神教章 二十七問學の要 ── 衆智を盡す底本 下巻 三十六頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
そこで素行が更に自分の意見を加へて申しますには、此の高皇産靈尊が多勢の神々の意見を併せ聴いて、其の行ひの道に適ふことを期せられたといふ、いはゆる「問學」といふことは、實に肝要なことであります。人間には誰しも長所もあり短所もあるのでありますから、自分にどれほど長所があつても、一人だけの意見で萬事を決定するのでは、間違ひが多くなる。皆其の思ふ所を打明け合つて、多勢の人の意見を聴いた上で、其の中の一番善いものに從つて事を決定するといふことが肝要であります。若し人の上に立つ者が自分の考へにばかり執著して、人が何と言つても自分の意見を押し通すやうな心持であれば、人の短所を改めさせることも出來ず、また若し「虚しく問ふ」――自分一人で物を決めておきながら、皆に納得させる爲めだけに問うて、實際其の意見を用ひないといふのであれば、折角聴いた甲斐はなく、これも過ちの元になるのであります。
解説
前冊末尾(kg26)の「以上天神問學の義」を承けて、小林が自分の言葉で問學の要諦を説き起こす。「虚しく問ふ」――問うた形だけを整えて実際は意見を用ゐない、という戒めは、前冊の「唯虚しく問ふのみ」(kg25)と同じ主題の敷衍である。
神教章 二十八神祖の御徳 ── 逆鱗底本 下巻 三十七頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
多勢の人の意見を聴いて其の一番善いものに從ふといふことは、人の上に立つ人にとつて最も大きい徳であります。斯ういふ有らゆる缺點のない態度でゐることが、自分に取つて最も大きい甲斐なのであります。高皇産靈尊といふ方は實に勝れた神様でありながら、皆の意見を徴せられて後に事を決定されたのであつて、決して一人二人に問はれたのではなく、萬世の泰平の本を開くために、多勢の意見をお聴きになつたのであります。之に依つて後の世になつて人の上に立つ者も、多勢の意見に從はなければならぬといふことでもあります。一體多勢の上に立つ方といふものは、餘ほど能く氣を付けないと過ちが多くなるものであります。支那の昔の言ひ傳へに、龍の顎の下に逆さに立つて居る鱗に觸れると、龍は非常に怒つて其の觸れた者を直ぐに殺してしまふといふので、「逆鱗」といふ言葉があります。君主の威光は雷の如く重いものであり、其の觸れると忽ち大なる咎めがあるので、支那の昔の言ひ傳へには、非常に重いものであると申します。
解説
「逆鱗」の語源説明。『韓非子』説難篇に出る故事だが、小林はここでは出典を明示せず、専ら君主の怒りの重さを説く比喩として用ゐる。次段(kg29)の「鼎鑊の責」と対をなす。
神教章 二十九君主の反省・自制底本 下巻 三十八頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
君主の怒りに觸れると直ぐに災ひが身に及ぶ。それであるから其の逆鱗を犯してはならないのでありますが、それからまた「鼎鑊の責」――極く罪の重い者を鼎の中に打込んで煮殺すといふやうな酷い刑もありました。若し君主に間違ひがあつてもこれを諫めないでゐると、君主といふものは非常な勢力があるものでありますから、下の者を威すやうな結果になり、何も別に威さずとも多勢が恐れ入つてウッカリ物も言はなくなつてしまふ。さういふ弊があるのに、諫めようとする者があつても其の諫めを撥ねつけて自分の威光を飽くまで振り廻すやうなことになれば、モウ誰も諫めを入れる者はなくなり、政治を行うて人民を悦服させるといふことは出來なくなる。それであるから人民がこれを怨んで、謀叛をする者なども出來て來るといふ弊があるのであります。また君主は大きな美しい冠を被つて居りますが、其の冠から紐が目の所にも耳の所にも下つて居ります。これは君主たる者が自分の考へばかりで物を決めると間違ひが多いから、目も蔽はれ耳も蔽はれて居るがよい、といふ戒めなのであります。
解説
「冕旒」「難纊」――前冊(kg26)で引かれた冠の比喩を、ここで具体的に説明し直す。耳目を塞ぐ冠の意匠そのものが、君主に軽々しく物を見聞きして即断させないための戒めだった、という逆説的な読み方である。
神教章 三十聖帝の態度 ── 警蹕、己を虚しくして底本 下巻 三十九頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
また昔から「警蹕」といふ制度があつて、君主が外に出る時も御殿の中に入る時も、側に居る者が聲を掛けて多勢の人を愼しめる、大なる威嚴のある仕來りでありました。斯ういふ冠を被る制度も同じ趣旨でありまして、皆が君主の顏色を見て、成るべく御機嫌を損ねないやうにと思ふあまり、ウッカリしたことは言はないやうになる。之が爲めにだん〳〯君主は自ら反省して盆々徳を磨けといふ心持を失ひがちになるのであります。それであるから君主たる者は、「己を虚しうして」――自分の心を虚しくして多勢の意見を採用して實行するといふことが肝要であります。專ら多勢の意見を聽いて、其の善いものを聴いたならば直ぐにこれを採用して實行する、天下の爲めであればこれに感激する。斯ういふ君主が明君と謂はれるのであります。「外朝」即ち支那でも昔から聖人と謂はれた堯といふ天子は、書經を讀むと、多くの臣下の意見を採り入れて政を行うたといふことであります。
解説
「己を虚しうして」――前冊の謹按で説かれた「問ふことを好む道」(kg25)が、ここでは具体的な君主の心得として敷衍される。威嚴の制度(警蹕・冠)が却つて君主を裸の王様にしかねない、という逆説の指摘が鋭い。
神教章 三十一舜・禹・湯・文王の故事 ── 事を決するの困難底本 下巻 四十頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それから天子は一人であるけれども、國中の樣子を多勢の人から見聞きした所を皆集めて自分の知識とし、「四目を明かにし四聰を達する」――四方の目を明らかにし四方の耳を通はせるといふことが特色であつたと、後世からも賞讃されて居るのであります。舜天子は夜半に目が覚めると夜の明けるまで工夫を凝らし、禹は善い言葉を聞くとあゝよく言つて來れたと感謝し、湯は坐つたまま夜の明けるまで考へ、周の文王は堯・舜・禹の手本を研究し、多勢の意見を聴いて始終研究したといふことであります。一體これ程心を盡すのは、後の世の萬民の上に立つ人の手本として、後世に恥ぢないやうな行ひをしなければならぬからであります。それほどの聖人賢人でも斯うであるのに、始めに天孫の御用に遣はされた二人の神――天穗日命と天稚彦――は不忠實であつて、其の使命を果さなかつたのであります。此の位に骨折つても間違ひがあるのでありますから、後世の者は餘ほど氣をつけなければならない。此れが「問學」といふことのお手本であると申してあるのであります。
解説
堯・舜・禹・湯・周文王の故事は、全集版sg14の「帝堯之吁咈若、好舜之問而明四目達四聰、禹拜昌言、湯出以待旦、周思兼三王」に相当する内容。前段(kg24〜26)の高皇産靈尊の試行錯誤を、外朝の聖王たちの故事と並べることで、問學の困難さを重ねて印象づける結び。全集版の対応節はsg14。
神教章 三十二天照大神、同床共殿の神勅底本 下巻 四十一〜四十二頁
原文
天照太神手持寶鏡。授天忍穗耳尊。而祝之曰。吾兒視此寶鏡。當猶視吾。可與同床共殿。以爲齋鏡。
先人曰。往古神勅也。──北畠准后記。
訓読
天照太神手に寶鏡を持ち、天忍穗耳尊に授けて、祝ぎて曰はく、吾が兒此の寶鏡を視むこと、當に猶ほ吾れを視るがごとくすべし。與に床を同じくし殿を共にして、以て齋鏡と爲すべしと。
先人曰く、往古の神勅なりと。──北畠准后記。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
天照大神は手に寶鏡をお持ちになり、天忍穗耳尊にお授けになつて、祝つて仰せられました。「わが子よ、この寶鏡を視ることは、まさにわたし自身を視るのと同じやうにしなさい。ともに床を同じくし殿を共にして、齋き祀る鏡としなさい」と。先人はかう申して居ります、これは往古の神勅である、と。──『北畠准后記』に見える言葉であります。
解説
神器章でも引かれた「同床共殿」の神勅(神器章 その二参照)が、ここでは教育・反省の文脈で読み直される。小林は出典を「先人曰」として明記し、傍注に『北畠准后記』(北畠親房の著)とある。全集版の対応節はsg15。
神教章 三十三謹按(一)── 是れ往古の神勅なり底本 下巻 四十二頁
原文
謹按。是往古之神勅也。當猶視吾四字。乃天祖皇孫傳授之天教。千萬世皇孫恒謹守之顧命也。其言簡而其旨遠。雖堯舜禹之十六字。豈外乎此。蓋人子恒不保其終。或克始而不保其終。或敬於此而慢於彼者。日遠忠之。從欲不慎也。祖其祖者。下其下。未有遺其祖。而親其民也。
訓読
謹みて按ずるに、是れ往古の神勅なり。當に猶ほ吾れを視るがごとくすべしの四字は、乃ち天祖皇孫傳授の天教にして、千萬世皇孫恒に謹守する顧命なり。其の言簡にして其の旨遠し。堯舜禹の十六字と雖も、豈此に外ならんや。蓋し人子恒にその終を保たず。或は始を克くしてその終を保たず。或は此に敬して彼に慢る者は、日に遠くして之を忠れ、欲に從ひて愼まざればなり。其の祖を祖とする者は、その下を下とす。未だその祖を遺れて、その民を親しむ者はあらざるなり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
謹んで考へてみますに、これは往古の神勅であります。「當に猶ほ吾を視るがごとくすべし」といふこの四字は、天祖から皇孫へ傳へ授けられた天の教へであつて、千萬世にわたつて皇孫がつねに謹んで守るべき遺訓であります。その言葉は簡潔でありながら、その趣旨は深遠であります。堯・舜・禹が傳へた十六字と申しましても、どうしてこれに及びませうか。思ふに人の子は、常に其の終りを全うすることが出來ません。始めはよくしても終りを保てない者もあり、或はこれを敬つてもあれをあなどる者は、日が經つにつれて之を忘れ、欲に從つて愼まないからであります。其の祖先を祖先として敬ふ者は、其の下の者をも大切にする。未だ其の祖先を忘れて、其の民を大切にする者はないのであります。
解説
「當猶視吾」の四字を、朱子学が道統の核心とする『書經』大禹謨の十六字と並べ、しかも四字のほうが優ると言い切る。理由は「其の言簡にして其の旨遠し」――短いほど深い、という漢学の価値基準をそのまま用ゐて、日本の神勅を上位に置いたのである。全集版の対応節はsg15・sg16。
神教章 三十四謹按(二)── 以上往古の神勅底本 下巻 四十二〜四十三頁
原文
後聖人以三年無改於父之道爲孝。不亦可乎。凡思其人猶愛其樹。愛其人猶及其烏。況其書乎。況其寶鏡乎。況與日月合其光。與天地明其道乎。
蓋鏡之爲物也。虚己以容物。未來不迎。既往不將。掩則藏。用則見。照之無私。磨之不磷緇。精練而悠久也。可得明鏡之實矣。凡天下之鏡皆然。故足以爲人君之存養。學者之省察。
外朝之黄帝鑄神鏡。武王作鏡銘。太宗存三鑑之戒。玄宗異水心之鏡。豈此等之屬乎。聖主善愼以護神勅。宗靈鏡之德。則洋洋乎神恒在。德日新。唯非天威不違顏。食座見於羹墻而已。
以上往古之神勅。
訓読
後の聖人は三年父の道を改むるなきを以て孝と爲す。亦可ならずや。凡そ其の人を思ふときは、猶ほ其の樹を愛す。其の人を愛するときは、猶ほ其の烏に及ぶ。況んや其の書をや。況んや其の寶鏡をや。況んや日月と其の光を合せ、天地と其の道を明らかにするをや。
蓋し鏡の物たるや、己を虛しくして以て物を容れ、未來を迎へず、既往を將らず。これを掩へば則ち藏れ、これを用ふれば則ち見はる。これを照らして私なく、これを磨きて磷緇せず、精練して悠久なり。明鏡の實を得べし。凡そ天下の鏡皆然り。故に以て人君の存養、學者の省察と爲すに足れり。
外朝の黄帝は神鏡を鑄、武王は鏡の銘を作り、太宗は三鑑の戒を存し、玄宗は水心の鏡を異にす。豈此れ等の屬ならんや。聖主善く愼みて以て神勅を護り、靈鏡の德を宗とせば、則ち洋洋乎として神恒に在す。德日に新たなり。唯だ天威の顏を違へざるのみにして、座を食ひ羹墻に見るのみ。
以上往古の神勅。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
後の聖人は「三年、父の道を改めないことを孝とする」と申しました。まことにその通りではありませんか。凡そその人を思ふときは、その人の植ゑた樹をも愛おしみます。その人を愛するときは、その人の家の屋根の烏にまで及びます。まして書物においてはなほさら、まして寶鏡においてはなほさらであります。まして日月と光を合はせ、天地と道を明らかにするものにおいては、なほさらであります。思ふに鏡といふものは、自分を虚しくして物を映し入れ、まだ來ないものを迎へず、過ぎ去つたものを送りません。これを覆へば隱れ、用ゐれば現れる。これを照らして私心なく、これを磨いても曇らず、精練されて悠久であります。これこそ明鏡の實と申すべきであります。凡そ天下の鏡は皆さうであります。だから人君の心を養ひ、學ぶ者が自らを省みるのに十分であります。外朝では黄帝が神鏡を鑄、武王が鏡の銘を作り、太宗は三つの鑑めの戒めを心に留め、玄宗は水心の鏡を用ゐました。しかしこれらと同列ではありません。聖なる君主がよく愼んで神勅を守り、靈鏡の德を第一とされるならば、神は常にそこにいらつしやるかのやうに感じられ、德は日ごとに新たになります。ただ天の威を前にして顏をそむけず、日々の暮らしの中にその德を見るばかりであります。
解説
「己を虚しくして以て物を容る」――鏡の徳を借りて、學ぶ姿勢そのものを説く一段。外朝の鏡にまつわる故事(黄帝・武王・太宗・玄宗)を並べたうえで、「豈此等の屬ならんや」――天照大神の寶鏡はこれらと同列ではない、と一線を引く。「以上往古の神勅」で本大段が結ばれ、次冊では阿直岐・王仁による典籍渡来の記事へと進む。全集版の対応節はsg16・sg17・sg18。