皇統章 五(結)別の傳說 ── 天兒屋命と太玉命とを天忍穗耳尊に添へてお降しになつた底本 三一五頁
原文
一書曰。天兒屋命。太玉命。陪從天忍穗耳尊。以降之。
訓読
一書に曰く、天兒屋命、太玉命、天忍穗耳尊に陪從して以て之を降す。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それからまた別の伝説に申すには、天兒屋命と太玉命とを天忍穗耳尊に添えてお降しになった。
其の時に天照大神が御手に鏡をお持ちになって、天忍穗耳尊にお授けになって、そうして吾が兒は此の鏡を視ること自分を視るが如くにすべきである。
これは「床を同じうし、殿を共にし」――始終居る所の御殿の中に置いて、そうして此の鏡を見て顔を映すと同時に、自分の心をも映すという考えで、即ち鏡というものは曇りのないものであるから、此の曇りのない鏡を見て自分の心を鏡の如くに磨いて、明かな徳と明かな智慧とを以て多勢を治めようということを忘れないようにすべきである。斯う仰せられて鏡をお授けになったということであります。
解説
もう一つの伝え。前の冊(kd61)で扱った同床共殿の神勅を、小林はここで改めて丁寧に読み解く。
注目すべきは、この伝えでは鏡を授かるのが瓊瓊杵尊ではなく、その父の天忍穗耳尊だということである。降臨するはずだったのは本来天忍穗耳尊で、その子が生まれたので親に代えて子を降した――という筋になる(kd72)。
記紀の降臨神話には、この「代替わり」の痕跡がある。『古事記』でも天忍穗耳命が降ろうとしたところに子が生まれ、「この子を降すべし」となる。降るはずの神が交代するという構図は、複数の伝承が重なった跡と見られている。
小林の「此の曇りのない鏡を見て自分の心を鏡の如くに磨いて」という読みは、皇統章 その一(kd14)の「内に省みて己れの心を正しく保つ」と同じである。鏡=自省という読みが、ここでも通っている。
皇統章 五(結)床を同じうし、殿を共にし ── 曇りのない鏡を見て自分の心を磨く底本 三一五頁
原文
是時天照太神手持寶鏡。授天忍穗耳尊。而祝之曰。吾兒視此寶鏡。當猶視吾。可與同床共殿。以爲齋鏡。
訓読
是の時天照太神手に寶鏡を持ち、天忍穗耳尊に授けて之を祝ぎて曰く、吾が兒此の寶鏡を視ること當に猶ほ吾を視るがごとくすべし。與に床を同じくし殿を共にし、以て齋の鏡と爲すべしと。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
此の伝説には三種の神器ということでなしに、ただ鏡ということがあるのみでありますが、前にも申上げましたように、三種の中で鏡が一番大切なものでありますから、それで鏡をお與えになったということのみが伝はって居るものと見えるのであります。
解説
「三種の神器ということでなしに、ただ鏡ということがあるのみ」――小林は伝承の異同をきちんと指摘する。
この伝えでは鏡だけ、別の伝えでは玉・鏡・剣の三種、また別の伝えでは鏡と剣の二種(kd73)。『日本書紀』は複数の異伝を並べて記録するという編纂方針を取っており、素行はそれをそのまま引き写している。
小林の解釈――「鏡が一番大切なものでありますから、それで鏡をお與えになったということのみが伝はって居る」――は、異同を重要度の差で説明するものである。
もう一つの見方もある。三種の神器という組み合わせ自体が、後から整えられたものだとすれば、鏡だけの伝えのほうが古いことになる。実際、剣(草薙劍)は素戔嗚尊の八岐大蛇退治に由来し、系統が違う。異伝の差は、成立の層の差でもありうる。
皇統章 五(結)善く防護を爲せ ── 二神も亦同じく殿内に侍りて底本 三一五頁
原文
復勅天兒屋命太玉命。惟爾二神。亦同侍殿內。善爲防護。
訓読
復天兒屋命、太玉命に勅す。惟れ爾二神、亦同じく殿內に侍りて、善く防護を爲せと。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それからまた此の時に天兒屋命及び太玉命に仰せられるには、お前達二人も自分の子の天忍穗耳尊と共に行って、そうして始終自分の子の側に附いて居って、吾が子の健全に此の國を治めて行くように力を添えてくれと、斯う仰せられた。
解説
「同じく殿内に侍りて、善く防護を爲せ」――中臣氏と忌部氏の祖神に、殿の内にあって守れと命じる。
これは両氏の職掌の由緒を語る一句である。中臣氏は祭祀、忌部氏は祭具の調製を担当し、ともに宮中の内側で天皇に近侍する氏族だった。神代の一句が、そのまま官職の根拠になる。
前の冊(kd57)で述べたとおり、こうした記述は誰が語り伝えたかを考えながら読みたい。『古語拾遺』が忌部氏の立場から書かれた書だったのと同じ構図である(中國章 その八 ck111)。
なお、この段の小林の講義は次の「齋庭の穗」の話に流れ込んでいる。原文の区切りと講義の区切りがずれているので、この読本では講義の流れのほうに合わせて配してある。
皇統章 五(結)齋庭の穗 ── 高天原の稻を與へて日本の國に農業を興す底本 三一五頁
原文
又勅曰。以吾高天原所御齋庭之穗。亦當御於吾兒。
訓読
又勅して曰く、吾が高天原に御す所の齋庭の穗を以て、亦當に吾が兒に御さしむべしと。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それからまた、自分が此の高天原で今まで農業を奨励して、そうして穫れた所の稲があるから、この稲の穂を與える。
これを本にして日本の國に農業を興して、みなの生活が裕かになるようにするが宜しいと、斯ういうことも仰せられた。
解説
齋庭の稲穂の神勅。三大神勅(天壤無窮・寶鏡奉齋・齋庭の稲穂)の一つに数えられる。
神器と並んで、稲が授けられている――ここは見落とせない。天壤無窮の神勅が統治の永続を、同床共殿の神勅が祭祀のありようを語るのに対し、この神勅は民の暮らしを語っている。
小林の噛みくだきも良い。「これを本にして日本の國に農業を興して、みなの生活が裕かになるようにするが宜しい」。統治とは、まず食えるようにすることだという順序である。
天先章(底本一六五頁)の「生きることが出来ないで道を学ぶなどという余裕のあろう訳はない」という一句と、まっすぐつながる。この講義の底には、暮らしを先に置く感覚がある。
なお大嘗祭は、この神勅にもとづき新穀を天照大神に供える儀とされる。皇位継承の中心儀礼が、稲の神勅に根を持っていることになる。
皇統章 五(結)萬幡姫を妃と爲して降す ── 虛天に居て兒を生む底本 三一五〜三一六頁
原文
則以高皇産靈尊之女號萬幡姫。配天忍穗耳尊。爲妃降之。故時居於虛天而生兒。號天津彦火瓊瓊杵尊。
訓読
則ち高皇産靈尊の女、萬幡姫と號くるを以て、天忍穗耳尊に配せて妃と爲して之を降す。故に時に虛天に居て兒を生む。天津彦火瓊瓊杵尊と號く。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それから此の時に天忍穗耳尊の妻として、高皇産靈尊の女の萬幡姫という方をお與えになって、御夫婦して此の日本の土地にお降りになった。
それで「虛天に居て」という、此の日本の國に御到着にならぬ間に、途中で此の天津彦火瓊瓊杵尊という方をお生みになった。
これは御夫婦共に勝れた方である、其の仲からお生れになったお子様であるから、此の瓊瓊杵尊という、詰り天照大神から申せばお孫様にあたるのでありますが、此の方を親君である所の天忍穗耳尊に代って日本の國の主とするということに御決定になった。
解説
降る途中で子が生まれる。「虛天に居て兒を生む」――大空にあって子を生んだ、という不思議な一句である。
この一句が、降臨の主体が父から子へ交代する理由になっている。kd67 で触れたとおり、記紀の降臨神話にはこの交代のモチーフが共通して見える。
『古事記』では、天忍穗耳命が「降りようとしたら子が生まれた」と告げ、「この子を降すべし」と答える。『日本書紀』本文では高皇産靈尊が最初から皇孫を降そうとする。伝えによって、誰の判断で交代したかが違う。
小林の説明「御夫婦共に勝れた方である、其の仲からお生れになったお子様であるから」は、交代の理由を資質に置いている。血統だけでなく資質を言うのは、皇統章 その二(kd24)以来の一貫した読み方である。
皇統章 五(結)皇孫を以て親に代へて降さんと欲す底本 三一六頁
原文
因欲以此皇孫代親而降。故以天兒屋命太玉命及諸部神等。悉皆相授。且服御之物。一依前授。然後天忍穗耳尊。復還於天。
訓読
因りて此の皇孫を以て親に代へて降さんと欲す。故に天兒屋命、太玉命及び諸部の神等を以て、悉く皆相授く。且つ服御の物、一に前に依りて授く。然る後天忍穗耳尊復天に還る。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それで天兒屋命や太玉命、其の他の神々が此の天照大神の御孫である所の瓊瓊杵尊のお供をして此の日本の國に着いた。
また天照大神のお子様にお譲りになった鏡とか、其の他稲の穂とかいうものは、皆御孫様の方がお受取りになって、此の天照大神のお心持を服膺して此の國土にお降りになって、そうして日本の國をお治めになった。
斯ういうことであります。斯くして御孫様が此の國にお降りになる以上は、天照大神のお子様である所の天忍穗耳尊が此の國土にお降りになる必要はないので、これは元の天にお歸りになった。
解説
「服御の物、一に前に依りて授く」――身に着け用いる品々も、前と同じように授けた。父に渡したものを、そっくりそのまま子に渡すということである。
前の冊(kd63)で小林が「常に御身に着けられた寶を其の儘お與えになった」と読んだのと、同じ発想がここにも見える。特別に作った象徴ではなく、使っていたものを渡す。
「天忍穗耳尊、復た天に還る」――降りかけた父は、天に帰る。地上に降りるのは一代だけという形になっている。
この一連の交代劇を、小林は淡々と説明していく。神話の不整合を無理に整えようとしないのは、この講義の良いところである。皇統章 その一(kd13)で三貴子の誕生譚が複数あることを扱ったときと、同じ態度である。
皇統章 五(結)二種の神寶 ── 永く天璽と爲す底本 三一六〜三一七頁
原文
一書曰。天祖天照太神高皇産靈尊。乃相語曰。夫葦原瑞穗國者。吾子孫之可王之地。即以八咫鏡及草薙劍。二種神寶。授賜皇孫。永爲天璽。──所謂神璽劍鏡。
訓読
一書に曰く、天祖天照太神、高皇産靈尊、乃ち相語りて曰く、夫れ葦原の瑞穗國は吾が子孫の王たるべきの地なりと。即ち八咫鏡及び草薙劍、二種の神寶を以て、皇孫に授け賜ひて、永へに天璽と爲す。――所謂神璽の劍鏡なり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それからまた一つの伝説に依れば、天照大神が高皇産靈尊と御相談になって、其の御相談の結果、葦原の瑞穗の國は吾が子孫の治むべき所だということを御決定になって、そうして八咫鏡と草薙劍の二つの神寶を皇孫にお授けになって此処へお降しになった。
これが即ち天神のお心持を伝えられるという証しであると、斯ういうようにも申してあるのであります。
此の伝説に依れば、詰り國の寶というのは鏡とそれから劍との二つであるということになって居ります。
解説
三つ目の伝え。ここでは鏡と剣の二種である。「永く天璽と爲す」――永久に天のしるしとする。
三種か、鏡だけか、二種か――素行はこの三つの異伝を、どれが正しいとも言わずに並べる。『日本書紀』の編纂方針をそのまま踏襲している(kd68 参照)。
史実の側から言えば、「二種」の伝えには実際の制度的な裏づけがある。皇位継承の際に伝えられる「劍璽(けんじ)」は、剣と勾玉であって鏡ではない。八咫鏡は伊勢に鎮まっているからである。時代によって「神器」の数え方が違うのは、こうした事情による。
小林が「此の傳說に依れば……鏡とそれから劍との二つ」と、いちいち伝えごとの違いを確認していくのは、読み手にとってありがたい。異伝を混ぜて一つの物語にしてしまわない。
皇統章 五(結)三つの傳說 ── 根本の御精神に於て少しも變りはない底本 三一七頁
原文
三種寶物。二種神寶。
訓読
三種の寶物。二種の神寶。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
勿論現今では三種の神器と申して、三つお揃いになってあるということは誰も疑いがないのでありますけれども、要するに一番初めに申したように、これは天照大神の御身にお着けになったものを其の儘お譲りになったのでありますから、其の伝説の上に於て三つになって居ても、或は鏡一つとなって居ても、或は鏡と劍との二つになって居っても、其の根本の御精神に於て少しも変りはないのであります。
随ってその三つは智仁勇を象どる云々というような細かい穿鑿をするには及ばないことと思はれます。
解説
異伝の扱い方について、小林がはっきり述べた一段。「其の傳說の上に於て三つになって居ても、或は鏡一つとなって居ても、或は鏡と劍との二つになって居っても、其の根本の御精神に於て少しも変りはない」。
これは神話の読み方の宣言である。細部の異同にこだわらず、通底する意味を取る。前の冊(kd63)で智仁勇の配当を「漢學の方の思想」と退けたのと、同じ姿勢がここでも働いている。「細かい穿鑿をするには及ばない」。
読むときの注意。ただしこの態度は、両刃でもある。異同を「根本は同じ」でまとめてしまうと、異同そのものが語っている歴史が見えなくなる。kd68 と kd73 で触れたとおり、異伝の差は成立の層の差でもありうる。
小林は意味を読むことに徹していて、成立を問うことはしない。この講義の性格として、押さえておきたい点である。
皇統章 五(結)天照大神の御神靈が永く此の國をお護りになる底本 三一七頁
原文
永爲天璽。
訓読
永へに天璽と爲す。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
即ち天照大神の御神靈が永く此の國をお護りになり、其のお護りの下に歴代の天皇がそれぞれ善い政治をなさるので、國はますます栄えて行くのだと、斯ういうような解釈で充分であろうと思はれるのであります。
随って其の三つは智仁勇を象どる云々というような細かい穿鑿をするには及ばないことと思はれます。
解説
「其のお護りの下に歴代の天皇がそれぞれ善い政治をなさるので、國はますます栄えて行く」――ここにも条件の形が残っている。
護りがあるから栄えるのではなく、護りの下で善い政治をするから栄える。前の冊(kd65)の天壤無窮の読み――「上に神聖なる君主がいらせられて、賢者がこれを輔ければ」――と同じ構文である。
この読本で「転回(三)」として記録してきた「素行の条件文を、小林が地位の絶対へずらす」という癖に対し、皇統章の後半では小林自身が条件を保っていることが、ここでも確認できる。
同じ講義者のなかに、両方の読み方が同居している――そのことを、そのつど確かめながら読みたい。
皇統章 六是れ天孫降臨の始めなり ── 生知の聖神にして、事毎に之を問ふ底本 三一七〜三一九頁
原文
謹按。是天孫降臨之始也。凡天神者生知之聖神。而每事問之。俯順衆言。其兼容之量。噫至哉。使配侍五神者。共有大功於此國也。
訓読
謹んで按ずるに、是れ天孫降臨の始めなり。凡そ天神は生知の聖神にして、而も事毎に之を問ひ、俯して衆言に順ふ。其の兼容の量、噫至れる哉。配侍せしむる五神は、共に此の國に大功あるなり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
そこで素行が更にこれに就いて自分の意見を述べて申しますには、是に於て天孫降臨ということの始めが明かになって居るのである。
凡そ天の神々というものは生れながらにして知る所の聖なる神であるけれども、それでも事あるごとに之をお問いになって、頭を下げて多勢の意見に従はれた。其の兼ね容れる所の御度量は、ああ、まことに至れるものである。
また皇孫に添えてお降しになった五柱の神々は、共に此の國に大きな功績があったのである。
解説
この段でいちばん重い一句。「凡そ天神は生知の聖神、而も事毎に之を問ひ、俯して衆言に順ふ。其の兼容の量、噫至れる哉」。
「生知」は『論語』季氏の「生まれながらにして之を知る者は上なり」から。学ばずして知る最高の資質である。その生知の聖神が、それでも事あるごとに問い、頭を下げて衆議に従う。素行はそこに感嘆する――「噫、至れる哉」。
これは、前の冊(kd48)で扱った諮問の議論の核心である。知っている者がなお問う。それが兼容の量――受け入れる度量の広さだ、と。
読むときの注意。前の冊で小林が「議會たるものは決して異議を申すべきものではない」と述べたことと、この素行の一句とは、向きが違う。素行が称えているのは、上に立つ者が頭を下げることである。「俯」の一字を、ここでも確かめておきたい。
皇統章 六(承)大國主神と天孫 ── 天孫降臨以前に此の國を經營して居られた底本 三一九頁
原文
一書云。大國主神。亦名大物主神。亦號國作大己貴命。
訓読
一書に云ふ、大國主神、亦の名は大物主神、亦は國作大己貴命と號く。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
また或る書に依ると、大國主命という方が天孫降臨より以前に此の日本の國に住んで居られた、これは大物主神という名もあり、また國作大己貴命とも言い、葦原醜男とも言う。
其の子凡て一百八十一神あり。
「國の主」とか「物の主」とかいうのは此の國土を経営して、多勢を支配して居られたという意味。それから「國作」というのはやはり國を経営するという意味。「大己貴」というのは多勢に貴ばれるということであります。
解説
大國主神の登場。素行はここで、この神の多くの名を並べる。大國主・大物主・國作大己貴・葦原醜男・八千戈・大國玉・顯國玉。
小林はそれを「名が其の働きを表わす」という方法で読む。中國章がまるごと名から実を読む章だったことを思い出したい(ck146)。その方法が、ここでも使われている。
読むときの注意。ただし多くの名を持つということは、もともと別々の神だったものが一つに束ねられたことの跡でもある。大物主神は三輪山の神、大國主神は出雲の神で、本来は別系統と考えられている。『日本書紀』が「亦の名」として並べているのは、統合の結果である。
「其の子凡て一百八十一神あり」――多くの神の祖とされることも、各地の神々がこの神に系譜づけられたことを示している。名の多さと子の多さは、同じことの表と裏である。
皇統章 六(承)大己貴・國作 ── 多勢に貴ばれ、國を經營する底本 三一九〜三二〇頁
原文
亦曰葦原醜男。亦曰八千戈神。
訓読
亦葦原醜男と曰ひ、亦八千戈神と曰ふ。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それから「國作」というのはやはり國を経営するという意味。
「大己貴」というのは多勢に貴ばれるということであります。併しながらこれはもともと天孫と同じ血統の神でありますから、其の天孫降臨以前に於ては、此の方が日本の國土を経営して多勢に崇拝をされて居ったのであります。
ところが天孫の方が正系の方の神でありますから、其の徳を比べれば此の大國主命の方が一段下って居るものと申さなければなりませぬ。
解説
読むときの注意。ここは慎重に読みたい。
小林は「天孫の方が正系の方の神でありますから、其の徳を比べれば此の大國主命の方が一段下って居る」と述べる。だが「正系だから徳が上」というのは、系譜から徳を導く論法であって、皇統章 その二(kd24)で見た「人民の精は以て之を主とすべし」――勝れた者が主となる――とは、向きが逆である。
素行の原文はここでも慎重で、大國主神の名と功績を並べるだけで、優劣を述べていない。むしろ次段(kd79)で「大己貴命は少彦名命と力を戮せ心を一にして天下を經營す」「大造の績を建つ」と、その功績を明記する。
国譲りの物語を、譲った側の功績とともに記す――素行のこの書き方は、公平である。「大造の績」という語は、決して軽い評価ではない。
皇統章 六(結)葦原醜男・八千戈・大國玉・顯國玉 ── 名が其の働きを表はす底本 三二〇頁
原文
亦曰大國玉神。亦曰顯國玉神。其子凡有一百八十一神。
訓読
亦大國玉神と曰ひ、亦顯國玉神と曰ふ。其の子凡そ一百八十一神あり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
そこで葦原醜男、葦原の生えて居る所に居る天孫よりは一段下った人と、斯ういうようにも名づけてあるのであります。
また八千戈神という名もありますが、戈というのは武を表はすのでありますから、武勇が勝れて居て、其の辺りを威徳を以て治めて居た方という意味を表はして居るのであります。
また大國玉神という名もありますが、「玉」というのは「魂」ということと同じで、即ち國の魂となって居る方、國民を指導する中心となって居る方という風に言はれるのであります。また顯國玉神というのも、國の魂となって現はれて居る神という意味であります。
何れにしても此の大國主命という方が、天孫には及ばないけれども、随分徳も高く、また武勇の力も秀でて居られて、威と徳とを以て此の國を経営して居られたに相違ないのであります。それで其の子たる者が一百八十一神といふのは非常に澤山あったという意味でありませう。
解説
名を一つずつ解く。八千戈=武勇、大國玉・顯國玉=国の魂、国民を指導する中心。
「玉」を「魂」と読むのは正しい。古代日本語でタマは玉(宝石)と魂(霊)の両方を指し、両者は不可分だった。三種の神器の玉が魂の依代でもあることを思えば、この読みは深い。
「葦原醜男」の小林の解釈――「葦原の生えて居る所に居る天孫よりは一段下った人」――は、やや無理がある。「醜(しこ)」は醜いの意ではなく、強く猛々しいという古語である。「しこの御楯」(万葉集の防人歌)と同じ用法で、むしろ讃辞である。
そして小林も最後にはこう認める。「随分徳も高く、また武勇の力も秀でて居られて、威と徳とを以て此の國を経営して居られたに相違ない」。前段(kd78)の「一段下って居る」という評価から、ここでは明らかに戻っている。
国譲りの相手を、これだけ丁寧に語る――素行も小林も、そこは公平である。