓を利するといふことになります。それで土地が開けて人民がだんだん繁昌して來れば、卽ち國が富むのであつて、國が富み事業が興れば、皇室は永く御安泰であるから、これに依つて皇室を護るといふことは充分に出來るのであります。斯様な譯であるから先づ制度として何れが宜いかと言へば、封建よりは郡縣の方が勝つて居ると申さなければならぬのであります。

解説
js15の「故擇人以任、是公天下也」「恐罪不逞欲、志遷勵吏務、是利百姓也」「土地辟人民庶、是護王室也」に対応する箇所を、講義口調で丁寧に説き明かし、その九の結論として「封建よりは郡縣の方が勝つて居る」という素行の断定に至る。その九の結び。次冊その十は新たな欄外見出し「素行の勇氣」──封建制度下の徳川時代にあつて、素行が郡縣優位論を堂々と論じたことの意義へ進む見込みである。