皇統章 四(結)二神の功績 ── 經津主神と武甕槌神底本 三〇八〜三〇九頁
原文
是後高皇産靈尊更會諸神。選當遣於葦原中國者。經津主神武甕槌神。誅諸不順鬼神等。果以復命。
訓読
是の後高皇産靈尊更に諸神を會し、當に葦原の中つ國に遣はすべき者を選ぶ。經津主神、武甕槌神、諸の順はぬ鬼神等を誅し、果して復命す。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
そこで是れではいかぬ、モウ少し勝れた者をやらなければならぬというので、再び評議を凝らされた結果として、多勢の者の意見に従って經津主神と武甕槌神と、お二人の神をお遣はしになることになったのであります。
此の神々は考えの深い方であったのみならず、非常に武勇の勝れた方で、若し不正な者があれば直ちにこれに制裁を与えるというような力をも具えた方でありましたから、此の二人ならば確かに其の任務を全うすることが出来るであろうというので、此の二人の神をお遣はしになった所が、其のお考えに違はずして、此の二人の神は日本の國土に来って、そうして國の平和を乱すような者に制裁を与えて、これを誅戮し、それで愈々國は一通り平和になりました。
解説
合議のやり直し。前の冊の結び(kd51)で見たとおり、一同が推した天穗日命は失敗した。そこで「再び評議を凝らされた」。
失敗したから合議をやめるのではなく、もう一度合議する――この繰り返しのほうが、合議というものの実際に近い。素行はその過程を、削らずに引いている。
選ばれた經津主神・武甕槌神は、それぞれ香取神宮・鹿島神宮の祭神である。武門の信仰を集めた二社で、藤原氏の氏神としても重んじられた。神話上の功績が、現に祀られている社に着地する――皇統章 その一(kd17)で見た素行の方法が、ここでも働いている。
小林の「考えの深い方であったのみならず、非常に武勇の勝れた方」という説明も見ておきたい。知と武の両方――失敗した天穗日命に欠けていたのは、おそらく前者ではなく現地に呑まれない強さのほうだった。
皇統章 四(結)眞床追衾を以て皇孫を覆ふ ── 多勢の勝れた人をして輔けしめる底本 三〇九頁
原文
于時高皇産靈尊。以眞床追衾覆於皇孫。使降之。
訓読
時に高皇産靈尊、眞床追衾を以て皇孫を覆ひ之を降らしむ。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
そこで此の上は瓊瓊杵尊がお降りになっても、反抗する者はないであろうということを復命致しました。
之に依って愈々皇孫をお降しになりましたのですが、其の時に「眞床追衾」即ち身に掛ける夜着のようなものを以て、皇孫の御身を覆うて、そうしてお降しになったということであります。
夜着のようなものを御身に纏はれたというのは、即ち多勢の勝れた人をして輔けしめるという意味に解釈すべきであります。
無論君主たる方は勝れた方でなければならぬのでありますけれども、併しながら國を璧めるという大事に当っては、君主御一人の力にのみ依らないで、これをお輔け申上げる者にも勝れた者を選んで、其の輔佐の任を全うせしめ、君臣協力一致の力を以て國を平らかに治め、國の土台をシッカリと建てなければならぬ。
解説
「眞床追衾」の読み替え。皇孫を覆って降した衾を、小林は「多勢の勝れた人をして輔けしめるという意味」と読む。覆うもの=守り包むもの=輔佐する臣という連想である。
具象を意味に翻訳するこの手つきは、その七(ck102)で「柱を建てる」を「しっかりした建築ができた」と読んだのと同じである。
「眞床追衾」そのものについては、古来さまざまな説がある。寝具説のほか、即位儀礼(大嘗祭)の寝具に由来するとする説(折口信夫の真床覆衾説が有名)もある。神話の一語に、儀礼の記憶が畳み込まれていると見る読み方である。
小林の読みは文献的な裏づけを持つものではないが、「君主一人では足りない」という主題を引き出すための解釈として、この講義の筋には合っている。
皇統章 四(結)君臣協力一致 ── 君主御一人の力にのみ依らない底本 三〇九頁
原文
以眞床追衾覆於皇孫。使降之。
訓読
眞床追衾を以て皇孫を覆ひ之を降らしむ。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
斯ういう意味で、皇孫を輔ける者を添えてお降しになったということであります。
それが日向の高千穗の峯に揃うてお降りになって、そうして笠狹の碕という所に到られて、これから日本の國土を経営されるということになったのであります。
以上の事實を見ますと、日本は天皇が中心でいらっしゃるということは固より申すまでもないことでありますが、また天皇をお輔け申す所の大きな働きをいたした者が初めから多勢居たということも忘れてはならないのであります。
解説
「君臣協力一致」――この一語が、この冊の前半の主題である。
小林はここで二つのことを同時に言おうとしている。天皇が中心であることと、輔ける者がいなければ成らないこと。「固より申すまでもないことでありますが、また……忘れてはならない」という構文が、その両立を支えている。
これは、皇統章 その二(kd24)の「其の精を以てせざれば、則ち人物其の性を盡すこと能はざるなり」――上に立つ者が勝れていなければ下は力を出せない――の裏返しでもある。上下は互いに条件を課し合っている。
読むときの注意。ただし前の冊(kd49)の立憲政治の議論では、小林はこの相互性を後退させ、「議會たるものは決して異議を申すべきものではない」と述べていた。神代を語るときと、同時代の制度を語るときとで、力点が動く。この揺れは、この講義を読むうえでの手がかりになる。
皇統章 四(結)日本は天皇が中心でいらつしやる ── お輔け申す者の力と相俟つて底本 三〇九〜三一〇頁
原文
天降日向襲之高千穗峯矣。到於吾田長屋笠狹之碕矣。
訓読
日向の襲の高千穗峯に天降り、吾田の長屋の笠狹の碕に到る。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
即ち天皇の御威徳と、お輔け申上げる所の者の力と相俟って、國の土台というものがシッカリ定まり、また此の國が永遠に栄えて行くのであります。
ところが若しお輔け申上げる者が私の心を持って居たならば、なかなかお輔け申すどころのことではない、或は天皇の御徳が普く國中に及ぶという働きを妨げることにも相成るので、そういうことでは洵に相済まぬ次第でありますから、國民は皆此の建國の初めの精神を何処までも心に銘じ、銘々が私を捨てて何処までも協力一致して、そうして天皇を永くお輔け申上げるという覚悟を失はないようにするということが最も肝要と考えられるのであります。
解説
「若しお輔け申上げる者が私の心を持って居たならば」――ここで「私」という語が出てくる。
中國章の結び(ck156)の「豈一人の私を縱にせんや」、その九(ck144)の「吏務の奸謀」――役人の不正が反乱を招く――と、同じ主題である。輔ける者の側の私心こそが、統治を壊す。
素行の関心が一貫してここにあることは、押さえておきたい。上に立つ者に徳を求め、輔ける者に無私を求める――この二つが、この書の政治論の両輪である。
なお「吾田の長屋の笠狹の碕」は、薩摩半島南端の野間岬あたりとされる。高千穗峯(霧島または高千穂)から笠狹の碕へという降臨の経路は、南九州の地名で構成されており、この神話が南九州の勢力の伝承を核にしている可能性を示すものとして、しばしば論じられる。
皇統章 五三種の寶物 ── 八坂瓊曲玉・八咫鏡・草薙劍底本 三一〇〜三一二頁
原文
一書云。天照太神。乃賜天津彦彦火瓊瓊杵尊。八坂瓊曲玉。及八咫鏡。草薙劍。三種寶物。
訓読
一書に云ふ、天照太神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊に八坂瓊曲玉及び八咫鏡、草薙劍の三種の寶物を賜ふ。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
また或る伝説に言うには、天照大神が皇孫の瓊瓊杵尊を此の國土にお降しになる時、八坂瓊曲玉と八咫鏡と草薙劍の三種の寶をお授けになりました。
此の三種の神器というものは、要するに天照大神の御身に着けていらっしゃったものを其の儘皇孫にお與えになったのであります。
昔は地位の高い人でありますと、先づ玉を紐に貫いて首の飾りとして懸けまして、其の中央の所に鏡を懸けて居たのであります。
解説
三種の神器。皇統章の中心にあたる場面である。
小林の説明が良い。「天照大神の御身に着けていらっしゃったものを其の儘皇孫にお與えになった」――神器を身に着けるものから説き起こす。抽象的な「しるし」ではなく、首に懸ける玉、その中央の鏡、腰に佩く剣という具体である。
考古学の側から見ても、これは的を射ている。弥生から古墳時代にかけての首長の墓には、鏡・玉・剣が副葬されるのが定型で、三点セットは実際の首長の装身具・威信財だった。神話の神器は、その記憶を留めていると考えられている。
「八坂瓊」は大きな玉、「八咫」は大きな円周(咫は長さの単位)。どちらも「八」が付くのは、その七(ck108)で見たとおり数の多さ・満ち足りていることの形容である。
皇統章 五(承)五部の神を配侍らしむ ── 中臣・忌部・猿女・鏡作・玉作底本 三一〇〜三一二頁
原文
又以中臣上祖天兒屋命。忌部上祖太玉命。猿女上祖天鈿女命。鏡作上祖石凝姥命。玉作上祖玉屋命。凡五部神。使配侍焉。
訓読
又中臣の上つ祖天兒屋命、忌部の上つ祖太玉命、猿女の上つ祖天鈿女命、鏡作の上つ祖石凝姥命、玉作の上つ祖玉屋命、凡て五部の神を以て配侍らしむ。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
そうして草薙劍の三種の寶をお授けになって、そうして後世中臣氏と言はれる一族の祖先である天兒屋命、また猿女という家の先祖である天鈿女命、鏡作から後世忌部氏と言はれる一族の祖先である太玉命、それから石凝姥命、玉作という家の先祖である玉屋命、都合五人の神々を此の瓊瓊杵尊の従者として共に此の地にお降しになった。
そこで其の時に皇孫瓊瓊杵尊に向はれて、あの葦原の千五百秋の瑞穗國は、吾が子孫の王たるべき地であるから、お前は行って此処を治める為めに力を尽すべきである。
其の土地に行ったならば必ず其の土地がよく治まって、そうして天皇の御位は永久に栄え、また其の國もますます栄えて行くことは、天地の窮まり無いのと同様であろう。斯う仰せられたということであります。
解説
五部の神。神器とともに、五つの氏族の祖神が降臨に随行する。中臣(祭祀)・忌部(祭具)・猿女(神楽)・鏡作(鏡)・玉作(玉)――いずれも朝廷の祭祀にかかわる氏族である。
これは職掌の由緒を語る神話である。中國章その八(ck111)で『古語拾遺』を扱ったときにも述べたとおり、こうした記述は、その氏族の地位の根拠として機能する。誰が語り伝えたかを考えながら読みたい。
なお中臣氏はのちの藤原氏である。中國章その九(ck139)で小林が「藤原氏一族が非常に栄華を極めて、殆んど京都以外のことを考えないようになった」と批判していたのと、同じ氏族の祖がここに出てくる。由緒の始まりと、その後の姿と――両方を並べて読むと、この書の見晴らしがよくなる。
皇統章 五(承)葦原の千五百秋の瑞穗國は吾が子孫の王たるべき地なり底本 三一〇〜三一二頁
原文
因勅皇孫曰。葦原千五百秋之瑞穗國。是吾子孫可王之地也。宜爾皇孫就而治焉。行矣。
訓読
因りて皇孫に勅して曰く、葦原の千五百秋の瑞穗國は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり。宜しく爾皇孫就きて治らすべし。行けと。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
そこで其の時に皇孫瓊瓊杵尊に向はれて、あの葦原の千五百秋の瑞穗國は、吾が子孫の王たるべき地であるから、お前は行って此処を治める為めに力を尽すべきである。
其の土地に行ったならば必ず其の土地がよく治まって、そうして天皇の御位は永久に栄え、また其の國もますます栄えて行くことは、天地の窮まり無いのと同様であろう。斯う仰せられたということであります。
此の三種の神器というものは、要するに天照大神の御身に着けていらっしゃったものを其の儘皇孫にお與えになったのであります。
解説
「葦原の千五百秋の瑞穗國」――中國章の冒頭(ck01)で扱った国名が、ここで再び出てくる。千五百秋は限りなく長い年月、瑞穗はみずみずしい稲穂。稲の実る国という名である。
「宜しく爾皇孫就きて治らすべし。行け」――『日本書紀』神代下の一書。この一句が、いわゆる天壤無窮の神勅の前半にあたる。
「行矣」(行け)の一字が印象的である。長い説明ではなく、命令の簡潔さで終わる。
中國章が名から実を読む章だったことを思い出したい。「瑞穗國」という名を与え、そこへ行けと命じる――名づけと派遣とが一続きになっている。名が先にあり、実はこれから作られるという順序である。
皇統章 五(承)寶祚の隆、當に天壤と窮り無かるべし底本 三一〇〜三一二頁
原文
寶祚之隆。當與天壤無窮者矣。
訓読
寶祚の隆なること、當に天壤と與に窮まり無かるべしと。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
そうして共に此の地にお降しになった。そこで其の時に皇孫瓊瓊杵尊に向はれて、あの葦原の千五百秋の瑞穗國は、吾が子孫の王たるべき地であるから、お前は行って此処を治める為めに力を尽すべきである。
其の土地に行ったならば必ず其の土地がよく治まって、そうして天皇の御位は永久に栄え、また其の國もますます栄えて行くことは、天地の窮まり無いのと同様であろう。斯う仰せられたということであります。
解説
天壤無窮の神勅。『日本書紀』神代下、第九段の一書第一に出る。「寶祚の隆えまさむこと、當に天壤と窮り無かるべし」――皇位の栄えることは、天地とともに窮まりがないだろう。
この一句は、明治以降国体論の中核として繰り返し引かれた。教育勅語の解釈にも、大日本帝国憲法第一条「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」の根拠づけにも用いられた。この講義もその流れのなかにある。
ただし小林の読み方には、後段(kd64・kd65)で見るとおり独自の力点がある。「ただ何時までも続くというだけの意味ではない」――継続ではなく発展として読む。無窮を、静止ではなく運動として取るのである。
文献の側から言えば、この神勅は『日本書紀』の一書にのみ見え、本文にはない。『古事記』にも対応する句はない。異伝の一つとして記録されたものが、後世に中心的な位置を占めるに至った――そういう来歴を持つ一句である。
皇統章 五(承)三種の神器 ── 昔は地位の高い人が身に着けたもの底本 三一二〜三一三頁
原文
八坂瓊曲玉。及八咫鏡。草薙劍。三種寶物。
訓読
八坂瓊曲玉及び八咫鏡、草薙劍の三種の寶物。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
此の三種の神器というものは、要するに天照大神の御身に着けていらっしゃったものを其の儘皇孫にお與えになりまして、其の中央の所に鏡を懸けて居たのであります。
また劍というものは、其の國を治めて、若し不正な者があればこれに制裁を与えるということの証しでありますから、一國の上に立つ人はみな劍を佩びて居るので、天照大神は御婦人の御身でありましたけれども、萬民の上に立つ方でありますから、やはり其の証しとして劍をも佩びていらっしゃったのであります。
それで三種ある中に於ても、殊に此の鏡というものは、玉を紐に貫いたものの中央にあって、これを懸けますとチャウド胸の所に当るのであります。それで身に着ける飾りの中では此の鏡というものが一番大切なものになって居りました。
解説
神器を装身具として説く。小林の説明はきわめて具体的である。玉を緒に貫いて首に懸け、その中央に鏡が来る。腰には剣。
「天照大神は御婦人の御身でありましたけれども、萬民の上に立つ方でありますから、やはり其の証しとして劍をも佩びていらっしゃった」――この一句が面白い。剣は男のものという通念を、地位の証しという理由で越えている。天先章(kt18)で「陽神先づ唱ふ」を扱ったときの当時の性別観と較べると、ここでは役割が性別に優先している。
鏡が胸に当たるという指摘も具体的である。だから鏡が三種のうちで最も重い、と。身体のどこに来るかで格を判じる――こういう即物的な説明は、この講義の良いところである。
考古学の側でも、鏡は弥生・古墳時代を通じて最も重要な威信財であり、副葬品の中心を占める。小林の判断は、結果として実際に合っている。
皇統章 五(承)此の寶鏡を視ること吾を視るが如くせよ ── 同床共殿底本 三一〇〜三一三頁
原文
是時天照太神手持寶鏡。授天忍穗耳尊。而祝之曰。吾兒視此寶鏡。當猶視吾。可與同床共殿。以爲齋鏡。
訓読
是の時天照太神手に寶鏡を持ち、天忍穗耳尊に授けて之を祝ぎて曰く、吾が兒此の寶鏡を視ること當に猶ほ吾を視るがごとくすべし。與に床を同じくし殿を共にし、以て齋の鏡と爲すべしと。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それでありますから天照大神が御身にお着けになった三種の寶をお授けになったと申す中でも、此の鏡というものが一番大切なものになって居りました。
それであるから天照大神が御身にお着けになった三種の寶をお授けになった。これは昔から後世に至るまで、全く通じての習はしであります。
此の鏡に就いて仰せられたのは、主として此の鏡が一番重要なものと考えられるのであります。即ち自分はお前と別れてしまうけれども、自分は永久にお前を護る。お前を護るのみならず、お前の子孫である者をも永く自分が護る。就いては此の國を治める者は、自分が今まで多勢の者を治めた所の精神を以て治めなければならぬ。即ち日本の國は天照大神の御精神を本として治めて行きさえすれば必ず永久に治まる。斯ういう意味で、其の御身にお着けになった三種の寶をお與えになったものと解釈すべきであります。
解説
「此の寶鏡を視ること、猶ほ吾を視るがごとくせよ」――『日本書紀』神代下の一書。同床共殿の神勅と呼ばれる。
鏡を天照大神そのものとして扱え、同じ床、同じ殿に置け、という。神器が単なるしるしではなく、神の依代(よりしろ)であることを示す一句である。
この神勅にもとづき、八咫鏡は長く宮中に安置された。崇神天皇のとき、畏れ多いとして宮中の外に移され(『日本書紀』崇神六年)、やがて倭姫命の巡行を経て伊勢に鎮まる――皇統章 その一(kd18)で扱った話につながる。同床共殿の神勅と、伊勢遷座とは、一続きの物語である。
小林の読みは、そこを精神の継承に引き寄せる。「此の國を治める者は、自分が今まで多勢の者を治めた所の精神を以て治めなければならぬ」。物としての鏡ではなく、鏡が指し示す治め方を継げ、という読みである。
皇統章 五(承)劍は不正な者に制裁を與へる證し底本 三一三頁
原文
草薙劍。
訓読
草薙劍。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
何れにしてもこれは人の上に立つ方の証しとして身に着けていらっしゃった三種の御寶なので、之を其の儘皇孫にお授けになったのであります。
即ち自分はお前と別れてしまうけれども、自分は永久にお前を護る。お前を護るのみならず、お前の子孫である者をも永く自分が護る。就いては此の國を治める者は、自分が今まで多勢の者を治めた所の精神を以て治めなければならぬ。
即ち日本の國は天照大神の御精神を本として治めるので、其の御身にお着けになった三種の寶をお與えになったものと解釈すべきであります。
解説
剣=制裁のしるし。小林はここでも即物的である。「若し不正な者があればこれに制裁を与えるということの証し」。
この読みは、中國章その九(ck127)の「恩威並び行はれてこそ國は本当に平和になる」と同じ枠組みにある。徳と力の両方――鏡が徳を、剣が力を表す、という対応になる。
草薙劍は、素戔嗚尊が八岐大蛇を退治したときにその尾から得た剣とされる。追放された神が得た剣が、天孫に伝わる――皇統章 その一(kd20)で見た「追われた神が、追われた先で英雄になる」という転回が、ここで神器の来歴として結実している。
なお草薙劍はのちに日本武尊の東征で用いられ(中國章 その九 ck133)、熱田神宮に鎮まる。三種の神器のうち、剣だけが物語を多く持っている。
皇統章 五(結)智仁勇は漢學の方の思想で解釋したもの底本 三一三〜三一四頁
原文
三種寶物。
訓読
三種の寶物。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
徳川時代になって漢学者がいろいろ此の三種ということを説明して、「智仁勇」であるというようなことをも申して居りますけれども、それは漢学の方の思想で解釈したのであって、初め天照大神が此の三種の寶をお與えになった時に、何も智仁勇に象どったなどという仰せはなかったのであります。
常に御身に着けられた寶を其の儘お與えになったということは、要するに何処までも日本の國を護る、また日本の國は何処までも自分の今持って居る此の精神を本として治めて行くべきであるという御趣意と解釈するのが最も適当であろうと思はれるのであります。
解説
この冊でいちばん記憶しておきたい一段。小林が後世の解釈を、後世の解釈として切り分けている。
三種の神器=智仁勇という解釈は、北畠親房『神皇正統記』にすでに見え、江戸期の儒学者・国学者がさかんに用いた。鏡=智、玉=仁、剣=勇、という配当である。『中庸』の三達德を神器に当てたもので、神道を儒学の枠で説明する典型的なやり方だった。
小林はそれを「漢学の方の思想で解釈したのであって、初め……何も智仁勇に象どったなどという仰せはなかった」と、はっきり退ける。典拠にないものは典拠にないと言う――この態度は、この読本で何度も指摘してきた「素行の原文にない読み込み」という問題に、小林自身が別の場面では敏感であったことを示している。
そして自分の読みを示す。「常に御身に着けられた寶を其の儘お與えになった」――特別に用意した象徴ではなく、ふだん身に着けていたものをそのまま渡した。だからこれは治め方の継承を意味する、と。素直で、しかも根拠のある読みである。
皇統章 五(結)天壤無窮の意義 ── たゞ何時までも續くといふだけの意味ではない底本 三一四頁
原文
寶祚之隆。當與天壤無窮者矣。
訓読
寶祚の隆なること、當に天壤と與に窮まり無かるべし。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それからまた此の時に多勢の人が瓊瓊杵尊にお附き申して此の土地に参ったということは、やはりこれも日本の國の本当の性質を表はして居るのであります。
即ち上には御徳の高い天子がいらっしゃって、また賢者がこれをお輔け申し上げて、上下一致の力を以て國をますます盛んにして行くという意味であります。
それから前にも申したように、此の「天壤と與に窮まり無かるべし」という御言葉は、ただ何時までも続くというだけの意味ではないのであります。
解説
「ただ何時までも続くというだけの意味ではない」――小林はここで、天壤無窮の読み方を組み替える。
ふつうこの神勅は皇統の永続を保証する言葉として読まれる。小林はそれを否定しないが、「続く」だけでは足りないと言う。次段(kd65)で明かされるとおり、天地の働きが絶えず発展していくように、皇統もまた発展し続けるのだ、という読みである。
この読み替えには根拠がある。「天壤と窮まり無し」の「天壤」は静止したものではない。中國章の最終段(ck148)で扱った『易経』の「天行は健なり」――天の運行はたくましく休みがない――を思い出せば、天地とは動き続けるものである。それと同じであれ、と読むなら、無窮は運動ということになる。
「上下一致の力を以て」という一句も見ておきたい。kd54 の「君臣協力一致」が、ここで天壤無窮の条件として置かれている。続くこと自体が保証されているのではなく、上下が力を合わせるから続く――そう読める書き方である。
皇統章 五(結)草も伸びれば木も伸び ── 天地の働きは何處までも發展をして行く底本 三一四頁
原文
當與天壤無窮者矣。
訓読
當に天壤と與に窮まり無かるべし。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
天地の働きというものは何処までも発展をして行くので、何時も同じ状態ではないのであります。
草も伸びれば木も伸び、動植物でもますます栄えて行き、天地の力に依って凡ての物は果てもなく繁昌して行くのであります。
國を治めるのも其の通りであって、上に神聖なる所の君主がいらせられて、賢者がこれを輔ければ、何処までも其の國は発展をして行くので、ただ永く続くというだけでも目出たいけれども、ただ永く続くのではなくて、続くに従ってますます盛んになり、ますます物事が進んで行くというように解釈しますと、一層其の意義が深くなるのであります。
解説
この読み替えの核心。「草も伸びれば木も伸び」――天地とは、育ち続けるものである。だから「天壤と窮まり無し」とは、「続く」ではなく「育ち続ける」ということだ、と。
「ただ永く続くというだけでも目出たいけれども、ただ永く続くのではなくて、続くに従ってますます盛んになり、ますます物事が進んで行く」――この一句は、単なる継続の讃美から一歩を進めている。持続ではなく成長を条件にしている。
そして「上に神聖なる所の君主がいらせられて、賢者がこれを輔ければ」という条件文が、ここでも付いている。皇統章 その二(kd31)で見た素行の条件文「歷代の聖主、二神の精一を守り……致さずんば、豈神明の統を承けんや」と、同じ形である。
この読本で「転回(三)」として記録してきた――素行の条件文を、小林が地位の絶対へずらす――という癖に対して、ここでは小林自身が条件を保っている。同じ講義者のなかに、両方の読み方が同居している。
皇統章 五(結)これを以て自ら足れりとすべきものではない底本 三一四頁
原文
寶祚之隆。當與天壤無窮者矣。
訓読
寶祚の隆なること、當に天壤と與に窮まり無かるべし。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
日本の國は今日までに二千六百年間非常な発展をしましたけれども、併しこれを以て自ら足れりとすべきものではないので、まだこれから大いに発展をして、それこそ世界の凡ての國を指導するという地位になるということを理想として、お互いが力を尽さなければならぬので、此の点をよく考うべきものであります。
解説
この冊の結び。そして、この読本で繰り返し確認してきた転回が、ここでも現れる。
「これを以て自ら足れりとすべきものではない」――ここまでは良い。達成に安住しないという戒めで、中國章の結び(ck156)の「當時の治を伐る」――今うまくいっていることを誇る――を戒めた素行の一句と、まっすぐつながる。
読むときの注意。だが続く一句――「それこそ世界の凡ての國を指導するという地位になるということを理想として」――は、素行の原文にはない。素行の引く神勅は「寶祚の隆、當に天壤と窮り無かるべし」で終わっており、他国を指導することは述べていない。
ck98・ck100・ck130・ck149・kd10・kd12・kd16・kd30 と同じ型である。内へ向かう戒めが、外へ向かう使命に接ぎ木される。
「二千六百年」という数え方も、この講義の時代を示している。皇紀二千六百年は昭和十五年(一九四〇)にあたり、大規模な記念行事が行われた。この講義が、まさにその前後に語られたことが、この一語から分かる。