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中朝事實 三(皇統章)

山鹿素行 著 ── 中國その主を定むるの始 原文・訓読・現代語訳・解説の四層

この読本について

『中朝事實』第三章、皇統章です。天先章が「天地のはじめ」を、中國章が「国土と制度」を論じたのに対し、本章は「誰がこの国の主となったか」を論じます。伊弉諾・伊弉冊二神が天下の主を生もうと相談し、日神(大日孁貴=天照大神)・月神・蛭兒・素戔嗚尊の四神が生まれる場面から説き起こし、天孫降臨の神勅、そして神武天皇の即位までをたどります。

本章の眼目は二つあります。一つは「二神共に議る」という一句で、素行は天下の主を立てることが軽々しく決められた事ではなかった証としてこれを読みます。もう一つは即位の礼で、皇后を立てること・皇太子を建てること・即位の礼を厳にすることの三つが、そのまま三綱(君臣・夫婦・父子)の確立にあたる、と論じます。素行にとって皇統とは血統の連続である以前に、人倫の秩序が国の初めに据えられたことの証でした。

読むときの注意。本章の終わりには、大陸では王朝の姓が三十たびも易わり臣が君を弑した例が数えきれないのに対し、日本の皇統は絶えなかった、という比較が置かれています。江戸前期の日本人が明清交替を見ながら書いた議論であり、そこに挙がる年数(開闢より人皇に至るまで二百万歳、天祖の降跡より一百七十九万二千四百七十余歳など)は『日本書紀』の神話的紀年をそのまま用いたものです。歴史資料として、その前提ごと読んでいただければと思います。現代語訳と解説はこの読本のために新たに書き起こしたものです。

翻刻について。原文・訓読文は廣瀬豊編『山鹿素行全集 思想篇 第十三巻』の影印からの文字起こしに目視校正を加えたものです。旧字体・異体字を含む古い活字のため、なお誤りが残っている可能性があります。

色分けの凡例

『日本書紀』(本文・一書)本朝の古典(古語拾遺・舊事本紀・元々集ほか)漢籍(易・書・詩・論語・孟子ほか)制度・地理・故事

主要語彙集

皇統(こうとう)
天皇の血統。素行はこれを単なる血のつながりではなく、三綱(君臣・夫婦・父子)が国の初めに正しく据えられ、それが変わらずに続いてきたことと捉える。
懸象著明(けんしょうちょめい)
天にかかった日月星辰がはっきりと明るいこと。『易』繋辞伝上の「懸象著明なるは日月より大なるは莫し」による。素行は「天地の氣候正しからざれば懸象また著明ならず」と説き、天のありようと人の君長のありようを重ねる。
惟精惟一(いせいいいつ)
『書經』大禹謨の「惟れ精惟れ一、允に厥の中を執れ」による。よくよく見きわめ、ひたすら一つに専らにすること。素行は二神が天下の主を生むにあたっての心構えをこの語で説明する。
天壤無窮の神勅(てんじょうむきゅうのしんちょく)
「寶祚の隆えまさんこと、當に天壤と窮りなかるべし」。天照大神が皇孫に下したと『日本書紀』一書が伝える言葉。
同床共殿(どうしょうきょうでん)
「吾を視るが猶くすべし。床を同じくし殿を共にして、以て齋鏡と爲すべし」。宝鏡を天照大神そのものとして同じ殿内に祀れという神勅。神器章の主題につながる。
真床追衾(まとこおうふすま)
皇孫を覆って降したと伝える衾(ふすま)。天孫降臨の場面に現れる。
三種の寶物(さんしゅのほうもつ)
八坂瓊曲玉・八咫鏡・草薙劒。素行はこれを「天神の靈器、傳國の表寶」と呼ぶ。詳しくは次章の神器章で論じられる。
五部神(いつとものおのかみ)
天児屋命(中臣の上祖)・太玉命(忌部の上祖)・天鈿女命(猿女の上祖)・石凝姥命(鏡作の上祖)・玉屋命(玉作の上祖)。皇孫に配侍した五柱。
三綱(さんこう)
君臣・父子・夫婦の三つの根本の倫。素行は、即位の礼・皇后を立てること・皇太子を建てることが、それぞれこの三つを国の初めに定めたものだと論ずる。
正朔を受く(せいさくをうく)
天子の定めた暦を諸国が受け用いること。統治に服することの象徴。

登場する神・人物

大日孁貴(おおひるめのむち)
日神。天照大神。伊勢の大神宮に鎮座する宗廟の厳神であり、素行は「本朝の元祖」と呼ぶ。
月弓尊(つくゆみのみこと)
月神。伊勢の別宮に祀られる。
蛭兒(ひるこ)
三歳になっても脚が立たず、天磐櫲樟船に載せて放たれたと伝える。素行は摂津国西宮の社の夷三郎がこれであるとする。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
勇悍で常に哭泣し、青山を枯山にしたため根国に逐われた神。出雲大社に祀られる。素行はこの神と蛭兒をも「天神の子」として、その貴きに因って分を命じられたと説く。
天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊。天照大神の子。高皇産靈尊の女栲幡千千姫を妃として瓊瓊杵尊を生んだ。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
天津彦火瓊瓊杵尊。皇孫。三種の宝物と五部神を授けられて日向の高千穂峯に降った。
天穂日命(あめのほひのみこと)
葦原中國の平定に最初に遣わされたが、大己貴神に媚びて三年報命しなかったと伝える。
經津主神・武甕槌神(ふつぬしのかみ・たけみかづちのかみ)
葦原中國に降って順わぬ鬼神を誅し、復命した二神。
大己貴命(おおなむちのみこと)
大國主神・顯國玉神ともいう。少彦名命とともに力を合わせ心を一つにして天下を経営し、のち国を譲って幽事を治めた。
少彦名命(すくなひこなのみこと)
大己貴命とともに国づくりをした神。
神武天皇(じんむてんのう)
神日本磐余彦天皇。諱は彦火火出見。彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の第四子。四十五歳のとき東征を決意し、辛酉正月庚辰朔に橿原宮で即位した。

皇統章 一天下の主者を生まざらんや
原文
伊弉諾尊伊弉冊尊共議曰、吾已生大八洲國及山川草木、何不生天下之主者歟、於是共生日神、號大日孁貴、此子光華明彩、照徹於六合之內、故二神喜曰、吾息雖多、未有如此靈異之兒、不宜久留此國、自當早送于天、而授以天上之事、此時天地相去未遠、故以天柱擧於天上、次生月神、其光彩亞日、可以配日而治、故亦送之于天、次生蛭兒、已至三歳、脚猶不立、故載天磐櫲樟船、順風放棄、次生素戔嗚尊、此神有勇悍以安忍、且常以哭泣、故令國內人民多以夭折、復使青山變枯、故其父母二神勅曰、汝甚無道、不可以君臨宇宙、固當遠適之根國矣、遂逐之、

訓読
伊弉諾尊いざなぎのみこと・伊弉冊尊いざなみのみこと共ともに議はかりて曰のたまはく、吾われ已すでに大八洲國おほやしまぐに及および山川やまかは草木さうもくを生うめり、何なんぞ天下あめのしたの主者きみたるものを生うまざらんやと。ここに於おいて共ともに日神ひのかみを生うみます。大日孁貴おほひるめのむちと號がうす。この子みこ光華くわうくわ明彩めいさいにして、六合りくがふの內うちに照徹てりとほる。故ゆゑに二神にしん喜よろこびて曰のたまはく、吾わが息みこ多おほしと雖いへども、未いまだかく靈異れいいの兒こはあらず。久ひさしくこの國くにに留とどむべからず。自おのづから當まさに早はやく天あめに送おくりまつりて、授さづくるに天上てんじやうの事ことを以もつてすべし。この時とき天地あめつち相あひ去さること未いまだ遠とほからず。故ゆゑに天柱あめのみはしらを以もつて天上てんじやうに擧あぐ。次つぎに月神つきのかみを生うみまつります。その光彩くわうさい日ひに亞つげり。以もつて日ひに配ならべて治をさむべし。故ゆゑに亦またこれを天あめに送おくりまつる。次つぎに蛭兒ひるこを生うむ。已すでに三歳みとせになるまで脚あし猶なほ立たたず。故ゆゑに天磐櫲樟船あめのいはくすぶねに載のせて順風まにまにに放はなち棄うつ。次つぎに素戔嗚尊すさのをのみことを生うむ。この神かみ勇悍ゆうかんにして安忍あんにんあり、且かつ常つねに哭泣こくきふするを以もつてす。故ゆゑに國內くにのうちの人民ひとくさをして多おほく以もつて夭折えうせつせしむ。復また青山あをやまをして枯かるるに變へんぜしむ。故ゆゑにその父母ふぼ二神にしん勅ちよくしたまはく、汝いまし甚はなはだ無道ぶだうなり、以もつて宇宙うちうに君臨くんりんすべからず。固まことに當まさに遠とほく根國ねのくにに適ゆくべしとのたまひて、遂つひにこれを逐やらひき。

現代語訳
伊弉諾尊・伊弉冊尊はともに相談して言われた。「われらはすでに大八洲國と山川草木を生んだ。どうして天下の主となる者を生まずにいられようか」。そこでともに日神を生まれた。大日孁貴と申し上げる。この御子は光り輝いて明るく彩やかで、天地四方のうちを照らしとおした。だから二神は喜んで言われた。「わが子は多いけれども、まだこのように霊妙な子はいなかった。長くこの国にとどめておくべきではない。おのずから早く天にお送りして、天上のことを授けるべきである」。このときはまだ天と地との隔たりが遠くなかった。だから天の御柱によって天上へお上げした。次に月神を生まれた。その光彩は日に次ぐものであった。日と並べて治めさせるべきである。だからこれもまた天にお送りした。次に蛭兒を生んだ。三歳になるまで脚がまだ立たなかった。だから天磐櫲樟船に載せて、風のまにまに放ち棄てた。次に素戔嗚尊を生んだ。この神は勇ましく荒々しく、むごいことを平気でし、しかも常に泣きわめいた。そのため国内の人民を多く若死にさせた。また青山を枯れさせた。だからその父母である二神は仰せられた。「そなたはたいへん道にはずれている。宇宙に君臨させるわけにはいかない。まことに遠く根國へ行くべきである」。そうしてついにこれを逐われた。

解説
皇統章は「何ぞ天下の主者を生まざらんや」という二神の相談から始まる。国土と自然を生み終えたところで、次に「主」を生む――という順序が、そのまま素行の国家観になっている。土地が先、主が後である。そして生まれた四神のうち、天に上げられたのは日と月、逐われたのは蛭兒と素戔嗚。この明暗の分かれ方そのものが、以下の按語で繰り返し問い直される。

皇統章 二一書に曰はく ── 白銅鏡より化出る神
原文
一書曰、伊弉諾尊曰、吾欲生御宇之珍子、乃以左手持白銅鏡、則有化出之神、是謂大日孁尊、右手持白銅鏡、則有化出之神、是謂月弓尊、又廻首顧眄之間、則有化神、是謂素戔嗚尊、即大日孁尊及月弓尊並是質性明麗、故使照臨天地、素戔嗚尊是性好殘害、故令下治根國、

訓読
一書あるふみに曰いはく、伊弉諾尊いざなぎのみこと曰のたまはく、吾われ御宇之珍子あめのしたしろしめすうづのみこを生うまんと欲おもひて、乃すなはち左ひだりの手てを以もつて白銅鏡ますみのかがみを持もちたまふとき、則すなはち化出なりいづる神かみます。これを大日孁尊おほひるめのみことと謂まうす。右みぎの手てに白銅鏡ますみのかがみを持もちたまふとき、則すなはち化出なりいづる神かみます。これを月弓尊つくゆみのみことと謂まうす。又また首かうべを廻めぐらして顧眄かへりみるの間あひだ、則すなはち化なる神かみます。これを素戔嗚尊すさのをのみことと謂まうす。即すなはち大日孁尊おほひるめのみこと及および月弓尊つくゆみのみことは並ならびに是これ質性しつせい明麗めいれいなり。故ゆゑに天地あめつちを照臨せうりんせしむ。素戔嗚尊すさのをのみことは是これ性せい殘害ざんがいを好このむ。故ゆゑに下しも根國ねのくにを治をさめしむ。

現代語訳
一書にはこうある。伊弉諾尊が「わたしは天下を治める尊い御子を生みたい」と言われて、左の手に真澄の鏡を持たれると、そこから化り出た神がおられた。これを大日孁尊と申し上げる。右の手に真澄の鏡を持たれると、そこから化り出た神がおられた。これを月弓尊と申し上げる。また首をめぐらしてふり返られたそのあいだに、化り出た神がおられた。これを素戔嗚尊と申し上げる。すなわち大日孁尊と月弓尊とはともに生まれつきが明るく麗しい。だから天地を照らし臨ませられた。素戔嗚尊は生まれつき害うことを好む。だから下って根國を治めさせられた。

解説
本文とは別に、この一書をわざわざ並べたところに素行の意図がある。三貴子が「鏡」から化り出たという伝えは、次章の神器章――宝鏡をもって天照大神そのものとする「同床共殿」の神勅――への伏線になる。日神・月神の誕生と鏡とがはじめから結びついていることを、ここで読者に印象づけている。

皇統章 三是れ中國その主を定むるの始なり
原文
謹按、是中國定其主之始也、大日孁貴者即日神、鎭坐伊勢州之大神宮、宗廟之嚴神、本朝之元祖也、月弓尊者、月神、是又爲伊勢別宮也、蛭兒者攝津州西宮社夷三郎是也、素戔嗚尊者、出雲州大社是也、

訓読
謹つつしみて按あんずるに、是これ中國ちうごくその主しゆを定さだむるの始はじめなり。大日孁貴おほひるめのむちは即すなはち日神ひのかみにして、伊勢州いせのくにの大神宮だいじんぐうに鎭坐ちんざす。宗廟そうべうの嚴神げんしん、本朝ほんてうの元祖ぐわんそなり。月弓尊つくゆみのみことは月神つきのかみにして、是これ又また伊勢いせの別宮べつぐうたり。蛭兒ひるこは攝津州せつつのくに西宮にしのみやの社やしろの夷三郎えびすさぶらうこれなり。素戔嗚尊すさのをのみことは、出雲州いづものくにの大社おほやしろこれなり。

現代語訳
つつしんで考えてみるに、これが中國(日本)がその主を定めたはじめである。大日孁貴とはすなわち日神であって、伊勢国の大神宮に鎮座しておられる。宗廟のおごそかな神、本朝の元祖である。月弓尊は月神であって、これもまた伊勢の別宮である。蛭兒とは摂津国西宮の社の夷三郎がこれである。素戔嗚尊とは、出雲国の大社がこれである。

解説
神話上の四神を、素行はそれぞれ今も現に祀られている社に引き当てる。伊勢の内宮・別宮、西宮、出雲大社――読者が実際に参ることのできる場所である。神話を過去の物語として語るのではなく、いま目に見える祭祀の由来として提示するのが素行の書き方であり、これは後の祭祀章にもつながる。

皇統章 四日月は天地の主なり
原文
凡氣聚形生、則必有其精、謂之心、謂之性、是其主也、天地相成、而陰陽之精、懸象著明、謂之日月、日月者、天地之主也、四時之運行、寒暑之去來、云一日、云一月、云一歳、皆以日月爲綱紀、天地之氣候不正、則懸象又不著明、人民之有君長、亦然、人民之精、不以其精、則人物不能盡其性也、

訓読
凡およそ氣き聚あつまり形かたち生しやうずるときは、則すなはち必かならずその精せいあり。これを心こころと謂いひ、これを性せいと謂いふ。是これその主しゆなり。天地てんち相あひ成なりて、陰陽いんやうの精せい、懸象けんしやう著明ちよめいなる、これを日月じつげつと謂いふ。日月じつげつは天地てんちの主しゆなり。四時しいじの運行うんかう、寒暑かんしよの去來きよらい、一日いちじつと云いひ、一月いちぐわつと云いひ、一歳いつさいと云いふ、皆みな日月じつげつを以もつて綱紀かうきと爲なす。天地てんちの氣候きこう正ただしからざるときは、則すなはち懸象けんしやう又また著明ちよめいならず。人民じんみんに君長くんちやうあるも亦また然しかり。人民じんみんの精せい、その精せいを以もつてせざるときは、則すなはち人物じんぶつその性せいを盡つくす能あたはざるなり。

現代語訳
そもそも氣が集まって形が生じるときには、必ずその精がある。これを心といい、性という。これがそのものの主である。天地が成って、陰陽の精が天にかかって明らかであるもの、これを日月という。日月は天地の主である。四季のめぐり、寒暑の去来、一日といい一月といい一年というのも、みな日月をもって綱紀としている。天地の気候が正しくなければ、天にかかった象もまた明らかではない。人民に君長があるのもこれと同じである。人民の精が、その精たるにふさわしくなければ、人も物もその性を尽くすことができない。

解説
「主」という語の意味をここで定義しなおす。氣が集まって形をなせば、必ずその中心に「精」=心・性がある。それが主である。天地における主が日月であり、人民における主が君長である。つまり君主とは支配者である前に、その集まりの中心にある精である――これが素行の君主論の土台であり、天先章の「人は二氣の精神なり、故にその中に位す」がここに引き継がれている。

皇統章 五二神共に議るは、その事を容易にせざるなり
原文
蓋二神共議者、不容易其事也、以神鏡者、明而不倚也、雖天神之靈、欲生天下之主、而惟精惟一、可以見之也、故所共生爲日、爲月、而天地弐位、爲蛭兒、爲素戔嗚、河海猛惡、亦有其長、夫所共生、皆天神之子、而因其貴、命其分、嗟、神之德、大哉公哉、

訓読
蓋けだし二神にしん共ともに議はかるは、その事ことを容易よういにせざるなり。神鏡しんきようを以もつてするは、明あきらかにして倚よらざるなり。天神てんじんの靈れいと雖いへども、天下てんかの主しゆを生うまんと欲ほつして、惟これ精せい惟これ一いつなる、以もつてこれを見みつべきなり。故ゆゑに共ともに生うむところは日ひと爲なり、月つきと爲なりて、天地てんちに弐ならび位くらゐす。蛭兒ひること爲なり、素戔嗚すさのをと爲なりて、河海かかい猛惡まうあくも亦またその長ちやうあり。夫それ共ともに生うむところは、皆みな天神てんじんの子こなり。而しかしてその貴たふときに因よりて、その分ぶんを命めいず。嗟ああ、神かみの德とく、大だいなる哉かな、公こうなる哉かな。

現代語訳
思うに二神がともに相談されたというのは、この事を軽々しく決められなかったということである。神鏡を用いられたというのは、明らかであってどちらにも偏らないということである。天神の霊妙なはたらきをもってしても、天下の主を生もうとするにあたっては、よくよく見きわめ、ひたすら専一であられた。そのことがここから読みとれる。だからともに生まれたものは日となり月となって、天地と並んで位を占めた。また蛭兒となり素戔嗚となって、河海や荒々しいものにもそれぞれの長がある。そもそもともに生まれたものは、みな天神の子である。そしてその貴さに応じて、それぞれの職分を命じられた。ああ、神の徳の、なんと大きく、なんと公平なことか。

解説
本章の白眉である。素行は「二神共に議る」というたった四字から、天下の主を立てることが軽々しくは決められない事であったと読む。そして鏡を用いたことを「明らかにして倚らず」=公正の象徴と解する。さらに注目すべきは結びで、天に上げられた日月だけでなく、逐われた蛭兒も素戔嗚もひとしく「天神の子」であり、それぞれに分を与えられたと述べる点である。優劣ではなく分の配当であるから「公なる哉」と言う。皇統を論じながら、排除された者にも位置を与える視線がここにある。

皇統章 六日神を以て地神の太祖・宗廟の第一と爲す
原文
謹按、天神欲生天下之主、而日神以生、故以日神爲地神之太祖、朝廷宗廟之第一、然乃歷代之聖主不守二神之精一、致懸象著明之實、則豈承神明之統乎、

訓読
謹つつしみて按あんずるに、天神てんじん天下てんかの主しゆを生うまんと欲ほつして、日神ひのかみ以もつて生うまる。故ゆゑに日神ひのかみを以もつて地神ちじんの太祖たいそ、朝廷てうてい宗廟そうべうの第一だいいちと爲なす。然しからば乃すなはち歷代れきだいの聖主せいしゆ、二神にしんの精一せいいつを守まもり、懸象けんしやう著明ちよめいの實じつを致いたさずんば、則すなはち豈あに神明しんめいの統とうを承うけんや。

現代語訳
つつしんで考えてみるに、天神が天下の主を生もうとされて、日神がそこに生まれられた。だから日神をもって地神の太祖とし、朝廷の宗廟の第一とするのである。とすれば、歴代の聖なる天皇が、二神の「精一」の心を守り、天にかかって明らかであるという実を果たさなければ、どうして神明の統を受け継いだといえようか。

解説
短いが、本章でもっとも厳しい一節である。皇統は与えられた血統ではなく、果たすべき責務だと言い切っている。二神が「惟精惟一」であったように、歴代の天皇もその心を守り、日月のように「懸象著明」――誰の目にも明らかに輝いている――という実を示さなければ、統を受け継いだことにならない。配所からこれを書いた素行の姿勢が読める箇所である。

皇統章 七或疑ふ ── 何ぞこの二不肖を生ずるや
原文
或疑、二神之靈、何生此二不肖乎、愚謂、嘻、是何言乎、二儀五行之變、未曾無過不及、天地之大、其精爲日月星辰、爲名山大川、其粗爲風雲雷雨、爲澒汗丘陵、精粗相因、而後萬物生、天共覆之、地共載之、是其至大也至公也、人物在天地、亦然、故明暗曲直、柔剛弱強、並行、各盡其性、是神聖贊其化也、二神者、是天地也、生此明暗柔猛、以主萬物、萬物各盡其性矣、道不亦偉乎、因子之說、則取上而遺下、貴嫡而棄庶也、生此四神、而天下始安、萬民得所、二神所共議、無疑焉、

訓読
或あるひは疑うたがふ、二神にしんの靈れい、何なんぞこの二ふたつの不肖ふせうを生しやうずるやと。愚ぐ謂おもへらく、嘻ああ、是これ何なんの言げんぞや。二儀にぎ五行ごぎやうの變へん、未いまだ曾かつて過不及くわふきふなくんばあらず。天地てんちの大だいなる、その精せいは日月星辰じつげつせいしんと爲なり、名山めいざん大川たいせんと爲なり、その粗そは風雲ふううん雷雨らいうと爲なり、澒汗こうかん丘陵きうりようと爲なる。精粗せいそ相あひ因よりて而しかして後のちに萬物ばんぶつ生しやうず。天てん共ともにこれを覆おほひ、地ち共ともにこれを載のす。是これその至大しだいなり至公しこうなり。人物じんぶつの天地てんちに在ある、亦また然しかり。故ゆゑに明暗めいあん曲直きよくちよく、柔剛じうがう弱強じやくきやう、並ならび行おこなはれて、各おのおのその性せいを盡つくす。是これ神聖しんせいその化くわを贊たすくるなり。二神にしんは是これ天地てんちなり。この明暗めいあん柔猛じうまうを生しやうじて、以もつて萬物ばんぶつに主しゆたらしめ、萬物ばんぶつ各おのおのその性せいを盡つくせり。道みち亦また偉ゐならずや。子しの說せつに因よらば、則すなはち上かみを取とりて下しもを遺すて、嫡ちやくを貴たふとびて庶しよを棄すつるなり。この四神ししんを生うみて、而しかして天下てんか始はじめて安やすく、萬民ばんみん所ところを得えたり。二神にしん共ともに議はかるところ、疑うたがふことなし。

現代語訳
ある人が疑って言う。二神の霊妙なはたらきをもって、どうしてこの二人の出来のよくない子を生んだのか、と。わたしは思う。ああ、それは何ということばか。陰陽と五行の変化には、過ぎたところも足りないところもなかったためしがない。広大な天地において、その精は日月星辰となり名山大川となり、その粗は風雲雷雨となり、水の広がりや丘陵となる。精と粗とがたがいに拠りあって、そののちに万物が生じる。天はともにこれを覆い、地はともにこれを載せる。これこそ至って大きく、至って公平ということである。人と物とが天地にあるのもまた同じである。だから明と暗、曲と直、柔と剛、弱と強とが並び行われて、それぞれがその性を尽くす。これこそ神聖がその化育を助けるということである。二神とはすなわち天地である。この明暗・柔猛を生んで万物の主とし、万物はそれぞれその性を尽くした。この道はなんと偉大ではないか。あなたの説によるなら、上だけを取って下を捨て、嫡を貴んで庶を棄てることになる。この四神を生んで、はじめて天下は安らかになり、万民は居場所を得たのである。二神がともに相談されたことに、疑うところはない。

解説
ここでも「或疑」形式が用いられる。反論は「霊妙な神がなぜ出来のわるい子を生むのか」という素朴なものだが、素行の答えは深い。天地は精と粗の両方を生む。明も暗も、柔も剛も、並び行われてはじめて万物がそれぞれの性を尽くせる。だから蛭兒と素戔嗚を「不肖」と呼んで切り捨てる見方こそ、上を取って下を捨てる偏った見方だ、と切り返す。「この四神を生んで、はじめて天下は安く、万民所を得たり」――四神そろってはじめて世界が成立したという結論は、皇統を論ずる書のなかでは意外なほど包摂的である。

皇統章 八葦原中國の主を立てんと欲す
原文
天照大神之子、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、娶高皇産靈尊之女栲幡千千姫、生天津彦彦火瓊瓊杵尊、故皇祖高皇産靈尊、遂欲立皇孫、以爲葦原中國之主、召集八十諸神、而問之曰、吾欲令撥平葦原中國之邪鬼、當遣誰者宜也、惟爾諸神勿隱所知、僉曰、天穂日命是神之傑也、可不試歟、於是俯順衆言、即以天穂日命往平之、然此神佞媚於大己貴神、比及三年、尚不報聞、是後高皇産靈尊更會諸神、遂以經津主神武甕槌神、誅諸不順鬼神等、果以復命、

訓読
天照大神あまてらすおほみかみの子みこ、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと、高皇産靈尊たかみむすびのみことの女むすめ栲幡千千姫たくはたちぢひめを娶めとりて、天津彦彦火瓊瓊杵尊あまつひこひこほのににぎのみことを生うみます。故ゆゑに皇祖くわうそ高皇産靈尊たかみむすびのみこと、遂つひに皇孫くわうそんを立たてて、以もつて葦原中國あしはらのなかつくにの主あるじと爲なさんと欲ほつして、八十諸神やそもろがみを召めし集つどへて、これに問とひて曰のたまはく、吾われ葦原中國あしはらのなかつくにの邪鬼あしきかみを撥はらひ平たひらげしめんと欲おもふ。當まさに誰たれを遣つかはさば宜よけん。惟これ爾いまし諸神もろがみ、知しるところを隱かくすことなかれと。僉みな曰まうさく、天穂日命あめのほひのみことは是これ神かみの傑すぐれたるなり。試こころみたまはざるべけんやと。ここに於おいて衆言しゆげんに俯ふし順したがつて、即すなはち天穂日命あめのほひのみことを以もつて往いきてこれを平たひらげしむ。然しかれどもこの神かみ大己貴神おほなむちのかみに佞媚ねいびして、三年みとせになるまで尚なほ報かへりごと聞まうさず。この後のち高皇産靈尊たかみむすびのみこと更さらに諸神しよしんを會あつめて、遂つひに經津主神ふつぬしのかみ・武甕槌神たけみかづちのかみを以もつて、諸もろもろの順したがはざる鬼神きしん等らを誅ちうせしめ、果はたして以もつて復命ふくめいす。

現代語訳
天照大神の御子、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊は、高皇産靈尊の娘である栲幡千千姫を娶って、天津彦彦火瓊瓊杵尊をお生みになった。そこで皇祖高皇産靈尊は、ついに皇孫を立てて葦原中國の主とされようとして、八十の神々を召し集めて問われた。「わたしは葦原中國の邪しき神どもを払い平らげさせたい。誰を遣わすのがよいだろうか。そなたたち神々よ、知っていることを隠すな」。みなが申し上げた。「天穂日命こそ神のなかの傑物です。試されてはいかがでしょう」。そこで衆議に従い、天穂日命を遣わして平定させられた。しかしこの神は大己貴神にへつらい媚びて、三年たってもなお復命しなかった。その後、高皇産靈尊はあらためて神々を集め、ついに經津主神・武甕槌神をもって、順わない鬼神たちを誅させ、はたして復命したのである。

解説
注目すべきは、高皇産靈尊が八十の神々に諮って意見を求めることである。しかも最初の人選(天穂日命)は失敗している。素行はこの段を削らずに引く。前節の「二神共に議る」と同じく、重要事は独断ではなく衆議で決まり、しかも一度で成るとは限らない――という統治の実際が、神話のなかにすでに書かれている、という読み方である。

皇統章 九真床追衾 ── 高千穂峯に天降ります
原文
于時高皇産靈尊以眞床追衾、覆於皇孫、使降之、天降於日向襲之高千穂峯矣、到於吾田長屋笠狹之碕矣、

訓読
時ときに高皇産靈尊たかみむすびのみこと、眞床追衾まとこおうふすまを以もつて、皇孫くわうそんに覆おほひて、これを降くださしむ。日向ひむかの襲その高千穂峯たかちほのたけに天降あまくだりましき。吾田あたの長屋ながやの笠狹之碕かささのみさきに到いたりましき。

現代語訳
そのとき高皇産靈尊は、真床追衾をもって皇孫を覆い、これを降された。日向の襲の高千穂峯に天降られた。そして吾田の長屋の笠狹の碕に到られた。

解説
天孫降臨の場面である。ごく短いが、皇統章の要となる一段で、素行はこのあとに二つの一書を並べて三種の寶物と寶鏡奉斎の神勅を引き出す。中國章で「天孫の降臨はなぜ西の偏か」という疑いに答えていたのを思い出すと、この日向という場所の意味が読みやすくなる。

皇統章 十寶祚の隆えまさんこと、天壤と窮りなかるべし
原文
一書云、天照大神乃賜天津彦彦火瓊瓊杵尊八坂瓊曲玉、及八咫鏡、草薙劒、三種寶物、又以中臣上祖天兒屋命、忌部上祖太玉命、猿女上祖天鈿女命、鏡作上祖石凝姥命、玉作上祖玉屋命、凡五部神、使配侍焉、因勅皇孫曰、葦原千五百秋之瑞穗國、是吾子孫可王之地也、宜爾皇孫就而治焉、行矣、寶祚之隆、當與天壤無窮者矣、

訓読
一書あるふみに云いはく、天照大神あまてらすおほみかみ乃すなはち天津彦彦火瓊瓊杵尊あまつひこひこほのににぎのみことに八坂瓊曲玉やさかにのまがたま、及および八咫鏡やたのかがみ、草薙劒くさなぎのつるぎ、三種みくさの寶物たからものを賜たまふ。又また中臣なかとみの上祖とほつおや天兒屋命あめのこやねのみこと、忌部いんべの上祖とほつおや太玉命ふとたまのみこと、猿女さるめの上祖とほつおや天鈿女命あめのうずめのみこと、鏡作かがみつくりの上祖とほつおや石凝姥命いしこりどめのみこと、玉作たまつくりの上祖とほつおや玉屋命たまのやのみこと、凡すべて五部神いつとものをのかみを以もつて、配そへ侍はべらしむ。因よりて皇孫くわうそんに勅ちよくして曰のたまはく、葦原あしはらの千五百秋ちいほあきの瑞穗國みづほのくには、是これ吾わが子孫うみのこの王きみたるべきの地くになり。宜よろしく爾いまし皇孫くわうそん就ゆきて治しらせ。行さきくませ。寶祚あまつひつぎの隆さかえまさんこと、當まさに天壤あめつちと窮きはまりなかるべしと。

現代語訳
一書にはこうある。天照大神は天津彦彦火瓊瓊杵尊に、八坂瓊曲玉と八咫鏡と草薙劒という三種の宝物を授けられた。また中臣の遠祖である天兒屋命、忌部の遠祖である太玉命、猿女の遠祖である天鈿女命、鏡作の遠祖である石凝姥命、玉作の遠祖である玉屋命、あわせて五部の神を添えてお仕えさせられた。そのうえで皇孫に仰せられた。「葦原の千五百秋の瑞穗國は、わが子孫が王として治めるべき地である。そなた皇孫よ、行って治めなさい。さあ行きなさい。皇位が栄えることは、まさしく天地とともに窮まりないであろう」。

解説
三種の宝物と五部神が皇孫に授けられる。器(三種の宝物)と人(五部神)とがそろって初めて降臨が成るという構図で、次章の神器章はこの器の側を、後の神知(知人)章は人の側を受け継いで論ずることになる。五部神がそれぞれ中臣・忌部・猿女・鏡作・玉作という実在の氏族の祖とされている点も見落とせない。神話がそのまま朝廷の職掌の由来になっている。

皇統章 十一床を同じくし殿を共にして齋鏡と爲すべし
原文
一書云、天兒屋命太玉命陪從天忍穂耳尊以降之、是時天照大神手持寶鏡、授天忍穂耳尊、而祝之曰、吾兒視此寶鏡、當猶視吾、可與同床共殿、以爲齋鏡、復勅天兒屋命太玉命、惟爾二神、亦同侍殿內、善爲防護、又勅曰、以吾高天原所御齋庭之穗、亦當御於吾兒、則以高皇産靈尊之女萬幡姫、配天忍穂耳尊爲妃、降之、故時居於虛天、而生兒、號天津彦火瓊瓊杵尊、因欲以此皇孫代親而降、故以天兒屋命太玉命及諸部神等、悉皆相授、且服御之物、一依前授、然後天忍穂耳尊復還於天、故天津彦火瓊瓊杵尊降到於日向襲高千穂之峯、

訓読
一書あるふみに云いはく、天兒屋命あめのこやねのみこと・太玉命ふとたまのみこと天忍穂耳尊あめのおしほみみのみことに陪從はべりて以もつてこれを降くだる。この時とき天照大神あまてらすおほみかみ手てに寶鏡たからのかがみを持もちたまひて、天忍穂耳尊あめのおしほみみのみことに授さづけて、これを祝ことほぎて曰のたまはく、吾わが兒こ、この寶鏡たからのかがみを視みること、當まさに吾われを視みるが猶ごとくすべし。與ともに床ゆかを同おなじくし殿とのを共ともにして、以もつて齋鏡いはひのかがみと爲なすべしと。復また天兒屋命あめのこやねのみこと・太玉命ふとたまのみことに勅ちよくしたまはく、惟これ爾いまし二神にしん、亦また同ともに殿內とののうちに侍はべりて、善よく防護ふせぎまもることを爲なせと。又また勅ちよくして曰のたまはく、吾わが高天原たかまのはらに御きこしめす齋庭ゆにはの穗いなほを以もつて、亦また當まさに吾わが兒こに御きこしめすべしと。則すなはち高皇産靈尊たかみむすびのみことの女むすめ萬幡姫よろづはたひめを以もつて、天忍穂耳尊あめのおしほみみのみことに配あはせて妃きさきと爲なし、これを降くだす。故ゆゑに時ときに虛天そらに居をりて兒こを生うむ。天津彦火瓊瓊杵尊あまつひこほのににぎのみことと號がうす。因よりてこの皇孫くわうそんを以もつて親おやに代かへて降くださんと欲ほつす。故ゆゑに天兒屋命あめのこやねのみこと・太玉命ふとたまのみこと及および諸部しよぶの神等かみたちを以もつて、悉ことごとく皆みな相あひ授さづけ、且かつ服御ふくぎよの物もの、一いつに前さきの授さづけに依よる。然しかして後のちに天忍穂耳尊あめのおしほみみのみこと復また天あめに還かへりたまふ。故ゆゑに天津彦火瓊瓊杵尊あまつひこほのににぎのみこと日向ひむかの襲その高千穂たかちほの峯たけに降くだり到いたりたまふ。

現代語訳
一書にはこうある。天兒屋命・太玉命が天忍穂耳尊に付き従って降った。このとき天照大神は手に宝鏡を持たれ、天忍穂耳尊に授けて祝して言われた。「わが子よ、この宝鏡を視るときは、わたし自身を視るのと同じようにせよ。床を同じくし殿を共にして、齋き祀る鏡とせよ」。また天兒屋命・太玉命に仰せられた。「そなたたち二神も、ともに殿の内に侍って、よく守り護れ」。さらに仰せられた。「わたしが高天原で召し上がっている齋庭の稲穂を、わが子にも召し上がらせよう」。そこで高皇産靈尊の娘である萬幡姫を天忍穂耳尊に配して妃とし、降された。そのとき空にあって子を生まれた。天津彦火瓊瓊杵尊と申し上げる。そこでこの皇孫を親に代えて降そうとされた。だから天兒屋命・太玉命および諸部の神々をことごとく授け、また衣服調度の類も、すべて先の授けのとおりとされた。そののち天忍穂耳尊はふたたび天に還られた。こうして天津彦火瓊瓊杵尊は日向の襲の高千穂の峯に降り到られたのである。

解説
この一書には三つの神勅が重なっている。鏡を吾と視よ(同床共殿)/二神よ守護せよ/齋庭の稲穂を吾が子にも。素行が特に重んじるのは第一の鏡の神勅で、これは次章・神器章の主題そのものになる。第三の稲穂の神勅も見落とせない――統治の正統性が、祭祀と農(食)の両方に結ばれている。

皇統章 十二大己貴命の國讓り
原文
謹按、是天孫降臨之始也、一書云、大國主神亦曰大己貴命、亦曰葦原醜男、亦曰八千戈神、亦曰大國玉神、亦曰顯國玉神、其子凡有一百八十一神、夫大己貴命與少彦名命、戮力一心、經營天下、蓋二神寂然長隱之後、大己貴命及其子事代主神、乃合八十萬神於天高市、飾以昇天、陳其誠款之至、而後天孫降於此國也、

訓読
謹つつしみて按あんずるに、是これ天孫てんそん降臨かうりんしたまふの始はじめなり。一書あるふみに云いはく、大國主神おほくにぬしのかみ、亦または大己貴命おほなむちのみことと曰まうす。亦または葦原醜男あしはらのしこをと曰まうす。亦または八千戈神やちほこのかみと曰まうす。亦または大國玉神おほくにたまのかみと曰まうす。亦または顯國玉神うつしくにたまのかみと曰まうす。その子みこ凡すべて一百八十一神ひやくやそあまりひとはしらのかみあり。夫それ大己貴命おほなむちのみことと少彦名命すくなひこなのみことと、力ちからを戮あはせ心こころを一いつにして天下てんかを經營けいえいすといへり。蓋けだし二神にしん寂然せきぜんとして長ながく隱かくれたまふの後のち、大己貴命おほなむちのみこと及およびその子みこ事代主神ことしろぬしのかみ、乃すなはち八十萬やそよろづの神かみを天高市あめのたけちに合あつめ、飾かざりて以もつて天あめに昇のぼり、その誠款せいくわんの至いたりを陳のぶ。而しかして後のちに天孫てんそんこの國くにに降くだりたまふなり。

現代語訳
つつしんで考えてみるに、これが天孫降臨のはじめである。一書にはこうある。大國主神は、あるいは大己貴命と申し上げ、あるいは葦原醜男、あるいは八千戈神、あるいは大國玉神、あるいは顯國玉神と申し上げる。その御子はあわせて百八十一神である。そもそも大己貴命と少彦名命とは、力を合わせ心を一つにして天下を経営した、という。思うに二神(伊弉諾・伊弉冊)が静かに長く姿を隠されたのち、大己貴命とその子である事代主神は、八十万の神々を天高市に集め、装いを整えて天に昇り、まごころの限りを述べた。そうしてのちに天孫がこの国に降られたのである。

解説
いわゆる国譲りの段だが、素行の書き方は特徴的である。武力による屈服としてではなく、大己貴命が自ら八十万の神々を集め、装いを整えて天に昇り「誠款の至りを陳ぶ」――まごころを述べた――と記す。そのうえで「而して后に天孫この國に降りたまふ」と続ける。譲る側の誠意が先にあって、はじめて降臨が成るという順序で語られている。

皇統章 十三三種の寶物は天神の靈器・傳國の表寶なり
原文
凡天神者、生知之聖神、而每事問之、俯順衆言、然後大造之績建矣、三種寶物者、乃天神之靈器、傳國之表寶也、寶祚之隆、當與天壤無窮之十字、說盡至矣、聖主萬世之嚴鑑也、此時雖未有教學授受之名、謹讀此一章、以詳其義、則帝者爲治之學、唯在用力於此乎、異域堯舜禹受授之說、亦豈外于此矣、

訓読
凡およそ天神てんじんは生知せいちの聖神せいしんにして、事ことごとにこれを問とひたまうて、俯ふして衆言しゆげんに順したがひたまふ。然しかして後のちに大造たいざうの績せき建たてり。三種みくさの寶物たからものは乃すなはち天神てんじんの靈器れいき、傳國でんこくの表寶へうほうなり。寶祚あまつひつぎの隆さかえまさんこと當まさに天壤あめつちと窮きはまりなかるべしの十字じふじは、說とき盡つくせり。聖主せいしゆ萬世ばんせいの嚴鑑げんかんなり。この時とき未いまだ教學けうがく授受じゆじゆの名なあらずと雖いへども、謹つつしみてこの一章いつしやうを讀よみて以もつてその義ぎを詳つまびらかにするときは、帝者ていしや治ちを爲なすの學がくは、唯ただ力ちからをここに用もちふるに在あらんか。異域いいきの堯げう・舜しゆん・禹う受授じゆじゆの說せつも亦また豈あにこれに外ほかならんや。

現代語訳
そもそも天神は生まれながらに知る聖なる神でありながら、事あるごとにこれを問い、身を低くして衆議に従われた。そうしてのちに大いなる創業の功績が建った。三種の宝物とは、すなわち天神の霊妙な器であり、国を伝える表の宝である。「寶祚の隆えまさんこと、當に天壤と窮りなかるべし」というこの十字は、説きつくされている。聖なる君主にとって万世の厳しい鑑である。このときにはまだ「教学」「授受」という言葉こそなかったけれども、つつしんでこの一章を読み、その意味を明らかにするならば、帝王が政治を行うための学問とは、ただこの一点に力を用いることではないだろうか。外朝でいう堯・舜・禹の位の授受の説も、どうしてこれと別のものであろうか。

解説
本章の思想的な頂点である。素行はここで二つのことを言う。第一に、生まれながらの聖である天神ですら「事ごとに問い、衆言に順った」――知は独占ではなく諮問によって働く。第二に、天壤無窮の神勅こそ「帝者治を爲すの學」であり、大陸の堯舜禹の授受と同じ性質のものだ、という。ここでも素行は漢学の枠組みを捨てず、その枠組みが指す中身を日本の古典で満たしている。

皇統章 十四遂に東を征ちて中州を定む
原文
神日本磐余彦天皇、諱彦火火出見、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊第四子也、年及四十五歳、謂諸兄及子等曰、昔我天神高皇産靈尊大日孁尊、擧此豐葦原瑞穗國、而授我天祖彦火瓊瓊杵尊、於是火瓊瓊杵尊、闢天關、披雲路、驅仙駈、以戻止、是時運屬鴻荒、時鍾草昧、故蒙以養正、治此西偏、自天祖降跡以逮于今、一百七十九萬二千四百七十餘歳、而遼邈之地、猶未霑於王澤、遂使邑有君、村有長、各自分疆、用相凌躒、抑又聞於鹽土老翁曰、東有美地、青山四周、其中亦有乘天磐船而飛降者、余謂、彼地必可以恢弘天業、光宅天下、蓋六合之中心乎、遂東征定中州、
謹按、是人皇平中州、纘天祖降跡之始也、

訓読
神日本磐余彦天皇かむやまといはれびこのすめらみこと、諱いみなは彦火火出見ひこほほでみ、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊ひこなぎさたけうがやふきあへずのみことの第四子だいししなり。年とし四十五歳しじふごさいに及およびたまうて、諸もろもろの兄え及および子こ等たちに謂かたりて曰のたまはく、昔むかし我わが天神あまつかみ、高皇産靈尊たかみむすびのみこと・大日孁尊おほひるめのみこと、この豐葦原瑞穗國とよあしはらのみづほのくにを擧あげて、我わが天祖てんそ彦火瓊瓊杵尊ひこほのににぎのみことに授さづけたまへり。ここに於おいて火瓊瓊杵尊ほのににぎのみこと、天關あまのいはくらを闢ひらき、雲路くもぢを披おし分わけ、仙駈みさきばらひを驅はせて、以もつて戻止いたります。この時とき運うんは鴻荒こうくわうに屬あひ、時ときは草昧さうまいに鍾あたれり。故ゆゑに蒙もうを以もつて正せいを養やしなひ、この西にしの偏かたほとりを治をさめたまふ。天祖てんそ降跡かうせきしてより以もつて今いまに逮およぶまで、一百七十九萬二千四百七十餘歳いちひやくしちじふくまんにせんしひやくしちじふよさいなり。而しかるに遼邈れうばくの地ちは、猶なほ未いまだ王澤わうたくに霑うるほはず。遂つひに邑むらに君きみあり村むらに長をさありて、各おのおの自みづから疆さかひを分わかち、用もつて相あひ凌躒しのぎきしろはしむ。抑そもそも又また鹽土老翁しほつつのをぢに聞ききしく曰いはく、東ひがしに美地よきくにあり、青山あをやま四周しいしうせり、その中なかに亦また天磐船あまのいはふねに乘のりて飛とび降くだる者ものありといひき。余よ謂おもふに、彼かの地ちは必かならず以もつて天業てんげふを恢弘くわいこうし、天下てんかに光宅くわうたくするに足たりぬべし。蓋けだし六合りくがふの中心ちうしんかと。遂つひに東ひがしを征うちて中州ちうしうを定さだむ。
謹つつしみて按あんずるに、是これ人皇にんわう中州ちうしうを平たひらげ、天祖てんその降跡かうせきを纘つぐの始はじめなり。

現代語訳
神日本磐余彦天皇、諱は彦火火出見、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の第四の御子である。四十五歳になられたとき、兄たちや御子たちに語って言われた。「昔わが天神である高皇産靈尊・大日孁尊が、この豐葦原瑞穗國を挙げて、わが天祖である彦火瓊瓊杵尊に授けられた。そこで火瓊瓊杵尊は天の岩戸をひらき、雲路を押し分け、先払いを走らせて到られた。このとき世は荒れたままで、時はまだ未明のさなかにあった。だから未熟なうちに正しさを養い、この西のかたよったところを治められた。天祖が降られてから今に至るまで、一百七十九万二千四百七十余年である。ところが遠い地はまだ王の恵みにうるおっていない。ついに邑ごとに君があり村ごとに長があって、それぞれが勝手に境を分け、たがいに争いあうようになっている。そもそもまた鹽土老翁に聞いたところでは、東によい地があり、青い山が四方をめぐっていて、その中に天磐船に乗って飛び降った者がいるという。わたしが思うに、かの地はきっと天の御業を大きく広め、天下に光り宅るに足るであろう。思うにそこは天地四方の中心であろうか」。そうしてついに東を討って中州を定められた。
つつしんで考えてみるに、これが人皇が中州を平定し、天祖の降られた事跡を継いだはじめである。

解説
中國章にも引かれた同じ詔だが、読む角度が違う。中國章では「東に美地あり」「六合の中心」という地理の語に注目したのに対し、ここでは「わが天神が天祖に授け、天祖が降り、いま自分が継ぐ」という継承の連鎖に焦点がある。同じ史料を章の主題に応じて読み分ける、素行の編集の手つきがよく分かる箇所である。なお「一百七十九万二千四百七十余歳」は『日本書紀』の神話的紀年をそのまま用いたものである。

皇統章 十五橿原宮に帝位に卽きたまふ
原文
辛酉春正月庚辰朔、天皇卽帝位於大倭州橿原宮、是歳爲天皇元年、尊正妃爲皇后、立皇子神渟名川耳尊爲皇太子、
謹按、是天皇卽位之始也、初天神以磤馭慮嶋爲國中之柱、分巡國柱、天孫立於浮渚在平處、而立宮殿、皆後世卽位之意也、洪濛之間、悠久以養正、帝明達大雄、善繼乾靈之志、善纘皇孫之事、一戎衣而東方服、故建人皇之洪基、開卽位之大禮、

訓読
辛酉かのととりの春はる正月しやうぐわつ庚辰かのえたつの朔ついたち、天皇すめらみこと大倭州やまとのくにの橿原宮かしはらのみやに帝位ていゐに卽つきたまふ。この歳としを天皇てんわうの元年ぐわんねんと爲なす。正妃せいひを尊たふとびて皇后くわうごうと爲なし、皇子わうじ神渟名川耳尊かむぬなかはみみのみことを立たてて皇太子くわうたいしと爲なす。
謹つつしみて按あんずるに、是これ天皇てんわう卽位そくゐの始はじめなり。初はじめ天神てんじん磤馭慮嶋おのごろじまを以もつて國中くになかの柱はしらと爲なし、國くにの柱はしらを分わかち巡めぐり、天孫てんそん浮渚在平處うきじまりたひらにに立たちて、而しかして宮殿きうでんを立たつ。皆みな後世こうせい卽位そくゐの意いなり。洪濛こうもうの間あひだ、悠久いういうにして以もつて正せいを養やしなひたまふ。帝ていは明達めいたつ大雄たいゆうにして、善よく乾靈けんれいの志こころざしを繼つぎ、善よく皇孫くわうそんの事ことを纘つぎ、一ひとたび戎衣じゆういして東方とうはう服ふくす。故ゆゑに人皇にんわうの洪基こうきを建たて、卽位そくゐの大禮たいれいを開ひらきたまふ。

現代語訳
辛酉の年、春正月庚辰の朔、天皇は大倭州の橿原宮で帝位にお即きになった。この年を天皇の元年とする。正妃を尊んで皇后とし、皇子である神渟名川耳尊を立てて皇太子とされた。
つつしんで考えてみるに、これが天皇の即位のはじめである。はじめに天神が磤馭慮嶋を国中の柱とし、その柱を分けめぐり、天孫が浮き島の平らなところに立って宮殿を建てられた。これらはみな後世の即位の意にあたる。天地未明のあいだ、久しくかかって正しさを養われた。この天皇は聡明ですぐれた英傑であり、よく天の神の志を継ぎ、よく皇孫の事跡を継いで、ひとたび軍装をととのえただけで東方は服した。だから人皇の大いなる基を建て、即位の大礼をひらかれたのである。

解説
神武天皇の即位を、素行は孤立した出来事としてではなく、磤馭慮嶋の柱→天孫の降臨→橿原の即位という三段の到達点として位置づける。「皆後世即位の意なり」の一句がそれである。国土の柱を立てること、宮殿を建てること、位に即くこと――形は違うが、いずれも「中に立つ」という同じ行為の反復だ、という読み方である。

皇統章 十六卽位とは何ぞ ── 三綱を國の始に定む
原文
蓋卽位者何、天子卽大寶之位也、人君繼天建極、萬國以朝、四海仰之、始知天子之可以崇、明明德於中州之義也、卽位之大禮、人君正綱紀於其始也、豈可忽乎、自是代代之聖主、各行此儀於正殿、大臣扶翼左右、百官圜護、以拜奉天儀、外國所謂月正元日、舜格于文祖、是也、元者、始也、本也、元年者、卽位之初年、而深其根本於此、不傾不拔之謂也、立皇后者、正男女之別、明嫡庶之辨、懲簒奪之失也、建太子者、著父子之親、嚴嫡庶之分、固宗廟之統也、故人君嚴卽位之禮、而後天下之君臣其分定、重后妃之道、而後天下之男女其別正、定建立之法、而後天下之父子親、三者、人之大倫也、三綱立行、則身修家齊治平之效、可以俟之、

訓読
蓋けだし卽位そくゐとは何なんぞ。天子てんし大寶たいほうの位くらゐに卽つきたまふなり。人君じんくん天てんに繼つぎ極きよくを建たて、萬國ばんこく以もつて朝てうし、四海しかいこれを仰あふぎまつりて、始はじめて天子てんしの以もつて崇たふとぶべきを知しり、明德めいとくを中州ちうしうに明あきらかにしたまふの義ぎなり。卽位そくゐの大禮たいれいは、人君じんくん綱紀かうきをその始はじめに正ただすなり。豈あに忽ゆるがせにすべけんや。これより代代よよの聖主せいしゆ、各おのおのこの儀ぎを正殿せいでんに行おこなひ、大臣だいじん左右さいうに扶翼ふよくし、百官ひやくくわん圜護ゑんごして、以もつて天儀てんぎを拜はいし奉たてまつる。外國ぐわいこくの所謂いはゆる月正元日ぐわつせいぐわんじつ、舜しゆん文祖ぶんそに格いたるといふ、是これなり。元げんは始はじめなり、本もとなり。元年ぐわんねんは卽位そくゐの初年しよねんにして、その根本こんぽんをここに深ふかくして、傾かたむかず拔ぬけざるの謂いひなり。皇后くわうごうを立たつるは、男女なんによの別べつを正ただし、嫡庶ちやくしよの辨べんを明あきらかにし、簒奪さんだつの失しつを懲こらすなり。太子たいしを建たつるは、父子ふしの親しんを著あらはし、嫡庶ちやくしよの分ぶんを嚴げんにし、宗廟そうべうの統とうを固かたくするなり。故ゆゑに人君じんくんは卽位そくゐの禮れいを嚴げんにして、而しかして後のちに天下てんかの君臣くんしんその分ぶん定さだまる。后妃こうひの道みちを重おもんじて、而しかして後のちに天下てんかの男女なんによその別べつ正ただし。建立けんりふの法ほふを定さだめて、而しかして後のちに天下てんかの父子ふし親したし。三みつつの者ものは人ひとの大倫たいりんなり。三綱さんかう立たち行おこなはるるときは、則すなはち身修みをさまり家齊いへととのひ治平ちへいの效かう、以もつてこれを俟まつべし。

現代語訳
そもそも即位とは何か。天子が大いなる宝の位にお即きになることである。君主が天を継いで極を立て、万国が朝し、四海がこれを仰いで、はじめて天子を尊ぶべきことを知り、明徳を中州に明らかにされるという意味である。即位の大礼とは、君主が綱紀をその始めに正すことである。どうしてゆるがせにできようか。これより代々の聖なる天皇は、それぞれこの儀を正殿で行い、大臣が左右に助け、百官が取り囲んで護り、天子の御姿を拝したてまつる。外国でいう「月正元日、舜文祖に格る」というのが、これである。「元」とは始めであり、本である。元年とは即位の初年であって、その根本をここに深くし、傾かず抜けないことをいうのである。皇后を立てるのは、男女の別を正し、嫡庶の区別を明らかにし、簒奪の過ちを懲らすためである。皇太子を建てるのは、父子の親しみをあらわし、嫡庶の分をきびしくし、宗廟の統を固めるためである。だから君主は即位の礼をきびしくし、そうしてのちに天下の君臣はその分が定まる。后妃の道を重んじ、そうしてのちに天下の男女はその別が正しくなる。皇太子を立てる法を定め、そうしてのちに天下の父子は親しむ。この三つは人の大いなる倫である。三綱が立って行われるならば、身が修まり家が斉い、天下が治まり平らかになる効果は、待っていればよい。

解説
皇統章の眼目がここに置かれている。素行は即位・立后・立太子という三つの儀礼を、そのまま三綱(君臣・夫婦・父子)の確立として読む。即位の礼→君臣の分、后妃の道→男女の別、立太子の法→父子の親。つまり皇統とは血の連続である以前に、人倫の秩序が国の初めに据えられたことなのである。そして最後は『大學』の八条目――身修まり家斉い治国平天下――に着地する。素行が『大學』の枠組みで日本の建国を読んでいることが、ここではっきり見てとれる。

皇統章 十七皇統一たび立ちて億萬世これに襲ふ
原文
帝建皇極於人皇之始、定規模於萬世之上、而中國明知三綱之不可遺、故皇統一立、而億萬世襲之不變、天下皆受正朔、而不貳其時、萬國奉王命、而不異其俗、三綱終不沈淪、德化不陷塗炭、異域外國豈可企望之乎、
夫外朝易姓殆三十姓、或狄入而爲王者數世也、春秋二百四十餘年、而臣子弑其國君者二十又五、況其先後之亂臣賊子、不可枚擧也、朝鮮者箕子受命以後易姓四氏、滅其國、而或爲郡縣、或高氏滅絕凡二世、彼李氏二十八年之間、弑王者四度也、況其先後之亂逆、不異禽獸之相殘、獨中國、自開闢至人皇二百萬歳、而自人皇迄于今日、垂二千三百餘歳、而天神之皇統竟不違、其間弑逆之亂、不可屈指數之、況外國之賊覦、不得窺吾藩籬乎、

訓読
帝てい、皇極くわうきよくを人皇にんわうの始はじめに建たて、規模きぼを萬世ばんせいの上うへに定さだめ、而しかして中國ちうごく明あきらかに三綱さんかうの遺のこすべからざることを知しる。故ゆゑに皇統くわうとう一ひとたび立たちて億萬世おくばんせいこれに襲よつて變へんぜず、天下てんか皆みな正朔せいさくを受うけてその時ときを貳ふたつにせず、萬國ばんこく王命わうめいを奉うけてその俗ぞくを異ことにせず、三綱さんかう終つひに沈淪ちんりんせず、德化とくくわ塗炭とたんに陷おちいらず。異域いいきの外國ぐわいこく豈あに企くはだて望のぞむべけんや。
夫それ外朝ぐわいてうは姓せいを易かふること殆ほとんど三十姓さんじつせいにして、狄てき入いりて王わうたる者もの數世すうせいなり。春秋しゆんじう二百四十餘年にひやくしじふよねんにして、臣子しんしその國君こくくんを弑しいする者もの二十又五にじふまたごなり。況いはんやその先後せんごの亂臣賊子らんしんぞくしは枚擧まいきよすべからざるをや。朝鮮てうせんは箕子きし受命じゆめい以後いご姓せいを易かふること四氏ししなり。その國くにを滅ほろぼして、或あるひは郡縣ぐんけんと爲なし、或あるひは高氏かうし滅絕めつぜつすること凡およそ二世にせい、彼かの李氏りし二十八年にじふはちねんの間あひだに王わうを弑しいすること四度しどなり。況いはんやその先後せんごの亂逆らんぎやくは禽獸きんじうの相あひ殘そこなふに異ことならざるをや。獨ひとり中國ちうごくは、開闢かいびやくより人皇にんわうに至いたるまで二百萬歳にひやくまんざいにして、人皇にんわうより今日こんにちに迄いたるまで二千三百餘歳にせんさんびやくよさいを垂たる。而しかして天神てんじんの皇統くわうとう竟つひに違たがはず、その間あひだ弑逆しいぎやくの亂らん、指ゆびを屈くつしてこれを數かぞふべからず。況いはんや外國ぐわいこくの賊覦ぞくゆ、吾わが藩籬はんりを窺うかがふことを得えざるをや。

現代語訳
この天皇は皇位の極を人皇の始めに建て、規範を万世の上に定められた。そうして中國(日本)は、三綱をおろそかにしてはならないことをはっきりと知った。だから皇統はひとたび立って億万世これを受け継いで変わらず、天下はみな暦を受けてその時を二つにせず、万国は王命を奉じてその習俗を異にせず、三綱はついに沈み没することなく、徳化は塗炭に陥らなかった。異域の外国が、どうしてこれを望みうるだろうか。
そもそも外朝では王朝の姓が易わることおよそ三十姓、異民族が入って王となったのも数代ある。春秋の二百四十余年のあいだに、臣下が自国の君主を弑した例が二十五。まして前後の乱臣賊子は数えあげられない。朝鮮は箕子が命を受けて以後、姓が易わること四氏。その国が滅びてあるいは郡県とされ、あるいは高氏が滅び絶えることおよそ二代、かの李氏では二十八年のあいだに王を弑すること四度である。まして前後の乱逆は、禽獣がたがいに害しあうのと変わらない。ひとり中國(日本)は、開闢から人皇に至るまで二百万年、人皇から今日に至るまで二千三百余年に垂んとする。そのあいだ天神の皇統はついにたがわず、その間の弑逆の乱は指を折って数えるほどもない。まして外国の賊がわが垣根をうかがうことすらできなかったのだから、なおさらである。

解説
本章でもっとも議論を呼ぶ一節で、中國章の「外朝五失」に対応する。素行の論点は「王朝交替の有無」に絞られている。前節で見たとおり、彼にとって皇統の価値は三綱が国の初めに据えられて動かなかったことにあるから、易姓革命こそが最大の失点になる。ただしここに挙がる数字は史実として検証に堪えるものではない。「開闢より人皇に至るまで二百万歳」は『日本書紀』の神話的紀年であり、朝鮮の王朝史の記述も伝聞に基づく。江戸前期の日本人が明清交替を目の当たりにして書いた議論として読むべきところである。

皇統章 十八王室猶ほ貴く、君臣の儀を存す
原文
後白河帝之後、武家執權、垂五百有餘歳、其間未嘗無利劍・長距以得擅權、冠猴・封豕之類、然而王室猶存君臣之儀、是天神、人皇之知德、懸象著明、垂世不可忘也、其遏化之功、綱紀之分、然悠久然無窮者、流出于至誠也、三綱既立、則條目之著、在其中矣、
以上論皇統之無窮、謹按、天下者神器、而人物之命、其興替之間、豈存二人之私乎、皇統之初、天神以授、天孫以受、然乃其知德不愧天地、而後可謂神器之與授、天不言、人代言、天下之人仰歸、則天命之也、天下所歸仰、更不他、唯在天祖眷眷而已、

訓読
後白河帝ごしらかはていの後のち、武家ぶけ權けんを執とりて、五百有餘歳ごひやくいうよさいを垂たる。その間あひだ未いまだ嘗かつて利劍りけん・長距ちやうきよ以もつて權けんを擅ほしいままにするを得える、冠猴くわんこう・封豕ほうしの類たぐひなくんばあらず。然しかれども王室わうしつ猶なほ君臣くんしんの儀ぎを存そんす。是これ天神てんじん、人皇にんわうの知德ちとく、懸象けんしやう著明ちよめいにして、世よに垂たれて忘わするべからざるなり。その遏化あつくわの功こう、綱紀かうきの分ぶん、然しかく悠久いういうに然しかく無窮むきゆうなる者ものは、至誠しせいに流出りうしゆつすればなり。三綱さんかう既すでに立たつときは、則すなはち條目でうもくの著あらはるるは、その中うちに在あり。
以上いじやうは皇統くわうとうの無窮むきゆうを論ろんず。謹つつしみて按あんずるに、天下てんかは神器しんきにして、人物じんぶつの命めいなり。その興替こうたいの間あひだ、豈あに二人ににんの私わたくしを存そんせんや。皇統くわうとうの初はじめ、天神てんじん以もつて授さづけ、天孫てんそん以もつて受うく。然しからば乃すなはちその知德ちとく天地てんちに愧はぢずして、而しかして後のちに神器しんきの與授よじゆと謂いふべし。天てん言いはず、人ひと代かはりて言いふ。天下てんかの人ひと仰あふぎ歸きすれば、則すなはち天てんこれを命めいずるなり。天下てんかの歸きし仰あふぐところ、更さらに他たならず、唯ただ天祖てんその眷眷けんけんたるに在あるのみ。

現代語訳
後白河天皇ののち、武家が権を執って五百年あまりになろうとしている。そのあいだ、鋭い剣と強い蹴爪とによって権をほしいままにした者、猿が冠をかぶったような輩や、貪欲な暴徒の類がなかったわけではない。それでも王室はなお君臣の儀を保ってきた。これこそ天神と人皇の知徳が、天にかかった象のように明らかで、世に伝わって忘れられないということである。その広く行きわたる感化の功、綱紀のけじめが、これほど久しく、これほど窮まりないのは、至誠から流れ出ているからである。三綱がすでに立っていれば、細目があらわれるのはそのなかからである。
以上は皇統が窮まりないことを論じたものである。つつしんで考えてみるに、天下とは神の器であり、人と物との命である。その興り替わるあいだに、どうして二人の私意が入りうるだろうか。皇統のはじめ、天神が授け、天孫が受けた。とすればその知徳が天地に恥じないものであってはじめて、神器の授受といえるのである。天は物を言わない、人が代わって言う。天下の人が仰ぎ帰するならば、それこそ天が命じたということである。天下が帰し仰ぐところは、ほかでもない、ただ天祖がねんごろに見守っておられるという、その一点にある。

解説
章の結語である。素行は武家が権を執った五百年を否定しない。「猿が冠をかぶったような輩」がいたことも認める。それでも王室が君臣の儀を保ってきたことに、皇統の強さを見る。そして最後に決定的な一句が置かれる――「その知德、天地に愧ぢずして、而して後に神器の與授と謂ふべし」。天下は神器であって私物ではなく、天は物を言わないから、人が仰ぎ帰するかどうかが天命の証になる。血統さえあればよいとは、素行は一言も言っていない。皇統章は、皇統を讃える章であると同時に、皇統に責務を課す章でもある。