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中朝事實 小林一郎 講義 三十三(神治章 その二)

山鹿素行 原著 小林一郎 講述 ── 天神治道の始め、盈虧の教へ、謙德の要、神武帝建都の詔 原文・訓読・講義・補注の四層

この読本について

小林一郎 講義本『中朝事實』の第三十三冊。神治章の第二分冊(底本 下巻 八十五〜九十一頁)を収めます。前冊(その一)が大己貴命・少彦名命の國造りと幸魂奇魂の物語を収めたのに対し、この冊では話が「天壤無窮」という言葉そのものの意味を掘り下げる段へ進み、続いて神武天皇の建都の詔へと移ります。

この冊の読みどころ(一)。「謹んで按ずるに、是れ天神治道の始めなり」──小林一郎は、天壤無窮の神勅と大己貴命・少彦名命の故事とを承けて、素行自身の按語(考察)を引きます。「天地は至誠にして息むこと無く、悠遠博厚にして物を覆ひ物を載せて、此の無窮を得る」──天壤無窮とは天地の働きが終始一貫して乱れないことだという、この読本を貫く思想の核心が、ここで明かされます。

この冊の読みどころ(二)。続いて『易』に基づく「盈つれば虧く」の教へが敷衍されます。月も気候も、満ちたものは必ず欠け、昇りつづけて止まぬものは必ず苦しむ──小林はこれを月の満ち欠けや穀物の刈り入れなど身近な例へで説き、大己貴命・少彦名命の「成れる所もあり、成らざる所もあり」(前冊kj03)という問答を、ここで初めて「謙」の徳の実例として名指します。功に誇らず、他の勝れた人に働きを譲る──それが天壤無窮を保つ心得だと説かれます。

この冊の読みどころ(三)。後半では神武天皇の「建都の詔」(中國章十八節でも「壞區」の二字に注目して引かれた、あの詔)が再び引かれ、大和平定ののち都を開き宮室を営むに至った経緯と、その時代の民の暮らし(巣栖穴住の素朴な暮らし)とが、小林の言葉で丁寧に説き明かされます。

四層の構成。「原文」は小林本の漢文(山鹿素行全集版の対応節 中朝事実_6.html(js04〜js06)と照合して確認しました。js04・js05に相当する部分は、全集版と主題は同じですが字句の異同が目立ちます。js06(神武帝建都の詔)はほぼ同文です)、「訓読」はその読み下しに総ルビを補ったもの、「現代語訳」の欄には小林一郎の講義そのものを現代表記に直して全文収めています。「解説」は新たに書き加えた補注です。

翻刻について。底本は小林一郎講述『中朝事實』下(皇國精神講座、影印)です。旧字・旧仮名の原本からの文字起こしで、なお誤りが残っている可能性があります。

色分けの凡例

『日本書紀』(本文・一書)本朝の古典(古語拾遺・舊事本紀・元々集ほか)漢籍(易・書・詩・論語・孟子ほか)制度・地理・故事

主要語彙集

謙享(けんかう)
『易』謙卦にいう「謙享る」。謙って怠らなければ亨る(うまく行く)の意。
乾坤の德(けんこんのとく)
天地の德。『易』乾卦・坤卦にちなむ語。
六龍に乘る(りくりょうにのる)
『易』乾卦の爻辞にちなむ語。世のために大いに力を盡す状態をいう。
下濟の謙(かさいのけん)
『易』謙卦にちなむ語。自ら下って人を済ふへりくだりをいう。
屯蒙(とんもう)
『易』屯卦・蒙卦にちなむ語。物事がまだ十分に開けていない、草創期の状態。
大壯(たいさう)
天子の住まう御殿。ここでは神武天皇の営んだ宮室を指す。

登場する神・人物

小林一郎(こばやしいちろう)
一八七六〜一九四四。漢学者・国文学者。二松学舎に学ぶ。『皇國精神講座』を主宰し、『中朝事實』のほか多くの古典を講義した。この読本の講義部分の著者。
山鹿素行(やまがそこう)
一六二二〜一六八五。『中朝事實』の著者。寛文九年(一六六九)、赤穂配流中に本書を著した。
天照大神(あまてらすおほみかみ)
皇祖神。皇孫に天壤無窮の神勅を下した。
神武天皇(じんむてんのう)
初代天皇。己未の年、東征ののち大和を平定し、建都の詔を下した。

神治章 十一是れ天神治道の始めなり底本 下巻 八十五〜八十六頁
原文
謹按。是天神治道之始也。與天壤無窮之五字。祝寶祚。以盡治平之道也。夫天地至誠無息。悠遠博厚。而覆物載物。而得此無窮。君子以自彊。以厚德。則往無不利。人君體之。而御四海。則萬國咸寧。是所以與天壤無窮也。

訓読
つつしみてあんずるに、天神てんじん治道ちだうはじめなり。天壤てんじやうしのきはまりの五字ごじは、寶祚はうそしゆくしてもつ治平ちへいみちつくすなり。天地てんち至誠しせいにしてむことく、悠遠いうゑん博厚はくこうにして、ものおほものせて、しかして無窮むきゆう君子くんしもつみづかつとめ、もつとくあつくすれば、すなはくとしてならざるはく、人君じんくんこれたいとして、四海しかいぎよすれば、すなは萬國ばんこくみなやすし。天壤てんじやうともきはまり所以ゆゑんなり。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
つつしんで考えてみるに、これが天神における統治の道のはじめである。「天壤と窮まりなかるべし」というこの五字は、皇位を祝福して、統治と太平の道を尽くすということである。そもそも天地は至誠であって止むことなく、はるかに遠くひろく厚くして、物を覆い物を載せて、そしてこの窮まりなさを得ている。君子はこれによって自らつとめ励み、徳を厚くすれば、行くところ利益とならないところがない。人君がこれを体としてこれにならい、四海を治めるならば、万国はみな安寧となる。これが天壤とともに窮まりない所以である。

解説
全集版js04(中朝事実_6.html)と主題は同じだが、字句はかなり異なる。全集版「與天壤無窮五字、寶祚以覆物而載之」に対し、小林本は「與天壤無窮之五字、祝寶祚、以盡治平之道也」と結び方を違え、さらに「則往無不利」以下、全集版js05末尾(「以御四海、則治教之道亦無窮矣」)に相当する内容までをここに繰り込んで、一続きの文章としてまとめている。

神治章 十二盈つれば虧く、謙の德底本 下巻 八十六頁
原文
天道虧盈。地道變盈。鬼神害盈。人道惡盈。故緩必有所失。升而不已必困。亨則盡。是謙德所以保其終也。大己貴命少彦名命所共言。謙亨之謂乎。然乃聖主法乾坤之德。以乘六龍。居下濟之謙。以御四海。則治教之道。應天壤無窮也。

訓読
天道てんだうえいき、地道ちだうえいへんじ、鬼神きしんえいそこなひ、人道じんだうえいにくむ。ゆゑくわんなればかならうしなところあり、のぼりてまざればかならくるしむ。とほればすなはく。謙德けんとくをはりたも所以ゆゑんなり。大己貴命おほなむちのみこと少彦名命すくなひこなのみことともところは、謙亨けんかういひか。しからばすなは聖主せいしゆ乾坤けんこんとくのつとり、もつ六龍りくりようり、下濟かさいけんり、もつ四海しかいぎよす。すなは治教ちけうみちは、天壤てんじやう無窮むきゆうおうずるなり。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
天の道は満ちたものを欠けさせ、地の道は満ちたものを変じさせ、鬼神は満ちたものを損ない、人の道は満ちたものを憎む。だから緩めば必ず失うところがあり、昇りつづけて止まなければ必ず苦しむ。通れば則ち尽きる。これが謙の徳がその終わりを保つ所以である。大己貴命と少彦名命とがともに語られたことは、いわゆる謙ということではないか。とすれば聖なる君主が天地の徳にのっとり、六龍に乗り、へりくだって人を済う謙に身を置いて、四海を治めるならば、統治と教化の道もまた天壤無窮に応じるのである。

解説
全集版js05(中朝事実_6.html)の「天道虧盈而益謙」以下とほぼ同主題だが、小林本は「亦是謙德之所以保其終也」を「是謙德所以保其終也」とするなど字句が異なる。「大己貴命少彦名命共言之所謂謙乎」の一句が眼目である。前冊(kj03)の「或有所成、或有不成」の問答を、ここで初めて「謙」の徳の実例として名指す──次段(kj15〜kj18)で小林がこの一句を大きく敷衍することになる。

神治章 十三天地の大德底本 下巻 八十六〜八十七頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
素行が尚ほこれに就いて自分の意見を加へて申しますには、以上の言ひ傳へは即ち神様が世の中をお治めになる根本の道を明かにしたものであります。天照大神が「天壤と與に窮り無し」と仰せられた、其の御言葉といふものは、日本の國の永く榮えて行くことを豫めお祝ひになると共に、國を治めるといふ道の大精神をお示しになつたものと考へなければならぬのであります。何故ならば此の「天地と與に」と仰せられた、天地なるものを考へて見るのに、此の天地は「至誠にして息むこと無し」即ち誠を以て貫かれて居つて、此の天たる所の働きが永く續いて行つて、而もよく秩序が具はり統一が具はつて居り、さうして萬物を覆うて居る、また地は博厚にして、天と同じやうに終始一貫して物を載せて、一つも漏らさない。それであるから此の天も地も永く續いて、此の天地の間に於て養はれて居る者も永く榮えて參るのであります。此の天地の働きをお手本として君子は自ら彊めて、さうして德を養ふといふことに常に力を盡すのである。それ故に往くとして利ならざるは無く、其の働きといふものは皆一々好き結果を顯はして行くのであります。

解説
「與天壤無窮」を、小林はまず「天地の大德」への譬へとして敷衍する。天照大神の神勅を単なる祝福の言葉としてではなく、天地の働き──至誠にして息まず、終始一貫して秩序を保ちつづける働き──を統治の手本として示したものと読み解く。天先章から続く「至誠息まず」の主題が、神治章では統治論の文脈に置き直されている。

神治章 十四人君之を體とす底本 下巻 八十七頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それであるから天地と與に窮りないといふのは、天地の德を己れの身に實現して行くといふことを申すのであつて、たゞ徒らに久しく續くといふことだけではない。人君たる者は此の天地の働きを自分の手本として、自分も天地と一致する所の德を具へて行くべきで、それだけの働きが出來れば四海を治めて、何時までも世の中がよく治まり、萬國に住む所の人民が皆安らかに其の日を送つて行くことが出來、また其の仕事に力を行ふことが出來るのである。此の意味は「天壤と與に窮り無し」と仰せられたものと考へなければならぬのであります。

解説
前段(kj13)の「天地の大德」を、こんどは人君の側から敷衍する段。天壤無窮とは長く続くことそのものではなく、天地の徳を人君自身の身に実現しつづけることだという。統治の永続は、徳の実践が絶えないことの結果であって、原因ではない──ここに小林の按語の力点がある。

神治章 十五盈つれば虧く ── 反省の力底本 下巻 八十七〜八十八頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
ところが若し自分が相當な働きをしたのに誇りを感ずるといふことであると、謂はゆる反省の力が足りなくなるから、さまざまな禍が生じて來るのであります。それであるから天の道を考へれば、盈つると虧くるとが相伴つて居つて、滿ちて足りない所を補うて行き、さうして何時でも自ら反省して自分を抑へて行くといふことでなければ、此の天の道には適はない。また地の働きも其の通りで、盈ちたものはやがて變ずる。例へば木の葉などが蒼々と茂つて行くと、やがて落ちるのである。其の他穀物のやうなものでも、十分に實のれば、人間がこれを刈取るけれども、若し人間が刈取らなければ、やはり自然に枯れてしまつて、さうして又新しいものが出て來るといふやうな所を見ると、地の道もやはり天の道と同じことである。また鬼神といふやうなものも盈つるものを害する。餘り勢ひが盛んになつて來れば、必ず神に見放されてしまふといふことになる。また人間の事も其の通りで「盈つるを惡む」──餘り得意を極めて居れば、多勢の人の怨みが一身に集まつて來て、とう/\落ぶれてしまふといふことにもなるのであります。

解説
『易』謙卦にちなむ「天道虧盈、地道變盈、鬼神害盈、人道惡盈」の四句(kj12)を、月の滿ち欠け・穀物の刈り入れという身近な例へで敷衍する段。統治論の冒頭にこの警告が置かれているのが、この章の性格をよく表している。

神治章 十六謙德の要(一)── 亭れば則ち盡く底本 下巻 八十八頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それであるから戒むるが上にも戒めなければならぬので、「緩なれば必ず失ふ」──「緩」といふのは心得の足りないことで、モウこれで滿足だと思うて少し油斷をすると、必ず失ふ所がある。それから升りて已まないで、何處までも人の上に立つて勢力を振はうとして居ると、必ず困しむのである。それから「亭れば則ち盡く」──「亭る」といふのは久しく幸ひを受けるといふことで、自分が幸福だからといつて、其の幸福を何處までも續けようとすると、其の幸福といふものは盡きてしまふ。それだから或る所まで來れば自分を抑へなければならぬ。また仕事でも或る程度までしたらば他の人に讓つて、他の人にも力を盡させるやうにしなければならぬ。人間は誰でも謙遜といふことを心得なければならない。此の謙遜といふことが本當に出來れば、其の終りを全うして行くことが出來るのであります。

解説
「故緩必有所失。升而不已必困。亨則盡。」(kj12)の三句を、順を追つて敷衍する段。「緩」=油斷、「升りて已まず」=驕り、「亭る」=幸福への安住──いずれも謙の徳を失ふ形として説かれる。「他の人に譲つて力を盡させる」という一句が、次段(kj17)の乾坤の徳の話へつながる。

神治章 十七謙德の要(二)── 謙享と乾坤の德底本 下巻 八十八〜八十九頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
前に擧げた大己貴命と少彦名命との問答といふものは詰り此の事に當るのであります。「謙享」といふのは易の言葉で、「謙にして亭る」といふので、謙といふことを守つて行けば即ち終りを全うすることが出來る。何處までも其の骨折りは朽ち滅びずして後までも遺つて行くといふことであります。それであるから勝れた德を具へた人も何時でも此の心掛けを失はないのであります。「乾坤の德に法り」──天地と同じやうな大きな働きをして、さうして「六龍に乘る」といふのは、世の爲に大いに力を盡す状態で、これは皆易の言葉に基いて居るのでありますが、さういふやうな大きな働きをするけれども「下濟の謙」といふのも易の言葉で、自ら或は立ち或は伏せ、大きな働きをした後には、自分の力はさう大きいものではないといふことを考へて、決して其の成功に誇ることなく、また他の勝れた人を重く用ひて、一切の働きをこれに讓るといふ心得を失はないのであります。

解説
kj12の「謙亨之謂乎」「乘六龍」「下濟之謙」の三語を、順に敷衍する段。大己貴命・少彦名命の問答(前冊kj03)を「謙享」の実例と名指したうえで、「六龍に乘る」=大いに力を盡す働き、「下濟の謙」=成功に誇らず他に譲るへりくだり、と二つの徳目に分けて説く。統治者の徳を、力強さと謙虚さという一見相反する二つの徳の統合として描く点が興味深い。

神治章 十八天壤無窮を味ふ底本 下巻 八十九頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
そこで初めて世の中の人から永久に仰ぎ尊ばれるといふやうなことになるのであります。それであるから何時でも自分の爲すべき事には全力を打込むといふことが肝要であるけれども、またどれ程の功があるからといつても、其の成功に誇るといふ心持の起らないやうに、常に自ら制して行くといふことが大切であります。此の心得が何時までも續いて居れば、天壤無窮といふことになるのであつて、天照大神が「天壤無窮」と仰せられた此の御言葉をよく味うて行くことが、最も肝要であると申すのであります。

解説
kj11からkj17まで続いた「天壤無窮」の敷衍を締めくくる段。力を尽くすことと成功に誇らぬこと、この両方を自ら制しつづける心掛けこそが天壤無窮を保つのだという。次段(kj19)からは話が神武天皇の建都の詔という具体的な統治の場面に移る。

神治章 十九神武帝建都の詔底本 下巻 八十九〜九十頁
原文
神武帝己未年。春三月辛酉朔丁卯。下令曰。自我東征。於是六年矣。頼以皇天之威。凶徒就戮。雖邊土未淸。餘妖尚梗。而中州之地。無復風塵。誠宜恢廓皇都。規摹大壯。而今運屬此屯蒙。民心朴素。巢棲穴住。習俗惟常。夫大人立制。義必隨時。苟有利民。何妨聖造。且當披拂山林。經營宮室。而恭臨寶位。以鎭元元。上則答乾靈授國之德。下則弘皇孫養正之心。然後兼六合以開都。掩八紘而爲宇。不亦可乎。

訓読
神武帝じんむてい己未つちのとひつじとしはる三月さんぐわつ辛酉かのととりついたち丁卯ひのとうれいくだしてのたまはく、ひがしちしより、ここに六年ろくねんなり。皇天くわうてんりて、凶徒きようとりくけり。邊土へんどいまきよまらず、餘妖よえうふさがるといへども、しか中州ちうしう風塵ふうぢんなし。まことよろしく皇都くわうと恢廓くわいくわくして大壯たいさう規摹きぼるべし。しかしていまうん屯蒙とんもうひ、民心みんしん朴素ぼくそなり。巢棲さうせい穴住けつぢゆう習俗しふぞくつねなり。大人たいじんせいつる、かならときしたがふ。いやしくもたみあらば、なん聖造せいざうさまたげん。まさ山林さんりんひらはらひ、宮室きうしつ經營けいえいして、つつしみて寶位はうゐのぞみ、もつ元元げんげんしづむべし。かみすなは乾靈けんれいくにさづけたまふのとくこたへ、しもすなは皇孫くわうそんせいやしなひたまふのこころひろめん。しかしてのち六合りくがふねてもつみやこひらき、八紘はつくわうおほひていへさんこと、またならずや。

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
神武天皇の己未の年、春三月辛酉の朔、丁卯の日、令を下して言われた。「わたしが東を討ってから、ここに六年になる。皇天の威に頼って、凶徒は誅に服した。辺境はまだ清まらず、残りの妖しき者どもがなお塞いでいるとはいえ、中州の地にはもう戦塵がない。まことに皇都を大きくひらき、規模を壮大にすべきである。しかし今、時運はこの草創の未明にあたり、民の心は素朴で、巣に棲み穴に住み、習俗はそのままである。そもそも大人が制度を立てるにあたっては、その筋道は必ず時に従う。かりにも民に利があるならば、聖なる造営に何の妨げがあろうか。しかも山林を切りひらき、宮室を営んで、つつしんで宝位に臨み、それによって民を安んずべきである。上は天の神が国を授けられた徳に応え、下は皇孫が正しさを養われた心を広めよう。そうしたのちに六合を兼ねて都を開き、八紘を覆って一つの家とすることも、またよいことではないか」。

解説
中國章十八節でも「壞區」の二字に注目して引かれた同じ詔を、ここで再び引く。全集版js06(中朝事実_6.html)とほぼ同文であり、小林本と全集版とでこれほど字句が揃うのは、js04・js05相当の箇所(kj11・kj12)とは対照的である。「大人制を立つるは、義必ず時に隨ふ。苟くも民に利あらば、何ぞ聖造に妨げあらん」──制度は時に従つて変はつてよい、判定の基準は民の利にある、という原則がここに宣言されている。

神治章 二十神武天皇の御決定底本 下巻 九十頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
神武天皇が大和地方をスッカリ御平定に相成りまして、いよいよ御即位の式をお挙げになるといふことを御決定になつた、其の前年に詔を下されました。其の時の詔がここに挙げてあるのであります。其の時に仰せられるには、自分が日向を発して東に向つて以来、チョウド六年を経過して居る。幸ひに御先祖の神様のお蔭を以て、此の大和に居つて自分の妨げをした者はモウ残らず尽きてしまつた。勿論日本全国の状態を見ると、此処より遠い地方にはまだ我が儘をして居る者もあるので、全国がスッカリ鎮まつたといふ訳ではない。まだ自分に反抗して居る者の余類もあるので、それ等の者も或る所ではなほ勢ひを振うて居るやうに見える。併しながら此の大和の近辺の、日本の中心となるべき所にはモウ何の障りもなくなつたのである。それであるから愈々此処に都を開いて、さうして全国の中心を定めるといふことが、今日に於て其の時を得たものと思はれる。また此処には「大壮」といふのは天子のお住まひになる御殿でありまして、其の御殿をも立派に造つて、さうして国の都である所の体面を整へるといふことも必要である。

解説
kj19の詔の背景を、小林が史実に即して解き明かす段。詔が発せられたのは即位の前年であり、大和平定は成つたが全国統一はまだ道半ばであるという、当時の状況を丁寧に説く。「大壮」を「天子の御殿」と釈く一句は、この詔がたんなる宣言でなく具体的な造営計画を伴つていたことを示す。

神治章 二十一屯蒙の世 ── 家を造り手本を示す底本 下巻 九十〜九十一頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)

訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)

現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
但し世の中の状態を見ると、今までは「屯蒙」といふのは物が充分に開けないで、即ち生活の程度といふものも極く低かつたのである。また人民の心持も極く素朴であつて、余り華やかな生活をするといふやうな心持もなかつたから、或る者は鳥の巣のやうに木の枝を集めて、家とも名の付けられないやうなものを作つて住んで居り、或は穴の中に住んで居るといふやうな者もあつた。これは習慣であるから、今までは是れで事足りて居つたのである。併しながら何時までも斯ういふ未開な状態に安んずべきものではないか。一国の君主たる自分が先に立つて家を造り、凡ての制度を整へて、さうして皆に手本を示さなければならぬと思ふ。

解説
「民心朴素、巢棲穴住、習俗惟常」(kj19)を、当時の暮らしぶりの具体的な描写として敷衍する段。質素な暮らしそのものを否定するのではなく、君主が自ら先に立つて手本を示すべきだという点に力点が置かれる。次冊(その三)では、この「大人立制、義必隨時、苟有利民」の原則が、全集版js07に相当する「大人」「聖人」「義」の定義論として、より掘り下げて論じられる見込みである。