皇統章 十七蓋し卽位とは何ぞ ── 天子大寶の位に卽きたまふなり底本 三三三〜三三四頁 欄外「卽位の意義」
原文
蓋卽位者何。天子卽大寶之位也。人君繼天建極。萬國以朝。四海仰之。始知天子之可以崇。明明德於中州之義也。
訓読
蓋し卽位とは何ぞ。天子大寶の位に卽きたまふなり。人君天に繼ぎ極を建て、萬國以て朝し、四海これを仰ぎまつりて、始めて天子の以て崇ぶべきを知り、明德を中州に明らかにしたまふの義なり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
一體此の卽位といふのはどういふ意味かと言へば、天子が國家萬民をお治めになる所の其の大切な位にお卽きになる事であります。それでこれは他の國の王樣がお替りになるのとは違ひまして、人君が天に繼いで國の極を建てられ、萬國がこれに朝し、四海の人民がこれを仰ぎまつつて、始めて天子といふものの尊ぶべきことを知り、明德を此の中州に明らかにされるといふ、さういふ意味があるのであります。
解説
「天子卽大寶之位也」――ここが皇統章の後半の出発点である。ここまで神代から神武天皇の卽位までを語ってきた素行が、あらためて「卽位とは何か」という定義に立ち戻る。
注意したいのは「萬國以朝、四海仰之」という表現である。素行はここで血統の連続そのものではなく、天子が万国から仰がれるにふさわしい者であることを即位の意味としている。次の段からの三綱論(kd133)へつながる伏線がここに置かれている。
皇統章 十七(承)代代の聖主、この儀を正殿に行ふ ── 大臣扶翼し百官圜護す底本 三三四頁
原文
卽位之大禮。人君正綱紀於其始也。豈可忽乎。自是代代之聖主。各行此儀於正殿。大臣扶翼左右。百官圜護。以拜奉天儀。
訓読
卽位の大禮は、人君綱紀をその始に正すなり。豈忽せにすべけんや。これより代代の聖主、各この儀を正殿に行ひ、大臣左右に扶翼し、百官圜護して、以て天儀を拜し奉る。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
卽位の大禮といふものは、人君が國の綱紀を其の始めに正されるものでありますから、決してゆるがせにすべきものではないのであります。それで是れより代々の聖主が、各々此の儀式を正殿に於て行はれて、大臣が左右に付き添うてお助け申し、百官が之を取り圍んでお護り申して、天子の御姿を拜し奉るのであります。近頃で申しますれば紫宸殿、古くは大極殿の朝堂に於て此の式が行はれて來たのであります。
解説
「大臣扶翼左右、百官圜護」。即位の礼が個人の営みではなく、臣下に囲まれてはじめて成り立つ公の儀式であることを素行は強調する。皇統章 その六(その六)で読んだ五部神が皇孫に配侍する場面(天兒屋命・太玉命ら)と、この「大臣扶翼」とは同じ型の反復である。君主は独りで立つのではなく、輔ける者があって立つ――素行の一貫した主題②がここにも現れている。
皇統章 十七(承)外國の所謂月正元日、舜文祖に格る ── 元とは始なり本なり底本 三三五頁
原文
外國所謂月正元日。舜格于文祖。是也。元者。始也。本也。元年者。卽位之初年。
訓読
外國の所謂月正元日、舜文祖に格るといふ、是なり。元は始なり、本なり。元年は卽位の初年なり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
外國に所謂「月正元日、舜文祖に格る」といふ言葉がありますが、これも同じ趣意であります。支那の書經に出て參ります話でありますが、舜といふ方が堯といふ帝の御讓りをお受けになつて、正月の元日に文祖即ち堯の御廟にお參りになつて、其の事を御奉告になつたといふ故事であります。それで「元」といふ字は始めといふ意味、また本といふ意味でありまして、「元年」とは卽位の最初の年、といふことになるのであります。
解説
「元年」の語源をめぐる一段。素行は日本の即位儀礼を語りながら、支那『書經』の故事――舜が堯から位を譲られ、祖廟に奉告した話――を引く。皇統の無窮を語る文脈の中に、あえて外国の故事を持ち出している点に注意したい。素行にとって「元年」という語の意味そのものは、日本も外国も共有する道理だったことがここから分かる。次の段(kd123)でこの「元」の意味がさらに敷衍される。
皇統章 十七(承)傾かず拔けざるの謂ひ ── 家を建てるには先づ柱を底本 三三五頁
原文
而深其根本於此。不傾不拔之謂也。
訓読
而してその根本をここに深くして、傾かず拔けざるの謂なり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
つまり元年になるまでに、其の卽位の時の艱苦を偲ぶ爲めに、お庭に立てられたいろ〳〵な旗の中に、器の中に酒を入れて川の中にお沈めになつたといふ事もあります。或は八咫烏といふものが飛んで來たので、全軍を勵まして來たといふ故事もあります。此の魚の列んだ形を表はすべき施が幾つか立てられるのであります。卽ち戰爭に勝つか負けるかを占ふ爲めに、神武天皇が大和を平げて御卽位にお卽きになるまでの御事蹟を表はすべき施が、器の中に酒を入れて川の中にお沈めになつたのであります。譬へて申しますれば、家を建てるにはまづ柱をシッカリと定めて、其の柱が決して倒れたり拔けたりしないやうに致すのと同じ道理でありまして、元年といふものはさういふ根本を深くするものなのであります。
解説
ここは底本の文字起こしに難があり、講義の順序がやや前後している可能性がある一段である。「元年」の語義(根本を深くし傾かず抜けない)を説く本文に、神武天皇の戦勝占いの故事(後出のkd127で改めて語られる鮎の故事や八咫烏の旗の由来)が先取りして混入しているように読める。小林の講義は必ずしも書物どおりの順序で進まず、話が前後することがしばしばある。「家を建てるにはまづ柱を」という比喩そのものは、皇統章 その七で読んだ「磤馭盧島の柱」(kd115)の主題を、即位論のなかでもう一度置いたものと見てよい。
皇統章 十七(承)日本の暦の歴史 ── 百濟釋觀勒、暦を献ず底本 三三六頁 欄外「外國の卽位式」の前
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それから元年元日と申しますことに關聯して、日本の暦の歴史を一言申し添へて置きます。日本で最初に暦が用ゐられましたのは、推古天皇の十年に百濟の僧觀勒が暦の本を献じたのが初めであると傳へられて居ります。それまでは支那の太陰暦に依つて居りましたのが、明治になりまして今の太陽暦に改められたのであります。斯様に暦の形は變つて參りましたけれども、天子が元年をお定めになるといふ根本の意義は、少しも變つて居らないのであります。
解説
この段には対応する漢文の原文がない。素行の本文にはなく、小林が講義のなかで即座に付け加えた説明と見られる。小林の講義は、しばしばこのように原文の一句から連想して自分の知識を差し挟む。
推古十年(六〇二年)に百濟僧觀勒が暦法を伝えたという記事は『日本書紀』推古紀に見え、史実として広く認められている。その点でここは、他の箇所に比べて史実性の高い挿話である。ただし「暦の形は変わっても即位の意義は変わらない」という結論づけは、あくまで小林の解釈であることに注意したい。
皇統章 十七(承)外國の卽位式 ── 戴冠式との比較底本 三三七頁 欄外「外國の卽位式」
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
外國の卽位式と申しますと、西洋などでは戴冠式といふものがございます。ギリシヤやローマなどでは、國々に其の國を護る神があると考へられて居りまして、其の神に由つて國王が任ぜられるといふ考へ方であります。またキリスト教の國々に於きましては、法王とか僧正とかいふ宗教上の位の高い方が、王樣の頭に冠をお授けになる。其の時に王樣は跪いて冠をお受けになるのでありまして、これは王樣も神樣と同じ位ではない、神樣にお仕へする身であるといふことを表はすものであります。所が日本に於きましては、天皇御自身が神の裔でいらつしやいますから、天皇に冠をお授け申す者は誰もないのであります。
解説
この段にも対応する原文はない。小林が自分の判断で挿入した比較である。
【転回2】ここは本読本でこれまで繰り返し指摘してきた型――自国の側だけを理念(天皇御自身が神の裔)で語り、外国の側だけを実態(跪いて冠を受ける)として並べる――がもっとも露わに出た一段である。実際には日本の即位儀礼にも大嘗祭・即位灌頂など、外来の宗教的要素を取り込んだ複雑な歴史がある。天皇に冠を授ける者がないという言い方も、即位礼で天皇が宝冠を用いる歴史的事実とは別の次元の話であることに注意したい。戦時下の国体論に特有の対比として読むべき箇所である。
皇統章 十七(承)卽位式に際しての御教訓(一)── 御先祖の神々に違はぬ底本 三三八頁 欄外「卽位式に際しての御教訓」
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
天皇が特にさういふ神とか天とかいふものに國の榮えることをお祈りになるといふこともないのであります。卽ち天皇は御先祖の神々を敬ひ、また御先祖の神々に違はないやうにしていらつしやるのでありまして、これ等のことは謂はゆる國體の異ひであります。それで天皇の御位は永久に榮えていらつしやるのでありまして、いふ御決心でさへあれば、それで國民たる者の心得でなければならぬのであります。それからまた天皇が御卽位に相成ると共に、皇后をお立てになる。さうして民間の者に範をお示しにならなければならぬ。卽ちこ〻で男女の別を正す譯でありますが、現今でも御卽位の式には、神武天皇の御創業の時の艱苦を偲ぶ爲めに、お庭に立てられたいろ〳〵な旗の中に、其の川の中に酒を入れて川の中にお沈めになつたのであります。
解説
この段も原文の対応箇所を持たない、小林独自の教訓的敷衍である。「天皇は御先祖の神々に違はぬ」という言い方は、皇統章全体を貫く継承の主題――先に立つ者の志を継ぐこと――の、いわば結び目にあたる。
ただし文中に見える「皇后をお立てになる」「男女の別を正す」のくだりは、次段(kd129)で改めて論じられる皇后冊立の主題が、ここで先取り的に混ざり込んだものと見られる。底本の講義はこのように、話題が前後しながら進むことがしばしばある。
皇統章 十七(承)御教訓(二)── 日章旗の由来、鮎の川中の占ひ底本 三三八頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それからまた天皇が御卽位になるといふ其の時の艱苦を併せて申す譯でありますが、現今でも御卽位の式の時には、神武天皇が大和を平げて御卽位にお卽きになる所が幾つか立てられるのであります。卽ち戰爭に勝つか負けるかを占ふ爲めに、神武天皇が大和を平げて御卽位にお卽きになるまでの、其の川の中に酒を入れて御庭に沈められたといふ事もあります。或は八咫烏を描いた旗をも立てられます。日本は勿論斯ういふ尊い國でありますから、永久に榮えて行くくには違ひないのであります。此の八咫鴉といふものが飛んで來たので、全軍を勵まして來たので、卽ち戰爭に勝つか負けるかを占ふ爲めに、お庭に立てられたいろ〳〵な旗が幾つか立てられるのであります。此の魚の中に酒を入れて川の中にお沈めになつたといふ事實もありますから、日本の國旗として日章旗が古來から用ゐられて來たのも、決して故なきことではないのであります。
解説
ここは底本の文字が乱れており、同じ句が繰り返し現れる箇所である(「卽ち戰爭に勝つか負けるかを占ふ爲めに」がほぼ同文で三度出る)。校訂の難しい一段であることをお断りしておく。
要旨としては、神武天皇が大和平定・即位にあたって行ったと伝える戦勝占いの故事――酒を入れた器を川に沈める、鮎が浮かんで来る、あるいは八咫烏を描いた旗を掲げる――が、日章旗の由来として語られている。【要検証】日章旗(日の丸)の起源を神武東征の故事に直接結びつける説は、小林の時代に流布した俗説の域を出ず、確立した史実ではない。
皇統章 十七(結)御教訓(三)── 御一人々々が國の心持を定める責任底本 三三八頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
日本は勿論斯ういふ尊い國でありますから、此の國民たる者が國民たる者が、國はさう同じやうに榮えては行かない。それであるから國民は何時でもふことがあると、國はさう同じやうに尊い國であるからといつて、心が驕つてはいけない。それでなければならぬのであります。此の心持をシッカリと定めさせる爲めに、御卽位の式を擧げられる時心得でなければならぬのであります。それであるから、國民は何時でもシッカリして、自分の責任を果す爲めには全力を打込むといふ、此のことがあると、國はさう同じやうに榮えては行かない。此の心得を免れない。それでなければならぬのであります。
解説
底本のこの箇所は文字の乱れが大きく、講義の趣旨を要約すると次のようになる。――日本は尊い国だからといって国民が驕ってはならない、国の栄えは国民一人一人がその責任を自分のこととして果たすかどうかにかかっている、という教訓である。
この一節は、皇統の無窮を語る文脈のなかで、それを「与えられたもの」として受け取るのではなく、国民の側の不断の努力を条件として語り直している点で注目してよい。血統の連続を誇るだけでなく、それを支える者の責任を説く――素行の主題①(徳という条件)と響き合う一段である。
皇統章 十八皇后を立つるは男女の別を正す底本 三三九頁 欄外「皇后冊立」
原文
立皇后者。正男女之別。明嫡庶之辨。懲簒奪之失也。
訓読
皇后を立つるは、男女の別を正し、嫡庶の辨を明らかにし、簒奪の失を懲らすなり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
お庭に此の神武天皇御創業の時の艱苦を偲ぶ爲めの施を立てられると併せて、天皇が上に在つて皇后がこれをお輔けになるといふことでありまして、それであつて國がどんなに榮えて行つても、自分達は少しも怠つてはならないといふ、此の健質な譯であります。それからまた天皇が御卽位に相成ると共に、皇后をお立てになる。これはつまり男女の別を正す譯であります。天皇が上に在つて皇后がこれを相輔けになる。さうして民間の者に範をお示しにならなければならぬ。卽ちこゝに男女の別を正す譯であります。何故であるかと申しますと、婦人がこれを助けなければならぬのであります。
解説
ここから皇后冊立の段に入る。素行は皇后を立てる意味を、「男女の別を正す」「嫡庶の辨を明らかにす」「簒奪の失を懲らす」という三つの働きとして説く。単に伴侶を定めるということではなく、皇位継承の正統性を血統の面で確定する制度として位置づけている点に注意したい。次段(kd130)で「嫡」の語がさらに敷衍される。
皇統章 十八(承)「嫡」といふ意味 ── 凡ての婦人の上に立つ人底本 三三九頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それから「嫡」卽ち凡ての婦人の上にお立ちになる皇后といふものが明かになつて居るのであります。民間でもどうかして其の中の秩序といふものが亂れて、家の主人といふ者がなつてしまへば其の家は亂れる。ちうにも角家には主人といふ者があるやうに、婦人達との上下貴賤の別があるのであります。それであるから兎に角家には主人といふ者があるやうに、婦人の上にお立ちになる皇后と、それからこれに角家には力のある者があるが、力のなくて、他の力の有る無いから言へば、他の者が病氣で始終寢て居るといふことがあらうけれども、唯だ其の力の有る無いから言へば、他の者が皆やらうといふ場合になつた時に、夫を措いて其の妻たる者の考へへで何でもやるといふふやうな事もある。
解説
「嫡」の一語をめぐる敷衍。皇后が「凡ての婦人の上に立つ人」であるという説明は、前段(kd129)の「男女の別を正す」を、民間の家における主人と使用人の秩序になぞらえて敷衍したものである。
底本のこの箇所も文字の乱れがあり、講義の運びがやや読み取りにくいが、皇后という制度を、天皇家に限らず民間の家の秩序一般に重ねて説明しようとする小林の手つきは他の段でも繰り返し見られるものである。
皇統章 十九太子を建つるは父子の親を著す底本 三四〇頁 欄外「立太子の儀」
原文
建太子者。著父子之親。嚴嫡庶之分。固宗廟之統也。
訓読
太子を建つるは、父子の親を著はし、嫡庶の分を嚴にし、宗廟の統を固くするなり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それからまた天皇、皇后をお定めになるといふ意味を明かにされるものとは、皇太子といふものをお定めになる方でも、天皇に對してはみな臣として事へなければならぬといふことをも示すのであります。これは神武天皇の御時には四十二年にお擧げになつた後に於ては、皇太子といふものをお定めになるものと考へなければならぬのであります。皇太子となつた方は天皇の後をお繼ぎになるといふ意味を明かにされるのであるから、何れほどあつても、皇太子が御先祖の御血統をお繼ぎになる、此の式に依つて國の秩序も立ちます。卽ちこれに依つて國の秩序も立つのであります。
解説
立太子の段。皇后冊立が「男女の別」を正すものだったのに対し、立太子は「父子の親」を著し「宗廟の統」を固めるものとされる。即位・立后・立太子の三つがそれぞれ君臣・夫婦・父子の秩序に対応するという、次段(kd133)の三綱論の前提がここで整えられている。
皇統章 十九(承)紀元二千六百年の祝賀 ── 天皇御一人より外にならない底本 三四〇頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
紀元二千六百年の祝賀の式にも、宮樣が御祝辭をお擧げになつた時にも、此の事が吾が國に、今更ながらに日本の國の體としてはよく心得て居なければならぬ事でありまして、君たる者は御一人しかない。此の事は有らゆる儀式にハッキリ現はれて居ります。日本では君主といふものはスッカリこゝに立つ譯であります。斯ういふことであれば、國家の大體といふものはスッカリこゝに立つ譯であります。それで人君たる者が卽位としてはよく心得て居なければならぬ事でありまして、國民としてはよく心得て居なければならぬ事でありまして、どんなに皇宮と血肉の御關係にあつても、他の方はみな臣下であります。此の事は有らゆる儀式にハッキリ現はれて居ります。吾々も此のお言葉を拜承致しまして、今更ながらに日本の國に生れて仕合であつたことを感じました。
解説
「君たる者は御一人しかない」――皇位の単独性が、紀元二千六百年(一九四〇年)の祝賀行事という現代の実例を引いて確認される。底本のこの一段も繰り返しの多い文字起こしになっているが、皇太子・皇后であっても天皇に対しては臣下であるという、素行の原文「建太子者……固宗廟之統也」の趣旨を、小林が同時代の出来事に重ねて説いている構図は読み取れる。
皇紀二千六百年の祝典への言及は、皇統章 その七(kd103)でも見た、この講義が行われた時代背景を示す一例である。
皇統章 二十三綱立ちて行はるるときは身修まり家齊ふ底本 三四一頁 欄外「天下の三綱」
原文
故人君嚴卽位之禮。而後天下之君臣其分定。重后妃之道。而後天下之男女其別正。定建立之法。而後天下之父子親。三者。人之大倫也。三綱立行。則身修家齊治平之效。可以俟之。
訓読
故に人君卽位の禮を嚴にして、而して後に天下の君臣その分定まる。后妃の道を重んじて、而して後に天下の男女その別正し。建立の法を定めて、而して後に天下の父子親し。三つの者は人の大倫なり。三綱立ち行はるるときは、則ち身修まり家齊ひ治平の效、以てこれを俟つべし。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それで天皇が卽位の禮を嚴にされて、それで此の父子、夫婦の道、それから皇后の御定まりになる、皇太子の御定まりになる、斯ういふ事がスッカリ紊れることなく行はれて行く。それで此の三つのものが人倫の最も根本であること〳〵になるのであります。此の三綱が立ち行はれるならば、天下の君臣其の分が定まる、皇太子といふものをお定めになる方でも、天皇の後を繼ぐといふ意味を明かにされるのであるから、天下の男女其の別が正しい、天下の父子親しむ。此の三つのものが人の大倫でありまして、三綱が立ち行はれる時には、卽ち身が修まり家が齊ひ、天下が治まり平らかになるといふ效果が、待つてゐればよいのであります。
解説
皇統章のいちばんの読みどころが、ここに置かれている。素行は即位・立后・立太子という三つの儀礼を、そのまま三綱(君臣・夫婦・父子)の確立として読む。即位の礼→君臣の分、后妃の道→男女の別、立太子の法→父子の親。
そして最後は『大學』の八条目――身修まり家斉い治国平天下――に着地する。素行が『大學』の枠組みで日本の建国と皇統を読んでいることが、ここではっきり見て取れる。皇統とは血の連続である以前に、人倫の秩序が国の初めに据えられたことなのである。
皇統章 二十(承)皇統一たび立ちて億萬世これに襲ふ底本 三四一頁
原文
帝建皇極於人皇之始。定規模於萬世之上。而中國明知三綱之不可遺。故皇統一立。而億萬世襲之不變。天下皆受正朔。而不貳其時。萬國奉王命。而不異其俗。三綱終不沈淪。德化不陷塗炭。異域外國豈可企望之乎。
訓読
帝、皇極を人皇の始に建て、規模を萬世の上に定め、而して中國明らかに三綱の遺すべからざることを知る。故に皇統一たび立ちて億萬世これに襲つて變ぜず、天下皆正朔を受けてその時を貳つにせず、萬國王命を奉けてその俗を異にせず、三綱終に沈淪せず、德化塗炭に陷らず。異域の外國豈企て望むべけんや。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それから神武天皇が一番初めに於て天皇の御位の規模を萬世の上にお定めになつたのでありまして、それで日本の國に於ては三綱を遺してはならないといふことがハッキリ解つて居るのであります。それで皇統がなるといふふうなことになるといふことは、他の國には全然ないことであります。天下の人民は永く此の皇統をお守りになり、皇太子もお定まりになり、皇后もお定まりになります。それで人君たる者が卽位になる時に、萬國が王命を奉じてその習はしを異にしない。三綱が終に沈淪せず、德化が塗炭に陷ることがない。それで他の國には全然ないことで、他の國では眞似ようとしても到底眞似られないことでありますから、國體といふものはスッカリ榮えることになるといふことは、他の國には全然ないことになるといふことになるのであります。
解説
ここが皇統章 その一〜その七を通じて論じてきた「皇統の無窮」の総括にあたる一段である。素行の論点は「三綱が国の初めに据えられ、それが一度も絶えずに続いてきたこと」に絞られている。
次の二段(kd135・kd136)で、この「無窮」が支那・朝鮮の易姓革命との対比によって際立たせられる。本章でもっとも議論を呼ぶ論法がここから始まる。
皇統章 二十一夫れ外朝は易姓すること殆ど三十姓底本 三四二・三四四頁 欄外「特異なる日本の國體」
原文
夫外朝易姓殆三十姓。或狄入而爲王者數世也。春秋二百四十餘年。而臣子弑其國君者二十又五。況其先後之亂臣賊子。不可枚擧也。
訓読
夫れ外朝は姓を易ふること殆ど三十姓にして、狄入りて王たる者數世なり。春秋二百四十餘年にして、臣子その國君を弑する者二十又五なり。況んやその先後の亂臣賊子は枚擧すべからざるをや。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
日本の國の天皇の御卽位といふことに就いては以上說いた通りでありますが、若し他の國と比べて見るならば、日本は他の國と比べられないほど尊い國であるといふことがよく解るのであります。他の國の手本となるべき所はないので、國が始まつてから四千年ばかりの間に、幾度となく革命があつて、其の國體は到底日本と同一に論ずべきものではないのであります。姓が變れば卽ち國號も變るのでありますが、支那の如きは戎狄といふ外國の未開人が入り込んで來て、武力を以て國を占領して王たる者の類も昔からいろ〳〵ありますが、春秋の時代といふのは二百四十年ばかり續いた中で、臣たる者が其の君を弑したものが二十五もあるのでありますが、それからまた其の前後の時代であります春秋の時代といふ事も昔からある位で、臣たる者が亂を起して國を奪つた例は歴史の上に明かに遺つて居ります。
解説
ここから外朝易姓の段。皇統章の中でもっとも議論を呼ぶ一節である。素行の論点は「王朝交替の有無」に絞られている。三綱が国の初めに据えられて動かなかったことに皇統の価値を見る素行にとって、易姓革命こそが最大の失点になる。
次段(kd136)・その次(kd137)で、この対比がさらに具体的な数字とともに続けられる。
皇統章 二十一(承)朝鮮は箕子受命以後、姓を易ふること四氏底本 三四二・三四四〜三四五頁
原文
朝鮮者箕子受命以後易姓四氏。滅其國。而或爲郡縣。或高氏滅絕凡二世。彼李氏二十八年之間。弑王者四度也。況其先後之亂逆。不異禽獸之相殘。
訓読
朝鮮は箕子受命以後姓を易ふること四氏なり。その國を滅ぼして、或は郡縣と爲し、或は高氏滅絕すること凡そ二世、彼の李氏二十八年の間に王を弑すること四度なり。況んやその先後の亂逆は禽獸の相殘ふに異ならざるをや。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それから朝鮮は箕子が命を受けて以後、姓が易はること四氏になるのでありますが、其の國を滅ぼしてあるひは郡縣となし、あるひは高氏が滅び絕えることおよそ二代、彼の李氏の二十八年の間に王を弑することが四度もあつたのであります。況んやその前後の亂逆といふものは、禽獸が相殘ふのと異ならないのでありますから、これを日本の皇統と比べることは出來ないのであります。
解説
朝鮮の王朝史を、箕子朝鮮・高麗(高氏)・李氏朝鮮という三つの体制交替として数え上げている。李氏朝鮮の期間について「二十八年の間に王を弑すること四度」という数え方は、素行の時代までの限られた情報に基づくものであり、実際の李氏朝鮮は一三九二年から一九一〇年まで五百年以上続いた王朝である。【要検証】素行が参照した史料の範囲・精度そのものが江戸期の限界を反映している。
皇統章 二十一(結)獨り中國は開闢より人皇に至るまで底本 三四二・三四五頁
原文
獨中國。自開闢至人皇二百萬歳。而自人皇迄于今日。垂二千三百餘歳。而天神之皇統竟不違。其間弑逆之亂。不可屈指數之。況外國之賊覦。不得窺吾藩籬乎。
訓読
獨り中國は、開闢より人皇に至るまで二百萬歳にして、人皇より今日に迄るまで二千三百餘歳を垂る。而して天神の皇統竟に違はず、その間弑逆の亂、指を屈してこれを數ふべからず。況んや外國の賊覦、吾が藩籬を窺ふことを得ざるをや。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
唯だ中國、卽ち日本に於きましては、開闢より人皇に至るまでが隨分永い年月でありまして、それから神武天皇の御時までが二千六百年である。これは素行の時代で言ふので、今日はもう二千六百年を過ぎて居るのでありますが、其の間に於て天神の皇統を保つていらつしやる。其の間に弑逆といふやうな事は繰返されて居るのであります。何にしろ外の國では力のある者の子孫が力を失ひ、智慧のある者とかゞ王となるのでありますが、また數へ切れないほどあつた。また其の前後の逆臣が起つて王を殺したといふ事もあります。況んや外國の賊が、我が國に於ても臣が君を弑したといふやうなことは決してない。斯ういふことがないのであります。
解説
【転回2】ここに本読本で繰り返し指摘してきた型が典型的な形で現れる。「開闢より人皇に至るまで二百萬歳」は『日本書紀』の神話的紀年であり、史実として検証に堪えるものではない。一方で朝鮮・支那の易姓の回数は(不正確ながらも)具体的な史実として数え上げられている。自国の側だけを神話の年数で語り、他国の側だけを史実の乱脈さで語る――この非対称のうえに「皇統の無窮」の議論が組み立てられていることに注意したい。
江戸前期の日本人が明清交替を目の当たりにして書いた議論として読むべき箇所であり、戦時下の講義でこれをそのまま敷衍する小林の語り口も、時代の産物として距離を置いて読む必要がある。
皇統章 二十二後白河帝の後、武家權を執りて五百餘歳底本 三四二・三四六頁
原文
後白河帝之後。武家執權。垂五百有餘歳。其間未嘗無利劍・長距以得擅權。冠猴・封豕之類。然而王室猶存君臣之儀。是天神、人皇之知德。懸象著明。垂世不可忘也。其遏化之功。綱紀之分。然悠久然無窮者。流出于至誠也。三綱既立。則條目之著。在其中矣。
訓読
後白河帝の後、武家權を執りて、五百有餘歳を垂る。その間未だ嘗て利劍・長距以て權を擅にするを得る、冠猴・封豕の類なくんばあらず。然れども王室猶ほ君臣の儀を存す。是れ天神、人皇の知德、懸象著明にして、世に垂れて忘るべからざるなり。その遏化の功、綱紀の分、然く悠久に然く無窮なる者は、至誠に流出すればなり。三綱既に立つときは、則ち條目の著はるるは、その中に在り。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それからまた天皇の御位を望んだといふやうな者は、他に人間の道を辨へない者、皇室に對してさういふ不埒な行ひをしたやうな者は幾ら數へようとしても決してない。武家の中には隨分人間の道を辨へない者もあつたけれども、天皇に對して不敬なことをしたといふ武士は一人もない。後白河天皇の御時から武家が政權を握るといふ此の形式を守るにしても、天皇を排斥して自ら政權を握るのではなくて、どれほど我が國を外國と比べて見ても、外國に於て元の時代とか淸の時代とかいふやうな、道鏡が天皇の御位を望んだといふやうなことはあるけれども、それは國民同士の間で行はれて居ることであつて、皇室に對してさういふことが出來なかつた。それより以外に於て天皇の御位を窺ふ者などといふ者は一人もない。これは支那と日本との國體の異ひであります。源氏が起つて來て政權を握つたとしても、天皇を輔け申すといふ此の形式を守ることは忘れなかつたのであります。それからまた縱ひ臣下が政權を握つたとしても、天皇を排斥して自ら政權を握るのではなくて、天皇に對して不敬なことをすることは今後も何時までも續くべきことでありまして、天皇に對して不敬なことをするといふ武士は一人もない。
解説
素行は武家が権を執った五百年を否定しない。「猿が冠をかぶったような輩」がいたことも認める。それでも王室がなお君臣の儀を保ってきたことに、皇統の強さを見る。
小林はこれを、道鏡事件や、源平・鎌倉・室町・徳川と続く武家政権の変遷になぞらえて敷衍する。【積極評価】臣下が政権を掌握した事実そのものは隠さず認めたうえで、「天皇の御位を望んだ者はいない」という一点に限定して論じているのは、皇統章のこれまでの論法に比べて抑制的である。
皇統章 二十三謹按、天下は神器にして人物の命なり底本 三四三頁 欄外「謹按」
原文
以上論皇統之無窮。謹按。天下者神器。而人物之命。其興替之間。豈存二人之私乎。皇統之初。天神以授。天孫以受。然乃其知德不愧天地。而後可謂神器之與授。天不言。人代言。天下之人仰歸。則天命之也。天下所歸仰。更不他。唯在天祖眷眷而已。
訓読
以上は皇統の無窮を論ず。謹みて按ずるに、天下は神器にして、人物の命なり。その興替の間、豈二人の私を存せんや。皇統の初、天神以て授け、天孫以て受く。然らば乃ちその知德天地に愧ぢずして、而して後に神器の與授と謂ふべし。天言はず、人代りて言ふ。天下の人仰ぎ歸すれば、則ち天これを命ずるなり。天下の歸し仰ぐところ、更に他ならず、唯だ天祖の眷眷たるに在るのみ。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
以上は皇統の無窮を論じたのでありますが、謹んで案じますに、天下は神器でありまして、人物の命であります。凡そ天は言はず、人代りて之を言ふ。天下の人仰ぎ歸すれば、則ち天これを命ずるなり。天下の歸し仰ぐ所は、更に他あらず、唯天祖眷眷の命に在るのみであります。それでこの意義を蘊んで按ずるに、皇統の初め天神以て天孫以て授け受くる其の與授の間、豈一人の私を存せんや。凡そ天は物を言はず、人が代つてこれを言ふのでありまして、天下の人が仰ぎ歸すれば、卽ちそれで天がこれを命ずる所であります。天下の歸仰する所は、更に他あらず、唯天祖の眷眷の命に在るのみでございます。
解説
皇統章の結語である。素行はここで、これまで論じてきた皇統の無窮を、血統の連続そのものとしてではなく、「知德天地に愧ぢず」という条件つきで捉え直す。「天下は神器にして、人物の命なり」――天下は私物ではなく、公の器である。天は物を言わないから、人が仰ぎ帰するかどうかが天命の証になる。血統さえあればよいとは、素行は一言も言っていない。皇統章は、皇統を讃える章であると同時に、皇統に責務を課す章でもある――この一句に、皇統章全体の結論が凝縮されている。
皇統章 二十四・結君主と國運 ── 皇統章の結び底本 三四四〜三四八頁 欄外「特異なる日本の國體」「君臣上下の分」「君主と國運」
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。「以上論皇統之無窮」を承ける結びの講義。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
斯様にして日本の國の天皇の御卽位といふことに就いては以上說いた通りでありますが、日本の國體は世界は廣いし、日本以外の國も澤山あるけれども、斯様にして皇室の御感化は一般に及び、賓にこれは何より尊いことと申さなければならぬ譯であります。此の尊い御事業のお輔けを申すのでありまして、それから朝鮮は箕氏の子孫が初めて封ぜられた所で、其の以來ズット續いて居るのであるけれども、また高氏といふ王族が滅び、また李氏といふ者は可なり長く續いた時代もあります。斯樣にして或は其の血統が變つてしまつたといふ王者もあります。獨り皇統は開闢以來神武天皇の御時までが隨分永い年月でありましたのが、それから神武天皇を過ぎて居るのでありますが、今日はモウ二千六百年を過ぎて此の皇位を保つていらつしやる。其の間に於て地位に居る者が我が國に儘をして、人民をみな困らせるといふのはチャウドこれと同じことでありまして、皇室を尊んで君臣といふ義といふものはチャンと正しく守つて參つたのであります。天皇に對して不敬なことをしたといふ、如何なる横暴な者でも皇室に對して不敬を働くといふ者はない。それで君臣上下の分が立つて居るといふことも至つて久しいことでありまして、皇統をお繼ぎになる方をお定めになる。國民を治める、それが君主と國運とを一つにする所以であります。地位に居る者が我が儘をして人民を困らせるといふのはチャウドこれと同じことでありまして、日本の國體が世界の他の國のあらう筈はない。日本國民たる者は此の尊い國に生れて、此の尊い御事業のお輔けを申さなければならないのでありまして、以上を以て皇統章の講義を終ります。
解説
皇統章の最終段。「特異なる日本の國體」「君臣上下の分」「君主と國運」の三つの欄外見出しにわたる講義を、ここでは一括して収めた。要旨は――日本の国体では臣が君を弑したことがなく、武家政権のもとでも天皇の御位を犯すことはなかった、そして皇統の無窮は国民が皇室を尊ぶ君臣の義を保ち続けたことによって支えられてきた、というものである。
【積極評価】結びにあたって小林は、地位にある者が人民を苦しめてはならないという戒めを重ねて置いている。血統の連続を誇るだけでなく、それを支える側の責任を最後にもう一度確認する構成は、kd139の「謹按」の趣旨と一貫している。
これで皇統章(その一〜その八)を終える。次冊からは神器章――八咫鏡・草薙劒・八坂瓊曲玉の三種の神器を主題とする章に入る。